移住者プロフィール
稲田 圭市さん
出身地:大阪府、現住所:沖縄県宮古島市、職業:星空カメラマン
目次
INDEX
職業「星空カメラマン」。宮古島のエンターテイナーになるまで
本業は星空カメラマンとして、観光客向けに宮古島で写真を撮っている稲田さん。宮古島がオフシーズンのときは、他県でリゾートバイトなどをして柔軟に生計を立てている。
「移住のきっかけは、宮古島の短期のリゾートバイトです。はじめは2ヶ月の契約で、宮古島の次は北海道にでも行こうかなと考えていました。
でも、リゾートバイトを終えて一度地元の大阪に帰ったとき、違和感があったんです。寂しくなって。帰りたいと思う場所は大阪ではなくて、宮古島だったんです」
その後再び宮古島を訪れ、稲田さんの本格的な移住生活が始まる。定期的に行っているリゾートバイトでは、思わぬ出会いが。宮古島の星空をバックに写真を撮る「星空カメラマン」との出会いをきっかけに、稲田さんもその道に進むことになる。
現在は星空カメラマンをしながら、幼少期から好きだった「ものづくり」に邁進しているという。ユニークなアイデアで島の人のみならず、SNSをきっかけに全国の人を沸かせている。
「大学2回生の夏、20歳の夏」。大学を辞めたことが転機に
「僕は幼い頃からものづくりが好きで、大学でも建築学科に入りました。自分の好きなことでお金を稼げる職業を考えたとき、建築家が浮かんだからです。
しかし実際に建築を学んでみると想像していた内容とは違ったので、すっぱりと方向転換しました」
大学を辞めたことをきっかけに、本当に自分がやりたいことは何なのかを見つめ直すようになったという。
「2回生の夏に大学を辞めました。そして移住したのが2年後の20歳の夏でした。この頃、当時付き合っていた彼女と別れて、その後も結構引きずってしまって…。『このままじゃ絶対あかん』と意を決して地元を離れました」
大学を中退し今後を考えている最中に失恋、と人生のターニングポイントが重なり、現状を変えるために移住を決意した稲田さん。
「移住までの2年間は、僕にとって大事な時間だったと思います」と回顧する。
「何もすることがない期間で、お金もないから外にも出れないし、毎日睡眠12時間、みたいな(笑)。でも、自分ととことん向き合いました。多分周囲の同年代よりも、これからのことを考える時間は長かったと思います。その時間は無駄ではないし、僕にとって必要な時間でした」
本気で遊べる大人になりたい。ものづくりの原点
昔からものを作ることが好きだった稲田さん。アイデアマンの気質は幼少期からだったという。
「小さい頃から図工が好きでした。日常的にも『こんなんあったらいいな』と、常に考えていました。
例えば、僕、野球やってたんですけど、夜中にキャッチボールするときに『光るボールがあればいいな』とか、野球のネットを塩ビパイプで手作りしたり、バスケットゴールも自分で作ったりしていました」
稲田さんは、お金を出せば手に入るものだとしても、自分で作るからこそ楽しいと目を輝かせる。
「作った方が安いし、なにより面白いですね。実際にできたものを評価されることより、作る過程そのものに喜びを感じるんです。できたらできたらで、誰に見せるわけでもなく、「作る」という行為自体が、めちゃくちゃ幸せなんですよ」
稲田さん独自のものづくりは、SNSでさまざまな反響を呼んでいる。
「つくったものはいろんな人に見てもらっていますね。山形県の方に、無償で物件を貸すから住んで欲しいと連絡があったこともありました。
