“つなげる”役割を担う「地域商社」が地方創生の切り札に

独自取材!

宮崎県小林市

“つなげる”役割を担う「地域商社」が地方創生の切り札に

移住者プロフィール

青野雄介

移住時期
2016年

出身地:千葉県市川市、現住所:宮崎県小林市、職業:株式会社BRIDGE the gapの代表取締役社長

移住時期
2016年

出身地:千葉県市川市、現住所:宮崎県小林市、職業:株式会社BRIDGE the gapの代表取締役社長

住む場所が変わると生き方も変わる。 環境が変わると自身も変化し、人生までもが変わっていくーー。 都会の喧騒を離れて、地方で“自分らしい生き方”に憧れを抱く人は少なくないだろう。 しかし、いざ真剣に移住を考えると、移住に大きな期待を持つ反面、不安も計り知れない。 現実的に自分の思い描く理想の暮らしが実現できるのかーーー。 “ワープシティ地方移住体験談”では、地方移住を検討している方に向けて、先輩移住者から移住に至った経緯や体験談、移住先の仕事内容や生活などの生の声をお届けする。 第5回目の先輩移住者は、宮崎県小林市に移住した、株式会社BRIDGE the gap(ブリッジザギャップ)の代表取締役社長、青野雄介さん。 地域内外の“人と人”、“人とモノ”を繋げる役割を担う「地域商社」を立ち上げ、地域活性化の立役者として活躍する、若き“小林人”である。 青野さんが、家族と共にIターン移住を果たした場所は、宮崎県小林市。千葉県市川市出身の青野さんがいかにして小林市と出会い、新たなライフステージを築く場所としてこの地を選んだのか。ストーリーを辿っていきたい。 

九州に惚れ込んだ会社員時代

大学卒業後、全国転勤のある機械工具関連の専門商社に入社。最初の配属先となった場所は、福岡であった。その後3年半かけて、宮崎、鹿児島と九州3県を回るのだが、“豊かな食文化と人々の温もり”に魅了され、すっかり九州に惚れ込んだという。

「何かの機会があれば九州にチャレンジしようと思っていました」と語る青野さん。九州への想いは、その地を離れた後も色濃く残り、のちの移住に結びつく礎となるのである。

違和感から呼び覚まされた使命感

九州3県への赴任後、自身のやりたい部署への異動が叶い、大阪本社に配属となる。仕事に楽しみも感じられ、商社マンとして充実した日々を送っていた青野さんだが、時を同じくして、人生の転機が訪れる。幼少期に抱いた“使命感”とも言える感情が、ある“違和感”により呼び覚まされ、燻り続けていたものが再燃するのである。

小学6年生の頃、図書室で“環境問題”について書かれた書籍を手にした青野少年。当時はまだ、“公害”としてピックアップされていた時代であったが、その書籍に触れ、大気や水が汚染される事実に、言いようのない不安を感じ、心がざわついたことを未だに覚えているという。

その後“地球温暖化”という問題にまで発展し、“いよいよ人類の存続が危ぶまれるレベルまで到達してしまったのでは”と明確な恐怖心が芽生えていくー。

「その時から環境問題が人生のテーマになっていたのかもしれません。小学6年生の作文には、“自動車メーカーで電気自動車を作りたい”と書いていましたから。環境に良いことがしたい、という思いよりも、人類が滅びてしまうのではないかという恐怖心が大きくて、いつか環境問題をどうにかしたいと思っていました」

違和感の正体

青野さんが転職を考え始めた時期は、省エネ機器の販売など、環境に携わる業務もある部署で働いていた時期であった。幼少期より環境問題に関心を寄せていた青野さんにとっては、願ったり叶ったりの展開だったはずだ。そんな青野さんに「転職」の2文字がよぎったのは、ある“違和感”からだったという。

「実際に環境問題に携われる部署に異動もさせてもらい、楽しく仕事をしていたのですが、化石燃料を発掘して、何かを作って、使っては捨てて・・・というような“使い捨てのサイクル”に乗っかっている中で、ただ省エネ機器を売るだけでは、根本的解決にならないのでは、と、途中から“違和感”が芽生えました」

転職を考え始めたものの、“本当に自分が何をしたいのか”当時はまだ明確なビジョンを描けていなかった。そこで取り入れたのが“朝活”。出勤前に“自身と向き合うカフェタイム”を作り、1年ほどかけて想いを巡らせていく中で、ある答えに辿り着く。

