18歳で横浜→尾鷲へ単身移住。自立して感じた親への感謝の気持ち

体験談
独自取材

住む場所が変わると生き方も変わる。 環境が変わると自身も変化し、人生までもが変わっていくーー。 都会の喧騒を離れて、地方で“自分らしい生き方”に憧れを抱く人は少なくないだろう。 しかし、いざ真剣に移住を考えると、移住に大きな期待を持つ反面、不安も計り知れない。 現実的に自分の思い描く理想の暮らしが実現できるのかーーー。 “ワープシティ地方移住体験談”では、地方移住を検討している方に向けて、先輩移住者から移住に至った経緯や体験談、移住先の仕事内容や生活などの生の声をお届けする。 第44回目の先輩移住者は、神奈川県横浜市出身の日向風花さん。現在慶應義塾大学総合政策学部の学生でありながら、三重県尾鷲市向井地区の地域おこし協力隊として、休学せずに両立している。 「中学3年生の頃までは、人見知りで消極的でした」と打ち明けた日向さん。親戚も友達も、知り合いも誰もいない「尾鷲市」にやってきた理由とはー。 彼女を突き動かした原動力は、一体何処から来るものだったのだろうか。 彼女が移住に至った経緯や、尾鷲市での地域おこし協力隊の活動についてお話を伺った。

「親のようなサラリーマンにはなりたくない」

「尾鷲市への移住を決断したのは、『ただ自然が好き、地方が好き』というような単純な理由ではありませんでした」 

幼いころから人見知りが激しく、家族にも欲しいものを言えないなど、自己表現が苦手だったという日向さん。 
初めて自分の想いを表現するきっかけとなったのは、中学の卒業論文だったという。

将来について考え始めた日向さんが書いた作文のタイトルは、「親のようなサラリーマンにはなりたくない」。 
印象的なタイトルの作文には、日々感じる彼女の思いが詰まっていた。

ご両親は共働きで銀行員。安定した仕事につき、子どもにしっかりと教育を受けさせることを望んでいた。毎日満員電車に乗って出勤し、朝から夜遅くまで働く両親に、尋ねたことがあったという。 

「仕事って楽しいの?何のために仕事をしているの?」 

ご両親からの回答は、「仕事は、子どもを育てるため、お金を稼ぐためにやっている」という一言。

大学卒業後、社会人として働く時間は、今までの人生よりも長くなるかもしれないー。 
安定した生活やお金を得ることだけを目的にして働くことは、その仕事が好きでなかったら辛いのではないか、と幼いながらに違和感を抱いたという。

「自分のやりたいことをいちばんの軸に考えて、お金も稼げるようになりたいー」 

これまで素晴らしい学校に通えたことも、自分が挑戦してみたいことにいつでもチャレンジできたことも、全て両親が一生懸命仕事をしてくれたおかげである。今でこそ親への感謝の気持ちや尊敬の念を抱くが、当時は、親の働き方に疑問を抱いていたのだ。

幼少期の日向さんご家族

 

自分のやりたいことを一番の軸に

日向さんの目に、ご両親とは対照的な働き方に映ったのは、日向さんの祖父だった。自身で起業をされ、バブルで大倒産を経験するも、新たに起業して現在でも現役経営者という祖父は、「仕事が楽しそう」だったという。

祖父と両親で、仕事に対する考え方が違うことに気づいた日向さんは、中学3年生の頃から、「おじいちゃんみたいに自分のやりたいことを仕事にしたい」という漠然とした思いを持ち始めた。 

しかし現実に目を向けると、中学・高校では与えられた勉強をこなす毎日。定期試験で良い点を取ることを求められることに窮屈な思いを抱くも、今高校を辞めるわけにはいかない、と考えた日向さんに、新たな想いが芽生え始めたー。 

「大学では、自分の好きなことを思いっきりやりたい、おじいちゃんみたいになるために勉強したい」 

学部説明会の時、各々のやりたいことを語り、それを実現するために大学で勉強している総合政策学部の先輩方の姿が印象的であったという。 
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に行けば、やりたいことを見つけて、生き生きと生活できると思った日向さんは、SFCへの進学を決めた。 

大学からは、自分を変えるー。 

そう心に決め、自分のやりたいことのために勉強ができる大学生活へ、期待に胸を膨らませていた。小学1年生から続けていた女子サッカーも、大学では続けないという大きな決断をした。 

