移住者プロフィール
井本喜久さん
出身地:広島県竹原市、前住所:東京都、現住所:広島県竹原市、職業:会社経営
目次
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「農」を起点にした健康な暮らしを事業で提案
2017年、井本さんがウェブマガジンの配信からスタートさせた農ライファーズ株式会社(旧・The CAMPus)は、「世界を農で面白くする」を理念に掲げ、農を中心に据えたコミュニティの運営やスクール事業などを展開している。
農ライフ実現を目指す日本最大級のオンラインコミュニティ「農ライファーズ」では、都市部で暮らすビジネスパーソンを対象に、朝活やトークフェス、農村をめぐるツアーなどさまざまな企画、活動を行っている(登録は無料)。
「農家をやりたい人というよりは、次なる生き方を模索している人、農業をするまでには踏み込めないけど自然と共生する暮らしに興味がある人、そんな人たちの背中を押していくことを目的としています」と井本さん。
2020年には、小さな農家の営み方を学べる「コンパクト農ライフ塾」を開講したほか、現在、起業家の育成に特化した農村起業塾も準備中。ワークショップをメインに受講者一人ひとりに寄り添い、伴走する形にしていく予定だという。
「ビジネスのテクニックももちろんですが、それ以上に大事なのは心の養い方。哲学を持った生き方をしていくそのお手伝いをしていきたいんです」
と、明快に自身のビジョンを語る井本さんだが、社会人生活の始めからこうした考えを持っていたわけではなかったという。そこには紆余曲折のいきさつがあった。
米農家で育つも、東京で広告の世界へ
1974年、広島県竹原市の米農家に生まれた井本さん。週末には父と一緒に祖父母の田んぼに足を運び、米作りの手伝いをしていたという。しかし当時、それを心から楽しいとは思えなかったという。
「もちろん、楽しいと思える瞬間もあるんですが、土日に遊びに出かける同級生がうらやましくて、とにかく嫌でしたね」
農業は手間がかかるのに儲からない。中学生の頃、父との会話を通して収益化の難しさを知ると、ますます農業をやる意味があるとは思えなくなった。
「その一方で父は、『小さな農家では儲からないが、地域にリーダーが生まれて大規模化ができれば日本の農業はよくなる』とも言っていて。高校の時、塾の先生からも『これから人口爆発が起こる中で、日本の農業技術が世界を救う時代が来るかもしれない』『農業をやっていればヒーローになれる』と言われ、ヒーローという言葉に弱かったので(笑)、なるほど、それはありかもしれないと思いました」
こうして東京農業大学農学部に進学した井本さんだったが、刺激に事欠かない東京の魅力にどっぷりとはまり、「見事に遊びました(笑)」と明かす。大学にはほとんど行かず、アルバイト漬けの日々。そんな生活の中で知り合ったのが、広告業界のカッコいい大人たち。彼らから「うちに来ないか」と誘いを受け、農業のことなどすっかり忘れ、広告の世界に飛び込んだ。
ブランド立ち上げに挑む中、直面した人生の転機
就職した広告会社では、イベントの仕掛けなど、セールスプロモーションの領域で活躍した。師匠と呼べる人との出会いもあり、「食いっぱぐれないお金の稼ぎ方」としての企画力を鍛えることができたという。26歳で独立し、2012年にはフライドポテトとジンジャエールの専門店・BROOKLYN RIBBON FRIESを立ち上げる。
「ちょうどその頃は、食品系のベンチャーなど中小企業のブランディングに可能性を感じていて。自分たちでもブランドを作ってみたいと思い、表参道で屋台から始めたのがそのお店です」
しかし2014年、そのフラッグシップショップを作ろうとしていた矢先に、人生のターニングポイントとなる出来事が降りかかる。
「妻がガンになってしまったんです。その原因を自分なりに必死に探究する中で、『食』と『ストレスを溜めない生活』の大切さに気づきました。それがきっかけで、人の心を健康にする食をつくる農家に、もう一度目が向くようになったんです」
カッコいい農家との出会いでやりたいことが明確に
2016年に主催した農家マルシェのプロデュースを契機に、さまざまな農家を訪ね歩くようになった井本さん。その後も、ウェブマガジン配信のための取材を重ねる中で、全国の面白い農家にたくさん出会ったという。