「その当時、“地方創生”という言葉が生まれ、メディアで踊るようになりました。“地方にすでにある資源を活用して、持続可能な形に発展させていく取り組み”を目にして、僕がやりたいことはこれなのでは、と感じました。“消費社会”をなくすことはできませんし、経済合理性の世界がないと、人類の発展もおそらくないのでしょう。

ただ、それ一辺倒になっている世界には危うさを感じました。もう一つの軸である“循環型社会”がもっと大きくなって、うまくバランスするようになると、環境問題も良い方向に向かっていくのでは、という自分の中での仮説に辿り着きました。僕は、その世界の方に飛び込みたい、と」

社会のバランスのあり方自体を変えるためには、“そもそもにアプローチ”していかなければならない。

「循環型ビジネスの活性化の一助になりたい」

その想いを実現できる場所として、地方のポテンシャルをより一層感じ、魅せられていく。こうして、“転職”と同時に“移住”という選択肢が現実味を帯びていったという。長い間抱いていた“漠然とした使命感”が、現実のものとして、花開こうとする瞬間であった。

伝え続けることで得た妻の理解

移住を考え始めた当時、すでに結婚し、子宝にも恵まれていた青野さん。2人目のお子さんが生まれる前という、非常に大事な時期でもあったというが、奥様とは具体的な移住プランを事前に共有できていたのだろうか。

「移住の2年前くらいから話は始めました。ただ、最初は一蹴されていましたね(笑)。僕の一方的な夢物語から始まりましたが、1年ほど時間をかけて、魅力を伝え続けました。そのうちに“あなたのやりたいことはこういうことなんじゃないの?”と、どこからかパンフレットを持ってきてくれたり、TV番組を紹介してくれるようになっていきました。

これは大丈夫そうだな、と手応えを感じて、具体的に進めて行く流れになりました。諦めたんでしょうね」と、笑いながら、当時を懐古してくれた青野さん。時間をかけて魅力を伝え続けたことで、“夫の熱意と“地方移住の魅力”が、奥様には存分に伝わっていたのだろうと、筆者は想像する。

移住先の候補は、九州一択

前述の“循環型のビジネス”を目指すために、当初軸として考えていたのが“有機農業”そして“起業”であった。移住先として候補にあがったのは、迷いなく「九州」。“チャレンジするなら九州で”という以前からの野望に加え、妻が九州出身であったことが決め手となる。

地域おこし協力隊という選択

当初は、新規就農を応援する農業法人のある、福岡県糸島市への移住を検討していた。ある農業法人の代表に“移住して新規農業に参入したい”旨を吐露したところ、返ってきた答えは、厳しいものであった。“経験もなく、家族もいる中で、裸一貫飛び込むことは無謀。

せめて3年は働きながら、地域と事業について学ぶべき”との助言を受ける。家族には迷惑をかけられないと考え、舵を切り替えることを選択。準備期間を確保しながら、地域にじわじわと飛び込むことができる“地域おこし協力隊”という手段を利用し、移住することを決意する。

小林市との出会い

2015年(平成27年)8月某日。福岡県の市町村の話を聞くために赴いた合同相談会で、青野さんは運命的な出会いを果たす。偶然呼び止められ、立ち寄った先。まさにそこが小林市のブースであった。

促されるまま話を聞いてみると、小林市は地域おこし協力隊の募集をしており、掲げていたミッションは、なんと、「起業すること」であった。それだけでも心を掴まれるには十分であったが、さらに驚きの条件が提示される。それは、在任年数に応じて、就業時間の何割かを起業の準備に充てて良い、という“小林市独自のルール”であった。

「1年目は就業時間の3割、2年目は5割、3年目は7割を使っていいという条件には驚きました。自分のやりたいこととドンピシャすぎて。起業したことも、地域で仕事をしたこともない中で、しっかり制度まで作ってやってくれている自治体は、本気だと感じました。そこからはもう勢いでしたね(笑)」

こうして思いがけず、小林市への移住が決まったのである。

ついに、移住―

念願の移住を果たしたのは、2016年(平成28年)5月のこと。実際に住んでみると、街づくりがしっかりとされており、想像以上に住みやすい街であったという。

小林の中心部には、お店が集積している“まち部”が2箇所あり、一つは大型スーパーやリサイクルショップなど、ロードサイド店が立ち並ぶ大型店舗のエリア。もう一つは、地元の個人事業主が小さな店を構える、元商店街のあったエリアである。その2つのエリアを取り囲むように、“田舎部”と言われる田園地区が広がっている。

