移住者プロフィール
片岡 勧さん
出身地:広島県広島市、現住所:広島県広島市と東京都荒川区の二拠点生活、職業:片岡商店5代目
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幼少期から形成されていた自己発信型の素養
「自宅兼工房には道具も揃っていましたし、“何か作りたい”と思ったら、自分なりに形にするような子どもでした。自ら手を動かし、バッグの原型を一から創り上げる父の姿を見て育ったことが、大きく影響しているのでしょうね」
落ち着いたトーンでこう切り出したのは、明治30年から続くカバン屋「片岡商店」の5代目承継を予定している、片岡勧さん。
チャレンジ精神旺盛な自己発信型の素養は、幼少期からすでに形成されていたといい、興味を抱いた事柄であれば、今まで取り組んだ分野であるか否かに関わらず、積極的に取り組む好奇心旺盛な少年だったという。
老舗カバン屋の長男として誕生した片岡さんに、ご両親が「跡を継いでほしい」と明確に言語化して伝えることはなかったというが、お父様や周囲が醸し出す期待感をどこかで感じ取りながら、時を重ねていく。
1897年 明治30年 5月。兵庫県豊岡市から片岡又平が軍港として栄えていた広島に進出。
柳行李・旅行具製造販売会社 合資会社 片岡商店を設立。その後、片岡商事株式会社と改組。
家業の存在を意識しつつも、別の道へ
広島県内の高校を卒業後、関東圏の大学に進学。
どこかで家業の存在を意識しつつも、社会人の第一歩を踏み出す先に選んだのは、大阪にある人材系ベンチャー企業だった。しかし、会社のカラーと自身の目指すべき方向性の不一致から、心身の疲労度は極限に達し、転職を余儀なくされる。
その後、大手重機械メーカーに転職し、企画マーケティング業務に従事。
全社の経営企画資料の作成や、iPadを使った販促活動の企画・コンテンツ開発など、全社に影響する大きな仕事を数多く経験し、そのビジネスライフは、充足感に満ち足りたものだったという。
しかし、次第に「良い」と思ったことはすぐに試してみたい片岡さんと上司の間で「歪み」が生じるように。年功序列制度の大きな壁の前に、行き場を失った彼の情熱は、やがて燃え尽きてしまう。
息子が大きくなった時に、「自分らしく生きている」と胸を張って言えるのだろうかー。
当事者意識を持てない、いわば“やらされ仕事”を淡々とこなす日々に虚しさを感じ、ついには「退職」の2文字が頭をよぎるようになっていった。
死生観を変えた「熊本地震」
そんな自問自答の日々は、ある出来事をきっかけに突如として終焉を迎える。
自身のブログ『ベランダゴーヤ研究所』にその成長過程を綴るほど、熱心に取り組んでいた水耕栽培への探究心から、有給休暇を利用して、熊本のゴーヤ農家を訪れた時のこと。
滞在先のホテルで「熊本地震」に被災し、思いがけず「死」に直面したのだ。
死生観をも変える体験により、“命は有限”であることを痛感した彼は、「後悔のない生き方をしよう」と心を決め、そのわずか一週間後の2016年6月に、退職届を提出した。
退職後、かねてより興味を持っていた地元・広島の「地域おこし協力隊」にエントリーし、6倍の倍率を通過して内定を勝ち取るも、当時、まだ2才と0才だった幼子2人を奥様に託し、単身赴任するという決断はできず、泣く泣く断念。「辞退」という結果にこそなりはしたものの、自身の心に従ってすでに歩みを進めていた。
その後、「自分で仕事を作り出す人になりたい」と一念発起し、東京で法人向けのWEBマーケティング事業『ベランダゴーヤ研究所』を立ち上げ、独立。
独立の後押しになったのは、超マイナー株の分析ブログや、ゴーヤ・水耕栽培ブログでアクセス数を集めた成功体験だったという。
2016年9月には、著名ブロガー約200名が集う『ブロフェス2016』にて、「ライトニングトーク大会優勝」という実績を収めている片岡さんに、“集客力の秘訣”について尋ねると、「一次情報ですね」と淀みなく答えてくれた。
「テレビや雑誌で見聞きした情報をまとめるのではなく、実際に現地に赴き、“自分の目で見て感じたこと”を発信することにこだわりました。超マイナー株の分析ブログでは、全国に60近く店舗のある銘柄をリサーチするために、北は福島、南は九州まで足を運びました。水耕栽培においても、自分で育ててその過程を発信することで、“一個人のフィルターを通じて感じたことを読み手に届ける”という方針を大事にしていましたね」
後継者としての内なる覚悟を呼び覚ました父からの電話
フリーランス5年目を迎えた2020年7月、片岡さんの元に一本の電話が入った。
電話の主はお父様で、「約20年弱も続いた取引先からの引き合いを断った」というものだった。理由は、ご両親の高齢化だった。
明朗快活なお父様の弱気な姿に動揺を隠しきれなかったという当時のことを、次のように懐古してくれた。
