移住者プロフィール
加藤 朝彦さん
出身地:北海道札幌市、前住所:東京都、現住所:北海道喜茂別町、職業:「coffee&sharespace tigris(チグリス)」経営、「一般社団法人HATCH」代表理事
目次
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“非連続の成長”で新しいチャレンジをしたい。移住を考え始めたきっかけ
北海道札幌市で生まれ育った加藤さんは、大学進学を機に上京し、そのまま東京のデザイン会社に就職。グラフィックデザインを学び、書籍のデザインなどを手がけた。
「大学は芸術学部だったのですが、専攻は文章を書いたり、雑誌の編集をするといったことでした。ゼミで一年かけて雑誌を作る授業があって、企画から印刷所の選定までを自分たちでやりました。最初は編集作業が楽しかったんですが、紙面のデザインをしたときに『あ、これ面白いな』と思って。それで、デザインの道に進むことにしたんです」
その後、友人が立ち上げたスタートアップに初期メンバーとして参加し、コーポレートブランディングやマーケティング戦略の立案など幅広い業務を担当。着実にキャリアを積み重ねていった。
「ただ、経験を積むにつれて、『このままいけば、この先はこういうキャリアを積んでいくんだろうな』と、ある程度想像できるようになるんですよね。僕としてはそれよりも、もう少し別の新しいチャレンジをしてみたい。地元に戻り、“非連続の成長” をしていきたいという思いが強くなっていきました」
子どもの誕生が移住の後押しに
このまま東京で働き続けるのではなく、地元への移住を考えるようになった加藤さん。もともと上京した当時から、「いずれは北海道に帰りたい」ということは、漠然と考えていたという。
「昔、仲の良かった友人たちともそういう話はしていました。地元に残る友人もいれば、僕のように道外に出る友人もいるなかで、道外組はそこでいろいろと経験したことを北海道に還元し、北海道に残った友人たちはその受け皿を作っておく。そして、大人になった時にみんなで一緒に仕事ができると楽しいよね、と。夢物語ですが、そうした青春の記憶はずっと持ち続けていましたね」
妻との間に長男が誕生し、東京での子育てという新たな局面に立たされたことも、移住に対する決断を後押しした。
「家が狭くて周りに子どもが遊べる公園がなかったり、待機児童になってしまったり.......そんな状況で、東京で子どもを育てるということをあまりポジティブに捉えることができなくなってしまったんです。もっと自然豊かな場所で、四季を感じながらのびのびと育って欲しい。そう思ったことが、移住を決断した大きな理由ですね」
こうして、加藤さんは13年間暮らした東京を離れ、2017年8月に北海道の喜茂別町に移住した。
喜茂別町は“成長の余白”のある町
北海道の南西部に位置する喜茂別町は、総人口1900人ほどの小さな町。総面積は189.4km²、その内の80%を森林が占める。喜茂別という名前は、アイヌ語の「キム・オ・ベツ(山の多い川)」に由来するとされ、町内には尻別川や喜茂別川など大小41もの川が流れる。
加藤さんが地元の札幌ではなく、喜茂別町を移住先として選んだのは、なぜだったのだろうか。
「もちろん札幌への移住も考えましたが、札幌に行っても、これまでと同じようにデザインの仕事をして、結局、東京にいるのと変わらないのではないか。成長の余白がある田舎町の方がこれまでの経験をうまく生かして、新しいチャレンジができるのではないかと思ったんです」
以前、喜茂別町を訪れたときに見た羊蹄山と尻別岳の景色も忘れられなかった。
「喜茂別町のある牧場から、羊蹄山も尻別岳も同じような形、大きさに見えるスポットがあり、富士山に似ていることから『双子羊蹄』と呼ばれています。その景色を見た時にすごく綺麗だなと思いました。空気も綺麗だし、気の流れもよさそうというか……こういう景色を毎日見られたら良いよね、という話を妻としていて、それがずっと忘れられませんでした」
地域おこし協力隊として移住。町の人とのつながりを築く
移住に際しては、地域おこし協力隊の制度を利用した。喜茂別町の協力隊の主なミッションは、町のPRや情報発信、市街地の商業活性化などで、加藤さんはデザイナーとしての経験を活かし、イベントポスターの作成や販促ツールのデザインなども担当した。
