移住者プロフィール
本田 広昭さん
移住時期
2020年8月
出身地:北海道恵庭市、前住所:東京都、現住所:長崎県壱岐市、職業:Resort Office「粋」iki代表
目次
INDEX
数ある離島の中でも、壱岐に移住したきっかけはなんですか
本田広昭さん(以下、本田):Resort Officeのロゴである「粋」という文字を書いてくれた、女流書家の宇佐美志都(うさみしづ)さんがきっかけです。宇佐美さんは北九州で100年続くお醤油屋さんの4代目の社長です。
そこのお醤油と、壱岐のウニを使った雲丹醤油が出来たときに頂き「壱岐って綺麗ですごく良いところだから、一度遊びに来てください!」という話になりました。
来てみたらすごく良いところだし、ちょうど移住も考えていたので、迷いなく「ここにしよう!」とすぐに決めました。
2020年2月に初めて来島し、不動産や市役所で移住相談をしました。それでこの売り地を見に来て、その場ですぐ契約しました。
トレーラーハウスに住むと決めていたし、そんなに頻繁には来島できないから、その時に浄化槽を埋めて、電気と水道を引くところまでお願いをして東京に帰りました。
初めて壱岐に来た時の感想は?
本田:とにかく道路がきれいに整備されていると感心しました。道路が整備されているということはインフラも整備されているということ。
さらにコンパクトな島であり、海はきれいで気に入っちゃいました。海の近くで生活をしてみたかったということもあり、パパパッと決まりました。
現役時代にできなかった「動物を飼う」「野菜を作る」という夢も実現しました。そういう生活をしてみて実際楽しいですね。
白くてふわふわな、みみ
オッドアイズのしろ
「実りの島、壱岐」と言われていますが、壱岐のこれが美味しい!好き!という食べ物はありますか?
本田:実はね、野菜でも魚でも北海道とほとんど似ているんです。でも自分で作ったものは一番おいしいですね。
あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
本田:「宝の島」。ここは第5の人生だと思っています。第1は恵庭市で生まれ育った幼年期・少年期。第2は学習、学びの時期。第3は会社を創立し、商売を始めた時。
第4は研究活動をした時。第5の今は「自然人」を目指して、巷の流行に影響されずに静かに過ごす。ただ移住してすぐ台風に猛威を振るわれ「これが自然か」と驚きました。
老後は静かに暮らそうと思っていたんだけど、「伝統を今の形に」というテーマで研究をしていたから、直感的に壱岐の歴史ロマン、神楽や神社の神秘性が「壱岐の宝」だと思い、活動を始めました。
氏子(人口)減少下の神社運営は、そのままお神楽の衰退に直結し、重要無形民俗文化財の伝承の危機を直感しました。
氏神様を支える地縁の氏子さんに加えて、崇敬者(ファンクラブ的な)も参画できる仕組みの研究や、壱岐神楽の見える化(観光資源創造)政策として歴史ロマンに包まれる内海湾に伝承館を作れたらと考えています。