あとは、映画館に改装した物件を貸してくれた不動産屋さんも見てくれて、すごく喜んでいましたね。今度映画を観に行かせて欲しいって」
SNSを通じて全国から届く応援メッセージが、稲田さんの活力になっている。しかし、SNSのためにものづくりを行っているということはなく、あくまで自分が楽しむことが重要だという。
「SNSでバズるために何しよう、どうしようって考えると多分しんどいと思うんです。そうじゃなくて、自分が楽しいと思っていることを本気でやって、それで皆が喜んでくれるっていうのが最強やなと。
一瞬でもバズりたいっていう下心が見えると、僕は嫌なんですよね」
「本気で遊ぶ」という稲田さんのスタンスは、「いとこのおじさん」から受け継いだものだそう。
「何かを本気でやっている大人が好きで。小さい頃、いとこのおじさんが真剣に虫取りをしてたり、肩車を本気やってくれたりして。それが今でもすごく心に残っているんです。
そういう、本気で遊んでいる大人を見て、めちゃくちゃ良いなって。『あー、僕もこうなりたい!』って思ったのが現在の活動の原点かもしれません」
その「本気で遊ぶ大人」の姿勢は、宮古島に住む若者たちにも影響を与えている。稲田さんに協力して映画館の改装やものづくりを行っている若者たちは、他県からの移住者だという。
「一緒にDIYを手伝ってくれているのは、同じリゾートバイトの仲間なんです。本業のカメラマンの活動を知って、一緒にやりたいって言ってくれて。それでDIYの方も楽しんで協力してくれているんです」
家賃含めて1ヶ月7万円くらいの生活
宮古島での生活費は、ものづくりの挑戦の幅を広げるためできるだけ抑えているという。
「リゾートバイトをしているときは、費用はほぼかからないんです。住み込みでまかないが出るので、家賃・光熱費・食費を抑えることができます。
賃貸のときは、家賃含めて1ヶ月7万円くらいで生活できますね。10万円はかからないです」
賃貸の場合、基本的に食事は自炊で、鍋などの煮込み料理をすることが多いという。宮古島に住む場合、贅沢をしなければ10万円以下で1ヶ月暮らせるということだ。しかし、これから宮古島の家賃も上がっていくと予想する稲田さん。
「宮古島は今建築ラッシュなんです。2025年に宮古島の空港から宇宙へ飛び立てるようになるみたいで、宇宙旅行を楽しみたい富裕層の方を誘致する動きがあって。
だから家賃は高くなるかもしれませんね。僕みたいに古民家を安く借りて修復して住むのがベストだと思います」
移住して分かったこと「自分は自分だ」
積極的に島の人びとを巻き込み、常に輪の中心にいるように見える稲田さん。しかし自ら主張することは少なく、大人数の中で話すことも苦手だという。
「移住しても、性格自体はまったく変わらなかったですね。住み込みの仕事でも、周りの人と全然喋れなくて。もちろん、もっと積極的になりたい、変わりたいと思ったことは何度もあったんですが、結局変われなかったんで。今はもう無理はしないようにしています。
もちろん、移住することで自分の部屋を持ち、生活の何もかもを自分で決めないといけないので。主体性に動くのってこんなに楽しいことなんだという心境の変化はありました」
環境を変えることで、さまざまなことに気付ける。「自分の本質は変わらない」という事実も、ありのままの自分に受け入れられる大切な気付きだろう。
「ずっと都会で暮らしてきたので、移住してみてやっと『自分は自然が好きなんや』って気づけたんです。宮古島の自然と戯れている日常がとにかく楽しくて!