「いよいよ事業を畳むしかないという段階にまで話が及んだ時、『続くも続かないかも“自分の決断一つ”であり、その現実から目を背けてはいけない』と感じました。120年以上続いているという事実は、何ものにも代え難い価値であり、“積み重ねてきた歴史を途絶えさせてしまうことは、あまりにももったいない”と、家業への想いが込み上げてきた瞬間でしたね」
片岡商店の戦前の店先。 原爆投下により焼失するも、何もないところからリスタートし、再起を遂げた。
その後、片岡さんとお父様、そして広島に住む弟さんを交え、数ヶ月間という長きに渡り、議論が重ねられた。深夜にまで及ぶほど白熱することも少なくなかったというが、気の済むまで対話を重ねた結果、「やるだけのことはやって後悔のない人生にしよう」と心が決まり、ついに事業承継への「覚悟」を決めた。
ついに、始動
事業承継することを決意した後、まず取り掛かったことは、カバンの製造“そのもの”を担う、「現場」の仕事を経験することだった。
企画から販売を担う「片岡商店」の仕事において、直接関わりのない領域に思えるが、その選択の背景には、「強い製品を作るためには、“源流域”である『生産現場』を知っておいた方が、できることの幅が広がるだろう」という、片岡さんの強い想いがあった。
「互いに無茶を認め合ってきた同志」だと語る奥様の同意を得て、2021年3月より1年間、関西の取引先に身を寄せるため、単身赴任を選択。
「カバン業界の繁忙期(2〜4月)真っ只中である生産現場での日々は、まさに修行のようだった」と振り返るが、この経験により、少子化による市場縮小と販売単価の頭打ちにより、苦しい状況が続いている国内縫製工場に、「風穴を開けたい」という想いが湧きあがったという。
「作り手はどのような想いを抱いているのか。生産現場の様子を、“コンパクトかつダイナミック”に伝えることが必要だ」と考えた片岡さんは、得意の「自作FPVマイクロドローン」を用い、工場見学動画の作成に踏み切った。
2021年夏、家業サポート団体「家業エイド」を介して出会い懇意となった、明治40年創業の「側島(そばじま)製罐(株)」の“アトツギ”・石川貴也さんとタッグを組み、(缶工場の)裁断から出荷まで“ワンカット撮影”した動画を共同制作。
彼らの“想い”が“カタチ”になった本作品は、『Drone Movie Contest2022』において、「審査員特別賞」を受賞する快挙を成し遂げ、「Twitterで4.2万回再生」を記録するなど、大きな反響を呼んだ。
目下の目標は「整理整頓」
現場での修行を終えた後、本格的に家業の承継準備に入るが、全く違う分野から縫製業界のカバンの分野に飛び込み、120年以上の時を刻んできた家業を継ぐことは、戸惑いの連続だったことだろう。
まず、家業の現状を把握した上で、“最重要タスク”だと感じたことを尋ねると、「整理整頓ですね」と迷いのない声色で力を込めた。
「昔は叔母もいましたが、現在は、父、母、私の3人でやっています。なので、家族経営ならではの“ふわっとしたやりとり”が、良くも悪くも成立してしまっていたんですよね。紙に書いて適当に在庫管理をしているものだから、本当に必要なものなのかもわからない状況でしたし、色々なものが点在していて、事務所の動線もものすごく悪いものでした。なので、まずは、“現状の在庫を把握する”ところから始まりました」
SNSの向こうには、順調に歩みを進めているかのように見える、“アトツギ仲間”の姿が広がっていた。対して、本業に取り掛かる段階に入ることもできていない自身の状況を思い、足踏みを強いられたもどかしさから、当初は焦燥感を抱いたこともあったという。
「他の“アトツギ仲間”の発信を見ていると、『チャットを導入した』、『新製品を開発した』など、前に進んでいる様子なのに、私といえば、そもそも父と母の話している内容がわからないし、やたら喧嘩はしているし、もうわけがわからないなという状態でした(笑)。“情報とモノのやりとり”を把握するために文献を調べたり、SNSで情報を得たところ、『一番最初に取り組むのは、地味だけど整理整頓だ』という発信をたくさん目にしたんです。(アトツギ仲間の)石川さんのTwitterも遡って見てみたら、やはり“整理する”ことから始められていたので、目下の目標は“整理整頓”だと、気持ちを切り替えることができました」
まずは、“いらないものを捨てる”作業から取り掛かるも、長い歴史を共にしてきた“モノ”に対するご両親の想いは当然強く、思うように事は運ばなかったという。一時は、プロの力を借りて整理整頓を進めたこともあったというが、歴史を紡いできたお父様の誇りと、“いいものは引き継ぎながら、変えるべきところは変えて行こう”という片岡さんとの想いとの間で「乖離」が生じ、意見が衝突することは日常茶飯事であるという。