青野さんも“田舎部”に居を構えているが、車で7分も走れば、先程のロードサイド店の立ち並ぶエリアにアクセスが可能だ。この“コンパクトさ”が小林の魅力の一つで、“田舎と街の暮らしの両立が叶う場所”と言えよう。

「眼前に広がる霧島連山を眺めながらの通勤時間は格別です。田んぼや畑、川などの自然風景が、季節の移ろいによって姿を変える様を楽しめるのは、小林に移住して幸せだと感じる時間の一つですね」

ターニングポイントは「こばやしマルシェ」から

小林への移住を実現し、いよいよ“地域おこし協力隊”としての活動をスタートした青野さん。しかし、協力隊の業務形態は、自身で仕事を見つけて働く“フリーミッション型”を採用しており、目立った仕事ができずに1日中パソコンの前で時間が過ぎるのを待つ日もあったという。

そんな矢先、青野さんにターニングポイントが訪れる。市からの依頼で“月一のマルシェを立ち上げたい”という話が舞い込んだのだ。イベントの開催自体は以前から計画されていたものの、担当者が決まらないまま、様々な人々の間で話が回り、青野さんに行き着いたという。二つ返事で引き受け、実行委員長に就任。行政が主体となるイベントであったため、実行委員会には、商工会議所や観光協会など、“地域活動のメインプレーヤー”とも言える、中心的な組織の面々が名を連ねた。

その人脈を一気に築けたことが、その後の青野さんの活動の幅を大きく広げることとなる。イベントの名前は、シンプルに「こばやしマルシェ」。小林市内を中心に農家や雑貨屋、飲食店などと交渉を重ね、2017年2月に初開催された。「地域おこし協力隊というフリーな身分だからこそ、ここぞとばかりに動いて、固めていって、形にしていくことができると、奮闘しました」

その言葉通り、初回にして、約50もの店舗が出店。1000人以上の集客を呼び込み、マルシェイベントは大成功を収める。また、単発の物販イベントとして終わらせずに、“継続することが鍵”と考え、月1回第2日曜日を“マルシェの日”と設定。(現在はイベント休止中)出店者数も述べ100店舗以上を数え、狙い通りマルシェは“地域コミュニティを生む場所”となった。そして、このイベントを通じて得たネットワークが、現在の小林での事業の礎となるのである。

もう一つの転換点となった「Kobayashi Organic(コバヤシオーガニック)」

県の六次産業化の研修で知り合った若き有機農家たちとの出会いは、ある団体の結成から運営までを担う大仕事に結びつく。年齢も近く、青野さん自身“農業をするなら有機農業をしたい”と考えていたこともあり、すぐに懇意になったという。

「色々な話をする中で、単体では販路を構築することが難しい“有機農業が直面している課題”をたくさん教えてもらいました。販路を効率よく作るためのグループを形成するために、“有機農家のネットワークを結ぶ団体を作りたい”という想いも聞くことができたので、『それならば作りましょう』と。

僕もサポートする形で、小林内の有機農家と繋がって、“Kobayashi Organic(コバヤシオーガニック)”という団体を作りました。僕は、事務局として、主に情報発信や企画を行いました。そこから更に活動の幅が広がって行きましたね」

キーワードは「地域商社」

人との“つながり”により、次々と活路を見出していった青野さんに、さらに運命を大きく左右する出来事が起こる。それは、小林市では名高い農家から“地域の畜産物を外に売っていく”という意味合いで繰り出された“地域商社”というワードが発端であった。

「その方は東京からのIターン移住者で、老舗デパートなどに卸す、高単価なミニトマトを作っています。小林では有名な方で、国の中枢の方達との人脈を持っていて、色々な情報をとっているんです。その中で、“今、地域商社というものが、国の政策としてクローズアップされていますよ。

青野くんがやりたいことってこういうことなのではないかな?”と、話してくれたことがありました。僕の中で、“地域商社”というワードになぜだかビビッときてしまったんです。“とにかく楽しそう!合っていそう!”と、自然と体が反応しました(笑)」

ここを“つなぐ”存在があれば小林市のパワーは一気に上がる

当初は、農業を生業とすることを考え移住をしたが、小林には素晴らしい農家が山ほどいる現実を知り、自身が農業に参入することは、小林にとってプラスにならないと考えを改める。「地域商社」というキーワードを軸に据え置き、“発信する側として何かできるのではないか”と考えを巡らせていく中で、ある課題に到達する。

