<h2>原風景の農村</h2>田園を見渡す谷津(やづ)にある飯塚さんのお宅におじゃましたのは、例年よりも早く真夏が到来した、6月のある晴れた日。大きな窓から自然光が入る開放的なダイニングキッチンで、飯塚さんと遊びに来ていた地元の高校生が出迎えてくれました。テーブルに出された梅ジュースをいただきながら、飯塚さんのお話をうかがいました。<img src="https://warp.city/storage/uploads/posts/2025/08/03/fDNwZB59n2rdkXuW8_bj0/G3n_tIGvy7zgpFGy6wXSz.webp">※毎年仕込んでいるという手作りの素焚糖（すだきとう）梅ジュース「実家は農家です」飯塚さんの原風景は農村にあります。思い出すのは、子供のころ、目が覚めると畑に停められた車の後部座席にいて、母や祖母が畑仕事をしている姿でした。「子供ながらに農業は好きでした。畑で遊んだり、本家だったので従兄弟たちがうちに集まっては、みんなで遊んだりしました。いつも家族のそばにいる安心感。お手伝いをすれば喜んでもらえるのも嬉しかったです」当時はまだ農村の風習があった時代で、御子安講（おこやすこう）、庚申講（こうしんこう）、お葬式などがあれば自宅に人が集まる環境で飯塚さんは育ちました。しかし、両親は「農業は継がなくて良い」という方針だったと言います。「いい就職先を見つけて、不安のない収入を得て、幸せな家庭を築いてくれたら良い、というのが両親の願いだったかもしれません」その願いを受けて、飯塚さんは大学で経済学を学びました。そこではじめて親元を離れ、都市生活を体験します。「子供のころから感覚的に教えられたことがあるんです。農業って自然の中でしかできない。四季の移ろいの中で、その時だからこそ芽生える命があって、農家はその時だからこそやるべき仕事があるんです。農業は人が自分勝手ではできない仕事なんです」それが人の生きるあり方なんだと感覚的に思っていた飯塚さん。 しかし、都市では全く様相が違いました。「都市での仕事や生活は『自分が何をしたいか』が最初にきます。自分の強い意思を持って夢を叶える。それは素敵なことだなとも思いましたし、憧れもしました。でも、今振り返ってみれば、私には合わなかったんですね」自然に生かされ、みんなと歩む世界「農村」。飯塚さんの中で、農村のことをもっとちゃんと知りたいという気持ちが生まれました。経済学を学び、農村を相対化して見ることで、はじめて親や祖父母のことが羨ましくもなりました。農村を深く学ぶために農学の博士課程に進学。学部時代に知り合った現在のご主人とは飯塚さんが学生の時に結婚。博士論文の発表を終えた1ヶ月後には長女が生まれました。その1年後の2011年3月11日、東日本大震災が起きます。飯塚さんは当時1歳の長女を実家の両親と夫に見てもらいながら、恩師とともに原発事故被害からの農村復興支援のため、福島県二本松市東和地区に入りました。<h2> 福島の農家とともに</h2>東和地区は、原発事故の不安を抱えながらも農業を続けていた農山村地域でした。飯塚さんは、地元の方々とともに夜な夜な語り合っては、「不安な心」と向き合ってきました。ー放射能汚染されているかもしれないのに、ここに住み続けていて大丈夫なのだろうか。 ー自分はまだしも、子や孫をここに置いていてよいのだろうか。 ー農業を続けてもよいのだろうか。最初は研究者として何かしなければならないという気持ちだったという飯塚さん。 しかし、実際には農村の人たちの強さと優しさに逆に励まされたと言います。「東京の人は逃げると思うんです。東京の生活構造は災害にとても弱いですから、逃げざるをえないんです。でも、東和の方々の基本的な望みは、この土地に暮らし続け、種を蒔き、農業を続けることでした。そして、東和の方々は多くの支援者や研究者の協力も得ながら、自分たちの力で家の周りや生活圏の道路、そして田畑、農作物の放射能の測定をしていきました」すると、農作物は国が定めた安全性基準値よりもはるかに低いという事実がわかりました。 