移住者プロフィール
ディーン ケスラーさん
移住時期
2020年
出身地:兵庫県、前住所:東京都、現住所:鹿児島県南九州市、職業:モデル、YouTuber
目次
INDEX
0歳から仕事を始め、高校時代に本格的にモデルの道へ
1981年に兵庫県で生まれ、0歳の頃から子供服や企業広告などのモデルをしていたディーンさん。
物心がつくと一度は嫌になって辞めるものの、高校時代に神戸でカメラマンに声をかけられ、再びモデルの道を志した。
「高校はスポーツ校だったので、周りにサッカーや野球のプロを目指している子がたくさんいました。競技に打ち込んでいる姿がみんなかっこよくて。なのに『自分には何にもないな......』と悶々と過ごしていた時に、たまたま神戸で『写真撮らせてくれないか』と声をかけられたんです。撮影に参加したら楽しくて、もう一度、モデルをやりたいと思いました」
それ以来、MEN'S NON-NOやPOPYEなどの人気雑誌やテレビCMに数々出演。モデル歴は35年以上になる。
20代の頃には、ファッションブランドのディレクターやデザイナーを務めるなど、一流のクリエイターたちに囲まれながら、厳しい世界で感性を磨き続けてきた。
「昔から、古着が好きでした。ファッションや音楽のカルチャーから、アンティークや古いものが好きになったんだと思います。デザイナーとして洋服の作り手側も経験したことで、モデルとして服を着る側の見せ方もわかるようになりました」
だからこそ、これだけ長くモデルの仕事を続けられているのだろう。オンラインの取材中、お洒落な骨董品の家具や小物などが映り込み、居心地の良い空間が画面越しにも伝わってくる。
パンデミックをきっかけに、地方移住を決意
そんなディーンさんが地方移住を考え始めたのは、40代を目前に控えた2020年5月のこと。新型コロナウィルスの感染拡大が始まり、東京に緊急事態宣言が発令されたタイミングだった。
当時、モデルの仕事に加え、東京でヨガスタジオと二軒の民宿を経営していたディーンさんにとって、パンデミックによる国内外の移動制限は大きな打撃となった。
「特に、東京オリンピックに向けて宿の経営に力を入れていたんですが、コロナですべての状況が悪化して、結局、畳むことになりました。海外にも行けなくなり、何だかつまらなくなって、これからどうしようかなと考え始めたんです」
もともと旅が好きで、年間7~8回は海外に行くような生活をしていたというディーンさん。2014年に恋人(現在の妻)と一緒に初めてインドを訪れて以来、すっかりヨガに魅了され、それからは毎年2か月ほどをインドで過ごしていたという。
「ヨガには“競争”という概念がないんですよね。自分の外側ではなく、内側を見ることのほうが大事なので、人と比較して喜んだり、落ち込んだりすることがない。それまで競争社会で生きてきた自分にとっては、それがすごく新鮮で心地良かったんです」
本格的にヨガのトレーニングを積み、ついには東京にスタジオを構え、インストラクターとして人を指導する立場になった。
実は、コロナ禍に見舞われたのは、インドでの生活に比重を置き、東京との二拠点生活を考えていた矢先のことだった。
「妻の妊娠が分かったのもインド、挙式を挙げたのもインド。息子が3歳になる頃には現地の学校にも通わせていました。あまりにもインドに頻繁に行くし、東京のヨガスタジオでたくさんクラスを持つようになって、人にシェアする機会も増えたので『もっとヨガを勉強したい』『インドの生活を大事にしたい』と思い、インドに家も借りたところでした」
しかし、出入国制限によってインドに渡ることができなくなってしまった。
計画変更を余儀なくされ、「新しいことにチャレンジしたい」という思いで決断したのが、“地方移住”だった。
移住先の条件は、東京からの「距離」と「気候」