「縦軸では素晴らしい農家がたくさんいるのに、意外と横軸の“つながり”が乏しくて、飲食店や地域とも繋がっていない現状がものすごく見えてきました。いいものを作っているのに、あまり発信されていなくて、もったいないと感じて。ここを“つなぐ”存在があれば、小林としてのパワーは一気に上がる。自身が商社で経験してきたこととも近かったので、そちらの路線で行くべきだと確信しました」

“つなげる”という役割を担うこと。それこそが自分が小林市にきた意味なのではないかー。それを生業とする地域商社を立ち上げたい。ぼやけていたものがクリアになり、確かに何かを掴み取った瞬間であった。

チャンス到来

上記2つのイベントの実施を通して、特に青野さんが重きを置いたのが、「二点事業」であった。一つは前述の「地域商社」。もう一つが“こばやしマルシェ”でも取り組んだ「中心市街地活性化」であった。最大3年となる地域おこし協力隊の任期も、2年目の終わりに差し掛かり、定住に向けての事業化を本格的に考えようとした矢先のことだった。

市の教育委員会より、“中心市街地活性化”を目的とした「TENAMU(テナム)交流スペース」の業務委託の話が持ちかけられる。「“こばやしマルシェ”を通じて、中心市街地の活性化は、自分の中でも一つのテーマになっていました。自分の中で思い描いていた10倍くらいの規模でできるという運命的な話がきて、驚きました(笑)。

“Kobayashi Organic(コバヤシオーガニック)”のような、地域の農産物を外に売る仕事からスタートしようと思っていたのですが、こんなチャンスはないと思い、それを受ける形で起業をしました」

そして、起業―。

2017年9月、同期の協力隊と共に、任意団体「BRIDGE the gap(ブリッジザギャップ)」を立ち上げる。当初は、協力隊と会社の代表取締役を“兼任”する形でスタート。翌年には法人化し、株式会社に移行するのだが、手続きを進める中で、“兼任することでの不整合”が生じるようになる。

協力隊の活動を3年勤め上げてほしい、との意向を示していた市とも、“両立は難しい”という見解で一致し、任期を待たずに、協力隊を1年11ヶ月で退任。2018年2月、こうして「株式会社BRIDGE the gap(ブリッジザギャップ)」は産声をあげたのである。

名付けへの想い

地域の現状を知るにつれ、「“本質的な価値”と“金銭的価値”が見合っていない」という“おかしながギャップ”が存在することに気が付く。地域の中に、確実に価値としてあるにも関わらず、お金は実際には都会の方に流れ、農業をしている人々に還っていないという現実だ。“本質的な価値に地域も都会も存在しないー”その想いは、創業メンバーと決めた“名付け”にもしっかりと込められていた。

「これまでの経験を通して、自分の中で“つながり”というものがテーマになっていました。なので、“bridge”を社名に入れることは最初から考えていましたね。そこに、もう一つのテーマであった“ギャップを埋めたい”いう想いを乗せて、『BRIDGE the gap』。創業メンバーの一人で、英語が堪能な女性社員が、僕たちとは違った視点で考えてくれたのですが、ぴったりな名前だと思います」。

ただ“つなげる”(=bridge)だけでなく、都会と地域の間に存在する固定観念の“ギャップを埋める”(=bridge the gap)。人とモノの橋渡しをするーそんな存在になりたい。かつて自身が繋いでもらった縁を、地域に還そうとする青野さんの想いに、小林の明るい未来が見えたような気がした。

BRIDGE the gapの取り組み

現在、「BRIDGE the gap」は、地域の交流スペースやコワーキングスペース、ゲストハウスなどの運営を行っている。その1つである「TENAMU(テナム)交流スペース」は、小林市の中心市街地活性化・賑わい創出を目的として建てられた複合施設「TENAMUビル」内に設けられており、“誰がどのように使ってもいい自由なスペース”となっている。

まちライブラリー、子育て支援スペース、カフェなどの交流スペースだけでなく、オフィススペース、展示スペースも設けられており、青野さんは随所に“つながり”を生む仕掛けを入れ込んでいるのだとか。

「何かをやってみたい人たちが一歩を踏み出せる場所を目指しています。そして、その人たちに共感して、色んな人が繋がっていけるー。それをテーマにしたコミュニティスペースです」

