移住者プロフィール
浅田 美帆さん
出身地:山口県周南市、前住所:山口県岩国市、現住所:山口県山口市、職業:「Earth Kitchen 地球食堂」店主
目次
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山口市へ移住したきっかけを教えてください。
浅田美帆さん(以下、浅田):私は山口県周南市出身で、阿東に来る前の10年間くらいは岩国市に住んでいました。阿東に来て約5年経ちました。
移住のきっかけは東日本大震災でした。東北の地震は地理的には離れたところの出来事でしたが、原発事故は日本全国どこでも起こり得ることだから、自分事として切実に感じました。
ライフラインを絶たれることへの不安、電気の供給や発電についての疑問も感じたり、電気に依存することなく生活するには、どこでどんなふうに暮らすのが良いのか考えるようになりました。電気を24時間使い続けている冷蔵庫を使わないためには、とか。それで寒い地域を探したんです。
島根県や九州への移住を最初は考えていましたが、両親も一緒に来ることになったため、あまり遠くない所ということで、県内で探すことにしました。
その時に、山口市のホームページで阿東に空き家があることや、地域で移住のお世話をしてくれる人がいることを知り、阿東の空き家を見に来てみました。一緒に来ていた母がもともと山が大好きで、阿東徳佐の十種ヶ峰(とくさがみね)などの山に囲まれた環境を、「この景色の中で死ねるなら!」とものすごく気に入ってしまって。
それで、その時もお世話をしてくださった田村さん(阿東地域の移住定住コンシェルジュ)に、私たち家族7人で住めるような空き家を探してくれるようにお願いしたんです。
山口ではどんなお仕事をしていますか?
浅田:阿東徳佐で、古民家の納屋を改装した『地球食堂』を経営しています。今は不定期にオープンしていて、お店のない日はケータリングやワークショップをすることも多いですね。
それと山口市の中心部にある『野菜工房』というお店でお弁当を作っています。
ヴィーガンのお店にしたかったのは、自分は「穀物を食べる人」になろうと思ったからです。牛1頭を育てるのに10数人が1年、鶏1羽だと3人が1年生きていけるくらいの穀物を必要とすると聞いたことがあります。
日本や世界の貧困を考えたら、肉を食べるよりも穀物を食べる方が助けになるのでは、と考えました。「殺されるだけのために育てられる動物がいる」という事実を思うと、心が苦しくもなりますし。
それと、乳製品や卵や肉を使わなくてもおいしいものは作れることを、みんなに知って欲しかったからです。現実的なところでは、その方が原材料のコストも抑えられます。
でも、今思えば当時の自分は頭でっかちな考え方をしていましたね。ヴィーガンが間違っているということではないです。それよりも、目の前にある命をありがたくいただく方が自然なんだ、と今の私は思うようになりました。
現在の状況と移住後の感想を教えてください。
浅田:移住してここにオープンした『地球食堂』の改修工事をしています。改修工事に踏み切れたのも、周りの人たちの助けがあったからなんです。
2017年の末に、阿東に住むUターンやIターンの人たちを中心としたグループを、フェイスブックのメッセンジャーで作って情報交換をし始めたら、自分の周りのことが一気に動き始めました。阿東にある「お試し暮らし住宅」を借りて、このグループで集まって話し合うこともありました。
そうすると、みんな目指しているのは同じでした。 " 徳佐を「ここで育った子供達が帰ってきたい場所にしたい」という気持ち "を持っていること。「なんでもあるよ」ではなくて「ここにしかないもの」、例えば山や空気といった何百年もそこにあるもの、を大切にしていこうという気持ち。
それもあって、私の場合は古民家の納屋を改装した自分の店『地球食堂』を人が集まる場所にしたい、という思いをメッセンジャーでグループにシェアしたんです。するとグループの中から助っ人が出てきてくれました。
田舎の人は生活に必要ないろんな知恵や技術を持っているので、リノベーションの頼もしい助っ人です。
SNSのグループを作るきっかけになったのが、2017年11月に阿東の廃校になった小学校で行われたフォーラム(「未来の担い手xLOCALマネージメントフォーラムin山口」)でした。
それまでは、他の移住者の人と自分とを比べて、自分だけが辛いとか大変だとか、心の何処かで思っていて、相手は私が傷つかないようにと気遣ってアドバイスしてくれることを、自分の中で恐れにしてしまって、やりたいことに挑戦できない状況に自分で追い込んでしまってた。
でもこのフォーラムの後にみんなと腹を割って話す機会がありました。そこで自分だけが辛いんじゃなくて、みんな同じ高さにいるんだって分かって、気持ちが楽になったのはとっても大きかったですね。壁が壊れたっていうか。
そんな経緯で、島根県にある音鳴文庫さんに協力してもらって、この3月からはリノベーション資金を調達するためにクラウドファンディングにも挑戦します。これもずっとやりたいと思ってはいたものの、自分では動けずにいたのを、縁のある人からの助けで実現することになりました。
地方への移住にあたり不安だったことは?実際はいかがでしたか?