「協力隊になったのは、僕は喜茂別に地縁があるわけではないので、地域の人に受け入れてもらえるかどうか心配だったからです。別の場所で協力隊をしている知り合いの話を聞くと、地域の人や役場と近い距離感で活動をしています。協力隊になれば、『移住して何かやってみたい』と思っている僕のような存在も受け入れてもらいやすいのかなと思いました」
活動に参加しながら、地域の人と関わるなかで感じたのは、人と人との程よい距離感だったとも話す。
「東京では同じマンションにどんな人が住んでいるかもわからなかったですが、喜茂別では、近所を歩いていれば、名前は知らなかったとしても顔見知りになります。
喜茂別の方は来るもの拒まず、去るもの追わず。干渉しすぎず、程よい距離感を保ってくれるし、仲良くしたければ迎え入れてくれます。それがすごくいいなと思っています」
喫茶店「チグリス」を開業。「ドラえもん」の空き地のような場所を作りたい
移住して2年目の2019年5月、加藤さんは「coffee&sharespace tigris(チグリス)」をオープンした。
「人・もの・情報が集まり、新しい“何か”が生まれる場所」をコンセプトにした喫茶店で、移住以前から構想していたコミュニティスペースを形にしたものだという。
「例えるなら、“ドラえもんの空き地”のような場所を作りたかったんです。
ドラえもんでは、のび太やジャイアンたちが放課後、家に帰ったあと、特に約束もしていないのに空き地に集まりますよね。あそこに行けば誰かがいる。面白いことがある。そんな風に思える場所を作りたかったんです」
喫茶店という形にしたのは、喜茂別にはここ10年ほど町の中心部に喫茶店がなかったから。
「昼にご飯を食べられる場所や夜飲みに行ける場所はありますが、喫茶店はなかったんです。地域おこし協力隊の活動で地域の方たちとお話をする中で、友だちとふらっと立ち寄って、ゆっくりお喋りできるような場所が求められているのを感じました」
さらに、町内の人だけでなく、観光客が足をとめるきっかけにもしたいと加藤さんは考えている。
「喜茂別町は、札幌や千歳空港から車で一時間半ほどでアクセスできる立地で、周りには冬のリゾート地として知られるニセコやルスツがあります。そうした観光地に行くときに喜茂別は必ず通る町なのですが、ただの通過点になってしまっている現状がありました。
おいしいコーヒーを飲める場所があれば、観光客が足をとめるきっかけになるかもしれないし、そこで町内と町外の人の交流が生まれるかもしれない。チグリスが、そのためのひとつの大きなフックになればと考えています」
ふたつの国道が交差する町で新しい文化を生み出す
その思いは、店名にも表れている。「チグリス」という名前は、チグリス・ユーフラテス川に由来する。
「チグリス川とユーフラテス川が交差するところで三大文明のメソポタミア文明が生まれました。喜茂別町には、国道230号線と276号線というすごく交通量の多い国道が走っていて、それらが交差する町なんです。ふたつの国道が交差する場所で新しい文化が生みだしたいという思いを込めています」
チグリスは喫茶店だけでなく、シェアスペースとしての役割も果たしている。訪れる人たちが場を共有し、思い思いに仕事をしたり、イベントを開催したりすることができるそうだ。
「キッチンも併設していて、利用したい方に解放しています。例えば、何か自分のお店をやってみたいと思っている人がそこを利用したり、あとはカフェ機能をそのままお貸ししたこともありました。
僕のチャレンジを地域の方が応援してくれたように、喜茂別に来て新しいチャレンジをしたいと考えている人を今度は僕が“地域の人”として応援したいんです」
自治体と協働し、移住コーディネーターの仕事も
チグリスのほかに、加藤さんがもう一つ力をいれているのが、移住コーディネーターとしての仕事だ。
「地域をもっと活性化させていきたいと思ったときに、人口が2000人に満たない町では、盛り上げてくれる人を地域の中だけで探すのは限界がある。喜茂別の外にいる人たちの力は絶対に必要だと思っていました。それなのに、喜茂別には町自体に移住窓口のようなものがなかったんです」
せっかく喜茂別に興味を持っている人がいても、どこに相談すればいいのかわからない。そうした状況があることに気付いた加藤さんは、独自に移住相談を受けるようになった。