「日本代表を輩出するような強豪のクラブチーム・クラブユースで活躍するほどサッカーにはのめりこんでいました。でも、サッカーを今までと同じように続けたら、他にやりたいことが出来なくなる、と思いました」 

今まで全力で取り組んできたサッカーを続けなかったことに悔しさは多少あるというが、それも全て、大学では自分のやりたいことを探して、「おじいちゃんみたいになるための挑戦」であった。 

 

サッカー少女だった日向さん

 

期待を膨らませて入学後、始まったのはオンライン授業の日々

晴れて大学入学を迎えた日向さん。しかし、入学した2020年4月は、新型コロナウイルス感染症により緊急事態宣言が出された年である。一度もキャンパスに足を運ぶこともなく、オンライン授業の日々が始まった。

朝8時から夜18時まで、パソコンと対話をする毎日ー。期待に胸を膨らませていたという大学の授業では、まちづくりのアイデアを出したり、新規商品を考えるなど、確かに面白いと感じる授業ばかりだった。しかし、授業内で考えたアイデアが社会に実装されることは、ほとんどない。 

「パソコンを閉じると、社会から遮断されたような気持ちになりました。入学前の期待とは裏腹に、家にこもってパソコンを見るだけの日々。私は社会に対して何もできていない、と感じていました。このままではおじいちゃんみたいになれない!」 

そこで日向さんは、中学3年生の頃から心に決めていた「大学では自分のやりたいことをやる」と実現するために、自分から社会に出て、興味のある分野に飛びこみ、やりたいことを探しに行こうと舵を切ったのだ。

オンライン授業の日々

 

 

受け入れ先を探し、選んだのは三重県尾鷲市

自分から社会に出ようと決め、受け入れ先を探す日々が続いた。

幼少期から、先祖代々の家がある山梨県へよく遊びに行き、漠然と地方都市や自然が豊かな地域に興味のあった日向さんは、地方でのインターンやプログラムをくまなく探した。しかし、新型コロナ感染拡大初期の2020年、個人的に連絡をするも、断られることが多かったという。

「何度も電話を繰り返し、あるとき社会人の兼業プログラムや学生の実践型インターンシップを支援する『NPO法人ETIC』さんに出会いました。担当者から、受け入れの候補先を5地域も紹介していただき、『選んで良い』と言われたときは、頭の中がお花畑になるように嬉しかったです」

と当時を回顧する。候補先の5地域の方全員とお話しし、受け入れ先の方の考え、生い立ち、これから取り組もうとしていることなどを語り合った。 

その中でも、尾鷲市の受け入れ先の方のお話が最も心に刺さったことが決め手となり、移住先は尾鷲に決めたという。 
その際の受け入れ先であり、後に日向さんの師匠となる伊東将志さん(地域コーディネーター)の考えにも共感し、半年間の実践型インターンとして尾鷲市に行くことを決意した。 


 

18歳、一人で尾鷲市へ。

いよいよ、尾鷲へ出発する日が近づいてきた。しかし、幼少期から極度の人見知りと怖がりであった彼女には、本当に尾鷲に行ってよいのか、明日にもコロナが収まって対面授業が始まるのではないか、など、さまざまな不安が襲い掛かってきた。 

「不安もありましたが、尾鷲に行くことで未来への希望が見えるような気がしたので、出発を決意できました。すべて今思えば、それは「表面的な不安」だったと思います」 

と、当時を振り返る彼女の笑顔からは、2年以上も尾鷲で活動してきたからこそ芽生えた、芯の強さが垣間見えた。実は、日向さんが尾鷲に行くことをご両親に伝えたのは、なんと出発の一週間前。 

「案の定、両親には大反対されました」と笑みをこぼす。ご両親からは、いつかオンキャンパスになるのだから、しっかりと大学の授業を受けなさいと日ごろから言われていたこともあり、直前まで言い出せなかったという。

半ば家出状態で、神奈川県から尾鷲市へ向かった。

 

尾鷲市・向井地区の魅力に魅せられて

「尾鷲の魅力は何よりも自然が美しいことです。海と山の距離が近く、海から山が生えているようです」 

尾鷲市の魅力について、目を輝かせながら語ってくれた。 

「私が尾鷲市で活動を続ける大きな理由は、常に”未知なる挑戦”を続けているからです」 

現在地域おこし協力隊として活躍する彼女は、まさに第一線で尾鷲市向井地区の未知なる挑戦に伴走しているが、横浜市という都会で生まれ育った日向さんにとって、向井地区での暮らしに不便さは感じていないのだろうか。 

