移住者プロフィール
中澤裕子さん
出身地:京都府福知山市、前住所:東京都、現住所:福岡県福岡市、職業:歌手、タレント
目次
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幼少期から温めてきた、歌手になる夢
「小さいときから歌手になることが夢でした。でも、自分のことを話すのがあまり得意ではない子でしたし、大それた夢を語るのも恐れ多いような本当にこじんまりとした町で生まれ育ったので、自分の中だけにそっと夢を秘めながら、大人になったという感覚ですね」
京都府福知山市に、二人姉妹の長女として生を受けた中澤さんは、幼い頃に父親が他界し、女手ひとつで母親に育てられたという。
「高校生までを福知山で過ごしましたが、とにかく社会に出て自立したいという想いが強くありました」
高校卒業後、就職を機に大阪へ転居。仕事に励みながらも、幼少期から抱き続けてきた「歌手になりたい」という想いは消えることはなく、むしろ「言葉」として表現されてこなかった歌手への想いは、彼女の中で高まりを続け、揺るぎないものとなっていたのだという。
そんな折、テレビ東京系列『ASAYAN』のプロジェクトのひとつ、『シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション』が、彼女の目に留まる。
「オーディションに挑戦するたくさんの女の子たちの姿を、一視聴者として応援していたにすぎなかったのですが、ある時、ボーカリストオーディションの告知を見た時に、『これだ!』って。
思わず声が出るくらい、ものすごい衝撃が走りました。
このチャンスを逃したら、もう2度と自分の夢を語ることも叶えることもなくなる、と、思い、オーディションに迷わず応募しました」
グランプリこそ逃したものの、プロデューサーのつんく♂さんの目に留まった他のメンバーと共に、’97に「モーニング娘。」を結成。初代リーダーに就任した。
始まりから今までに至る全てのことが『中澤裕子』を形づくってくれた
かつて「モーニング娘。になるために生まれてきた」と語ったこともあるほどに、「娘。愛」が強い中澤さんだが、彼女にとって、モーニング娘。とはどのような存在なのだろうか。
言語化することが非常に難しい質問であると理解した上で、ストレートに投げかけてみたところ、これまでの変遷をたどるようにしばらく空(くう)を見つめた後、丁寧に言葉を紡ぎ始めた。
「モーニング娘。は、『中澤裕子』の“すべて”ですね。
そもそもオーディションが開催されなければ…、そして、1期メンバーのうち誰か1人でもオーディションを受けてくれていなかったら、今のモーニング娘。には絶対になりえなかったわけです。
今年(2023年)25周年を迎えられたのも、“原点”があったからこそだと思うので、始まりから今までに至る全てのことが『中澤裕子』を形づくってくれたと、感謝しています」
晴れやかな表情から発せられる言葉の一つひとつに重みがあり、たたえる微笑みとは相反する強い眼差しの中に、圧倒的な強さがこめられていると感じた。
出産を転機に。「一番大切にすべきもの」を教えてくれた娘の存在
2014年に、ご主人と、当時1歳2か月だった娘さんと共に、福岡市に移住。
昔から環境を変えることが大好きで、独身時代は引っ越しを繰り返していたという中澤さん。
移住当時の心境としては、不安よりも、「住んだことのない場所に行けるワクワク感」の方が大きかったのだそう。
そんな彼女でも、移住に対して最初から前向きだったわけではなかったようだ。
「『福岡で事業展開をしたい』という夫の夢は、結婚前から聞いていました。
でも、当時の私は、自分の仕事を最優先に考えてしまい、結局断ってしまったんです」
そんな彼女の心に変化をもたらしたのは、結婚後に誕生した、娘さんの存在だったという。
「娘の産声を聞いた瞬間、『この子の親になるために生まれて来たんだ』と、一瞬で母性が溢れ出しました。
もちろん、モーニング娘。が大切であることに何ら変わりはなかったですし、“お仕事がしたい”という意思も、依然として強く持っていました。
でも、自分の目の前に、夫と私にしか守りえない“命”が存在している。
その現実を目の当たりにした時に、『何をいちばん大切にするかは、家族軸で考えていくべきだ』と、感じました。
そして、娘の誕生をきっかけに、“夫の理解者でありたい”という気持ちも生まれました。
家族が一緒にいられるならば、東京にこだわる必要はない。
そんな想いから、夫が移りたかった福岡に行き、私自身も新天地で気持ち新たに育児を楽しむことを決めました」
ゼロスタートできる場所で、家族と共に
地縁のなかった福岡に移住し、生活基盤も仕事もゼロスタートから積み上げていく必要があったが、不安はなかったのだろうか。
「誰も私のことを知らない環境に身を置けば、遠慮することもされることもない。
なので、“ゼロからスタートできる”ということをむしろプラスに捉えていましたし、何より“私には家族がいるじゃないか”という気持ちが一番強かった。
実際に福岡での生活が始まってからも、見るものすべてが新鮮でワクワクしっぱなしでした。
あと、移住後に息子を授かりましたが、うちの夫は出張が多いので、ほぼ一人で2人育児をすることに。
大変大変!と言っている間に一日が終わっちゃうというくらい、がむしゃらだったので、不安になる暇がなかったというのもありますね(笑)」