移住を決断してからは速かった。2020年6月には移住先を決め、7月には引っ越しを完了させていたという。移住先には、それまで縁もゆかりもなかった鹿児島県南九州市を選んだ。
「鹿児島を選んだ理由は、安易なんですけど、東京から離れていて移住っぽいなと思ったからです。ただ、モデルの仕事だけは続けていきたかったので、仕事で呼ばれた時に東京に通える場所にしたかった。飛行機が台風とかで飛ばなくなった時に、陸路でも移動できて、かつ東京から一番遠いのが鹿児島なんです。寒いのが苦手なので、北海道とかは全く頭にありませんでした」
鹿児島に絞ってからは実際に現地に足を運び、10日間ほどかけていろいろな地域を見て周ったという。その中で、気候や物件など、自分たちが求める条件が揃っていたのが、薩摩半島の南部に位置する南九州市だった。
「物件は、空き家バンクで探しました。事前に目ぼしい物件をいくつかピックアップしておいたんですけど、コロナへの警戒度がすごく高い時期だったので、あんまり見ることもできなくて。結局、ほぼ勢いで決めましたね」
ディーンさんが購入したのは、築年数およそ50年の一軒家だ。
「金銭的に自分たちの貯金でギリギリ買える値段の古民家にしました。約300坪で290万円。1坪1万円と考えると安いですよね。土地面積が広くて、家も柱や梁の骨組みがしっかりしていて、瓦の状態も良かった。今思えば、良い買い物をしたなと思っています」
豊かな水資源も移住の決め手に
ディーンさんが南九州市を選んだ理由はもう一つある。「水」だ。
南九州市は、シラス台地の急崖下から湧き出る清冽な湧き水に恵まれており、代表的な「清水の湧水」は、昭和60年に環境庁が発表した日本の「名水百選」にも選ばれている。
ディーンさんが購入した物件の近くにも、湧き水を汲める水汲み場が整備されており、何千年もかけて地層を通って湧き出ている水を自由に汲むことができる。地元の人たちはそれを日常の飲み水として使っているそうだ。
さらに、住宅の水道事情も特殊だという。
「家には、蛇口が2種類あります。一つは市営の水道水ですが、もう一つは山から直接引いてきた綺麗な水。洗濯とかお風呂とか、普段の生活にはこの山の水を使っています。たまにトラブルで出なくなるので、水道水はそういう時の予備。塩素が含まれていない水に触れた生活ができるというのは、僕たち家族にとってすごく大事なポイントでした」
実際に生活してみると、その効果をはっきりと感じるという。飲み水が変わるだけで、生活も体の調子もずいぶんと良くなった。水道料金も基本料を払うだけなので、東京にいた頃と比べるとかなり安く抑えられている。健康面と費用面、双方で恩恵を受けているようだ。
古民家「鹿児島ガンガー」をDIYでリノベーション
移住が完了してからしばらくは、生活の基盤を整えることに専念した。購入した古民家は、骨組みはしっかりしていたとはいえ、すぐに住める状態ではなかったため、それとは別に賃貸物件を借り、当面の間はそこで生活をすることに決めた。
一ヶ月ほど経ったころ、ディーンさんは古民家の改装に着手する。業者に頼むのではなく、DIYで自らリノベーションしていくことにしたのだ。
「もともと、『10年後くらいに田舎に住んで、ヨガのスタジオとレストラン、宿の複合施設をやりたい』というのが、僕たち夫婦の夢でした。なので、今回の移住は、その計画を10年前倒しでやっているとも言えます。たまたま買った古民家がボロボロというか、住むにはちょっと......という状態だったので、まずは直すところから始めている感じですね」
ディーンさんは、古民家を「鹿児島ガンガー」と名づけ、同名のYouTubeチャンネルでDIYの様子を発信している。
「ガンガー」とはインドを流れる「ガンジス川」の意味。古民家の近くを流れる小さな川と、インドで生活していた時に何度も心を救ってくれたガンジス川とを重ね合わせた。
