クリエイターは今こそ移住を。熱量に応えてくれる町・日高町

体験談
独自取材

住む場所が変わると生き方も変わる。 環境が変わると自身も変化し、人生までもが変わっていくーー。 都会の喧騒を離れて、地方で“自分らしい生き方”に憧れを抱く人は少なくないだろう。 しかし、いざ真剣に移住を考えると、移住に大きな期待を持つ反面、不安も計り知れない。 現実的に自分の思い描く理想の暮らしが実現できるのかーーー。 “ワープシティ地方移住体験談”では、地方移住を検討している方に向けて、先輩移住者から移住に至った経緯や体験談、移住先の仕事内容や生活などの生の声をお届けする。 第45回の先輩移住者は、和歌山県日高川町へ移住したイラストレーターの中村千尋さん。 大阪府出身の中村さんは現在、和歌山県で子育てをしながらイラストレーターをしている。学生時代のコンペ受賞をきっかけに、さまざまな展覧会に参加。イベントへの作品提供や本の挿絵など、幅広く活動している。 現在は地元に根付いた仕事も多く、地元の人びととの交流を大切にしながら創作に励んでいる。移住クリエイターとして脂が乗っている中村さん。そんな彼女の現在があるのは、夢を諦めずにしがみついた過去、そしてご主人との出会いだ。今回は中村さんに、移住の経緯やクリエイターが活動を続けるためのヒントについて詳しくお話を伺った。

幼少期からイラストはコミュニケーションのツール

幼少期は、両親の影響で絵本をよく読んでいたという中村さん。自然と絵を描くことが日常になっていったという。

「幼少期に引っ越しを2回しているんですが、新しい環境で友達を作るきっかけに、クラスメートの似顔絵や漫画のキャラクターを描いたりして、コミュニケーションのツールにしていました。学生時代は、少年漫画を熱心に読んでいましたね。特に影響を受けた作品は、『AKIRA』(大友克洋 講談社)でした」

小学生時代の中村さんの作品。おむすびころりんの物語を1枚の絵にした
中村さんが手掛けたワープシティのコラムのイラスト


「今のイラストの雰囲気とは違うんですが、学生時代に読んだ漫画からインスピレーションをもらうことはありますね。いろいろなテイストを試してみたいと思っていて。仕事も幅広く受けるようにしています」

『うんこ夏ドリル3さい』2022年6月9日発売 文響社


児童向け教材から大人向け書籍の挿絵、アーティストのジャケットイラストなど、柔軟にテイストを変え、その商品や対象に合ったイラストを手がける中村さん。

現在の活躍のきっかけは、専門学校時代の大型イラストコンペに受賞したことだった。

 

東京のイラストコンペ受賞。しかし上京には踏み切れなかった

高校を卒業した中村さんは、大阪の専門学校(大阪デザイナー専門学校)でイラストを学んだ。

「イラストレーションコースのビジュアルデザイン研究科にいました。学校で出会った友人と切磋琢磨していましたね。ルームシェアなんかもしていて、充実した学生生活でした。

ただ、将来イラストの仕事に就くかどうか、というところは明確に定まっていませんでしたね」

現在はポップで躍動感のある人物キャラクターを描くことも多い中村さんだが、当時は、人物画が苦手だったという。

「やはりイラストレーターとなると、人物を描くことが多くなると思うんです。もちろん情景だけ書く方もいらっしゃいます。ただ、見る人が自己投影しやすいように、人物を描くことは重要だと思います。それは分かっていたんですが…。当時は、自分の画風に合った人物の描写を模索していた時期でした」

そんななか、中村さんは、苦手意識のあった「人物画」をテーマにした東京のイラストコンペが開かれることを知る。

「ちょうど人物画で悩んでいるときだったので、ベーター佐藤さんという、イラストレーターの巨匠のギャラリー(ペーターズギャラリー2004)で行われるコンペに、挑戦という意味もこめて、応募してみようかなと思いました」

その後中村さんは見事、ペーターズギャラリー2004(美術出版『みづゑ』)で編集長賞を受賞する。

ペーターズギャラリー2004 受賞作品


当時人物画に苦手意識があったという中村さんの受賞作品は、なんと「妥協」から生まれたものだったいう。

「人物がテーマだったのですが、ほかのモチーフがぽんぽん出てきて。苦手なものと、やりたいもの。その妥協点を探しつつ、描いていきました。『妥協』って、あんまり良い言葉ではないような印象がありますよね。ただ、個人的には絵の世界では良いものが生まれる言葉かなと思っています

