移住者プロフィール
乘冨 賢蔵さん
移住時期
2017年5月
出身地:福岡県柳川市、前住所:神奈川県横浜市、職業:㈱乗富鉄工所 取締役副社長
目次
INDEX
家業を意識することのなかった子ども時代
「家業」を持つ家庭で育った跡継ぎのイメージは、幼いころから親の働く姿を見て育ち、仕事を手伝いながら事業を継いでいくような印象を持っている方も多いのではないだろうか。
「幼い頃、家業はほとんど意識していなかったですね」
意外な答えを返してくれた乘冨さん。小さなころから抱いていた家業に対する印象について、続けて語ってくれた。
「私が小さい頃は創業者の祖父も存命でしたけれど、職場に子どもを連れてくるような人ではなかったんですよね、子どもは会社にくるな!って感じだったので」
鉄工所の跡継ぎ息子と言えども、いつも祖父や父の働く姿を見ながら育ったわけではないという。
「通学時に工場の脇を通るので、いつもバンバンうるさいなと思ってました(笑) なんかモノづくりをしているんだろうなって思っていたくらいで、家業として深く考えることもなかったです」
今でこそ乘冨鉄工所の副社長として、新規事業の立ち上げやモノづくりに励む職人さんのブランディングに奔走する乘冨さんであるが、幼い頃は鉄工所の仕事とは無縁だったのだそう。
小学生の頃の夢は「小説家」引っ込み思案で読書好きな子ども
創業者のお祖父様は厳格な性格だったため、怒られないように保守的に育ったと語る。人前に出て恥ずかしいことをしないよう、厳しく躾られていたそうだ。
「幼少期は子ども同士のコミュニティに馴染めず、小学4~5年生くらいまでは1人で本を読んでいる子どもでした」
ノリノリプロジェクトという新規事業を立ち上げて会社を新たな方向へ導いたり、ピッチイベントへ登壇して事業説明をする今の乘冨さんの姿からは、想像できないほど、引っ込み思案の子どもだったのだとか。
昔から苦手だったコミュニケーションが求められる大変な仕事「生産管理」業務の苦労
地元福岡県で大学院まで進学し、その後就職活動を経て神奈川県横須賀市にある造船所の会社へ入社した乘冨さん。
設計志望で入社したものの、配属されたのは「生産管理」を行う部署だった。
着任後は、想像もできなかったほどの苦労が待ち受けていたのだそう。
最初に任された仕事は、50人程の職人グループの作業の生産計画を作り、職人さんに説明をして現場をコントロールする仕事だったと語る乘冨さん。
「当時”コミュ障”だった自分にとって、現場の人へ説明して動いてもらうことは、『一番できないことをやれ』と言われていた感じでしたね。最初は本当に何もできなくて、とても苦労しました」
生産管理の仕事では、効率的な生産活動のために綿密な計算をして計画値を導き出すが、それを現場の職人に理解してもらうことは一筋縄ではいかない。作業を行う職人と、求められる生産計画との間で板挟みになることも多い。
「月に一度、生産計画を現場へ説明する場があるんですけど、毎回炎上していました。あの時は怖かったですね。職場行きのバスに乗り込んで向かう時、このまま職場に着かなきゃいいのにって思ったこともあります」
思い通りに仕事が進まない中、冗談半分で飛ばされる現場流の激励も深刻に受け止めたりして、かなり疲弊したのだとか。
後の家業の経営に生かせる武器「人を動かす力」で得た自信
厳しい仕事環境に揉まれながら試行錯誤していく中で、後の経営に生かせる教訓もあったという。
「人を動かすには、感情とストーリーが必要ということに気づいたんです。そこに気付くまでは大変でしたが、間違いなく今の鉄工所の経営に活きています」
生産計画を職人さんへ説明して動いてもらうためには、”理論ではなく感情が大切だった”と語る乘冨さん。
「当時は『何で職人さんは僕の作った生産計画を理解してくれないんだろう...もっと計算を細かく精緻にすべきだったかな...』って思っていたんですけど、そこじゃなかったんですよね。現場が求めていたのは計算結果ではなく、その計画を実行できると思える、感情が湧きあがるストーリーだったんです」
会社の経営に通ずる”人を動かす力”を実践の場で学んだ乘冨さん。勘どころを押さえた頃には、自信に満ち溢れて仕事ができたのだとか。
「家業を継ぐ」その決断に必要だったこと
少子高齢化が進み、経営者の高齢化や後継者の不在を理由に事業を継続できない企業が増え、「休業」や「廃業」に追い込まれてしまうケースも増えている。
事業承継がうまくできれば、事業を託す側も引き継ぐ側にもメリットがあるが、決断するのは相応の勇気がいるだろう。
30代で都会の大企業から田舎の町工場へ移り住み、家業を継いだ乘冨さんから当時の思いを伺った。