「私にとっては全く不便ではないし、どうしても解決できないような大きな課題はありません」とポジティブに答えてくれた。

「少子高齢化、小学校の児童数の減少、伝統文化の衰退など数々の課題はありますが、課題があるからこそ面白くなります。世界中の地方都市で同じような課題があると思います。それを誰も考え付かなかったような方法で解決することで、向井地区が有名になれます。向井地区が世界一になれるような解決策を考えていきたいです」

と、大きなビジョンを生き生きと語ってくれた。

尾鷲市の畑にて

 

 

地域おこし協力隊の一員として「尾鷲市向井地区を世界一のまちにしたい」

2020年9月から始まった実践型インターンを終えた日向さんは、尾鷲に残って引き続き活動するために、地域おこし協力隊に応募した。国から生活費・活動費の助成金をもらいながらできる活動の期間は2022年6月から1年ごとの契約で、最長3年間である。 

日向さんの地域おこし協力隊の活動内容について詳しく伺った。

「尾鷲市向井地区を世界一にする」という大きなミッションを掲げて

地域おこし協力隊としての活動は、地域に溶け込み、地域を知ることから始まった。日々、向井地区の中を歩き、地域の人とたくさんコミュニケーションをとった。そうしていくうちに、向井地区への愛着、もっとここのために頑張りたい!という気持ちが芽生えてきたという。 

そして、尾鷲市向井地区で新たな挑戦を始めた「おわせむかい農園」との出会いは、日向さんの心を大きく動かした。 

おわせむかい農園は、「子どもの笑顔があふれる場所をつくりたい」という願いから、地区の耕作放棄地を活用し収穫体験などを提供する、「体験農園」として挑戦を始めた。そこには、当農園社長の地元である尾鷲市向井地区を盛り上げたいという熱い想いがあったのだ。

日向さんはその大きなビジョンを聞いて、心の底から応援したいと思った。

おわせむかい農園さんは、現在は体験農園としてだけでなく、キャンプやイーバイクといった向井地区の自然を生かしたアクティビティを体験できる施設として挑戦を始めている。

おわせむかい農園さん

 

全校児童はわずか18人の小学校にて授業のお手伝い

そのほかの業務としては、向井地区唯一の小学校である向井小学校にて、総合の授業のお手伝いにも参加しているという。全校児童はわずか18人。 

「『向井小学校の子どもたちが向井地区についてより知って、もっと好きになるような授業をしたい』と担任の先生と相談し、向井地区に古くから伝わってきた「ときわ漬け」を手作業で漬ける体験を総合の授業として行いました。私は、そのお手伝いとして1年間、子ども達と共に授業に参加しました」。

 

多世代の居場所「むむむ。」2023年3月にオープン

日向さんの地域おこし協力隊としてのメインの活動は、一般社団法人「つちからみのれ」が主導するプロジェクト「むむむ。」の立ち上げ準備だった。 

「むむむ。」とは、尾鷲市向井地区の子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで誰もが集い、好きなように過ごすことができる"多世代の居場所”である。

「むむむ。」立ち上げの背景について伺った。 

「向井地区では、私と同世代の若者は他の街へ仕事を求めて出て行ってしまいます。すると子育て世代もいなくなり、子どもの声が地域から消えてしまう。そうなると、商店やバスがさらに減り、向井地区では生活が不便になり、いずれは人々の営む暮らしが向井地区から消えてしまいます。

向井地区には、伝統野菜である青唐辛子「虎の尾」や、くき漬けといったお漬物、しめ縄を編む文化があります。向井地区の誇りであり、地域の人がとても大切にしていることですが、それらも後継者がおらず、このままいけば失われてしまいます。

全てを解決することはできないけど、子どもたちが走り回って、そのお父さんお母さん、そして地域のおじいちゃんおばあちゃんみんなが来られて、心の拠り所となるような場所が作れたら、何か変わり始めるのではないかと思うのです」。

「むむむ。」を拠点に、そこがみんなの居場所になり、向井地区の暮らしをつないでいく場所となるー。 
そして向井地区の課題に対して、常に挑戦し続け、世界に発信する場所となれば向井地区がもっと注目を集める場所になるのでは、という想いがあるのだ。

2023年3月25日に開催されたオープンイベントでは、家族連れなど約180人が訪れ、思い思いに楽しんだ。

のれんをくぐると そこはむむむ。の世界。
子どもも大人も一緒に薪割り体験
向井地区の伝統文化、しめ縄を自分で編んでみよう!