自分は島の自然そのものに惹かれて移住してきたんだって感じましたね。それは、環境を変えてみないと気付けなかったことかもしれません」
宮古島の人びとは壁がない。古民家を破格で貸してもらったことも
「昨年のオフシーズンに、サトウキビの農業のアルバイトをして、そこで島の人と関わる機会が増えました。島の人は言語を使い分けていて、僕らと話すときは『共通語』を話すんです。そういう部分が、外国の人という感じがしますね」
宮古島はいわゆる集落社会。小さな村のコミュニティ文化が昔の名残のまま残っている島だ。しかし、宮古島で馴染むことは難しくないと稲田さんはいう。
「島の方々は壁がないです。自分からコミュニケーションを取れば、すぐに暖かく受け入れてくれる。移住者の方も住みやすい場所だと思いますね。
僕は去年集落のキビを刈る仕事をしていたとき、スタッフのおじいさんから1ヶ月1万5千円で古民家を貸してもらいました。20箇所くらいから雨漏りしたり、160センチの蛇が出てきたりして大変でしたが(笑)。でも、島の方々にはとても良くしてもらっています。
地区対抗の駅伝に出させてもらったこともあります。前後に白バイとパトカーが付く本格的なものでびっくりしましたが、良い思い出ですね。結果は後ろから2番目でしたが(笑)」
「綺麗すぎて眠れなかった」宮古島で大好きな場所
稲田さんが宮古島で最も好きな場所は、東平安名崎(ひがしへんなざき)だという。日本の都市公園100選にも選ばれているこの場所は、絶景の星空スポットとして有名である。
「星空カメラマンをしていることもあって、やっぱり星が好きなんですよね。ちょっと恥ずかしいですけど、悩みがあるときとか、いろいろ考えたいっていうときは東平安名崎に行って星を眺めます。浄化しにいくというか。
テントを持って行ったこともあります。でも、眠れませんでした。星が綺麗すぎて眠れないんです。この景色をテントで塞ぎたくないなと思って、ずっと星を眺めてましたね」
都会では拝めない、宮古島の生の星空を見にきて欲しいと力説する稲田さん。そのときは、ぜひ稲田さんに渾身の星空写真を撮ってもらおう。
「20代は大事やぞ!」行動は早ければ早い方が良い
移住して5年。宮古島生活もすっかり板についてきたと笑顔で語ってくれました。
「移住して5年にもなると、はじめのころのような宮古島への感動が徐々に薄れてきます。でもたまに地元に帰り、また宮古島へ戻ると、最初の感動が蘇ってくるんです。
なので、いつか都会と宮古島の二拠点生活をして、そのギャップを楽しみたいですね。都会でなくても、宮古島には山がないので、山のある場所に住んでみるの憧れます!」
ありのままの自分を認めて、自分の気持ちに素直に行動すると、道が拓ける。ワクワクしながら挑戦を続ける稲田さんだが、学生時代はそんな今の自分を想像できたのだろうか。
「僕は普通に生きて、学校を卒業して、 就職して結婚してるもんやと思ってたんで。まさか大学を辞めて大阪を離れるなんて夢にも思わなかったです。特に大学をやめるというのは、人生の中でも大きな出来事でした。
でも、10代のうちに自分の人生を見つめ直す時間を取れたおかげで、『20歳で移住』という良い決断ができたんじゃないかなと思います。20代前半の時間って、すごく大切だと思うので」
自らの直感で住みたい場所や仕事を次々変えていく、次世代的な生き方を体現している稲田さん。20代の若者に向けて、こう語ってくれた。
「『20代は大事やぞ!』って伝えたいですね。やりたいことを行動に移すのは、早ければ早いほど良いと思います。
自分のなかでもスピード感ってすごく大事だと思っていて。やりたいって思ったことをすぐにやらないと、だんだん『やらなければいけないこと』になってしまう。だから熱量のあるうちに行動することを意識しています。
『やりたい』と思った気持ちを抑えず、自分に嘘をつかずに行動して欲しいですね!」
もちろん、挑戦に年齢制限はない。しかし、"パワーのある若いうちから、やりたいことへの熱量を放出しないともったいない"と、身を持って体感したことを熱く語ってくれた。
時には立ち止まり、環境を変え、己の直感を信じ進んでいくー。
「刺激的で芳醇な人生には、清水の舞台が飛び降りるような思いも必要かもしれません」と、稲田さんは照れくさそうにはにかみながらも、力強い示唆を与えてくれた。