確かに地域内には汚染が集中している場所はあるけれど、ここに暮らし続けて農業をやっていけるレベルだったのです。検証を進める中で分かってきたのは「土には放射性物質を吸着する力があって、田畑を耕すことで放射性物質は土に強く吸着され作物に移行しにくい」ということでした。「私たちは『土の力』に守られたんですね」飯塚さんは東和に通う日々の中で、農家の人たちに教えられることが多かったと言います。東和の方々の力強さ。振り返ると自分はずいぶんとふらふらしている。東和の人たちに自分はどう応えることができるのか考えた結果、飯塚さんが思ったのは「自分が変わる必要がある」ということでした。「自分も農ある暮らしをしたい」そして、香取市にたどり着いたのです。「11年前の2月、まだ乳飲み子だった次女と一緒に梅の花が咲く『阿玉台梅林』に立ち寄りました。ここは縄文時代の貝塚が国指定史蹟となっていて、ずっと昔から今まで、人が暮らし続けてきた地だということがわかりました。梅の花の香りが漂う中、立派なマテバシイの下でぼーっと座って谷間を見下ろしていたら、ここに住みたいとふと思ったんですね」飯塚さんはすぐに近くの不動産屋さんに電話をして、「阿玉台に住みたいのですが、物件はありませんか？」と聞きました。「今思えばかなりピンポイントな場所指定でしたよね。不動産屋さんも驚いたのではないでしょうか」その不動産屋さんは親切にもわざわざ土地を探しに行って足を運んでくださり、「売地にはなっていないけれど、空き地になっているところがあったから見に行ってみては」と場所を教えてくれました。さっそくその空き地へ向かった飯塚さん。ところが、目的地直前で、間違って小さな路地に入ってしまい、途中で車が動けなくなってしまいました。飯塚さんは車を降り、阿玉台の集落で一番最初に出会ったおじいさんに助けを求めました。 その人は、空き地の隣の方でした。おじいさんは親切にしてくれ、そのご縁で飯塚さんの話を聞いてくれて、地主さんに粘り強く掛け合ってくれました。おかげで、飯塚さんはその土地に住まわせていただけることになったのです。車がはまってしまった日から半年以上が経っていました。「この場所は北側に山を背負い、南側は開けていて、敷地の入口にはこんこんと水の湧き出る井戸があります。目の前には田んぼ、裏にはヤマから地続きになっている畑。こんな素晴らしい場所に住まわせてもらえるなんて本当にありがたいことでした。たくさんのご縁の中で皆さんに助けていただいて辿り着いたのですから、私だけの選択や力ではありません」<img><img src="https://warp.city/storage/uploads/posts/2025/08/03/fDNwZB59n2rdkXuW8_bj0/uG_RHVdz1lSJFp18eAaNj.webp">※南側の水場。昔、田んぼの用水を確保するために集落の人が協力して掘った横井戸「通称：ごんべい井戸」阿玉台はとても住みよい農村集落で古くから住んでいる家がほとんどです。全く縁のない家族が移住してくることはとても珍しかったと言います。 引っ越してきた飯塚さん一家に、ご近所の方々は皆、親切にしてくれました。食べきれないほどの新鮮な野菜をいただいたり、魚や鴨をいただくこともあります。 時には藤やユリなどの季節の花々の差し入れがあったり。住むようになってから1年目に、ご近所の方とのおしゃべりの中でふと、「田んぼがやりたい」といったら貸してくれることになりました。飯塚さんは無農薬無施肥、株間尺角の1本植えに挑戦しました。昔ながらのやり方で、本田苗代（ほんでんなわしろ）、手植え手刈り、おだがけの自然乾燥という稲作をする飯塚さんを、集落の方は優しく見守ってくれました。「田んぼの前を通る方々が、皆さん立ち止まってくれて、『懐かしいな～』とおっしゃってくれるんです。時には畔塗りのご指導をいただいたり。」