「取材で最初に訪れた淡路島の農家で初めて知ったのが『農ライフ(農的な暮らし)』という言葉です。その農家の彼は『農業というビジネスをやっているわけではなく、暮らしの中でどのように生業を作っていくかを考えているのだ』と話していて、とても大きな影響を受けました」
農業という商いだけでなく「暮らしも大事」という視点が加わることで、井本さんの事業の軸は明確になっていく。
「僕がカッコいいなと思う農家は、小さくても商いとして機能し、質の高い生き方をしている農家です。大量生産・大量消費を前提に単一の品目を大量に作るのとは違い、顔が見える相手とだけ取り引きし、少量多品目で野菜を作る。また、それを加工して売る際も、小さく作って適正価格で売る。こういう持続可能な生き方こそ、フォーカスするべきではないかと思いました。それが、小さな農家の営み方を学ぶスクールを始めた理由です」
西日本豪雨ボランティアで再訪した故郷・田万里
そんな井本さんの目が郷里である広島県竹原市に向くようになったのは、2018年の西日本豪雨のとき。竹原市街地から車で15分ほど、祖父母の家があった田万里地区の農家が豪雨でとても困っているという話を聞き、「何とかしなければ」と思ったという。
「140人ほど仲間を集めて、2週間、田んぼや用水路の土砂撤去などのボランティアをしました。小さい頃、度々訪れてはいましたが、2週間もの長期滞在は初めてのこと。そこで暮らすような感覚を体験し、素晴らしい場所だと思いました。
ボランティア活動をしていると地域の人が『これ食べなさい』と言って、いろいろと持ってきてくれるんです。“町全体がおばあちゃんの家”みたいな温かさがあって、ここで農業をやって暮らしを作ってみたいと思うようになりました」
そんな話を地域の人々にしてみたところ、「この場所使ったら」「あそこも口をきいてあげるよ」と次々に土地が集まり、いつのまにかその規模は東京ドーム半分ほどになっていたという。
移住を決意。見えてきた“地域の実情”と“可能性”
当初は、東京との二拠点生活をしていたが、通っているうちに「田万里で暮らしたい」と気持ちが動き、2022年に移住した。
「東京も面白くて好きだけど、カッコいい農家と出会う中で自分もそういう生き方をしたいとスイッチが入りました。もう東京じゃなくてもいいかな、と」
井本さんが生まれた当時は4万人ほどだったという竹原市の人口は、現在、2万2千人ほどに減少している。田万里地区だけに限ってみると約320人で、高齢化が深刻な限界集落と化していたという。農村の風景も様変わりしていた。
「小さい頃、祖父母の家の前には、石垣で作った棚田がありました。でもある時、そうした小さな田んぼを耕しやすいようにひとつの大きな田んぼにまとめる動きが起こった。商売に詳しくない地域の人たちが、先の設計が不十分なまま始めたものだからうまくいかず、結局、一人、二人と手を引いていったようです。そこに、高齢化が追い打ちをかけました」
美しく広がっていた棚田の風景は、大量の耕作放棄地へと姿を変えた。それは農業の大規模化がもたらした一つの結末だった。
「だからといって僕は、ノスタルジックで悲観的な話がしたいわけじゃないんです。そういう経緯があるからこそ、都会で暮らしてビジネスに関わってきた人たちが農村に出向けば、自分の才能を生かして面白いことができる。これはチャンスなんだと確信したんです」
限界集落の再生へ。米粉ドーナツ専門店をオープン
こうして始まったのが、限界集落の再生を目指す「TAMARIBA PROJECT」だ。
2023年、米粉ドーナツの専門店である田万里家 RICE DONUTをオープン。田んぼで作った米を米粉ドーナツに加工し、近隣の人に向けて販売を始めた。オープン時は行列ができるほど盛況で、3ヶ月間で月商は500万を超えたという。
「少し収益の話をすると、慣行栽培(日本で最も多い栽培方法。農薬や化学肥料を使って農作物を作るのが一般的)で作ったお米の相場は、1kgあたり約250円です。でも、これをドーナツに加工すると、1kgあたり6,000円弱になる。およそ25倍です。
