移住者プロフィール
桑原 佑樹 さん
出身地:群馬県前橋市、前住所:東京都、現住所:群馬県前橋市、職業:いちご農家
目次
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順調すぎるスタート
手元に届いたいちごの箱を開けた瞬間、爽やかな甘い香りがふわっと漂った。大粒ないちごを手のひらに乗せると、どっしりとした重みを感じる。
口の中に入れるとジュワッと瑞々しい果汁が溢れ、程よい酸味とコクのある甘さが口の中いっぱいに広がった。これは桑原いちご農園の「やよいひめ」といういちごだ。
独立してすぐの2020年、桑原さんが作るいちごは「群馬県いちご品評会」で金賞を受賞。その後も銀賞、最高金賞、銅賞と、4年連続で受賞している。
開業から4年目の現在は、最新設備を導入したハウス11棟2,800㎡を、妻、従業員と共に栽培、管理を行う。いちごは2か所の直売店のほか、オンラインや近隣のスーパーで販売している。農園を訪れた客から「ここにあるいちごを全部ください」と言われることもあるほど大人気だ。
「順調すぎる」移住生活を実現していると話す桑原さん。農業未経験から、一体どのようにしてここまでたどり着いたのだろう。
野球、そして就職の失敗 「何をしたいかわからない」
そんな桑原さんが小中学生時代に打ち込んでいたのは、野球だ。
地元の少年野球チームに所属していたが、より高いレベルを求め、週末は往復2時間をかけて埼玉のクラブチームに父と通ったという。全国大会出場の常連のそのチームでは、主力として活躍した。
群馬県内外の名だたる野球エリート高校から、複数の野球推薦入学のオファーを受ける。桑原さんが進学先に選んだのは、甲子園に出場経験のある東京農業大学第二高等学校。後輩には、2023年のWBC準決勝9回に代走で出場した周東佑京選手もいる。
桑原さん:「進学先を農大二高に決めた理由は、将来的に農業がしたかったからではなく、受験をしなくても大学まで進学しやすいからです」
と、少しはにかみながら答えてくれた。
しかし高校3年生の時に東日本大震災が発生。東京電力に勤めていた父も影響を受け、収入も大幅に減ってしまう。桑原さんは家計を助けるために就職することを検討したが、結果は不採用だった。
桑原さん:「本当は、就職して親の助けになれればよかったんですが。そのときはもう自分が何をやりたいかなんて、全然わからなかったですね。どんな仕事につくのか、サラリーマンになりたいのか、会社を経営したいのか…」
社会人であっても、自分の人生や職業はこれで良いのかと、日々悩みながら生活している人は多くいる。むしろ何の迷いもなく、現在の仕事を全うしている人の方が少数派だろう。
ましてや高校生であれば、それは当然のこと。知識や経験がない中でもがきながらも、今の時点でベストだと思えた選択が、東京農業大学への進学だった。
「今すぐうちに入社して」 数々のアルバイトでついた自信
桑原さん:「もともとは大卒のカードを手に入れるために進路を決めたので、大学在学中は農業に触れる機会はほとんどなく、就農することも考えていませんでしたね。
世界の食・農・環境のビジネスを研究する国際バイオビジネス学科に在籍しながら、小料理屋、焼き肉店、古本のチェーン店など、さまざまなアルバイトを経験しました」
古本のチェーン店では、アルバイトでありながら店長代理となって活躍し、シフト管理や人員配置などの責任をともなう仕事も任され、その能力は認められるようになっていた。
新規オープン時の決起会では社長から、
「今すぐ大学を辞めて、うちに入社してほしい」という言葉をかけられるほどに。
当時のことを桑原さんは、こう回顧する。
桑原さん:「高校卒業時に就職で失敗していたので、自分なんか社会に必要ないんだろうなって思っていました。でも社長のその言葉で自信がつきましたね」
その後も、その言葉の真偽を確かめるかのように、個人規模の企業で働いたり、日雇いの仕事をしたりと、アルバイトを通じてさまざまな職業の経験を重ねていく。
「自分は何をやりたいのか」
とても大切なことだが、そのことに真正面から向き合わず就職先を見つける人が多いのも現実だろう。しかし桑原さんはそこから逃げなかった。自分は何がしたいかを、アルバイトでの経験を通じて自分に問いかけ続けた。
炎天下のフィリピンで見つけた農業の魅力
アルバイトに励む生活を送っていた桑原さんが農業の素晴らしさを体感したのは、授業の一環で訪れたフィリピンでの農業体験だった。