「今は『自然農』に興味を持つ方が増えてきたようですね。私は、自然農のやり方は基本的には昔ながらの農業と同じところが多いのなのではないかなと思います。だから、自然農に興味を持ったなら、ご近所の年配の方々に『昔はどうされていましたか？』と聞いてみたらいいと思うんです。農村には素晴らしい先輩がいらっしゃるんですから、教えてもらわないなんてもったいないです」<h2>農ある暮らし</h2>自分だけで田んぼや畑をやるのではなく 昔からここに人が暮らしてきた歴史を感じ その一員に私たち家族も加わらせてもらいたい農家になりたいのではなく、 阿玉台の自然の恵みをいただきながら 阿玉台の人と助け合って 農村で暮らしたいいずれはここの土になれたらいい自分がやりたいことをやるのではなく 困っている人がいるなら助け合いたい この土地の人だからこその暮らし　その知恵に学びたい「とても一般的な質問ではありますが、『あなたの職業は何ですか？』と聞かれることがあると思います。ところが、私はその質問にこそちょっと困ってしまいます。定期的な収入のある『職業』は私にはありません。家業は植木屋です。私も時には現場に出て庭木を剪定させていただくこともあります。でも、その他にも非常勤や臨時での仕事をしていますし、乞われて福祉ボランティアもさせていただいています。研究も続けています。自分の職業を『これです』とは言えません。でも、私は確かに阿玉台で田畑を耕し、季節になればタケノコや梅の実をいただいて、ご近所さんに助けていただきながら、子を育て、家族幸せに暮らしています。ただそれだけですが、そのことに愛着を感じています」<img><img src="https://warp.city/storage/uploads/posts/2025/08/03/fDNwZB59n2rdkXuW8_bj0/a93cjbbUb-oE47pVXSeBS.webp">※ご近所の女子高生と。小さい頃は飯塚さんの娘さんたちと田んぼで泥んこになって遊んだ。「農の基本は自分たちの暮らしの自給です。衣食住を手づくりすることです。農の暮らしとは、坦々と、一日一日を積み重ねていく営みです。巡りくる季節の恵みを大事にいただいて、それでも余る恵みは分け合い、そして人の知恵で保存していくのが農の営みです。農の豊かな恵みは蓄積していく、それが農村の富なんです。」「薪割りも、火おこしも、炊飯も、暮らしに関わる技術は特別な能力が必要なわけではなくて、毎日の積み重ねで出来るようになります。暮らしの技術や知恵が家族を通して、代々繋がれてもいきます。」「農の暮らしはサバイバルとは違います。サバイバルは命の危険が目の前にあって、そこから生き延びるための知恵が求められます。ですが、『農ある暮らし』は豊かな自然の恵みとともにある、平和の営みが基本です。だからこそ、日本の農家は代々その土地で暮らし続けることができました。」「農業は本源的には命の営みです。食べるという行為は命をいただくことですよね。食べることだけではありません。住まいも、衣服も、道具も、すべては自然からいただいた命を人間が纏うということです。農業は食糧をつくって提供するだけが本来の仕事ではなく、その先に命を育むということがあるはずです。」「農の営みには人を育てる力があるとも言えますね。私は、競争主義の教育ではなく、農村で子ども達に育ってもらいたいです。」<h2> 人を育てる「阿玉台塾」</h2>始まりは、自宅の開放Day。「毎週月曜の夕方に、一緒に宿題をしませんか」と声をかけたところ、近所の小学生や中学生が来てくれました。飯塚さんの家が建つ前は空き地だったこの土地は、元々集落の子どもたちの遊び場だったと言います。 子供たちは宿題をさっさと終わらせてしまうので、その後は家の中でお喋りをしたり、田んぼを散歩したりして過ごすようになりました。そのうち、大人も来てくれるようになり、歌を歌ったり、季節のおやつをつくったり、一緒に鴨をさばいたこともありました。