動画には、ディーンさんが天井や床、収納、キッチンや浴室まで、家の中を次々に解体し、少しずつ作り替えていく様子がおさめられている。DIYの範疇を超えているのではと感じるほど、それは本格的な作業風景だ。
基本的には一人で作業をしているが、移住後に親しくなった左官職人さんたちにやりかたを教えてもらったり、アドバイスをもらうこともあるそうだ。
「ペンキ塗りとか漆喰塗りとか、多少の経験はありましたけど、やっぱりわからないことだらけなので、しょっちゅう質問させてもらっていました。そうやってプロの方と一緒にいると、材料もホームセンターではなくて、製材所と直接やりとりして、捨てられる木材を引き取ったりもするようになったりして、どんどん本格的になっていきましたね」
ディーンさんのYouTubeチャンネルは近所の人たちにも自然と知れ渡ったようで、DIYをしていることを知った人たちが「こんなん使うか?」と、不用になった資材や家財道具を持ってきてくれることもあるそうだ。
「『ビリヤード台壊したら出てきたよ』と大理石の板を譲り受けたこともありました。それはキッチンの天板として使っています。ほかにも、二重窓のすごく良いガラスとかリールとか、役立つものがいっぱいあって、本当に助かっています。中にはとんでもなく要らないものもありますが(笑)」
YouTubeが交流のきっかけに。何度も助けられた「人の優しさ」
YouTubeは、ディーンさんの自己紹介代わりにもなった。そのおかげで、「地域に溶け込むのも早かった気がする」と話す。
「YouTubeで、自分が何をしているのかをわかってもらえるのはすごく良かったです。僕は見た目が“普通”の日本人とは違うし、移住してきていきなり家を壊しだして、『変な人が来た』と最初は警戒されたかもしれないですけど、YouTubeを見て『お家どうですか?』と声をかけてもらったり、サポートしてもらう機会も増えました」
地域の人たちは、ディーンさんたちを家族のように扱ってくれた。移住してから、そうした鹿児島の人たちの「人の良さ」を身に沁みて感じるという。
「困っていたら助けてくれるし、いろいろなことを教えてくれる。かといって、ぐいぐい干渉してくるような感じでもなく、ちょうど良い距離感なんです。僕は都会からやってきて、あまりにも知らないことが多すぎて、あまりにも生きる力がなくて、本当に恥ずかしいんですけど、それを馬鹿にすることなく、生きる知恵や生活しやすくする術をたくさん教えてくれます」
ある時、運転が不慣れだったディーンさんが、あぜ道で田んぼに車を横転させてしまった時には、周りにいた人たちがすぐに駆けつけて、重機で車を引き上げてくれたそうだ。その中には田んぼの持ち主の方もいて、自分の田んぼの稲が駄目になることよりも、ディーンさんの体を一番に気遣ってくれた。
申し訳なさと情けなさでいっぱいだったというディーンさんだが、迷惑な顔をひとつせずに助けてくれた地域の方たちの優しさに救われ、ただただ感謝するばかりだったという。
若い移住者が増加中。自ら商売を始める人も
外から来る者を温かく迎え入れる、そんな地域性もあってだろうか。
最近、ディーンさんが暮らす地域には若い移住者が増えてきているという。古民家を改装して住むのが一つのブームのようになっていて、おしゃれなカフェや古着屋、コミュニティスペースなどが次々にできているそうだ。
「近所にできた古着屋さんは、若い男の子がやっているんですけど、めちゃくちゃセレクトが良いんです。こんなにイケてる古着屋さん、東京にもないよねというくらいかっこよくて、しかも安い。最初は、こんなところでうまくいくの?と思っていたんですけど、お客さんがちゃんと来ているんですよ。家賃が高い都会でやるよりも、在庫を抱えておきやすいし、ひょっとしたら商売としてうまくいく可能性があるのかもしれません。そういう若い子を見ていると賢いな、すげえなと思いますね」