浅田:移住のきっかけが東日本大震災で、電気に頼らない生活をしようと思ったことだったのですが、電気を使わない代わりに薪を大量に消費するし、田舎に住むと車は絶対に必要だからガソリンも多く使うことになります。
逆に、町に住めば仕事ももっと色々あるし、移動距離が短いからガソリンの消費量も少なくてすむ。田舎に住めば環境にやさしいとか、省エネルギーな生活ができる訳ではないということに、徐々に気づきました。
3年くらいかかって、電気を使わないとか、そういうことにこだわらずに、あるものをもっと大切に使おうという風に考え方が変わっていきました。
移住して最初の半年くらいは、なんでも珍しくて楽しく感じていたのが、だんだんと自分の思い描いていた”田舎暮らし”と”現実”とのギャップが見えてくるんです。私の場合は、「私の『地球食堂』はヴィーガン(絶対菜食主義。肉・魚だけでなく乳製品や卵も食べない)のカフェだからお肉は出しませんよ」というのが自分の理想。
でも、地域の人からは「お肉が入っていれば食べにいくのに」と言われることが多かった。最初は自分の理想に固執していたけれど、食べたいと言ってくれる人がいることがありがたく、それを受け入れて応える方がお互いのためになるんだ、という考え方に変わっていきました。
自分の思い描いていた形の方が現実離れしていて、目の前のことが現実。その小さな日常をひとつひとつやっていくことで、気持ちも楽に日々を楽しめるようになりました。
山口の魅力を教えてください。
浅田:山口県はぐるっと周りが海で囲まれています。中国山地や平地もあり、自然の形状が豊か。遠くに行かなければ見られないような景色が詰め込まれているところが魅力ですね。
人に関しては、私は周南、岩国、山口市に住んだことがありますが、どこに行っても真面目な人が多い印象です。明治維新の歴史でも分かるように、一所懸命なにかを守ろうとか、良くしようとしている人が多いです。
時にはそれが攻撃と思われてしまうこともあるかもしれませんが、それくらい一所懸命なんだと思います。
山口に住んで戸惑ったことはありましたか?
浅田:阿東に住んで一年目の冬に、雪が60センチくらい積もったことがありました。あれにはびっくりしました。子供たち3人、と言ってもほとんどサイズ的には大人3人が入れるカマクラを作ったのを覚えています。
野生動物との距離が近いのもびっくりしましたね。阿東は町の中心から車で1時間程しか離れていないのに、狸、ハクビシン、アナグマ、イタチ等が家のすぐそばにやって来ます。
近所の人にはマムシには気を付けるように言われるし、ヤマカガシはしょっちゅう見かけます。
その代わり、寒いからかゴキブリはいないですよ。野生動物だけでなく、季節の草花や山菜も庭や家のすぐ裏で採れるから、自然との共存は当たり前のように考えるようになりますね。
不便に思うのは、やっぱり車です。公共交通機関が少ないから、車がないと出かけられない。
ここは合併した地域で小学校まで遠いですが、スクールバスがあるから助かりました。でも中学からはバスがないので、子供たちは自転車通学をしています。
学校までは3キロくらいあり自転車だと2、30分くらいはかかってしまう。30分かかるとちょっと心が折れる距離ですよね。
今後の展望を教えてください。
浅田:『地球食堂』が地域の循環を作る場所になるようにしていきたいと思っています。そのためには、自分を楽しんで、私が私であること。
私が何者か分からなければ、私の近くに集まる人のことを周囲はもっと分からず、人を遠ざけてしまう。かっこつけたり、遠慮したりせずに、私はこんな人間ですよ、とオープンにすれば、私に足りないことや出来ないことを補ってくれる人が現れて、その人にお金が入ったりします。
『地球食堂』のリノベーションも、頑張って自分でやろうとしないで、出来ない部分は誰かに助けてもらう。だって出来ないですもん。
それに対して代金を支払ったりお礼をすることで、循環が生まれるし、結果的には良いものができると思うんです。
『地球食堂』の他に、お菓子を他のお店に卸したり、地域のおばちゃんたちの手作り品を販売して、徳佐で仕事を生み出していきたいです。
おばちゃんたちの手芸の実力はすごいんですよ。おばちゃんたちがお店をするのは大変でしょうから、代わりに私が販売すれば、そこにも循環が生まれてきますよね。
出典: 先輩移住者の声 浅田美帆さん