いつも行き当たりばったりの面白さがあって、とても自由な場でした。この開放Dayに来ていた子供たちから、その後の『阿玉台塾』のサポートをしてくれる子が育っていきました。阿玉台塾は月一回開催。 活動場所は阿玉台周辺。基本は阿玉台周辺の人たちが主体ですが、それにとらわれず、興味を持ってくれた方々が、かなり幅広い世代に渡って集まります。その中心には開放Dayに来ていた子どもたち。中学生や高校生がリードして、火起こしや、釜でご飯を炊くなどして過ごします。<img src="https://warp.city/storage/uploads/posts/2025/08/03/fDNwZB59n2rdkXuW8_bj0/L1ZE9rQrfbLTn5QM62yGC.webp">※ある日の阿玉台塾　みんなの笑顔 また、飯塚さんは在野の研究者として、千葉農村地域文化研究所を主宰し、活動を継続しています。幕末の疲弊した農村で農家とともに歩んだ大原幽学に共感して、地域に伝わる性学餅（せいがくもち）の普及などを行っています。これからは競争原理の社会の中で心身ともに疲弊してしまう人は益々増えてしまうのではないかと飯塚さんは心配しています。 そんな社会のシステムで苦しくなってしまった時、その人を制度だけで救うのは難しい。 だからこそ、社会としてどうにかしていくことも考えたい。そのヒントは、色んな人が生きていける文化を持った農村にあると飯塚さんは考えています。「もし都市に違和感をもったり、農村に移住してみたいと思ったなら、まずは自分へのこだわりをちょっとだけ脇に置いて、農村の好さをもっと感じて、知ってほしいと思うんです。農村には、だいぶ少なくはなってしまいましたが、まだ昔ながらの農の暮らしを教えてくださる先輩がいらっしゃるはずです。そして、そんな先輩との交流からは、いままでの自分の暮らしからでは得られなかった素晴らしい農の知恵と、豊かな農の暮らしが広がっていくことと思います」 &nbsp;<h3>&lt;香取市への移住相談など&gt;</h3>香取市企画政策課　（電話　0478-50-1206）<a href="https://www.city.katori.lg.jp/smph/government/plan_policy/ijuu_teijuu/index.html">https://www.city.katori.lg.jp/smph/government/plan_policy/ijuu_teijuu/index.html</a>香取市・移住定住相談グループ（LINE）<a href="https://lin.ee/dMtuti4">https://lin.ee/dMtuti4</a> &nbsp;

香取市

地方への移住を夢見る方の4割近くが、地方に居住経験のないIターン移住者と言われています。

地方移住を検討している方は、環境はどうか、仕事や家はあるか、移住者を受け入れてくれる土地か…といったことは考えていますが、農村が都市とは異なる文化や考え方をもつ社会であるということはなかなか想像することが難しいのではないでしょうか。

もしかしたら、移住を希望する方々にとっては、農村は海外に行くのと同じような経験となるかもしれません。

みなさんが農村の魅力と感じる自然豊かな風景や人情は、日本の農村だからこそあるのです。せっかく農村に興味を持ったのなら、農村ならではの文化や考え方にも目を向けてみませんか？

そんな農村文化や社会に関心をもって研究している飯塚さんは、農村で暮らすことを追求して千葉県香取市に移住しました。

飯塚さんの軌跡と、農村文化についてお話をうかがいました。

千葉県

家族構成…ご夫婦、娘さん二人
どこから来ましたか…千葉県旭市
移住して何年ですか…10年
移住前のお仕事…家業　植木屋
移住後のお仕事…家業　植木屋

#農村

#農村の移住体験談一覧：1件

移住希望者に知って欲しい農村社会。暮らしとしての研究を目指して