ほかにも、ミシンで洋服を手作りするデザイナー、薪と窯を使ったパン屋さんなど、「田舎」ならではのスペースの広さや生活コストの安さをうまく生かして商売をしている若者が多いようだ。
ディーンさん自身も、定期的に東京に通いモデルの仕事をメインとしつつ、南九州市で地域の人を対象にヨガクラスを開講している。
「地方は高齢化が進んで、若い労働力が求められています。探せば仕事はいくらでもあると思いますが、やっぱり自分でお店をやってみるとか、自分で商売するのが一番面白いと思いますね」
「スローライフ」ではない田舎暮らしのリアル
山と川に囲まれた、のどかな集落での田舎暮らし。生活面で苦労していることはないか尋ねてみると、
「一つ、しんどいことといえば、早朝の町内放送ですね。いろいろなお知らせが、毎朝6時40分くらいに流れます。『健康診断がいついつにありますよ』とか、『どこどこの温泉施設が休止してましたけど再オープンしましたよ』とか(笑)。今では、放送が流れる前に起きられるようになりましたけどね......」
「田舎暮らし」と聞くと、「のんびりとしたスローライフ」をイメージする人が多いかもしれないが、ディーンさんによると「まったくもってスローライフではない」そうだ。
「集落での仕事がいろいろとあります。地域のみんなで草刈りをしたり、公民館の掃除をしたり、たまにゴミの当番も回ってくる。 僕は消防団にも入っているので、月に2~3回、その活動もあります。いつ出動要請があっても大丈夫なように消防車の試運転をしたり、火の用心の広報活動をしたり、消防訓練もやっています」
さらにディーンさんは、地域住民で形成される「村づくり委員会」にも参加している。水汲み場の掃除や管理、小学校の行事や収穫祭の手伝い......気づけば、やることが山ほどあるという。
「田舎で生きていくには、それなりに人と手を取り合っていく必要がありますよね。
僕の場合は地域に溶け込み過ぎて、ちょっとやりすぎかもしれませんが、色々やらせてもらえている立場なのでありがたく思っています。一般の人からするとキツいかもしれないですけど、一つくらいはやったほうがいいだろうと思います」
東京にいた頃は、隣に住む人と顔を合わせることも敬遠していたというディーンさんだが、移住してからは集落での仕事や人付き合いも自然と楽しめるようになったようだ。
南九州市の子育て環境は?地方ならではの利点も
今度、小学校に進学する予定の息子さんを持つディーンさん。南九州市の子育て環境についても伺ってみた。
「マイナス面としては、学校のチョイスが少ないこと。僕らはそれをあまり考えずに移住してしまったので、公立の学校に行かせるしか選択肢がありませんでした。私立とかインターナショナルスクール、今流行りのユニークな教育機関なんかに通わせたい場合は、移住前にそういう学校がある地域かを確認したほうがいいですね」
そうは言いつつも、ディーンさん自身は、公立学校に通わせるのを楽しみにしているという。全校生徒が40人ほどの小さな学校で、親同士はみんな顔見知りだ。
「僕が参加している『村づくり委員会』では、小学校の子どもたちが野菜や米を作る農業体験のサポートもしているんです。子どもたちは、一年を通して作ったものを収穫して地域の人に販売したり、調理して振る舞ったりします。そういう学校の行事で子どもと地域の人たちが深く関わることって、都会の学校ではなかなかないと思うので、面白いなと感じています」
実際、東京にいた頃は、子育て環境で苦い経験をしたこともあったそうだ。
「東京では一軒家に住んでいたんですが、住宅が密集していて、子どもが泣くだけで苦情が来たんですよ。笑い声にもうるさいと苦情を言われて。コロナ禍でギスギスしていた時期だったのでしょうがないんですけど、子どもを育てる環境になかったなと思います」
