移住者プロフィール
上薗 怜史さん
移住時期
2011年3月
出身地・前住所:福岡県春日市、現住所:大分県津久見市、職業:津久見市役所職員
目次
INDEX
津久見市に出会ったきっかけは?
上薗怜史さん(以下、上薗):私は鹿児島県出身で、父親の仕事の関係で、福岡県のベッドタウンとして有名な春日市で育ちました。父親が建築・建設系、祖父が大工の棟梁という環境で育った影響もあり、大学では社会デザイン工学科(土木工学)に進みました。
研究室の先生が公園設計や公園デザインなどのワークショップをしていたので、その分野に興味を抱き始めました。その後大学院に進み、卒論テーマのキーワードとして公園を選びましたが、内容については悩んでいました。
そんな時、景観デザインや公園デザインのワークショップを専門としていた研究室の先生の元へ、津久見市役所の方が津久見市の千怒地区の区画整理事業の一環として行われる公園づくりのワークショップ開催について相談に来られました。この仕事を先生が受け、私が担当することになったのです。これが津久見市との出会いでした。
ワークショップの内容は、「区画整理で住む場所が無くなるめだかのために、公園を造って放流する」というものでした。住民の皆さんとワークショップをして、一緒にその場所をデザインしました。「湧水めだか公園」として完成したこの企画を修士論文として提出したんです。
みんなで形にしていくのは素晴らしいと感じましたし、空間づくりに携わって面白かったです。思い入れもあり、市役所の皆さんと完成した後に懇親会で号泣してしまいました。この経験を踏まえて、就職先はまちづくりができる会社が良いと考え、建設コンサルタント会社を志望しました。
津久見市に移住を決意した経緯は?
上薗:まちづくりに携わりたいという思いで、就職活動では複数の建設コンサルタント会社に応募しましたが、理想と現実の間のギャップを感じていました。
公務員になることは考えたこともなく、建設コンサルタント会社で都市計画やまちづくりに携わるものだと考えていました。
東京や大阪を中心に10社以上の面接を受けましたが、都会で働く自分がいまいちイメージ出来ませんでした。建設コンサルタント会社の面接でやりたいことを訴えると、「あなたのやりたいことは行政の仕事なのでは?」と言われることがしばしばありました。
そんな中、友人が大学のプロジェクトで関わった長崎県の五島市役所を受験し、移住すると決意しました。そこで初めて「公務員として役所に勤めながらまちづくりに携わるような生き方もできるのだ」と感じました。そんな絶妙なタイミングで、再び研究室に津久見市から連絡が入ってきました。
津久見市役所の都市建設課の方から「津久見市の採用募集があるけど受験しない?」と言われたことをきっかけに、津久見市役所の受験を決心しました。市役所で様々な役割を担えるのはもちろん、津久見市のまちづくりに携われるので、公務員として働くのもありかなと思ったのです。
その後試験に合格し、2011年3月に津久見市へ移住することが決まったのですね。津久見市へ移住することに不安はありましたか
上薗:初めての一人暮らしでしたが、大学4年生から大学院卒業まで3年間津久見市に通い、市役所や地域にも知人がいたので、住むことへの不安や悩みはありませんでした。
ただ、自分にとっては新たなチャレンジとなる「まちづくり」が果たして本当にできるのかという不安はありましたね。不便さも感じませんでした。自分にとって田舎とは、鹿児島県の山の中にある祖父母の家。
そこと比べると津久見市内を田舎と思ったことはないです。日用品は市内で調達できるし、特別な物であれば大分市で買えばいいですし、実家の福岡にも車で2時間半ほど走れば着くので問題はないですね。
春日市は内陸なので海に遊びに行くのに1時間程かかっていましたが、今は歩いてすぐ海にたどり着きます。海がある生活は本当に素晴らしいです。緑も多く穏やかで豊かな土地だと思います。
移住後、人間関係はどのように築いていかれましたか
上薗:大学の研究でお世話になった市役所の方々には、大変お世話になりました。
不安な社会人生活も、知っている方が沢山周りにいる環境下で仕事ができたので、ひとりぼっちにもならず、飲み会にもよく誘っていただき、楽しい新生活を始めることができました。また、津久見市の人は困ったことがあれば助けてくれます。一人暮らしだからと、ご飯など色々な物も頂き、感謝しています。
