移住者プロフィール
松尾 拓哉さん
移住時期
2016年
利用した支援制度
漁業研修制度
出身地:大阪府、現住所:高知県室戸市、職業:漁師
目次
INDEX
室戸の海が生んだ2つの夢
高知県室戸市は雄大な太平洋に面しており、東南端に位置する室戸エリアは、V字型に突き出したダイナミックな地形を持つ「室戸岬」を中心に、古くから漁業が盛んな街だ。
松尾さんと室戸市との出会いは、小学校3年生の頃に遡る。
父親の上司の親戚が、室戸市佐喜浜町(さきはまちょう)にて「民宿徳増(とくます)」を営んでいたことがこの地を訪れるきっかけとなった。その際、定置網の漁師の船に乗せてもらい、漁を体験する。図鑑でしか見たことのないような生き物の「生きたままの姿」を見られたことに感動を覚え、「漁師」という仕事に興味を持ったという。松尾少年の心に生まれた想いは、ただの感動や興味だけでは終わらなかった。
「いつか室戸に移住して、漁師になる。そして集めた魚たちで水族館を造る。」
同時に生まれた2つの夢。この具体的かつ明確な夢を、小学校3年生の時から持ち続けることになる。
少年の居場所であり続けた室戸の海と人々
気さくな語り口と明るい笑顔が印象的な松尾さん。今の松尾さんからは想像もつかないことだが、意外にも少年時代は人と話すことを苦手とし、不登校も経験している。中学校には行かず、一人で室戸に通い、漁の手伝いに明け暮れる日々。
色々な魚と出会える室戸の海には、通うたびに新たな発見があり、松尾さんの心は、ますますこの地に魅せられていった。室戸の漁師たちからは、漁師の仕事の魅力だけではなく、人とのコミュニケーションを取る上で最適なタイミングの取り方や質問の仕方など、人との関わり方を教えてもらう中で、徐々にコミュニケーションを取れるようになっていった。
人々の温かさと自身の夢が、当時不登校だった松尾さんを支え、夢へと突き動かす「原動力」となったことは、想像に難くない。
克服するきっかけを作ったのもまた夢の存在
「自分が好きなことをやろうとした時、言葉に出して伝えていかないと叶わないと思いました。いろいろな人を巻き込まないと、夢は実現できないという思いがあったので」(松尾さん)
不登校だった中学生時代、先生からの「学校に来て好きなことせえやー」という一言をきっかけに、校内に「ビオトープ」という池を作ることになったという。その際、ビオトープへの理解を深めてもらうべく、先生やPTAの前でプレゼンテーションを行うことに。
その資料は先生により文部科学省に持ち込まれ、「予算を通す」という成果まで残している。人前で話すことを苦手としていた当時においても、目標のために成し遂げようとする姿勢は、今日(こんにち)の松尾さんの姿を想起させる。
その後不登校を克服し、高校に通うことができるようになった松尾さん。高校卒業後、水族館を造るための知識を学ぶべく、水生生物の専門学校へと歩を進める。専門学校卒業後、まず就業先に選んだのが、茨城県の「アクアワールド大洗水族館」。
関東でも大規模な水族館勤務を経験したのち、今度は小規模な水族館のことも学びたいと考え、和歌山県の水族館に場所を変える。その後、室戸寄りの地域も見ておきたいとの思いから、徳島県の南部にある水族館に勤務。
いろいろな地域を見ながらも、「室戸に移住する」という信念は、決して変わることはなかった。
ついに、移住――
2016年、25歳の時、「漁師が運営する水族館を作りたい」という小学生の頃からの夢を実現すべく、妻みずきさんと、当時未就園児であった長男と共に移住を果たす。現在は、移住後に誕生した次男と長女の5人家族だ。
専門学校時代に知り合った妻みずきさんは、元ドルフィントレーナーという経歴を持つ。当時からみずきさんには、自身の夢を語ってきたといい、将来的には「室戸市へ移住したい」という想いも共有してきた。
移住後、2年間の「漁業研修制度」を利用し、小学校からお世話になっていた地元のベテラン漁師の元で経験を積んだのち、2019年5月に独立―。
夢の実現に向かって順調に舵を切ったように思われたが、移住後は想定外の苦労もあったという。
思わぬ足止め
「僕が制度を利用した時は切り替わりのタイミングで、制度が新しく導入された時期でした。そのため、行政との間でトラブルは多かったですね。漁業研修制度が終わって、2年目で船を導入する予定でしたが、導入出来ず、1年間無職になり、船がない状態になってしまいましたね」と松尾さんは語る。行政の仕事が遅いと嘆くことは簡単ではあるが、それでは解決の糸口は見つからない。
「制度を受ける側(移住者側)がきちんと計画を立てて、イメージを膨らませて移住する必要がありますね」
思わぬところで足止めを食らわぬよう、移住者側の事前のイメージトレーニングも必要になってくるのかもしれない。
「最初は、松尾そんなんできるわけないやんって笑」
室戸の海は、陸地からわずか2〜3kmほどで深海に到達する地形となっており、黒潮が流れ込むため、カツオやキンメダイ、ブリ、ハガツオなど、とにかく獲れる魚種が豊富だという。
