移住者プロフィール
芳沢郁哉さん
出身地:福井県、前住所:東京都、現住所:福井県永平寺町、職業:民宿経営
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社員を辞め、原付バイクで日本一周の旅へ
「父がアクティブな人で、子どもの頃はよく、週末になるとキャンプや登山、釣りなどに連れ出されていました。外に出ると新しい出会いがあることを知ったのはその頃です。社会人になってアドレスホッパーを始めたのは、東京で一人暮らしをしていてもつまらなかったし、住む場所にもっと“出会い”や“学び”があったほうが楽しいと思ったからです」
しかし、会社勤めをしていると、週末に地方まで出かけたとしても、一旦、東京に戻らなければならない。そうではなく、時間をかけて自由気ままに全国を旅してみたい。そんな気持ちが強くなった郁哉さんは、思い切って会社を辞め、原付バイク「スーパーカブ」に乗って日本一周の旅に出た。
「仕事を辞めることに多少の不安はありましたが、『仕事を辞めたらどうなるのかを知りたい』という好奇心もありました。やったことのないことだからこそ、やってみようと」
旅先での出会いで見えてきた移住への道筋
郁哉さんにはもうひとつ、旅に出る理由があった。
それは、福井県永平寺町にある、祖母が一人で暮らす古民家の活用方法を探すことだ。小さい頃、お盆や正月休みによく遊びに行っていたその家は、かやぶき屋根をトタンで覆った築140年の古民家で、誰かが管理して維持していかなければ祖母の代で途絶えてしまう状況にあった。郁哉さんの中には漠然と「自分の手で存続させなければ」という使命感があった。
「母屋を宿として活用できないかと考えていたのですが、具体的なアイデアはありませんでした。だから、日本一周する中で情報収集をして、良い方法を探せればと思ったんです」
日本一周旅は、長野県からスタートし、275日間で沖縄県を除くすべての都道府県を走破した。走行距離は約1万7千キロ。その中でも、その後の人生を大きく変える出会いがあったのが、佐賀県と広島県だった。
佐賀県では、とある養鶏農家のもとを訪ねた。
「長野県にあるゲストハウスのオーナーさんが『とにかく会ったほうがいい』と勧めてくれたんです。その養鶏農家では、2,000羽のニワトリを飼育していました。大きな発見だったのは、そのニワトリがおからやぬか、残飯など、”世の中に余っているもの”を食べて卵を産んでいるということ。余剰の資源をうまく活用して循環させている素晴らしさに触れ、養鶏に興味を持つようになりました」
そして、一ヶ月ほど手伝いをするうちに、「自分でも養鶏をやりたい」という気持ちが芽生えていったという。
「養鶏と宿、農業と宿を掛け合わせるやり方であれば、古民家を活用し、会社員とは別の生き方で暮らしていけそうだという道筋が見えてきました」
そんな新しい生き方を決定づけたのは、広島県で、のちに妻となる有希さんとの出会いだった。
「知り合いのご家族がオーナーをしている古民家宿で働いていたのが彼女でした。見学に行った僕を案内してくれてすぐに仲良くなり、10日ほどで一緒に移住しようと決めていました」
古民家再生という共通の志を持った二人は、2021年8月、郁哉さんの祖母の家がある福井県永平寺町の吉峰集落に移住を果たした。
先祖代々受け継がれてきた土地を守るために
永平寺町の東、三方を山に囲まれた奥地にある吉峰集落は、田畑や集落、山の上流から流れる吉峰川が日本の里山らしい景観をつくりだす自然豊かな場所だ。その歴史は鎌倉時代まで遡ると伝えられおり、一説によると、郁哉さんの家系のルーツは、壇ノ浦の戦いで敗れて逃れてきた平氏、または勝利して移り住んできた源氏ではないかといわれているそうだ。
現在では、わずか20世帯ほどの限界集落と化しており、その存続が危ぶまれている状況だった。
つまり古民家の存続は、800年以上に渡って受け継がれてきた土地を後世につないでいくという大きな意味を持つ。祖母は、郁哉さんの「宿として活用したい」という申し出に驚きながらも、喜んで受け入れてくれたという。
しかし実際に移住してみると、すぐに田舎暮らしの現実に直面することになる。古民家は老朽化が進み、大広間は床が抜けて湿気がたまっており、空きダンボールや明治時代の家財道具などが天井にくっつきそうなほど積み上げられていた。
最初は、部屋の片付けやゴミ捨てなどの地道な肉体労働をひたすら続けた。30年近く放置され、木々に覆われてしまっていた畑も、木を伐採して土を耕し、畑として再生させていった。
暮らしの下地作りを一年ほどかけて行い、ようやく古民家のリノベーションに着手したのは、翌年の春を過ぎたあたりだった。リノベーションも工務店に頼むのではなく、ほとんどを自分たちの手で行った。「自分たち」というのは、夫婦二人だけでなく、地域の人や友人、さらには集落を訪れる旅人たちだった。
「日本一周応援宿」として食事と寝床を無料で提供
移住してまだ間もない頃、郁哉さんはX(旧Twitter)で【旅人募集】と題してある呼びかけを行った。
“日本一周中のそこのあなた!寒くなってきてキャンプするのもな〜と思っているそこのあなたです!ぼくの家に泊まりにきませんか!”