桑原さん:「有機野菜の農場に行ったときのことです。ムシムシとした炎天下のなか、現地の農家さんたちと葉物野菜のタネをまいたり、苗を植え付けたり、雑草をとったりと、本当に大変でした。
でもそのあとに併設されたレストランで食べた採れたて野菜には、ただただ感動しました。おいしかったのはもちろんですが、農作物を作って、収穫して、食べるというそのシンプルなことに強く魅力を感じました。それに、新鮮で安全・安心なものをすぐに食べられるという醍醐味も味わいました」
大変な作業をくりかえした後に、実ったものを収穫する。「これって野球といっしょだな」と桑原さんは感じた。
辛い練習を重ねて、最後にホームランを打つ。太陽、汗、笑顔…。フィリピンの農場には、慣れ親しんできた野球に似た景色が広がっていた。
「大卒のカードを手に入れるため」に通った大学でのこの経験は、のちの桑原さんにとって道しるべとなる。
実績と自信と葛藤と
大学在学中、数々のアルバイトで経験を積み、挑んだ就職活動。内定をもらった企業の中から桑原さんが選んだのは、惣菜などを扱う老舗の食品メーカーだった。
おもな仕事は、冷凍惣菜の営業。新しい販売先を見つける仕事だ。
桑原さん:「自分がまず飛び込んだのは街のパン屋さんで、大学いもを小さくした商品『中学いも』を営業してまわりました。
自分で『中学いも』をパンにのせて焼き、それを写真に撮って、『素人でもこんな風に焼けますよ』と提案しました。すると採用してもらえるようになって、今度はその事例写真を持って他の店舗にも紹介したり」
実績を積み重ねていくうちに、桑原さんは自分で開拓することの面白さに気づくようになっていた。同時に自分の力で挑戦してみたいという気持ちも芽生えていく。
じつは、採用時に会長から言われた言葉があった。
「君はおもしろい経営者になりそうだ」
桑原さんは役員や上司からも一目置かれる存在となり、早くも採用などの仕事に携われるようになっていた。しかし「この会社で経営に携わることが自分のやりたいことなのだろうか…」と葛藤を抱えることが増えていく。
そしてすべてがつながった
営業を続けるなか、桑原さんはあることに気づいたという。
桑原さん:「契約農家から仕入れたホウレン草や小松菜は、採ってすぐに加工して商品化するため、輸入食材を使った商品に比べて、圧倒的に鮮度がよい。だから価格は高いのに、お客さんに紹介したときの反応がすごくよかったのです」
鮮度がよく、質も高ければ、値段が高くても売れる。しかし、6次産業のルートに乗ってしまうと利益は限られる。
自分で農作物を作って自分で販売すれば、頑張った分だけ収益をあげられるのではないか。
高齢化が進み、後継者不足が深刻な農業だけど、体力があって若い自分だからこそチャンスがある。
野球で鍛えた心身、アルバイトや営業で得た自信、新たなチャレンジへの渇望、フィリピンの農場で得た感動。
就職して1年が経った頃、これらすべてがひとつにつながり、就農の決断に至った。
上司にそのことを告げると「あと1年やってみて。それでも辞めたければ辞めてもいい」と引き留められ、ひとまず会社に残ることにした。
会社員2年目は、平日は出社し、週末になると群馬に帰省し、農作業を手伝う日々を送る。
桑原さん:「情報収集をしては就農後のシミュレーションをしたり、通勤もそれまでより1時間早く家を出て本を読んだりと、農業の勉強を重ねました」
新規就農を考えるにあたり、どの作物を栽培するかは重要なポイントだ。
いちごは栽培期間が長く、害虫被害や病気にあいやすいうえ、天候の変化にも影響を受けやすい。就農未経験者にはとても難しいといわれているが、一体なぜ、いちごに決めたのだろうか。
桑原さん:「はじめはナスを作ろうと思っていたんです。でも味を付けて食べるナスは生産者による差を感じにくい。その点、食材そのものを味わういちごは、おいしければお客さんにも褒めてもらえます。栽培は難しそうだけど、その分やりがいもあるし、自分には合っていると思いました」
いちご栽培には多額の初期投資が必要だと言われる。借金を抱えることになるが、決断に迷うことはなかったという。まずは自分の気持ちに耳を傾け、情報収集や研究を怠らず、あとは行動に移す。そうすれば結果はついてくる。
そんな生き方を、桑原さんは野球、アルバイト、就職先での経験から学んでいたのかもしれない。
修行のち、最高のスタート