定置網、一本釣り、たて縄漁などが主流となる中、松尾さんは「カニ籠漁」を用い、オオグソクムシやヌタウナギなどの深海生物を「生きたまま」持ち帰る。ターゲットもスタイルも違う松尾さんの漁は、他と一線を画している。今でこそメディアでも大きく取り上げられ、注目を集めている松尾さんだが、当初は苦労もあったという。
「今僕がやっている漁は特殊で、水族館に生き物を卸し、販売・研究なども行っています。これは、今まで室戸では誰もやってこなかった漁業体系なので、やっぱり最初は、『松尾、そんなんできるわけないやん』なんて声もありましたね」(松尾さん)
何においても「新たな風を吹き込む」というのは、情熱だけではなく、周りを説得するための根拠や根気も必要になってくる。「困惑」から始まった人々の心を「応援」へと変えていったのは、松尾さんの「情熱」と室戸の人々への「敬意」があったからではないだろうか。
遊漁船「海来号」の門出を祝って
2019年5月、室戸市佐喜浜町の漁港にて、遊漁船「海来(みらい)」号が初めて海に浮かぶ瞬間を、地域の人々と共に盛大に祝ったという。「海来(みらい)」号という名前は、妻のみずきさんが名付けたのだとか。
海来(みらい)号―。
色々な人の「未来」を支えるような船になってほしい。
そして、たくさんの人々に室戸の「海」に「来」て欲しい。
そんな「想い」を込めて名付けられた海来号は、今日も、海と人を繋いでいる。船としての誕生を祝い、これからの航海の無事を祈る式典に「進水式」というものがある。通常、個人の漁師が進水式を行うことは稀なようだが、そこをあえて執り行った。
このように「地域を巻き込む取り組み」を積極的に行っていった松尾さん。「乗りかかった船」とは、まさにこのことであろう。
モノとモノを繋ぐのではない、人と人を繋ぐことが「移住」
もう一人、松尾さんの移住を語るに欠かせない人物がいる。室戸市役所まちづくり推進課・移住促進室室長の濱田朋樹さん。(2022年4月現在、他課に異動)松尾さんと濱田さんの出会いは、地域のイベントであったという。ピザ焼きが趣味である松尾さんがイベントでピザを焼いていたときに、子どもたちとピザ釜を作ってくれた市役所の職員こそ、濱田さんであった。
「移住者には夢や目標があり、熱い人が多いと思います。でも、情熱を消してしまうと、志半ばでも帰ってしまうのです」と語り始めた濱田さん。移住促進と言えば呼び込む人数に注目しがちだが、濱田さんの考えは、それだけに留まらない。
「50人呼んで40人帰していたら、それは移住促進ではない。何人呼んだかではありません。私たちは、移住者が定住することを目指しております。『諦めなければ定住に繋がる』ので、そこまでサポートすることが仕事だと思っています」(濱田さん)
松尾さんと濱田さんは立場こそ違えど、「室戸という場所をさらによくしていきたい」という根っこの部分で繋がっている。そんな絆を感じることができた。
松尾さんは言う。「移住って、『モノとモノを繋ぐのではなくて、人と人を繋いでいる』と思うんです。だから、地域の人との関係性ができてこそ、定住に繋がると思います」
「“夢”を“目的”に変えました」
現在30歳の松尾さんに、10年後、20年後の自分についてイメージして頂いた。
「現在は水族館計画の法人化に向けて、着々と動き出しています。関係機関を繋げることで、周りを固めて行き、あとは実行に移すところまで来ています。
“夢”を、“目的”に変えました。計画通り行くと、40歳には、水族館のミニバージョンができていて、地域を一緒に盛り上げていっているでしょう。さらに『大きな水族館を造る』という目標もあるので、それに向けて動き出していると思います。50歳で最終的なものに仕上げたいと考えています」
大きな水族館が完成すれば、雇用を生み出すことができ、移住者の受け入れにも結びつく。更に、自身が館長となり全国の新たな水族館にビジネスを広げていくことで、次の世代に引き継ぐことができる。
松尾さんの夢は、未来の子供達にも繋がっていく。
海と子供達を繋げるーそんな役割を担いたい
小学生の時の1つの体験が強烈な感動を生み、その経験が「移住のきっかけ」となった松尾さん。
「遊びに来てくれる子供たちにも夢を見つけ、未来に繋げてほしい。その『可能性の1つ』になってほしいです。子供たちには、五感で自然を感じてもらうことが大事だと思います。体験漁に来られる親御さんも『こういう体験をさせたかった』という方が多いので、僕が『海と子供達を繋げていく役割』になれたらいいな、と思います」
最後に、「全国の魚好きの子供達が集まる場所を目指しています!」と力強い笑顔で語ってくれた松尾さん。
自身が室戸の人々にしてもらってきたことを、未来を担う子供達に返していきたいー。
そんな思いが、松尾さんを更に突き動かす原動力となっているのだろう。
※今後の室戸市での活動については、松尾さんのHP(むろと漁師の水族館 marine+)を是非ご覧ください。