移住者プロフィール
今井 宏明さん
前住所:愛知県名古屋市、現住所:富山県砺波市、現住所:彫刻師
目次
INDEX
移住のきっかけを教えてください
今井 宏明さん(以下、今井):以前は名古屋のデザイン会社に勤め、チームでものづくりをしていました。25歳の時から「最初から最後まで自分1人でものを作ってみたい。手に職を付けたい」と強く思うようになりました。
そんな時、井波には井波彫刻のための最高の技術と環境が整っているということを知り、手に職をつけるなら井波彫刻だと思ったんです。
すぐに会社を辞め、片っ端から工房をめぐり親方探しをしました。親方に出会えたのは、”これが最後”と井波を訪れた時です。親方がちょうど弟子を探していて、親方の家に住み込んで下積み生活を始めることになりました。
また、入門と同時に全国唯一、木彫刻だけを学べる「井波木彫刻工芸高等職業訓練校」に入学しました。以後、親方のもとで5年間働いた後、彫刻師として独り立ちしました。今から思えば、僕の父は工務店勤めで、家には木材や道具がありました。小さい頃から、そういうものに触れていたことも、今の道を選んだことに影響しているのかもしれません。
独り立ちの際、物件選びはどうでしたか?
今井:移住し、住居兼工房は砺波にあります。今の住居兼工房は、かつて建設会社の社員寮として使われていました。工房の床は、もともと畳でしたが、フローリングに張り替えました。古くても自由にできる家を望んでいたので、希望にピッタリでした。
家賃は毎月1万円と安いのですが、古い建物なので、外壁や換気扇の設置など細かいところを少しずつリフォームしながら暮らしています。
約250年の歴史を持つ「井波彫刻」はどのようなお仕事ですか?
今井:仕事では、天神様をはじめ、仏像、表札、小物入れ、ipadケースなどいろいろなものを作っています。今度はお釈迦様を彫ります。どの仕事も気は抜けませんが、仏像のように顔があると緊張感がより増します。
2013年には、クラフトコンペにユニークなデザインの椅子を出品し、入選することができました。
移住先に砺波を選んだ理由は?
今井:作品を完成させるには、塗師の方や木材屋さん、建具屋さんなど地元の職人さんの力が必要です。そのような職人さんが揃っていた場所が、砺波でした。
地元との繋がりから活動の幅は広がりましたか?
今井:2013年には、友人からの誘いで、砺波市の青年サークル「となみ元気道場」に加入しました。となみ元気道場では、砺波と南砺の両市境にある閑乗寺公園で、夕陽と散居村を眺めて寛ぐイベント「CHILL OUT IN KANJOJI」を開催するなど、砺波市を元気にする企画の数々を実施しています。
となみ元気道場のメンバーになったことで付き合いが広がり、友人が増えました。町内の青年部との付き合いも生まれ、地元の行事にも参加しています。庄川観光祭では夜高行燈(よたかあんどん ※注1)を作るために、砺波や津沢など周辺の夜高を全部見ました。製作期間中は、日中から公民館に行って作っていましたね。
1年のうち、半分が行事を占めているような状態ですが、そのつながりで獅子頭の新調や修理を依頼されるなど、仕事にも活かされています。実は、イベントなどで曲をかけるDJの活動もしています。DJは、会社員時代に始めました。
閑乗寺公園のイベントでDJをしていた時、富山で活躍しているDJの方々と出会ったのがきっかけで、富山を拠点に活動している「みんなのロックDJナイト」というグループに入りました。今は、富山市にあるクラブ「MAIRO」でDJをしています。この活動もずっと続けていきたいですね。
(※注1)「夜高行燈」とは、木材や和紙で出来た美しい行燈山車のこと。
最後に、砺波へ移住をお考えの方へメッセージをお願いします
今井:彫刻は、自分の仕事だけでは完成しない部分があります。もともとは1人ですべてを完結させたいと思って彫刻師を目指しましたが、実際は周囲の人たちの力を得られないと何も生み出せません。
ここには、材料屋さん、建具屋さん、漆塗りの職人さん、桐箱屋さんが集まっていて総合的に環境が整っています。また、自然が豊かで時間の流れもゆったりと感じられ、人がのびのびと暮らしています。
砺波は自然が厳しいからか、みんな体が強いなと思います。弟子の中には、冬や梅雨に体調を崩し少しの間だけ実家に帰る人もいますが、砺波の人は暑さにも寒さにも梅雨にも強いですね。なので、どこに行っても適応できると思います。