移住者プロフィール
山口まどかさん
出身地:千葉県船橋市、前住所:東京都、現住所:栃木県宇都宮市、職業:会社員
目次
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社会人4年目でオーストラリアへ
千葉県船橋市で生まれ育った山口まどかさん。幼少期は大人しい性格で、一人遊びが得意だったという。
「読書が好きで、放っておいてもひとりで遊んでいるような子どもでした。ひとつ違いの兄がすごく元気でとにかく目が離せないタイプだったので、そういう意味で私はあまり手がかからなかったと(親から)よく言われましたね」
大学を卒業後、就職してからもしばらくは実家暮らしだったが、会社の移転に伴い横浜でひとり暮らしを始めた。社会人4年目にはワーキングホリデーを利用し、オーストラリアでの海外生活も経験したという。
「昔から『海外に行きたい』『英語を勉強してみたい』という気持ちはありました。就職して4年目、いろいろ考え出す時期で、仕事が伸び悩んでいてその会社に自分がずっといる姿が想像できなかった。そんなことがいろいろ重なって、旅行で訪れたときに『暮らしやすそうだな』と思ったオーストラリアに行ってみることにしたんです」
一年間を過ごしたシドニーは、当時まだ、田舎らしい素朴な雰囲気が残っていた。語学学校では韓国人やスイス人、インドネシア人、フランス人などさまざまな国の人と知り合ったという。
「親との約束もあったので一年後に一旦帰国しましたが、当時は『またオーストラリアに戻ろう』と思っていました。でも、日本に戻ると、『日本って住みやすいな』『やっぱり日本の方がいいな』と思ってしまって、結局オーストラリア熱は冷めていっちゃいました」
秋田、仙台、東京…各地を転々とする生活
それからしばらくは派遣社員生活が続いた。実家に身を置いていたが、兄が結婚し二世帯住宅になったこともあり、何となく外に出たい気持ちになっていたとき、ひとり暮らしの相談をしたのがのちに結婚することになる夫だった。
「私が派遣として働いていた会社の本社(東京)に、夫が支社から戻ってきたときに知り合いました。同年代が多い部署だったので、みんなでしょっちゅう飲みに行ったり、映画を観に行ったりする中で『いいな』と思うようになって、2005年に結婚しました」
その後、夫の転勤のため秋田で3年、仙台で1年ほど生活。2014年に東京へと戻ると、夫は海外出張の多い部署へと異動になった。
「秋田ではいろいろな人と仲良くなれたのですが、仙台には1年もいなかったのでほとんど友だちはできませんでしたね……。東京に戻ってきてからは、私もそろそろ働かないとなと思い、今の会社に派遣社員として入りました」
山口さんが派遣社員から契約社員になってしばらく経った頃、今度は、夫の滋賀への転勤が決まった。
「でも、せっかく契約社員になったし、今の会社でもうちょっと頑張りたいと思って。夫の会社の制度が変わって、家族が別々の場所に住んでいても住宅補助金が支給されるようになったんです。それまでは基本的に家族は一緒に移動しないといけなかったんですけど、共働き世帯が増えた今の時代に合わせて制度が変わったんですね。それで私は東京に残り、夫は2年ほど滋賀で単身赴任することになりました」
そして、世界がコロナ禍に見舞われた2020年、再び夫の転勤が決まった。その場所が、栃木県宇都宮市だった。
物件に一目惚れ。その場で購入を決意
夫の宇都宮勤務が決まったとき、すでに正社員になっていた山口さんは、やはり東京に留まることを選んだ。コロナ禍で頻繁には行けなかったものの、数カ月に一度のペースで宇都宮に足を運び、「住みやすそうな街だな」という印象を持ったという。
「東京からも新幹線を使えば速いし、在来線を使っても2時間くらいで行けちゃう。コロナ禍で会社がフルリモートOKになったのを機に、『私も宇都宮に引っ越そうかな』と考えるようになりました」
しかし、夫が再度の転勤で東京に戻ってくる可能性もなきにしもあらず。当初は、ふたりで住める広さの賃貸住宅を検討していた。
「そんなある時、夫が『こんなのが入っていたんだけど』とモデルルームのチラシを私に見せて、『良さそうだから見に行ってみない?』と。正直、そんなに乗り気ではなかったんですけど、見に行って営業の人の話を聞いているうちにふたりともすっかり気に入ってしまって。自分でもびっくりなんですが、その日のうちに即決で買うことになりました(笑)」
夫婦ふたりで暮らすのにちょうど良い広さの物件で、それぞれの仕事部屋も確保できた。東京に比べればはるかに安く、手の出せる価格であったことが決め手になった。
宇都宮に移住。“都会”と“田舎”が共存する住みやすい町
こうして2023年4月、東京から宇都宮へと移住した山口さん。移住に際しては、宇都宮市の移住支援制度も利用した。例えば、「宇都宮市移住支援金」は、東京圏からの移住者に最大100万円が支給される。