もちろん、米粉ドーナツにするまでには非常に手間はかかるんです。収獲した米を米粉にして、調理するという加工だけでなく、お店やブランドづくり、情報発信も必要になる。でも、それによって米の価値を最大化できるということは、この数字からわかりますよね」
農作物を育てるだけでなく、その売り方までしっかりと設計することで生業として機能し、日々の暮らしが成り立つ。そして、地域も持続可能となっていく。「農ライフ」の実践に確かな手ごたえを感じたという。
一棟貸しのファームステイで都会から人を呼び込み
米粉ドーナツ店に併設するかたちで、農業をはじめとした田舎暮らしを体験できる一棟貸しの宿、田万里家 FARM STAYも運営している。
宿のテーマは「家族の絆」。農業、食事、散策など、すべてを宿泊客とスタッフが共に体験するのが特徴だという。
「なぜなら、基本的に農村での暮らしは毎日同じ顔触れだから。みんなが家族のようにずっと一緒、その面白さを知ってほしいんです」
お客さんとして来てくれた人がプロジェクトの仲間に加わることもある。
「農ライファーズのコミュニティや情報発信を見て泊まりにきてくれる人が多いので、周波数が合うし価値観も共有しやすいんです。飲食系ベンチャーのマネージャー、ファッション業界で活躍していたカメラマン……いろいろな人が田万里家に共感してジョインしてくれています。
お母さんに連れられて泊まりに来た引きこもりだった20代の若者も、今、住み込みでインターンをしています。夕飯を一緒に食べる中で、自分から『やりたい』と言ったんです。みんなと楽しそうに農業をやってますよ」
いずれはそうした人たちの中からリーダーシップを取れる人を育成し、米粉ドーナツと農体験の宿、田んぼづくりをセットにした田万里家モデルを、各地域の限界集落にのれん分けしていきたいという。
「米粉ドーナツだけでなく、パン屋、ピザ屋など形態を変えてもいいし、県内の集客できる場所に出張店舗を出すやり方もある。アイデアは無限大です」
目の前にある幸せに気づける農村での暮らし
多くの仲間たちと協同し、小さな集落での暮らしを豊かなものへとパワーアップさせている井本さんだが、彼自身にとっての人生の豊かさとはどんなところにあるのだろうか。
そんな質問を投げかけてみると、「笑っていられるかどうかです」という答えがすぐに返ってきた。
「みんなが笑っていられる環境を作ること。そのためには文化を作らないといけない。文化とは、文にすること。言葉にすることです。
僕は、就寝前に社員や地域の人の顔を思い浮かべて『いつもありがとう』と言葉にするようにしています。そうすると、幸せがそこにあることに気づけるんです」
幸せは目の前にあり、それに気づけたときに幸せを感じる。それは農村で暮らすようになって強く実感したことだという。
「崩れかけたような山道を歩いていると、そこに階段があるだけでめちゃくちゃ感謝できるんです。でも都会で生きていると、階段があると『なんでエスカレーターがないんだ』と腹が立ったりする。不便なことが多い農村で暮らしていると、人の手が入っていることのありがたさを感じるんです。その感性で都会に行くと、もう感謝しかないなって思います」
魂のレベルで、やりたいことに突き動かされる生き方をしよう
最後に、井本さんから地方移住を検討している人に向けたメッセージをいただいた。
「地方は、ないものばかりだからこそ、めちゃくちゃ可能性がある。自分自身の価値を最大化するという意味でも挑戦しやすい場所だと思います。農村での起業の仕方は100万通りあります。山のガイド、キャンプ場、村の写真館、新聞屋さん……なんだってできると思うんですよね。
何よりも、魂のレベルで、今やりたいと思っていることに突き動かされて、気がついたら足を踏み出していた。そんな人生を生きていこうよ、と言いたいです。そのためには、やりたいことを言葉にして、周りにメッセージとして伝えること。自分の中に芽生えた意志は誰かに伝えることで共鳴し、振動を生み出します。そして、仲間もお金も集まってきます。
言葉にすることで文化を作るというのは、そういうことです」
何のために生きているのか。井本さんが子どものころから抱いていたというこのシンプルで難解な疑問に”言葉”を与えられたのは30代の頃。
「次の世代のピース(PEACE)を創るため」と。
この言葉があるかぎり、自分はもう迷うことはないのだと話す井本さんの言葉に、大きく背中を押される思いがした。