大型コンペで見事編集長賞を受賞した大作だが、中村さんは「完璧ではない」という。

「人物と言いながらも、顔が書かれていないですよね。ただ、たとえば笑顔を描くと、絵の方向性が決まりすぎてしまう。あえて顔を隠すことで、味わいが出たり、解釈が広がったりするのかなと。妥協したことが、逆に良い方向に行ったのではないかと思います」

受賞作品は、東京のギャラリー(「ペーターズギャラリー」東京・新宮前) に出展。東京で開催されたレセプションにも出向いた中村さん。それらがきっかけで、イラストレーターの仕事にも繋がっていった。

しかし、そのタイミングで上京に踏み切ることができなかったという。

「(上京は)確実にイラストレーターとして上に登っていける、大きなきっかけだったと思います。ただ、環境を変えることに尻込みしてしまったんです。

今思えば、勢いで上京すればよかったとも思うんですが…。挫折するのが怖かったのかもしれません」

生まれてから専門学校まで、地元の大阪で育ってきた中村さん。いきなり住む場所を大きく変えることへの不安があったという。

コンペ受賞前抽象作品

 

大阪に残り、感じる周囲との差。転機は和歌山に住むご主人との出会い

コンペ受賞後、専門学校を卒業した中村さんは、大阪でフリーター活動をしながら、イラストレーターの仕事を続けていた。しかし、生活費を稼がないといけないこともあり、思うようにイラストに割く時間が取れなかったという。

「その頃には、周囲との差を感じるようにもなりましたね。専門学生時代の同期の子は、デザイン会社に勤めて今は独立していたり。自分の描いたイラストを積極的に売り込んで、花開いた子もいたりして。

私はコンペには受賞しましたが、それ以上の価値や働きができていないと感じていました。ただ、ウェルカムボードや名刺作りなど、イラストの仕事も続けてはいました。もう少し頑張れないかなと、しがみつく思いでした」

苦しいときに夢を諦めなかった経験が、今に繋がっていると話す中村さん。環境を変えることに不安があった彼女が和歌山移住を決めたのは、大きな決断だったはずだ。

和歌山へ移住するきっかけは、ご主人との出会いだったという。

「大阪で一人暮らしをしているときに、専門学校時代の友人をきっかけに夫と知り合ったんです。夫・友人ともに和歌山出身で。夫がバンド活動をしていて、よく大阪に遠征で来ていたので。ライブを観に行ったりしているうちに、仲が深まっていきました」

交際が深まり、ご主人の地元である和歌山へ訪れる機会も増えていったという。これまで大阪の都市部に住んでいた中村さんにとって、和歌山の小さな町での文化は新鮮だった。

夫の地元である御坊市での移動手段は、ほぼ車です。スーパーもコンビニも近くにないので。たとえば私が駅に着いたら、町の誰かしらが家まで送ってくれるんです。夫や夫の家族に限らず、誰もが気にかけてくれるという感じでした

もともと地元に知り合いが多かったご主人のおかげもあるが、友好的な和歌山の人びとと接するなかで人の暖かさを感じ、中村さんはすぐに町に馴染むことができたという。

 

結婚を機に和歌山移住、イラストレーターの活動にも脂が乗り始める

それまで地元・大阪を離れることがなかった中村さんだったが、パートナーとの出会いにより、世界が広がっていく。そして結婚を機に、和歌山への移住を決めることになる。

「夫は和歌山で仕事をしていたので、結婚を決めたとき、自然な流れで私から和歌山に行きます、と言いました」

和歌山移住を決めたとき、「落ち着いたらイラストレーターの活動がしたい」という思いを内に秘めていた中村さん。その気持ちをご主人に打ち明けると、好意的に答えてくれたという。

「好きなことをしてほしい、と言ってくれました。結婚して生活のためにイラストレーターの仕事を無理してやめることは望んでない、と。逆に移住することでさらに頑張れるのではないか、と前向きに考えてくれましたね」

移住後、イラストレーターの活動を後押ししてくれたご主人がきっかけで、中村さんの仕事が軌道に乗り始める。

「夫がきっかけで、和歌山でたくさん繋がりができて。そのなかで、ライブハウスのイベントロゴを作ったり。和歌山市内のセレクトショップのグッズデザインを手がけさせてもらったり、地域に根付いた活動ができるようになりました」

中村さんが和歌山で特に印象に残っているイベントは、「WAKAYAMA COFFEE MARKET 2022」で開催されたライブペイントだという。

「WAKAYAMA COFFEE MARKET」 ライブペイントでのイラスト


「『ライブペイント』というのは、イベントのなかで人前でイラストを描いて作品を完成させるというものです。お客さんは家族連れが多く、お子さんにも喜んでもらえました。いつも秋頃に開催していて、今年もお声をかけていただければ参加する予定です」

