移住者プロフィール
弘中 元(はじめ)さん
移住時期
2013年
出身地:山口県下関市、前住所:東京都、現住所:山口県下関市、職業:会社員
目次
INDEX
ご出身は下関だそうですね。Uターンされる前のことを教えてください
弘中元さん(以下、弘中):2013年に東京からUターンしてきました。高校を卒業後、上京し、俳優の養成所に入りました。養成所で2年間勉強した後は、アルバイトをしながら芸能プロダクションで演技の勉強をしたり、舞台制作を手伝ったりしていました。
Uターンしようと思われたきっかけを教えてください
弘中:東日本大震災で自分の中の価値観が大きく変わり、それが下関に帰るきっかけのひとつになりました。東京もしばらくは揺れていていることが多かったので、少し「地震酔い」のような症状も出てしまって。
それもあって、地元に帰ってゆっくり過ごすのもいいのではと思い、戻って来ました。
その後、体調はいかがですか?
弘中:下関に戻ってからは、派遣社員として工場勤務をしておりましたが、そこで取り扱う原料が合わなく、肌が真っ赤になってしまいました。
それで、派遣の仕事も約1年で辞めざるを得なくなるなんてこともありましたが、おかげさまで、現在は全く問題なく過ごせています。
今はどのようなお仕事をされているのですか?
弘中:下関商業開発株式会社の営業部販促課で、館内の販促イベントに関わる仕事や広告制作等の担当をしています。たまたまハローワークで求人を見つけまして、ダメ元で応募をしてみたところ、採用ということになりました。
山口県の「緊急雇用対策創出事業」としての募集でしたので、最初の1年間は雇用は山口県で、勤務先は下関商業発株式会社いうかたちでした。2015年10月からは、下関商業発株式会社の正社員として働いています。また、「エキマチ下関推進協議会」の事務局の仕事もしています。
この協議会は、新しくなった下関駅周辺を「エキマチ」と名付け、エキマチに来た人たちが、街を歩けることを楽しめるエリアにしたいという願いを込めて、2014年4月に、下関駅周辺の事業者によって設立されました。
下関駅前が、買い物をする場所だけでなく、何かをするために来る場所、人に会いに来る場所として機能し、“人が自然に集うスペース”になれるようお手伝いをしていけたらと思っています。
どんなところに仕事のやりがいを感じますか?
弘中:イベントにご来場くださったお客様の笑顔をみることができたときが、この仕事をやっていて良かったと思う瞬間ですね。また、様々な“コト”を“カタチ”にしていくプロセスにも、やりがいを感じています。広告予算が少ないときなどは、簡単なPOPであれば自分で作ったりもします。
広告代理店でアルバイトをしていた経験が、思わぬ形で役に立っていますね。
時間の過ごし方は変わりましたか?
弘中:東京に比べて、時間がゆっくり流れているように感じます。情報量が少ないから、そう感じるのかもしれませんね。時間を長く感じられるので、ちょっとトクした気分になれます(笑)。休みの日には、北九州の小倉(こくら)まで、サックスを習いに行っています。
毎回1時間、みっちりレッスンを受けています。何かプロフィール欄に書ける趣味や特技を作りたい、という軽い気持ちから始めたサックスですが、すっかりハマってしまいましたね(笑)。
下関市の良さはどこにあると思いますか?
弘中:約20年ぶりに帰ってきたからこその“気づき”ですが、「暮らしやすいまち」だということを実感していますね。住んでいた時は、そのことに全く気がついていませんでした。
下関市は、田舎過ぎないですし、かといって、都会というわけでもありません。その“バランス”が絶妙で、“ちょうどいい”のだと思います。地震や台風などの自然被害のリスクが少ないところも良さとして挙げられると思います。
最後に、今後の目標を教えてください
弘中:ご縁に恵まれ、地元で愛されているショッピングセンターに携わるお仕事が決まりました。自分自身も馴染みのある場所なので、できるだけ多くの人を笑顔にしていけたらと思っています。
出典: https://www.ymg-uji.jp/interview/id_shimonoseki_hironaka.html