「親子間のやりとりをスムーズに進めることは、『事業承継における難題の一つ』と言えるかもしれませんね。今のところ母は、どちらかというと私のスタンスに賛同してくれていますが、最大の抵抗勢力は父なので(笑)、これからも試行錯誤しながら進めていきたいと思います」
整理整頓は、現在進行形で進められている最中だというが、言葉とは裏腹に、どこか清々しくもある彼の表情が印象的だった。
主張は違えど、互いの意見を真正面からぶつけ合い、対話を繰り返すことができているのは、ベースに互いへの「信頼関係」が存在しているからこそなのだろう。
「中学生が3年間使っても壊れないスクールバッグ」をベースに誕生
「中学生が3年間使っても壊れないスクールバッグ」をベースに誕生
現在、片岡商店では、スクールバッグのユニークな特性を“スクール以外”の場所に展開すべく、新たな商品開発にも力を注いでいる。このほど誕生し、早くも大きな反響を呼んでいるのは、“折りたたみできるA4縦型防水サブバッグ”、その名も『さよなら紙袋』だ。
長い歳月をかけて培った、片岡商店の技術とノウハウの集大成ともいえる、「(やんちゃな)中学生が3年間使っても壊れないスクールバッグ」がベースとなっているため、その頑丈さはお墨付きだ。
2ℓのペットボトル3本がジャストフィット
『さよなら紙袋』誕生のきっかけは、ある企業から営業用のサブバッグのサンプルを依頼されたことだったといい、既存のスクールバッグを、ビジネスで使用する書類や13インチモバイルPC・タブレットがジャストサイズで入るように改造したものが、原型になっている。
当初は、黒単色や紺単色の取り扱いだったというが、カラーバリエーションを全7色に増やし、一般販売を開始。跡継ぎ仲間の会社の看板商品がカラー展開時のヒントになったのだとか。
「紙袋」に別れを告げ、ワンランク上の大人の装いを楽しむのも、また一興だ。
左から、「鯉城ブラック」「瀬戸内ブルー」「八朔イエロー」「赤ヘルレッド」「江田島オリーブ」「戦艦大和グレー」「もみじ饅頭ブラウン」。
広島にちなんだネーミングが大人の遊び心をくすぐる。
家業の現状を把握した上で、承継の可否を判断してもいい
事業承継をすべくUターン移住を考えている方に向け、メッセージをお願いしたところ、
「やはり、『一次情報』に触れないとわからないことが多いと思います。リモートワークが普及している今、帰省先で現在の仕事をこなしながら、家業の現状を把握することも可能な時代なので、その上で、承継の可否を判断してもいいのではないかと思います」
と、大きな覚悟を要する決断には、慎重さも必要であることを示した。
事業承継をする決断に加え、生活基盤を築いてきた東京と故郷・広島での二拠点生活を送る決断も求められた片岡さん。
2つの大きなハードルに挑む覚悟を携えた彼に、「事業承継してよかったですか」とストレートな質問を投げかけると、「よかったですね」と、迷いなく答えてくれた。そして、穏やかな語り口の中に凛とした佇まいを同居させ、“アトツギ仲間への想い”も吐露してくれた。
「最初はもう本当にカオスとしか言いようがなかったですが(笑)、『さよなら紙袋』を始め、徐々に形になってきているものもあるので、仕事が楽しくなってきました。
何より、事業承継をして良かったと思えるのは、『アトツギ仲間に出会えたこと』です。同じ目線に立ち、意見を共有できることがすごく楽しいですし、実りになっています。越えなければいけない壁も、抱えている課題も似ているので、悩みを共有しながら切磋琢磨できる、かけがえのない『戦友』です。これからも互いに高め合っていきたいですね」
今後は、「ドローン」×「カバン」2つの得意分野を融合させた「ドローンバッグ」の製作にもチャレンジしていく予定だ。
彼の無限の発想力と行動力から誕生する作品の完成が待ち遠しい。
「いい感じに狂った会社にしたいですね」
最後に、片岡商店の目指すべき未来像について尋ねると、「いい感じに狂った会社にしたいですね(笑)」と、家業への愛情をユニークに表現してくれた。
「今まで自分のやってきたことを振り返ってみると、『突き詰めた先に道が拓けた』という経験が多かったんです。なので、家業に対しても、“これでもか!”と言うほどに突き詰めていって、その過程を面白がってくれる人たちが集まる、そんな会社にしていきたいです。色々なことに挑戦する過程で、これからもたくさんの出会いがあると思うので、今から楽しみです」
これまでの人生においても様々な分野に挑戦し、納得の行くまで深堀りすることで、自身の力で未来への道標を見出してきた片岡さん。
自身の持つ無限の可能性を信じ、追求することのできる彼が切り拓く。新たな旅路の物語は今、始まったばかりだ。
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