移住者プロフィール
IMALUさん
出身地:東京都、現住所:東京と奄美大島(鹿児島県奄美市)の二拠点生活、職業:タレント
目次
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音楽と映画の魔法。内気な少女の心が翼を得る世界
個人商店が立ち並び、東京の中でも昔懐かしい風情を残す、世田谷区の桜新町で生まれ育ったというIMALUさん。
幼いころは、恥ずかしがりやな性格だったといい、人前に出ることはおろか、初対面の人と話すことも得意な方ではなかったのだとか。
そんなIMALUさんが幼き頃から心を解放できる時間は、音楽や映画の世界に触れている時。
舞台でも活躍されるお母様の影響かと思いきや、大竹家では元々、家で音楽を聴く習慣はなく、IMALUさんが生まれてから家の中で音楽が流れるようになったのだという。
音楽や映画の世界にのめりこんでいく中で、海外アーティストの受賞スピーチに感銘を覚えたことを機に、英語を学ぶことに関心を持つように。
当初は、洋楽の歌詞をメモ帳に書き出したり、洋画のセリフを英語字幕で見るなどの方法で、自分なりに英語に触れる機会を作っていたという。
しかし、英語力を身に着けるためには実際に現地に赴く必要があると感じ、中学1年生の夏休みを利用して、サマースクールで2週間ほどカナダに滞在。この滞在経験がきっかけとなり、高校の3年間は、同国のバンクーバー島へ留学をしている。
中学1年生にして驚きの行動力を発揮していたようだが、親元を離れ、言語の通じない見知らぬ地に行くことに、恐怖心はなかったのだろうか。
「当時はまだ、怖いもの知らずだったからこそ行けたんでしょうね(笑)
大人になってからの方が色々な知識が増えた分、恐怖心が勝って、簡単に行動には移せなくなるのだと思います。
今振り返ってみると、送り出す母親の方が何倍も勇気がいったと思いますが、『いい経験になるに違いない』と信じて、送り出してくれたんでしょう。
教育方針やルールもなく、とても自由な家風なんですが、唯一繰り返し母から伝えられてきたことが、『好きなことはとことん追求しなさい』ということ。
好きなことに挑戦するためのサポートは、昔から惜しみなくしてくれる母です」
19才で芸能界デビュー。忙殺の8年の末に突如訪れた空虚感
父に明石家さんまさん、母に大竹しのぶさんという芸能一家に生まれ育ち、自身もエンタメの世界に魅力を感じていたことから、19才の時に芸能界デビュー。
芸能界で常にトップを走り続けてきたご両親の背中を見て育った彼女は、「仕事を第一優先にすることが当然」という仕事観を信じてやまなかったといい、“忙しければ忙しいほど心が満たされている”という錯覚に囚われていたのだとか。
忙殺の日々を8年ほど重ねた頃、「嬉しい」「悔しい」などの感情が何も湧きあがらなくなっている自分に気が付き、空虚感に苛まれるように。
このままでは“本当の自分がどこに所在しているのかを見失ってしまう”と、危機感を覚えたIMALUさんは、直ちに行動を起こした。
「当時、あまり心が健康的でないことは自分でも理解していました。
とりあえず1度リセットする必要があると感じ、勇気を出してお休みをいただき、旅に出ることにしました」
こうして、運命ともいえる、3日間の単身デトックス旅に行くことになるのだ。
自分を見つめなおした、インドネシア・ウブドの旅
デトックス旅の目的地に選んだ場所は、やりたいこと、スケジュール、宿、すべてがマッチした、インドネシアのバリ島。
バリ島の中でも、ヨガやアーユルヴェーダを楽しんだり、ちょっとしたリトリート経験ができる施設があった「ウブド」という地域に滞在した。
ウブド滞在中は、毎日健康的なご飯を食べ、アーユルヴェーダをしたり、自然の中を歩いたり、ちょっとした滝に打たれてみたり、とにかく気の向くままに過ごしたという。
「ウブドの旅を通じて、自分自身を見つめなおすことができました。
仕事だけをしていると、どうしてもアウトプットすることに偏りがちになりますが、自ら創り出した“コト”をインプットすることもとても大事。