家業を継ぐ決断ができた2つの理由
乘冨さんが家業を決断できた理由は2つあり、1つ目は「ルーツの存在」、2つ目は「苦労の末に得た自信」だったと語る。
「父からの誘いは大きかったですね。家業の事業内容は関係なく、自分のルーツが他人に渡るのが嫌だったというか、違和感があったんですよね」
乘冨さんは就職にあたって九州を出る際、お父様からいつか戻ってきてほしいと話をされていたそうだ。その後、神奈川県で造船所の仕事を続ける間にも、お父様からのオファーがあった。
親族や信頼に足る後継者候補の場合、こうした先代からの誘いは強い影響力があることが伺えた。
一方で、先代からの強い依頼だけでは事業を承継する決断は難しいだろう。
「造船所時代にとても苦労したおかげで、自分に自信がついていたんですよね、この場所でこれだけやれてるんだから、田舎の鉄工所に戻っても成果を出せるはず!そんな風に思ってました」
乘冨さんの場合、造船所時代の生産管理業務を通じて「人を動かす力」に自信がついた実感があった。乗富鉄工所の3代目副社長として会社の経営や新規事業の立ち上げに関わる中で、造船所時代の経験は非常に重要な経験だったと語る。
跡継ぎが抱える不安とは?事業承継でよくある2パターンの課題
造船所で築いたスキルや自信を持って九州に戻り、鉄工所の事業を継いだ乘冨さんだったが不安なこともあったという。
「田舎の鉄工所の経営状況がよく分からなかったのは不安でしたね。事業を継いでうまくやっていく自信はあったものの、とはいえ事業を継いだ時点で会社がどうにも立ち行かない=”詰み”の状態だったらどうしようという不安はありました」
実際に鉄工所に戻る前には、お父様と会社の決算書や経営状況について話を伺っていたそうだ。しかし、会社の内部を自分の目で見るまでは分からないことの方が多かったのだとか。
事業を承継するにあたっては、会社の財務状況の把握だけではなく、現地の人や環境・会社の空気感などを直接確かめることが大切なのだろう。
乘冨さんは鉄工所に戻った後、会社の業務改革や新規事業の立ち上げなど、その活躍が注目されている。また、事業の成果だけではなく町工場の跡継ぎの一面も注目され、各界の跡継ぎたちとの交流も広げている。
そんな乘冨さんから、跡継ぎが抱えるよくある悩みについて伺った。
「よくあるのは”先代との確執”ですね。これにも2パターンあって、1つ目は1つ上の先代に実績があり強い影響力を持っているケース、もう1つは創業時代の勢いがなくなり、先代の求心力が衰えているケースです」
「乗富鉄工所の場合は後者でした。職人さんたちの協力もあって、少しずつ新規事業の芽が出てきましたね」
今後事業承継を考えている方は、先代との関係性や会社の状況について確認し、どちらのパターンに当てはまるかを把握しておくと良いのかもしれない。
- 先代に実績があり、強い影響力を持っているケースの悩み
現社長が後任に経営を任せたがらない
過去の実績の成功体験があるため、新しい取り組みへの説得コストが高い
→既存事業の基盤はあるものの、新規事業に取り組みにくい
- 創業時代の勢いがなくなり、先代の求心力が衰えているケースの悩み
会社自体の経営状況が芳しくなく、改革が必要
経営のために成果が求められる
→経営層の抵抗力は弱まっているため比較的新しい取り組みは進めやすいが、その成果を残すことが重要となる
「継ぐもの」と「変えていくもの」を見極めるのに大切なこと
既存の設備や人材、社内の資源を活用することでスムーズに事業を進めることができる事業承継であるが、引き継いで終わりものではない。
継ぐべきものと変えていくものを見定め、事業を成長させるためには何が必要だったのかを詳しく伺うと、
「職人へのリスペクトなしに事業承継はできませんね。絶対に無理。今はもっと『職人さんってカッコいい仕事』『鉄工所って楽しい仕事』と思ってもらえるようにしています」
乗富鉄工所では、鉄工所の職人さんを「メタルクリエイター」と呼んでいる。普段の仕事の様子をYouTubeにアップしたり、乘冨さん自ら情報発信をするなど、職人の仕事のクリエイティビティやブランドイメージの構築を進めている。
「今は、デザイン経営を実践しています。外部のクリエイティブディレクターの手を借りながら、会社に何を残し、何を変えていくべきか、事業戦略やブランディングを意識しながら活動しています」
乗富鉄工所ではこれまで広く知られることのなかった職人さんの技術や創造性が、日の目を浴びていない資産であることに気づいた。そして、時代に合わせたブランディングや商品開発と掛け合わせることによって、鉄工所のイメージを大きく変えているのである。