現在、仕事は基本的にリモートで、月に1~2回ほど東京の職場に出社しているという。移住してまだ数カ月だが、当初の印象通り、「過ごしやすい街」だと感じているという。
「駅前は結構開けていますが、適度に田舎の雰囲気もあり、そのバランスが良いですね。秋田にいた頃は駅まで徒歩45分とかそういう世界でしたが、いまは徒歩15分圏内。生活で特に困ることもありません。
8月26日にLRT(次世代型路面電車システム)が開業するんです。それも通ったら、ますます生活が便利になります」 (※取材時は次世代型路面電車システムの開通前)
LRTは道路上に敷かれたレールを走る環境にも配慮した路面電車。ほかの交通機関の影響を受けにくく、時間に正確な運行ができるとされる。宇都宮に開通したLRTは、JR宇都宮駅の東口から芳賀・高根沢工業団地までの14.6キロを結び、通勤などの利便性向上が期待されているようだ。
「ほかにも宇都宮の暮らしで魅力を感じたのが、野菜の安さです。近くに大きな産直(産地直売所)があって、東京では買えないような値段で売っています。今の時期だとキュウリやオクラ、モロヘイヤ、ししとうなど。トマトも完熟度がしっかり管理されているような真っ赤なトマトが売られていて品質も良いです。会社のお昼休みにパッと買い物を済ませられるので便利です」
一方で、ひとつだけ残念に感じていることがある。
「私はウォーキングが好きで、東京にいた頃もよくしていました。お気に入りだった練馬にある光が丘公園は、緑が多くて、夏でも結構涼しい。大周りだと1周3キロあるんですよ。でも宇都宮では、そういうウォーキングにちょうどいい公園が近くになくて。それはちょっと不満に思っていることですね」
地域の人との関係づくりはこれから。「寂しさ」は感じていない
移住の際にネックになりやすいのが人間関係。地域の人との関わりを一から築かなければならず、孤独感を募らせてしまう人も少なくないはずだ。その点、山口さんはどうだったのだろうか。
「秋田にいた頃は仕事をしていなかったし、知らない土地でゼロからの人間関係構築。寂しさを紛らわすために無駄に出歩いたりしていました。でも、今は仕事をしていて、オンラインミーティングで会社の人と話したりするので、秋田にいた頃のような孤独は感じていないですね」
近所に夫の仕事関係の知り合いが住んでおり、たまに遊びに来てくれることもある。そういう意味でも寂しさは感じていないが、地域の人たちとの交流も深めていきたいという。
「先日、マンションの総会があって、会議室を借りて集まりました。多分、6割ぐらい集まったと思うんですけど、その時に初めてほかの住民の方たちとも顔合わせをして、その場でひとりずつ挨拶しました。でも、それだけだと顔や名前は一致しないですね……。これから少しずつ地元の方とも仲良くなって、ここでの人間関係を築いていきたいです」
住んでいるうちに、世界は少しずつ広がる
居心地の良いマイホームで、数年ぶりに夫と生活を共にしている山口さん。移住によって、生活や心持ちはずいぶん変わったようだ。
「お酒が大好きな者同士、ふたりで一緒に飲んだり、料理をしたりする時間が増えました。キッチンも今までより使いやすくなったから、宇都宮の豊富な食材を使って、今まで作ったことのない料理に挑戦してみたり。ここ何年かは一人暮らしで、好き勝手に過ごしてきちゃいましたが、夫婦と言えども相手にある程度気を遣いながら生活することって大事だなと思い出しました(笑)」
今後は、約10年ぶりに車の運転を再開し、足利や益子、日光など、県内をあちこち周ってみたいのだそう。移住したばかり、楽しみなことがたくさんある。
最後に、地方移住を検討している人に向けてメッセージをいただいた。
「事前に気になっている場所があって移住するもよし、私みたいに成り行きで移住するもよし。どんな場所でも住んでしまえば絶対にいいところがあるしなんとかなります。それは、夫の転勤にくっついてあちこちで暮らした経験から思うことです。
私も宇都宮にきて数か月なのでまだまだ狭い世界で生活していますが、 多分これから先、いろいろな人と知り合えると思いますし、そうなればまた世界も広がっていくと思う。栃木県は魅力度ランキングでいつも最下位を争っていますが、住んでみたら本当に住みやすい。すごく観光地化してないところも、かえっていいのかもしれないです」
望むと望まざるとにかかわらず、転勤によってさまざまな土地での暮らしを経験してきた山口さん。
リモートワークの広がりもあり、必ずしも職場の近くに住む必要がなくなってきたからこそ、住む場所の選択肢も広がってきていると言えるだろう。仕事はそのまま、住む場所を少し遠くへ移してみる。そんなカジュアルな移住が、思いがけなく生き方の幅を広げてくれるかもしれない。