移住者プロフィール
古川 松生さん
現住所:山口県柳井市、職業:日積観光ぶどう園「瀬戸の太陽」代表
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ぶどう農園をされる前は、どのようなお仕事をされていたんですか?
古川松生さん(以下、古川):海上自衛隊の航空部隊に勤務していました。中学校を卒業と同時に、広島県の江田島にある「少年術科学校」に入隊しました。
卒業後は、海上自衛隊の航空部隊に所属して、レーダー、電波、赤外線、磁気探知機などを使って潜水艦を探すセンサーマンという仕事を、航空機に乗らない配置では航空機整備という仕事を、定年退職する54歳までしていました。
ぶどう栽培を始めようと思われた経緯を教えていただけますか?
古川:最初はぶどうではなく、マンゴーの栽培をしようと思っていました。沖縄県の那覇基地に赴任した時、当時はまだ珍しかったマンゴーを食べまして、その美味しさに感激しました。
定年退職を意識し始めた頃、企業に再就職するのではなくて、自分の判断と責任でできる仕事はないかなと考えていたときに、沖縄で食べたマンゴーの味を思い出し、マンゴー園を開こうと決意しました。
沖縄の那覇基地と鹿児島県の鹿屋基地に勤務していたときは、単身赴任だったということもあって、休みのたびに地元のマンゴー園に通って、栽培方法の勉強をさせてもらっていました。
マンゴー園から、どうしてぶどう園に変わったんですか?
古川:長女が中学3年生になるときに、妻の実家に近い由宇町(現岩国市由宇)に家を建てましたので、その周辺で農地を探していました。柳井市は冬の日照率が高いので、マンゴー園をするにはピッタリだと思っていました。でも放射冷却の影響で、想像以上に冷え込みが厳しくて……。
当時、ビニールハウスの鋼材や原油の価格が高騰していたことと、沖縄や宮崎に比べて産地として優位性が出し辛いということから、残念ながらマンゴー作りは諦めて、第2希望のぶどう園へと方向転換することにしました。
田布施農林事務所で日積の上田ぶどう園を紹介してもらい訪ねて行ったところ、10年近くぶどうの栽培を止めておられた方から、ぶどう園跡地を譲ってもらえるという話になり、やっと念願の畑を手にすることができました。
最初は自宅から通っていましたが、今は完全に日積に拠点を移して、自宅は借家として貸し出しています。柳井市の農林課と田布施農林事務所の方々には、マンゴー園経営の可能性の検討段階から、いろいろと相談にのっていただき、大変感謝しています。
ぶどう作りはどこで勉強されたんですか?
古川:ぶどう作りの知識はまったくありませんでしたので、「ブドウの新短梢栽培」という本を教科書にして、見よう見まねで始めました。その本によると、上手に育てたら芽傷を入れなくても芽を吹く、もし芽が吹かない時は、翌年窒素肥料を芽に塗って芽傷を入れてやれば大丈夫と書いてありましたので、まぁ何とかなるだろうと。
ところが、現実はそんなに甘くありませんでした。細かい失敗をあげればキリがありません(笑)。今振り返ると、きちんと勉強をしてからやった方が良かったのかもしれません。
今は「ブラックビート」「ゴルビー」「伊豆錦」「瀬戸ジャイアンツ」「天山」の5種類を栽培しています。普段は私1人で作業をしていますが、忙しい時期には、妻や子どもたちも手伝ってくれます。
時間の使い方は、どんな風に変わりましたか?
古川:一番大きな変化は、曜日の感覚がなくなったことです。自然が相手なので土日も平日も関係ありません。自衛官時代は、休みが来るのが楽しみだったんですけど、そんなこともすっかり無くなりました(笑)。
決まった休みがないので、肉体的に大変なときもありますが、自分のペースで仕事を進めていける分、以前に比べると、気持ち的にはずいぶんと楽ですね。
日積の良い所はどんなところですか?
古川:気候的にとても住みやすいところだと思いますね。1年を通して日照率も高いですし、また極端に暑かったり寒かったりということもありません。海にも山にも近いという自然環境も魅力的ですね。
それに車で15分も走れば、柳井市の市街地にも行けますから、田舎ではありますが、生活する上で特に困るようなことはありませんね。
移住を考えられている方へ向けての、何かアドバイスはありませんか?
古川:現在、「柳井UJIターン応援の会」に所属して、移住者支援の活動もしています。そこで移住希望者の方には、自分から地元の人に積極的に声を掛けて、自分の存在を認知してもらうことが大切だということは、よく言っていますね。
自治会の役員をやったり、地域の催し物に顔を出したりして、地域に溶け込もうとする努力は絶対に必要だと思います。待っているだけではダメです。また、田舎には多かれ少なかれ、排他的なところはあると思っているぐらいの心づもりでいた方がいいかもしれないですね。
お仕事のやりがいはどんなところですか?
古川:作り手の力量が味に現れやすいところが、大変なところであると同時に面白いところですね。毎年、失敗をもとに試行錯誤を重ねながら、よりよい商品づくりを目指しています。去年は、殺虫剤をまったく使わない栽培方法を試してみたんですが大失敗でしたね(笑)。
最後に、将来の夢を教えていただけますか?
古川:ここ数年は、天候の影響でなかなか思うようなぶどうを作ることができませんでした。どんな条件下においても、満足のいくぶどうが安定的に作れるよう、もっともっと技術を磨いていきたいですね。
そしていつの日か、自分が理想とするぶどうを作り上げられるといいですね!