たくさんの方の利用があるか問うと、弾ける笑顔を浮かべ、こう語ってくれた。

「お陰様で全世代の方に利用して頂いています。平日は、ご高齢の方や小さなお子さんを連れた親御さん、夕方からは学生がたくさん来てくれて、最近ではリモートワークをする方にも使ってもらっています。まだやりきれていない部分もありますが、街の人にも随分認知してもらっているようです。

学生に『青春の場所はどこ?』と聞いた時、『てなむ!』と言ってもらったことがあり、それは本当に嬉しかったですね。小林に来た甲斐があったと感じました」

小林の方言である西諸(にしもろ)弁で“一緒に”や“手を取り合って”を意味する「てなむ」。言葉通り、まさに地域の“人と人をつなぐ空間”となっている。

変化を受け入れながら挑戦していく小林にしたい

青野さんに、今後のキャリアビジョンを伺った。

「都市部のグローバルかつ最先端で、経済合理性の基に人類の進化を進めるような動きと並行して、それと対極する地域の暮らし、あり方を“同じくらいの存在感”に持っていきたいという考えが根本にあります。

まだ明確には見えていませんが、“常に前向きな変化を皆が受け入れながら挑戦していく地域”に小林をもっていきたいですね。個の力だけで実現することは難しいため、仲間を作りながら目標に向かっていきたいです」

あくまで民間企業として、“事業を通じてアプローチ”していくために、今後、事業を2つ追加し、拡大していく予定だという。食材が豊富な小林の“加工の部分を強化”するために、「地域の加工場」を作る予定だとか。今後も地域商社 BRIDGE the gapの動向からますます目が離せなくなりそうだ。

“目に見えない移住政策”が呼び込んだUターン移住者

小林市の取り組みの一つに「てなんど小林プロジェクト」というものがある。「てなんど」とは、西諸弁の「てなむ」(=一緒に)と、地域資源をブランド化したいという思いの「ぶらんど」を掛け合わせた造語である。Iターン移住者を呼び込むための政策と捉えられがちだが、実はそうではない。

当初から、「関係人口」という概念に着目してスタートしたプロジェクトだが、目線の先にいるのは、“市の中の人”あるいは“出身者”だという。

「“自分の地域を思い出して、いつかまた戻ってきてもらいたい”という想いを、出身者に向けてプロモーションしているプロジェクトなのですが、それが結果に結びついてきています。30〜40代の世代の方がUターン移住してきて、新たに何かを始める人がじわじわっと増えていて。それが“街の活性化”に明確に現れてきています」

外に向けたわかりやすい移住対策を、“目に見える形”ではさほど行っていないという小林市だが、着々と続けてきた“インナープロモーション”が頭角を表してきたのかもしれない。

「そういう人たちが何となく繋がってコミュニティになるので、後から来るIターン、Uターン移住者の方達もすぐに色んな方と繋がることができると思います。一緒に何かをしたり、応援してもらえたり、“目に見えない移住政策”がいい雰囲気を作っていると思いますね」

地域と関わる度合いを高めて、じわじわと決めてもいい

「僕の場合は何とかなりましたけど、いきなり一念発起して、決め撃ちして移住するというのは、やはりリスクが高いと思います。まずは地域と関わる度合いをじわじわと高めていって、自分の気持ちを段階的に確認していく。これは行った方がいいな、と思えたら、移住をするのがいいと思います」

終始物腰柔らかく、丁寧に言葉を選びながら、取材に応じて下さった青野さん。時には他人の助言を受け入れ、目的を達成するためにはアプローチを変えることも厭わない。その“柔軟さ”と“決断力”が、小林の人々の信頼を獲得し、「つながり」を築く鍵となったのだろう。

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小林市では市民や出身者、そして小林市に興味がある人達と一緒にさまざまな取組みを行っています。例えば、動画で小林市をPR。移住促進を目的に制作したPRムービー「ンダモシタン小林」です。思わず二度見してしまう仕掛けと「小林のあるある」を詰め込んだ動画で多くの人たちに小林市を認知していただきました。また、新しい起業家や事業者同士の交流が生まれ新しい波が生まれてほしいという思いも込めて「コワーキングスペースTENOSSE(テノッセ)」も創設。そのほか、地域の人たちが自由に集まれるフリー空間「TENAMU交流スペース」もつくられました。いろんな人に小林市を知ってもらい、来てもらい、そして、体験してもらう。そんな活動を小林市は続けています。

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