移住者プロフィール
塩見 尚徳・亜希子さん
移住時期
尚徳さん:2016年、亜希子さん:2017年10月
塩見尚徳、出身地:愛媛県上島町、前住所:岡山県、現住所:愛媛県上島町、職業:愛媛県漁業協同組合 魚島支所長、塩見亜希子、出身地:愛媛県愛南町、前住所:高知県、現住所:愛媛県上島町、職業:魚島診療所 看護師
目次
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Uターン移住するまでのいきさつを教えてください
塩見尚徳さん(以下、尚徳):1975年上島町弓削島で生まれました。弓削高校を卒業後、進学のため岡山へ行きました。自動車整備の仕事に就き岡山と福山で整備工場勤務した後、魚島に当時いた知人から声をかけてもらったのがきっかけです。2016年魚島村漁協(当時)へ移りました。
現在のお仕事について教えてください
尚徳:現在は愛媛県漁業協同組合の魚島支所長を務めています。朝、漁船が港へ着くと鯛やカワハギ(瀬戸内では「ハゲ」という)、大きなハマチが素早く水揚げされます。漁協の仕事には朝の「だんべ」という作業があります。エラの奥に鋭い刃を差し込んで魚の動きを止め、血抜きをすることで魚の鮮度を保つ大切な作業です。大きな容器に氷水を用意し、活け締めされた魚たちを手早くその中に入れていきます。
活け締めが終わると次に魚の重量を計測して記録し、発泡スチロールのトロ箱に氷とともに魚を箱詰めします。このとき測った重さで買取価格が決まるので、先方への信用面も含めて正確性が非常に大切な作業になります。仕事は「だんべ」だけでなく、漁獲高管理、融資、燃料販売など多岐に渡ります。
商品は鮮度が命です。僕は漁師さんをサポートする立場だと思っています。漁師さんが大漁だったり売り上げが多かったりして喜んでくれると僕も嬉しいですね。仕事はきついことも多いけれど、やりがいはかなりあると感じています。
愛媛県上島町へ移住した経緯を教えてください
塩見亜希子さん(以下、亜希子):出身は愛媛県愛南町です。地元の高校、兵庫県の看護大学を卒業後、兵庫県と高知県の病院で看護師として勤務していました。地方の総合病院で働くうち、病院にきてもらう時だけ患者さんを診るのではなく、患者さんの日常生活にも関わりながら医療に携わりたいと思うようになりました。
病院中心ではなく地域全体で患者を支える、いわゆる[地域医療]を自ら実践したいと考えたんです。そんなとき、魚島診療所が看護師を募集していることを知りました。
魚島のような小さなコミュニティだと、思い描くような医療が経験できるかもしれない。そのようなわけでその募集に応募し、採用され2017年10月に魚島に移住することになりました。生まれ育ったところ(愛南町久良)が魚島と同じような漁師町で、実家も養殖業を営んでいたことから、魚島の暮らしにも違和感はありませんでしたね。
ご夫婦それぞれが移住した後にご結婚されたそうですね。子育て環境はいかがですか?
亜希子:私達は魚島でバンド活動を通して知り合い結婚しました。2019年に長女の芽依が誕生しました。芽依ちゃんは2021年現在最年少の島民で、魚島保育所の唯一の園児です。
ちなみに芽依の上には小学校2年生の子のほか小中学生が計5人、弓削高校に通う高校生が1人います。子どもたちは地域の宝。島のみんなで子どもを育てる、そんな空気を感じます。
上島町で暮らす魅力を教えてください
尚徳:魚島のいいところは面倒見の良さだと思います。独身時代は冷蔵庫の中が空っぽでも近所の人が食事に呼んでくれたり、おかずをお裾分けしてくださったり、いろいろお世話をしてもらいました。
仕事に必要な部材を買うのにホームセンターがあったら……と思う時はあります。でも離島とはいえ、インターネット通販ですぐ届くので、慣れてしまえばそれほど不便は感じません。
亜希子:地続きだと何でもすぐ手に入りますよね。ここではそうじゃないけれど、私は逆に、大切なものって何かを考えながら生活できると思うから気に入っています。娘の教育のことについては、少し心配はあります。
同級生だけでなく年の近い子もいないので、そういった友達の間のコミュニケーションができない。ですので、もし移住者が来てくれて子どもが増えるととても嬉しいです。
移住を検討している方にメッセージをお願いします
尚徳:挑戦したい人にぴったりの島だと思います。魚島では次世代に向けて漁業の担い手を募集しています。漁業は自分の経験や体力、センスなどが総合的に問われる仕事。
だから面白いともいえます。いまは手厚い研修制度がありますし、高齢のため廃業する方の中古船も手に入りやすいです。漁協も現在職員を募っています。漁師も漁協もマニュアルはありません。臨機応変に自分の考えで動きたい、動ける人にはいい環境です。若い人の挑戦を待っています。
愛媛県漁業協同組合 http://www.ehimegyoren.or.jp