移住者プロフィール
中垣 慶祐さん
利用した支援制度
地域おこし協力隊
自動車メーカーで11年勤めていたが、都会に疲れて高知県宿毛市(すくもし)「沖の島」の地域おこし協力隊となる。「一人でひっそりと暮らそう」と考えていたものの、住民の温かさに触れ地域おこしに邁進するうち、なんと製塩業を立ち上げることに…。
大都市から、人口約100人の離島へ
私が移住したきっかけは、ただ都会で生きることに疲れ、“人が少ない島でひっそりと、それでいて楽しくやり直せたらいいな”という、マイナス思考と僅かにプラスな気持ちが入り混じった感情からでした。
私はこどもの頃から心が弱くて、何かあっても誰にも頼ることができず、いつも部屋で一人で泣いているような人間でした。高校を卒業して自動車メーカーに就職して11年間必死に勤めましたが、振り返ってみると始めから最後までずっとボロボロの状態でした。平日は激務をこなし、束の間の休日も持ち帰った仕事をしたり、会社行事で埋まっていたり。休もうと思っても人口200万を超える名古屋市です。どこへ行くにも道路は渋滞、人だらけ。人間関係に疲弊し、人を見るだけで心が削られていく感覚がありました。
そんな環境もあって休日は家に引きこもり天井を見つめて寝ているか、逆に何時間もかけて名古屋市から離れた山へ一人で登山に行くことが多かったです。ですがある時、不思議と調子が良くなって“退職してゆっくりしてみよう…”と思うことができました。
そこから“自然が豊かな場所に移住して一人でひっそりと暮らそう”と決断するまで、さほど時間はかかりませんでした。
一方で、“もしかしたら、移住先で上手く人生をやり直せるのではないか?”と、僅かに前向きな気持ちもあったと思います。それが地域おこし協力隊という仕事を選んだ理由です。
人と関わりたくないのに、人と関わらないといけない職業を選ぶという矛盾。実は地域おこし協力隊を仕事にしようと決めたのが先でした。その次に“勤務地は、移住先はどこにしよう?”という選び方をしました。山が好きだったので名山と言われるような山がある地域も候補ではありましたが、島の暮らしもいいなと思い「地域おこし協力隊 離島」と検索。当時はいくつか求人があったと思いますが、その中で一番人口が少ない離島を選びました。
それが高知県宿毛(すくも)市 沖の島(おきのしま)でした。
自問自答の先に見つけた「最強の地域おこし策」
私が行ってきた活動はざっくり言うと、沖の島集落活動センター「妹背家(いもせけ)」を柱とした離島振興業務です。観光・産業・農業振興やお土産・特産品の開発等その業務は多岐にわたります。私の裁量に任せて自由にやっていいよという方針だったため、逆にそれが難しくて悩みました。
“どうしたら島民が集落活動センターを身近なものと感じてくれて、自ら地域の為に活動しようと思ってくれるのか”、
“何をして、何がどうなったら沖の島は振興したと言えるのか…”。
日々猛進する中で見つけた最強の地域おこし策、それは「知名度向上」でした。
知られることで観光公害といわれるデメリットも出てくるとは思いますが、知られていないとそもそも何も始まりません。沖の島を知っている人が一人でも増えれば離島振興分野全てに良い効果が生まれると考えたのです。それが後の製塩業起業へと繋がっていきます……
👇インタビューの続きは、高知県移住ポータルサイト「高知家で暮らす。」でご覧いただけます😉
https://kochi-iju.jp/interview/details_1403.html