今、ディーンさんが暮らす集落の入り口には、「子供は地域の宝」と書かれているそうだ。子どもが地域から歓迎され、大事にされていることが伝わってくるその言葉を目にした時、ディーンさんはグッと胸に迫るものを感じたという。
最先端の教育機関は望めなくとも、地域に見守られながら、誰に気兼ねすることなく伸び伸びと子育てができる。そんな環境が、南九州市にはあるようだ。
2023年完成を目指して、古民家DIYを継続中
南九州市に移住して3年目。古民家のDIYは今も続いている。大規模な改修はやはり手強く、そこに「こだわり抜かないと納得できない」というディーンさんの性格も加わり、当初の予定よりも時間がかかっているようだ。
「世界中を旅する中で自分が受けてきた刺激を落とし込むようにして、どこの国とも違う、唯一無二の家を作りたいと思っています。ゆくゆくは宿にする予定なので、人が集まって楽しい体験ができる空間にしていきたいです。薪ストーブや囲炉裏で料理ができるようにしたり、五右衛門風呂やピザ窯も作る予定です」
コンセプトは「家の中に家があるような感じ」。2023年中には、宿としてのオープンを目指している。どんな空間になるのかは、完成してからのお楽しみだ。
「田舎に住んでみて課題に感じるのは、やっぱり人口減少です。この町で育った子たちはどんどん外に出ていって、帰ってこない人たちもたくさんいる。少しでも面白い人たちや素敵なお店が増えて、違うベクトルを持った人たちがここに集まってくれば、町は盛り上がるし、存続していけるはずです。宿をそういった人が集まる拠点にしていきたいと思っています」
移住の醍醐味は「地域の人との関わり」。リスペクトし合える関係性を
コロナ禍をきっかけに、突如として始まった南九州での移住生活。ディーンさんは地域の一員として周囲との関わりを大切にしながら、自分のペースを崩すことなく、田舎暮らしを満喫しているようだ。
「僕にとっては、美味しい水と美味しい野菜に囲まれていることが、豊かな人生を歩むための必須条件。
ここには、クラブもライブハウスも、お洒落な居酒屋もありませんが、地の食材を自分たちで調理して食べ、広い家でゆったりと時間を過ごすことができます。冬は寒いけど、薪ストーブに火を入れるのが楽しみなんですよ。その前でコーヒーを飲んだり、芋を焼いたり、鍋をしたり。そういうのがめちゃくちゃ贅沢で最高です」
最後に、ディーンさんから、移住を検討している方に向けてメッセージをいただいた。
「僕は、なるべく自由に生きることを大事にしています。僕にとっての“自由”は、やりたい時に好きなことができる身軽さ。より良く生きたいと思った時に、動ける人間でありたいんです。だから今も、インドでの生活は諦めていないんですよ。
自由の捉え方は人それぞれ。移住についても、合う合わないはあると思いますが……僕自身は、移住の醍醐味は、“地域の人との関わり”にあると思っています。東京にいた頃は、ファッションや音楽の世界で生きてきて、基本的に関わる人は自分と同じような好みや考えを持っている人たちでした。
でも、こっちに来てから、新しくできる友達は、60代、70代が中心。おじいちゃん、おばあちゃん、目上の人たち、まったく違う考え方を持っていたり、まったく違う世界を知っている人たちと出会うので、それがすごく良い刺激になっています。そうした出会いや時間をリスペクトできるということが、すごく大事なんじゃないでしょうか」
テクノロジーの進化が目覚ましい情報化の時代。かつて、地域コミュニティで機能していた「年長者の知恵」が急速に力を失いつつある中で、ディーンさんのお話からは、互いを尊重し合いながら、年長者が若い世代に生きる術を伝えていく血の通った関係性が、今なお息づいているように感じられた。
「自由に」そして「楽しく」生きていきたいというディーンさん。「鹿児島ガンガー」もきっと、訪れる人の自由なインスピレーションを刺激する楽しい空間になっていくのだろう。