 

 

離れたからこそ分かる、家族への感謝の気持ち

「自分のことを、世界中で誰よりも大切に思ってくれているのは、母と父だ、ということに気が付きました」 

人生で初めて親元を離れ、尾鷲で活動する日向さんの心の中には、家でオンライン授業を受けていたときには抱かなかった”家族への感謝の気持ち”が芽生えてきたという。 

「実家にいたときは、なかなか家族の存在のありがたみを素直に受け入れられない時期もありました。でも、尾鷲に来て、一人では抱えきれない辛さや悲しみがあるとき、『家族に会いたい』と思うことが多く、自身の心が親に依存していることに気づいたのです」

まだご両親には直接伝えられていない素直な感謝の気持ちを、こっそりと打ち明けてくれた。

離れたからこそ分かる、家族の存在の大きさ

 


そんな家族の待つ実家へ時々帰ると、『笑顔が増えたね』『コミュニケーション力が上がったね』と、よく言われるのだそう。尾鷲での生活は、彼女自身が驚くほど感情を出す機会が多いのだとか。

「それまでは自分の感情を表面に出したり、正直に謝ったりすることは苦手でしたが、尾鷲では、それでは生きていけません。 
地域のおじいちゃん・おばあちゃんに挨拶をしたり、お手伝いなど、コミュニケーションを取ることが大切です。

地域の人から、畑でとれた野菜やおかずのおすそ分けをもらうことも多いので、感謝の気持を伝えることや、何か失敗をしたときは心から素直に謝ることの大切さを体得していきました」 

元は極度の人見知りであった日向さん。尾鷲への移住は彼女を変えたのだ。

 

現役大学生だからこそ、私にしかできないことがある

日向さんは、現在大学4年生。これまで、何度か休学を考えたことがあったという。大学の授業があると、その分尾鷲のことはできない。自分の知らないところで、プロジェクトが進んでしまうことに焦りを感じていた。

しかし、次第に大学生として地域おこし協力隊の活動に参加する意義が見えてきた。 
「大学生だからこそ、大学での座学と地域おこし協力隊としての実践を同時進行できる」ことが、何よりの彼女の強みであることに気がついたのだ。 

尾鷲での活動で疑問に思ったことがあると、すぐに大学でその分野の授業を取るようにしている。大学の授業での気づきや学びは、日々尾鷲での活動に、すぐに生かされている。

地域おこし協力隊のやりがいについて問うと、「人生の中で今が一番楽しい」と目を輝かせて答えてくれた日向さん。

「これまで、何かに今ほど本気で取り組んだことはなく、1分1秒、毎日120%で動いている感覚です。目の前に役に立ちたい人がいるから、自分の役割を見つけて全力で全うしたいです」 

彼女の語りから、日向さんがすべてのエネルギーを尾鷲に注いでいることが伺えた。

 

尾鷲に来た今描く10年後の自分とは

中学3年生のとき、「親のようなサラリーマンにはなりたくない」と綴った日向さん。 
大学4年生の今、思い描く10年後の自分の姿について伺った。 

「10年後も、その時にいちばんやりたいことをやっていると思います。そして尾鷲が大好きだし今やっていることをずっと続けていきたいので、尾鷲に関わり続けたい。さらに尾鷲でやったことを生かして、また別の新しいフィールドでも挑戦を始めていたいです。 
日本にはまだまだたくさん、素晴らしい自然や文化が残る地域があります。そんな『素晴らしい地域を後世に残していく取り組み』をこれからもしたいな、と思います」。

「今」に全力集中し、今この瞬間を精一杯生きて「今がいちばん楽しい!」と胸を張って言えるような彼女の生き方。それは自分の心に忠実になり、行動に移したからこそだろう。

日向さんの行動力、情熱、思いが終始心に響くようなインタビューを終え、彼女が将来好きなことを仕事に奮闘している姿が、目に浮かぶような気がした。

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