『人見知り』という言葉を盾に“待ち”の姿勢でいたら、何も始まらない
東京時代は、外出の際は厳重に変装し、自分の存在をいかに消すかということばかりに気を取られていたというが、移住前後で、心境や暮らし方に変化はあったのだろうか。
「180度変わりました、というより、変わるように努力しました。
福岡に来て気付かされたことは、『人見知り』という言葉を盾に“待ち”の姿勢でいたら、何も始まらないということ。
本来人って、人見知りな性分だと思うんです。だからと言って、両者どちらも勇気を出さなかったら、そこで終わってしまうでしょ。
私自身、娘が幼稚園に入園した当初、ママ友は一人もいませんでした。
親になる前の自分だったら、『人付き合いなんて無理にしなくていいや』で片づけていたと思うけど、それでは娘の人間関係にも影響が出てしまうな、と。
誰しも努力しないといけないタイミングってありますから、「ここは頑張りどきだ!」と思い、ドキドキしながらランチ会に参加したり、とにかく自分から積極的に声をかけました。
(娘が)年少の時に親しくなったお母さんたちとは、(娘が11才になった)今でも連絡を取り合っていて、時々集まっては、成長した子どもたちの成長した姿を前に、『あの時勇気を出して自分から声をかけてよかったな』と、しみじみしてばかり(笑)。
子どもを通じて知り合った仲ではあるけれど、たくさんの出会いの中でも、こうして密にお付き合いできることはご縁だと思うので、(私自身の)大切な友人です」
「人脈」というかけがえのない宝物を得た中澤さん。
今では、行きつけのお店の店員さんと何気ない会話をしたり、ご近所さんと立ち話をする“日常の一コマ”にこそ、幸せを感じるのだという。
柔らかく微笑む彼女の笑顔に、福岡での暮らしの多幸感が溢れているようだった。
福岡は、生活する場所と仕事をする場所のオンオフが付けやすい場所
福岡生活も10年目を迎えるというが、移住当時に見た景色と今の景色には、だいぶ変化があるのだという。
彼女が感じる福岡の魅力は、どのようなところにあるのだろうか。
「何でも揃っている東京からの移住だったので、不便に感じたり、物足りなく感じる部分もあるのかな、と、正直なところ思っていました。
でも、実際は全くそんなことなかった。
むしろ、東京のいいところをぎゅっとまとめたようなコンパクトシティで、なんて住みやすいところなんだろう!と、驚いたくらい。
市街地からすぐの福岡空港からは、韓国やハワイなどの海外への直行便も出ているし、生活する場所と、仕事をする場所のオンオフがつけやすい場所だと感じています。
その時代に合わせた開発が常に進められているので、これからもっともっと便利になるんでしょうね。
それでいて、少し離れれば豊かな自然が広がっていますから、本当におすすめの場所!
あとね、びっくりするくらいきれいな女性が普通に街を歩いていますから、そこも必見ですよ(笑)」
「子どもたちの帰ってくる場所を守り続けたい」。親心から決意した、福岡への定住
現在、彼女が生まれ育った福知山市からは、(実家の)ご家族は皆離れてしまっているといい、「故郷と呼べる場所」がないことに寂しさを感じているという。
自身の経験を踏まえ、将来的に子どもたちが福岡を離れる選択をしたとしても、「いつでも安心して帰って来られる場所を築きたい」との親心から、福岡への定住を決意。
その想いを伝えるのは、子どもたちがもう少し大きくなるまで温めておくつもりだという。
「『あなたたちの故郷は福岡だよ。お父さんとお母さんがこの場所を守っておくから、困ったことがあったり、挫折して逃げ出したくなった時には、いつでも帰っておいで』、と伝えるつもりです。
もし仮に、夫が福岡を出ると言い出したら、『福岡で待っているからいってらっしゃい!』と、笑顔で送り出します(笑)」
と、茶目っ気たっぷりに、福岡への想いを伝えてくれた。
新しい一歩を踏み出せることに喜びを感じてほしい
最後に、移住を検討している人に向けて、先輩移住者としてメッセージをお願いした。
「私みたいにワクワクしながら移住する人もいれば、必要に迫られて移住する人もいるでしょう。
でも、新しい場所に来れば絶対に新しいことが始まるので、新しい一歩を踏み出せることに喜びを感じながら、移り住んでほしいですね」
と、移住当初に抱く想いが、移住者それぞれで違うことに理解を示しながらも、力の宿る真っすぐな目線で、エールを送ってくれた。
その地と相性が合えば最高、合わなくとも、その“気付き”に出会えたことは、かけがえのない経験となるはずだ。
実際に「移り住む」という行動を起こした者にしか味わえない心境の変化を楽しむのもまた、長いようで短い人生の、大切な1ページになるのではないだろうか。
「私の場合は、今住んでいるところが常に“一番好きな場所”になるんです」
と、周囲を照らすような笑顔で話してくれた、中澤さん。
“今いる場所が一番好きな場所”と胸をはって言うためには、その町に魅力を見出し、好きになるための努力は不可欠であろう。
かつて自身の居場所を求めるかのように転居を繰り返してきたという彼女が、ようやく見つけた、福岡というただ一つの場所ー。
それもこれも、「家族軸で歩むことの大切さ」に気が付くための布石(ふせき)だったのかもしれない。
限りある人生の中で、自身や家族が関わることになった場所との出会いを、前向きに、大切に捉えている姿がとても眩しく感じた。