就農を決めた桑原さんに、迷いはなかった。2年間の会社員生活に終止符を打ち、食品メーカーを退職して群馬県にUターン。実家に拠点を置き、農林水産省が交付する「農業次世代人材投資資金」を利用して生計を立てながら、県の職員に紹介してもらった県内随一のいちご農家「松井ファーム」での修業をスタートさせた。
そこで学んだのは最新設備を利用した栽培方法だ。ハウス内の温度や湿度、いちごに与える水の量などをコンピューターで管理し、常に適切な環境を保つことができる。
害虫を食べる益虫(天敵)を放ち、できるだけ農薬に頼らずにいちごを栽培する天敵農法も学んだ。師匠の松井さんは、栽培技術や経営のノウハウを惜しげもなく伝授してくれたという。
桑原さん:「一般的にいちごは丸い屋根のパイプハウスで栽培しますが、松井さんは角屋根のハウスを薦めてくれました。ただし費用は約3倍、だいたい3,000万円くらいかかります。
融資を受ける際も『本当にその設備が必要なのか』と聞かれました。それでも松井さんは、いずれ人手が足りなくなることを見越して、『ある程度の作業は自動でできる角屋根のハウスがいい』と、アドバイスしてくれました」
開業に必要なコストは、当面の運転資金や商品発送用の段ボール代など想像以上だ。少しでも資金を貯めようと、朝5時から午後まで松井ファームで修行した後は、疲れた身体にムチを打って、夜8時まで商業施設の靴屋でアルバイトに励んだという。
こうして1年間の修行期間を終え、2019年に自身の農園をオープンし、群馬県特産のいちご「やよいひめ」の栽培をスタートさせた。
桑原さんは、おいしいいちご作りに欠かせない良質な土をつくるため、資材は県外まで買い付けにいったり、海外から取り寄せたりもする。「そこまでやるか」というほど、こだわって作るのだとか。
師匠から伝授してもらった栽培技術を生かし、努力を重ねて丹念に作り上げた「やよいひめ」。その出来栄えは受賞歴が実証している。
桑原さん:「プレッシャーも当然あります。でも師匠が自分以上に喜んでくれる姿をみると、恩返しができたかな、と思います」
会社に引き留められながらも、退職して挑んだUターンと就農。そして育てたいちごは4年連続で受賞。
私生活では、アルバイト先の靴店で出会った女性と結婚し、就農の当初からいちご農園を共に作り上げてきた。2022年には第一子も誕生し、絵に描いたような幸せな生活を送っている。
成功の秘訣はどこにあるのだろう。
桑原さん:「会社員をしていた2年間、それと学生時代のアルバイトの経験は大きいですね。そこで販売方法や接客を学んだことで、お客さんによりよいモノやサービスを提供しようという視点が持てたと思います。あとは野球ですかね。体力面、精神面でも鍛えられたし、大きな声で挨拶もできるようになった。やってきたことすべてが、プラスにつながっていると感じています」
「苦労」を「苦労」のまま終わらせず、「苦労」を「努力」に変換する。
その意図があったかどうかはわからない。
ただ言えるのは、桑原さんには気負いのないポジティブさと、やりたいことに没頭する素直さが満ちあふれていた。
移住でつかんだ“好きなことができる”幸せ
桑原さん:「20年後、30年後は、群馬県内で一番のいちご農家になっていたい。自分の作ったいちごが地元に愛されるのはもちろん、県外にもファンも作って、観光のひとつになればいいなと。前橋を元気にしたいですね」
そう語る桑原さんは、「移住によって人生が豊かになった」という。
桑原さん:「『地元に帰ったら負け』という人がいますが、かくいう私も移住する前は東京にいることに、どこか優越感のようなものを抱いていたかもしれません。でもそれは違いました。群馬に戻ってきて人生が豊かになった。『地元に帰ったら負け』、ではないです。
就農して1年目、2年目は大変なことも多かったです。植えたばかりのいちごの苗が台風の被害にあい、畑がぐちゃぐちゃになって『これはもうだめだ…』って思ったこともありましたね。
でも昼食もとらずに朝から晩まで復旧作業を頑張っていたら、なんか幸せを感じたんですよね。だって自分がやりたいことだから。やりたいことに取り組めるって、幸せです」
と、まるで少年のようにはじける笑顔をみせてくれた。
成功や豊かさを手に入れるための近道はないが、より幸せな方に通じる「分かれ道」はある。
「自分の気持ちに忠実でいたい」と語る桑原さんが選んだ「移住」という行き先は、本人自身が「正解」へと導いているのだろう。