『このままの生活を続けていたら壊れる。仕事だけが全てじゃない』という(自分の)心の叫びにも気が付けましたし、旅以降は、そこのバランスを取ることを心がけるようになりました」
「ここなら住めるかもしれない」。直感で二拠点生活を決断
「奄美の海を見た瞬間に二拠点生活を決めた」というIMALUさん。
なぜそれほどまでに、奄美の海は、彼女の心を突き動かしたのだろうか。
「奄美の海は、透明度が高くて美しいのはもちろんなんですが、“人のいなさ加減”も最高なんです。
初めてシュノーケリングした時に感動したのが、ウミガメが普通に泳いでいたこと。
ハワイで1度ウミガメツアーに参加したことがありますが、ウミガメのいる地点まで何十人かで船でいって、必死においかけるっていう(笑)。
“自分から探しに行ってようやく見ることができる存在”というイメージだったので、『ウミガメってこんなに簡単に出会えるの』と、衝撃を受けました。しかも、周りに人が誰もいないので、ウミガメと私だけの2人っきりの空間(笑)。
いい意味で観光地として発展しきれていないからこそ、自然がそのままの姿を見せてくれる場所がたくさんあるんでしょうね」
東京と奄美大島を結ぶ直行便が1日1便出ており、2時間半ほどの所要時間で行き来できることも決め手となり、二拠点生活を即決。
ウブドの旅で得た「自分軸」を大切にする価値観も、彼女の背中を力強く押してくれたのではないだろうか。
’22年の夏、こうして二拠点生活が幕を明けた。
Instagramの専用アカウントも持つ人気者♡相棒のバルーちゃんも奄美を満喫中!
ファンの間では言わずと知れた存在なのが、IMALUさんの愛犬・バルーちゃん。
幼いころから大の犬好きで、『犬を飼うこと』をずっと夢見てきたという彼女の想いが叶ったのは、遡ること8才の時。彼女の家族としてやってきたのは、父・さんまさんから贈られた、ウェルシュ・コーギーの仔犬ルルちゃんであった。
お迎えから4年後、出産を経験したルルちゃん。生まれた瞬間から母として立派に仔犬を育てようとするルルちゃんの姿に、家族一同が胸を打たれたという。
誕生した二頭のうち、未熟児で誕生した一頭に『スー』と名付け、家族として迎え入れた。
名づけの由来は、スモールの『スー』から。
ルルちゃん、スーちゃんの親子二頭との幸せな生活は、脳腫瘍を患ったルルちゃんが2011年に13歳で他界したことで幕を閉じた。
大切な家族を失ってから1年が経過した頃、ルルちゃんが産んだもう一人の仔犬を譲り受けた飼い主さんから、(ルルちゃんの)ひ孫の誕生を知らせる一報が入ったという。
別れから立ち直れず、新たに犬を迎え入れることなど微塵も考えていなかったというが、突如として入った一報に不思議なご縁を感じ、仔犬に会いに行くことに。
「ルルの血を受け継いだ仔犬をいざ目の前にしたら、もうダメでしたね(笑)」と、当時を振り返るIMALUさん。
ルルちゃんから繋がれた生命のバトンをIMALUさんはしっかりと受け取り、仔犬を迎え入れることを決意。
その仔犬こそが、「バルー」ちゃんであった。
不思議なご縁に導かれるように彼女の元にやってきたバルーちゃんは、現在12才に。
シニアになったバルーちゃんの移動の負担を考え、現在は、奄美大島を拠点に生活させているのだという。
奄美大島は、ドッグウェルカムな温かな方ばかりだそうで、今ではすっかりバルーちゃんも現地の方に溶け込み、和気あいあいと生活しているのだそう。
奄美大島の自然に抱かれ犬生を謳歌するバルーちゃんの笑顔を、これからも見守っていきたい。
今では奄美に来ると「ただいま」と呟きたくなるんです
新たな場所に拠点を置く場合、人間関係を一から築くことに不安を覚える人も少なくないだろう。
移住当初はIMALUさんも、「芸能人が引っ越してくることで、良い顔をしない住民もいるのではないだろうか」と、不安もあったというが、どのように関係を深めていったのだろうか。
