移住者プロフィール
楳澤(うめざわ) しのぶさん
移住時期
2018年
利用した支援制度
中山間地域移住起業マルシェ事業
出身地:山口県周南市鹿野、前住所:福岡県、現住所:山口県周南市鹿野、職業:パン屋「子たぬきのパン」店主
目次
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ご出身はどちらですか?
楳澤(うめざわ)しのぶさん(以下、楳澤):山口県周南市鹿野(かの)です。
Uターン移住される前はどちらにいらしたのですか?
楳澤:福岡県です。調理の専門学校に入るタイミングで、山口県を出ました。 当時は、「鹿野には何もない」と思っていました。街へ行くにも遠くて不便だし、やっぱり都会への憧れもありましたね。
専門学校を卒業した後も、福岡県で飲食関係の会社に就職して、結婚、出産も経験しました。同じく料理人の夫と2人で、カレー屋を10年間営んでいました。
Uターン移住を決めたきっかけを教えてください
楳澤:いろいろなことが繋がったのですが、決定打は「小麦粉との出会い」です。 福岡で営んでいたカレー屋は、お陰様で繁盛していたのですが、一方で凄く忙しくて。
自分たちのこだわりも強かったので、休みのない日々でした。疲れも溜まっていったし、「新メニューを作らなきゃ」「経営やお店の回転のことを考えなきゃ」と追われるばかりで、だんだん辛くなっていきました。実際は、食べる相手のことを思いやる余裕などない状況だったのに、お客様から「ありがとう」の言葉をいただくことに、後ろめたさを感じるようにもなりました。
その頃から、「あれ、私もっと美味しいものを知ってるな」と思うようになりました。自分の店で出しているカレーの味には確かに自信があったし、都会は美味しいものや目新しいものがたくさんあって刺激的なのは間違いありません。でも、作ってくれた人のことを考えたり、食べる人を想うような、「気持ちのやりとり」ができていなかったんです。モヤモヤしながら考えていた時、ふと、「私の知っている美味しいものって故郷の食べ物だな」と思い当たったんです。
ちょうどそんな折に、お客様から山口県産の小麦粉「せときらら」を頂きました。試しにパンを焼いてみたら、とても美味しくて。「これだ!」と思いました。本当に、光が見えたような気がしました。 そこから、「鹿野でパン屋をやりたい!」と決めたんです。
「鹿野でパン屋をやりたい」その決意に対して、ご家族の反応はいかがでしたか?
楳澤:鹿野でパン屋を始めることには、反対はありませんでした。昔から、互いのやりたいことが見つかった時には、家族は全力で応援するようにしているんです。 その頃、夫も今後、同じ仕事を続けていくことに不安を感じていたこともあって、思い切ってお店を閉めることにしました。
今回は私の“ソロプロジェクト”としてやりたいという気持ちがあったのと、それぞれの仕事や子どもの学校のことを考えて、私だけ山口県に帰ることに決めました。 夫とはいい距離感ですね。干渉しすぎず、同業種なのでこちらの状況も知っている、「良き理解者」です。
移住するにあたって、利用した制度はありますか?
楳澤:「中山間地域移住起業マルシェ事業」を利用しました。資金面以外にも、バックアップしていただきましたね。山口県や周南市、信用金庫の方とは、創業後もいろいろなご縁をいただきました。
開店3年目に、2階のイートインスペースにギャラリーを併設したのですが、その時は「クラウドファウンディング」を活用しました。資金集めはもちろんですが、ご協力、ご支援をくださった方に、「私が関わった」「私の場所」と思ってもらえるようにしたかったんです。
2018年に「子たぬきのパン」をオープンしたそうですね。お店について教えてください
楳澤:「鹿野の良さを知ってほしい」という想いから始めたお店です。 店舗は、祖父の家を改装しました。この家は昔、自分の土地の木を切って、地元の方々と共に建てたそうなんです。 改装の時も、地元の業者さんや周囲に住んでいる方々と行いました。
私の活動をSNSで知り共感してくださった方も、手伝いに来てくださいました。地元の木材で建てられた家を、地元の人と改装し、地元の食材を使ったパンを売る。建物自体が「地産地消」されていて、お店のコンセプトが詰まっているんです。 「子たぬきのパン」では、できる限り“地元の素材”を使っています。山口県産の小麦粉「せときらら」の他、具材も、鹿野の食材を使っています。
パン作り専用に開発してもらったペレットオーブンの燃料も山口県産です。 “ただパンを売るお店”ではなくて、“鹿野を感じられるパン屋”でありたいと思っています。イートインスペースでは、窓から茶畑や近くの野山の四季の移ろいを見ることができ、川のせせらぎや小鳥の囀りが聞こえてきます。
媒介としてお金は発生しますが、「気持ちのやりとり」を大切にしたいのです。そして、買って帰ったパンを誰かにあげたり、一緒に食べたりして、鹿野の魅力を知る人が広がっていったらいいなと思っています。
今後の展望を教えてください
楳澤:これから少しずつ体力がなくなっていくと思うので、肉体労働はそこそこに、価値を見出せる仕事をしていきたいです。ひとつには、2階のギャラリーをもっと活用していくことですね。あとは、本を書くとか、フリースクールを創るとか。いろいろ考えています。
余裕があるからこそ心も豊かに生活できると思うので、そこそこお金は稼いでおきたいですね。でもあまり無理はせず、「頑張りすぎないことを頑張りたい」です。