今後は児童向けの仕事にも多く取り組んでいきたいという中村さん。現在、3歳になる子どもがいるという。

「子どもが生まれてからは、育児とイラストを両立させる生活に変わりました。

時間の管理が難しいときもありますが、子どもの存在は、創作活動に大きな変化をもたらしました」

 

「子どもには、びっくりさせられることがたくさんあります。瞬間瞬間、すべてのシーンを描きたくて、もどかしいくらいです。

そんなことするんだ、って思うことも。先日は、靴にいっぱい砂を詰められました(笑)。私には思いつかないことばかりで、良い刺激をもらっています」

 

地域に関わることで感じられる熱量は、クリエイターにとって大きな糧となる

和歌山は、移住者が地域課題を肌で感じ、当事者意識を持って活躍できる場所だという。

「シャッター街があったり、廃れてしまっている部分もあるんですけど。だからこそ、移住してきた方が『じゃあ、自分が変えよう』と立ち上がる流れはあるように感じますね。

町の課題を肌で感じることができるので、当事者意識が芽生えやすいのだと思います。

コロナ禍で経営が傾き、潰れる予定だった飲食店を引き継ぐ人もいます。高齢者に変わって畑を継いで、若い方がブロッコリーを育てている光景なんかもよく見ますね。

実際、近所にも家がぽんぽんと建っていて、若い移住者が増えているなあという印象があります」

中村さん自身も、町の人と触れ合うことで地域課題を見出し、仕事に繋げている。

「夫の知り合いにまつ毛エクステのお店に勤めている方がいて、よかったらロゴイラストをお願いできないかって言ってもらえたんです。

もともとは美容院だったんですが、お店に新しいスペースを設けて、そこでまつ毛エクステの事業もやりたいということでした。集客の面でお手伝いできることがないかと考えて、キャッチーで覚えやすいロゴを作りました。

『お店のロゴを悩んでいたので、とても助かりました』と言ってもらえたときは、自分のイラストが地域の役に立てていることが実感できて、嬉しかったですね」

中村さんは移住を考えているクリエイターに向け、こんなアドバイスをくれた。

「今はクリエイターの仕事も、1人で完結できることが多くなっていますよね。地方に住んでいても、ネットを使えば周囲と関わらずに仕事をすることだってできます。

ただ、直接地域の人と関わることで得られる熱量みたいなものは、すごく魅力だと思うので、地域の人や、クリエイター同士の繋がりを大切にして、交流を深めていって欲しいです。それが活動にも繋がっていくと思います」

和歌山は、クリエイターの熱量に応えてくれる町だという。

「自治体では、熱意あるクリエイターの意見が採用されることも多々あります。なので、積極的にアクションを起こしてみて欲しいです。

私も、何度か自治体や商工会に出向いたことがあります。直接仕事に繋がらなくても、知り合いを作るだけでも価値があると思いますよ。

『あそこの誰々さんが困っているみたいだから、紹介しようか』なんて話もいただきました」

積極的に地域と関わり、温かみや魅力を感じる。中村さんは、その経験がクリエイター活動のモチベーションや糧になると話してくれた。

 

妥協してでも夢を諦めなかった。その先にあるものは…

中村さんとのインタビューのなかで印象的だった「妥協」という言葉。創作の世界のなかでは、良いものが生まれるポジティブな言葉だという。

専門学生時代、「上京してイラストレーターとして活躍したい気持ち」と、「現在の環境を変える不安」が混在したというが、彼女の決断は現在の環境を変えることなく夢を追うという、ある種の「妥協」であったのかもしれない。しかしそれはむしろ、妥協してでも夢を諦めたくなかったということなのだろう。

その結果、中村さんは人生のパートナーと出会い、和歌山の自然や地域の暖かさに触れながら、より良い環境で創作活動に勤しんでいる。

「あの時、ああしていればよかった」

そんな後悔は、誰にでもあるだろう。
しかし、道は無数にある。ある選択を選ばなかったことが、また別の未来を作る。

そして何かを「あえてしない」選択も、またひとつの選択といえるはずだ。
自分の選択を信じ、あらゆる展開を楽しむことで、未来は自在に創り上げることができるのだろう。

 

和歌山県

日高町

hidakagawa

日高町では、美しい海岸線と緑の山々に囲まれた優れた自然環境・景観との共生を基本に、高校3年生までのお子さまを対象に医療費の一部を助成するなど子育て支援の充実、住環境の整備などを積極的に推進し、定住の地として選ばれるまちづくりを進めています。