「東京では隣に住んでいる人の顔も知らないくらいだったので、密に付き合うことが当たり前の奄美の世界に来た当初、カルチャーショックもありました。
例えば、ご近所さんがうちの前を通るたびに『特に用事はないけど、様子見に来たよ』と、家に入ってきて、野菜やバナナを置いていってくれるなんてことは日常茶飯事(笑)
島特有なのか、想像以上の(人付き合いの)距離の近さに最初は驚きもしましたけど、奄美の人はとにかく優しいので、一度も嫌な思いをしたことがありません」
今では、東京から奄美に来ると「ただいま」と呟きたくなるほど、IMALUさんにとってほっとする場所になっているのだという。
「島の人はとにかく優しくて温かい」
と、繰り返し彼女は話していたが、“受入れる者”と“その地を知ろうとする者”の相互の歩み寄りが優しい世界を醸成し、お互いの心を自然と開かせたのではないだろうか。
二拠点生活の一番の魅力は、“いいとこ取り”ができること
奄美大島への完全移住ではなく、東京と奄美大島の二拠点生活を選んだ理由を尋ねると、
「それぞれの場所のいいとこ取りができるからです(笑)」と、少女のように軽やかに微笑んでこう続けた。
「東京には家族や昔からの友達が住んでいるし、活動拠点でもあります。
ライブやイベントに行きたいとなった時も、真っ先に開催されるのは東京ですし、奄美には映画館が1つしかないうえに最新映画は上映していないので、映画好きの私としては痛いところ(笑)。常に変わり続けている東京からは色々なインスピレーションをもらえますし、最先端のものが体感できて、刺激的なのも楽しい。
でも、私の場合それだけだと疲弊してしまうので、自然の中に身を置く時間も必要なんです。贅沢な話ですけど(笑)」
と、柔らかな表情で語るIMALUさんに、心底幸せだと感じる瞬間を尋ねると、
「きれいな海を見ている時ですね。
これって本当に現実だよね?と、自分のほっぺたをつねりたくなるような感覚というか。
自分が心地よくいられるバランスを考えて暮らし方を選択できる私は、本当に恵まれていると思います。周りの人の理解があってこそですから」
二拠点生活を始めて1年ちょっとが経過し、奄美にも少しずつ友人ができてきた。温かく迎えてくれた奄美の方に恩返しすべく、今後は奄美にとってプラスになるような活動に挑戦していきたいのだという。
実現したいことを形にすべく、新しいプロジェクトの構想を練っていくという彼女の今後の動向に注目したい。
最後に、移住を検討している方に向けて、先輩移住者としてメッセージをお願いすると、
「結論、なんとかなります」と、力強く頷いたあと、こう続けた。
「私自身も、二拠点生活を始める前は不安だらけでした。
二拠点生活を初めて1年以上が経過した今振り返ってみると、何をそんなにビビってたんだろうって(笑)。
ありがたいことにお仕事も続けさせてもらえているし、二拠点生活を始めたからこそいただけたお仕事もあります。
環境や場所を変えることによって新しい出会いがあって、自分の人生が違う方向に転がっていって、新しい自分とも出会えました。
もし今どうすべきか悩んでる方がいたら、とりあえず1回やってみることをおすすめします。
行ってみて合わないということももちろんあると思うので、その時どうすればいいのか考えればいい。
環境が許すのであれば、個人的に二拠点生活は本当におすすめです。自分に合ったライフスタイルを自分で作っていくのは、とても楽しいですよ。
迷われている方はぜひ、行動に移してほしいと思います」
終始穏やかで飾らず、自然体を具現化したような魅力に溢れていた、IMALUさん。
それでいて、穏やかさの中に秘めるエネルギーや、芯の強さも持ち合わせるその様は、まるで青い炎を思わせるようだった。
「肩書き」という荷がずっしりと肩に食い込んで来た時には、その荷をおろす勇気を持つことで自らを解放する。
そんな術を身に着けたIMALUさんは、ますます輝きを放っていくことだろう。
二拠点生活を通じ、自分らしいオンリーワンのライフスタイルを創り上げていくIMALUさんを、心から応援しております。