仕事以外にはどのような活動をしていましたか
上薗:津久見市のまちづくりに関わるため「C-Lab.TSUKUMI」というまちづくり団体を立ち上げました。津久見市の人たちと繋がるために飲み会を通して親交を深めつつ、津久見のゆるキャラつくみん*のグッズを作製したり、つくみん公園などでイベントを実施したりと、人口減少や産業の衰退が進む中でも、町が明るくなるような活動を行っています。
「C-Lab.TSUKUMI」
2016年から市の補助を受け始めた「津久見inバル(飲みバル)」は盛況で、3年間の補助期間を終えても継続して開催されています。団体が作製するつくみんグッズはイベント時や市内のつくみマルシェでも販売中です。
「まちづくりツクミツクリタイ」
2016年11月に任意団体として立ち上げました。つくみん公園にあるコンテナ293号などの整備に携わり、現在は総合計画・庁舎建設・観光戦略など市の会議にも参画しています。2018年にはNPOへ改組。津久見市からの委託事業を受けながらまちづくりイベントなどを開催しています。
空き家をリノベーションした「Cafe1/2(ニブンノイチ)」
2017年9月に西日本銀行跡地をリノベーションして作ったまちなか拠点です。
津久見市に甚大な被害を与えた台風18号のため、オープン翌日に浸水するも、災害ボランティアの休憩場所として活躍しました。
まちの課題はどのようにお考えですか
上薗:行政だけでなく、 津久見市全員で考えていかないといけないことは多いですね。まずは、庁舎が古いので港の方に移す計画となっていますが、その際の津波対策はどうするのか。
また、まちなかをどうしていくべきか。今活動しているNPOをこういった課題に関する意見交換ができる場にしていきたいです。自分が津久見市に住む理由は、行政と地域の人とのパイプ役が必要で、それを担うことができると思っているからです。自分がしたことや関わったことで、周りの人がが笑顔になるのが最大の喜びだと感じています。
これからの津久見市をどう変えていきたいですか?
上薗 :津久見市を楽しい街にするために、みんなでまずは楽しいことをして、結果まちづくりに繋がっていくことが理想かなと思っています。まちづくりの主力は40代以上で、以下の若い世代がまだまだ出てきていない印象です。今後は20代を発掘していきたいですね。
そのためにも若い人が集まる場をつくりたいとは思いますが、なかなか難しいのも現実です。そもそも「津久見市で遊ぼう」というイメージが弱いのかな。整備された公園や豊かな自然もあり、子育てしやすい環境があるので、もっと伝えていきたいですね。
以前、中高校生を含む60人ほどのボランティアスタッフの皆さんと一緒に、つくみん公園の滑り台を使ってウォータースライダーを手作りするイベントが行われました。これが結構好評で。若い世代がスタッフとして活動に携わることで、人に喜んでもらえる実感を味わい、そこからまちづくりに興味を持ってもらえたら良いなと思っています。
移住希望の皆さんへアドバイスをお願いします
上薗:移住は場所も大事ですが、結局は“人”だと思います。どんな人と出会うか。まずは何度か訪れて、地域に住む人を知って、仲良くなってから移住するのをオススメします。地域の皆さんは何かしらのプロなので、自分のやりたいことや自分のライフスタイルに合う人を見つけるとより暮らしやすくなると思いますね。
私が移住した津久見市は気候や環境が良い場所です。大分県とはいえ温泉はないけれど、アクセスが良いので、どこにでも足を運べます。津久見市はみんな優しく大らかな性格なので、移住した方を気にかけて好意的に迎えてくれます。気になった方は、ぜひ一度足を運んでみて下さい。
最後に
大学の研究室からの縁がきっかけで、津久見市へ移住した上薗さん。大学の研究室を通じた出会いからはじまり、津久見市で仲間が増え、広がり続ける上薗さんの移住者暮らし。
やりたかったまちづくりに公私ともに取り組む姿からは、自分がやりたいことを貫く意思を持つ強さと、人との繋がりの大切さを教わった気がしました。
* つくみん
大分県津久見市公認のキャラクター。津久見みかんから生まれた妖精。