町工場を継いだことで気づけたギャップ
乘冨さんは、大企業のモノづくりの現場で経験を積んだ後、町工場の現場にきて驚いたことがあったそうだ。それは、大企業では考えられない「モノづくりの体制」と「多能工な職人たち」の存在である。
「大手のモノづくりの現場は分業をしていました。だから、基本的に職人さんは1つの作業しかできないわけです。でも、乗富鉄工所の現場では生産管理なんてしていなかったんですよね。図面と材料だけ渡すと、職人同士でうまく作業を調整しながら工程を組んだり、自分たちで加工方法から考えて作っちゃったりするんで...。この人たち凄いな!って、衝撃でした」
大企業の現場では当たり前に行われている分業と生産管理であるが、乗富鉄工所では当時ほとんど行われていなかったそうだ。しかし、その結果自分たちで考えてモノづくりを行う「いろいろなことができる職人」がいることが、会社の資産になっていたという。
乗富鉄工所は社員約65人、年間売上高が約10億円と大きめの町工場だが、 ひとりひとり“個の力”を活かして経営されてきた
経営者として現場を見ることは大切だ。しかし、表層を眺めているだけでは当時の乗富鉄工所は、"分業もできていない非効率な現場”と捉えられていた可能性もある。職人さんへのリスペクトを持って、現場を深く観察していた乘冨さんだからこそ見えた資産なのかもしれない。
家業の跡継ぎという生き方をアップデートする思考法
世間一般的に「家業」や「跡継ぎ」という言葉には、どこか重みを感じることの方が多いのではないだろうか。鉄工所の跡継ぎとして31歳の若さで乗富鉄工所に入社した乘冨さんだが、若くして事業を承継する方の心が軽くなる話を伺うことができた。
「真面目な人ほど家業を”背負う”考え方になってしまうと思うんですよ。保守的になっちゃったり、ちゃんとしなくちゃって。でも、背負わなくてもいいんですよ。むしろ自分の好きなことを仕事に持ち込んでいい。好きなことって、得意なことなんですよね。だから結果的にそっちの方がうまくいく。そして、家業だったらそれができちゃうんですよ」
例えば趣味だったカメラを使って鉄工所のYouTubeチャンネルを作ってみたり、文章を書くのが好きでnoteやTwitterで情報を発信してみたり、これらは乘冨さんの趣味=”好き”から始まったことなのだとか。
https://www.youtube.com/watch?v=wq53erz1b6A
YouTubeやSNSを通した情報発信によって、お堅い鉄工所のイメージが面白い鉄工所に移り変わっていくのが分かる。
「とはいえ、好きなことを持ち込むのはコツが要ります(笑)。見方によっては遊んでいるように捉えかねないので、最初はコッソリ進めながら形にしていくと良いかもしれませんね。」
工夫や注意は必要なものの、家業を自分の好きなことと掛け合わせる継ぎ方もあることは、多くの跡継ぎの方に知ってもらいたい。
長く続く会社には、リスペクトできるものが必ずある。
事業承継をした後、その事業に携わる人や技術には最大限のリスペクトが重要と語る乘冨さん。
最後に、事業承継を目指す方へ向けたアドバイスをいただいた。
「大企業から町工場に戻った時、最初はダメなところや改善点が目につきました。でも、そこで大企業流を持ち込んで改革を進めるのは早計だったりもするんですよね。長く続く会社には、その理由が必ずあります。歴史を紐解いていくことで、その会社の強みが見つかるかもしれません。まずはそこをリスペクトしていけると良いですね。」
事業を承継して後に新たな価値作りを行うためには、まずは会社の足元をよく見て、強みや資産を診断することが大切だそうだ。
モノづくりにクリエイティブを取り戻す。鉄工所が目指す今後の展望
「町工場って凄い!という仕事にしたいと思っています。鉄工所のモノづくりが単に3K(きつい・汚い・危険)と思われるのではなくて、職人さんが憧れるような事業作りをしていきたいと考えています」
乗富鉄工所は、長年に渡って水門や工業機械などの業務用金属製品を製造してきたメーカーだ。安心安全が求められる品質は、職人の技術から成り立っている。
事業を承継した乘冨さんが新しい目線で会社を見つめ直した結果「いろいろなことができる職人さん」と確かな技術と経験から生まれる「創造力」という資産がそこにはあった。
業務用金属製品からアウトドア製品という新しい推進力を得た乗富鉄工所は、今後も職人さんたちとともに、新たな価値を創造していくことだろう。乘冨さんが見てきた景色や大切にしている価値観は、これから事業を承継される方にとって拠り所となるはずだ。今後も乘冨さんと乗富鉄工所の活動に、ぜひ注目してほしい。