自分と同じように日本一周旅をしている若者に向けて、「日本一周旅応援宿」として寝床と食事を“タダ”で提供することにしたのだ。この投稿はすぐに大きな反響を呼び、数日後から旅人が訪れるようになったという。
「僕自身が日本一周をしていた時、たくさんの人たちに支えられて、泊めてもらったり、助けてもらったりしたので、自分も同じようにできたらと思ったんです」
「日本一周旅応援宿」の噂は訪れた人たちの口コミでたちまちに広がり、多い時は一度に10人ほどが滞在することもあったという。入れ替わり立ち替わり旅人が訪れ、2022年11月にはその数は100人を超えた。
こうして古民家のリノベーションも、寝床と食事の代わりに旅人たちが自然と手伝ってくれるようになったのだった。
世の中に余っているものを循環させ、新しい価値を生み出す
古民家のリノベーションでこだわったのは、世の中に余っているもの、不要とされるものを利用することだった。家具や建材などはできる限り人から譲り受けたものや廃棄されるものを再利用した。
「解体する家の情報を入手したら、利用できそうなものを探しに行きました。畳も解体する家から譲り受けたものだし、養鶏小屋も廃材を利用して建てられました。新しく購入したものはほとんどありません」
こうして、2023年7月、古民家を再生させた農家民宿「晴れのち、もっと晴れ Farmers Hostel」が誕生した。
念願だった養鶏もそれと同時にスタートさせた。始めるに当たっては、県内の養鶏場に週に3~4日通い、一年ほどかけて研修を受けたという。現在、40羽ほどの福地鶏を平飼い・放し飼いで飼育しており、そのエサも米糠やおから、籾殻、醤油かす、くず米、野菜くず、生ゴミ、椎茸菌床など、余った資源を発酵させたものを使っている。
郁哉さんは移住してから、食に対する意識が大きく変わったという。
「東京で会社員をしていた時は、いかに安く早く食べられるかが重要で、毎日、チェーン店の牛丼やそばなどを食べていました。それが今は、自分たちで育てた無農薬の野菜やお米が中心の生活で、食の安全性も意識するようになりました。
食事を変えたことで一番大きかったのは内面の変化です。会社員時代は燃え盛る炎のようにギラギラしていて喋り方も早かったんですが、その頃と比べて今は話し方はゆっくりになったし、自分のペースで思考しながら生活できていると感じます。人柄も性格もまったくの別人です(笑)。暮らす場所や食べるものでこんなに変わるんだなと実感しています」
余剰を分け合う暮らしで持続可能な地域社会へ
移住して三年、農家民宿を始めて一年。郁哉さんは、この場所を通して、若い人たちが田舎暮らしの可能性を見出すきっかけになりつつあることに手ごたえを感じている。
そしてこれからも、吉峰集落に関わる人たちを増やし、地域社会の持続に貢献していきたいと考えている。
「吉峰集落は高齢者が多いので、年を追うごとに人口が減っているし、空き家や耕作放棄地も目に見えて増えてきています。それらを再生して移住者を呼び込んだり、新しいお店を開いたりして、これからも集落や自分たちの取り組みを持続可能にしていくことが僕の使命だと思っています」
現在、郁哉さんは、古民家の隣の空き家の改修を進めており、ゆくゆくは菓子工房兼カフェとしてオープンさせる予定だ。
未知のことにも好奇心を持って挑戦し、人との出会いを大切に豊かな生活を一から作り上げている郁哉さん。最後に、地方移住を検討している人に向けてメッセージをいただいた。
「生きていく上で大事なのは、やはり食と住居だと思います。そのどちらも自分の手で作っていく中にたくさんの学びがあったし、そのふたつが豊かであれば余剰が生まれ、その余剰を分け合うことで、心のゆとりや人との関わりにつながっていきます。
田舎で暮らしていると、日々景色が変わり、一瞬一瞬、違う時間を生きているんだなと実感します。移住には不安もあると思いますが、やってみたらなんとかなります。というか、田舎で暮らすことで『なんとかできる』自分になれるんじゃないかなって思います」
現在、「晴れのち、もっと晴れ Farmers Hostel」では、空き家の改修を手伝ってくれる方を募集中だ。興味のある方は問い合わせの上、ぜひ一度、吉峰集落を訪れてみてはいかがだろう。