何百人もの人と話をするなかで、移住希望者と地域の相談窓口との間に入り、移住をコーディネートする存在は絶対に必要だと確信した加藤さんは、その必要性を町にも訴えかけ、現在は協力し合いながら取り組みをしている。
「相談者の話をお聞きして、喜茂別町で何かをやっていける可能性があれば、『地域おこし協力隊として採用しませんか?』と町に相談することもあります。あとは、住む場所や働き口を探している方がいたら、空き家の大家さんに相談してみたり、働き口をアテンドしたりといったこともしていますね」
移住コーディネーターとして大事にしていることは、“移住希望者の想いに寄り添い、移住の伴走者になること“。
「『こういう制度がありますよ、ぜひ来てください』ということよりも、移住したいと考えている方の想いやキャリアプランの整理を一緒にしているような感覚です。大袈裟かもしれないですが、人生の棚卸しをするくらいの心づもりで取り組んでいます」
すべては子どものため。将来の選択肢を増やす教育を
チグリスの経営、移住コーディネーターの仕事と、活動の場を広げている加藤さんだが、いずれの取り組みも究極的にはすべて「自分の子どものため」なのだと話す。
「喜茂別町には学校が中学校までしかないんです。高校進学と同時に外に出て、そのまま大学に行ったり就職したりして、喜茂別に戻ってくる子は少ない。
息子はいま小学校一年生なんですが、中学校までにこの地域でどんな体験をさせてあげられるのかがすごく重要だと思っています」
そのために重要になるのが、機会格差の解消だ。加藤さんは2022年には地域課題を解決する団体「一般社団法人HATCH」を立ち上げ、都市部と田舎との機会格差の問題に取り組んでいる。
「例えば、美術館に足を運んでアートに触れる機会がなかったり、東京では当たり前のように受けられるサービスが受けられなかったり……そうした都市部との機会格差を無くしていきたいんです。地域の資源をうまく活用して、いろいろな経験をさせてあげることができれば、子どもたちの将来の選択肢も増えます。
今、喜茂別では職業の選択肢が限られていますが、町を出ていかなくても魅力的な仕事に就けたり、町を出て行っても戻ってきてもらえるような、町と関わり続ける理由を作りたい。そのために、まずは新しい経済を作り、それに子どもたちも関わっていけるような教育コンテンツづくりを目指しています」
その活動の一つとして、2022年には、喜茂別町の中学校で3カ月ほど授業を担当した。町の団体のホームページを作るという実際の仕事を、中学生と一緒に取り組み、ものづくりや起業の体験をしてもらったという。
「今後は、小学校の高学年から中学生を集めて、『自分たちのやりたいこと』や『大人になっても残りたい町』といったテーマでアイデアを出してもらい、地域の大人たちが本気でそれに取り組んで実現させる、というようなこともやっていきたいです。子どもたちが、『頑張れば実現できるんだ』という成功体験を積んでいける場を作れたらと思っています」
退路を絶たず、自分のための移住を
最後に、地方移住を検討している方に向けて、加藤さんからメッセージをいただいた。
「移住をあまり重く考えないでほしいです。移住したらその地域にずっと住まなければいけないということはないし、合わなければ別の場所に行くのは普通のこと。職場が変わったから引っ越す、くらいの感覚でいいと思います。
相談を受ける方の中には、地域活動をしたい、地域に貢献したいと言ってくださる方が多くてすごく嬉しいんですが、あまり気負わず、自分の人生、自分の暮らしをベースに考えていくことが、まずは大事だと思います」
さらに、逃げ道を作っておくことも重要だという。
「仕事も住む家も変えて、場所が変われば人間関係も変わるので、そうなった時にひとつがうまくいかないとすべてが総崩れになる可能性がある。うまくいかなかったときに相談できる人や自分がリラックスできる場所など、現実から一時避難できる拠り所を確保しておきましょう。退路を断たないこと。それが移住がうまくいく秘訣かなと思います」
移住者として喜茂別町にやってきて、今では“地域の人”として、町内・町外の人たちをつなぐ架け橋となっている加藤さん。それは必ずしも地域のためだけでなく、何よりも加藤さんご自身、そして家族のためでもあるというお話がとても印象的だった。
自分が生きたい人生とその地域とがうまく交差したときに、新しい豊かさが生まれるのかもしれない。