移住者プロフィール
宝槻 泰伸さん
移住時期
2020年3月
出身地:東京都三鷹市、現住所:長野県軽井沢町、職業:学習塾「探究学舎」代表
目次
INDEX
きっかけは妻。自然豊かな土地での田舎暮らしを求めて軽井沢へ
文部科学省は2022年度より、高校の授業で「総合的な探究の時間」を新たに実施することを決定した。この”探究”というキーワードは、昨今の教育業界や子育て界隈で大変注目されている言葉のひとつだ。
“非認知能力”、“アクティブラーニング”、“プログラミング的思考”……。
今、子どもたちに求められている力は「机に座って授業を受ける」といった、これまでの学習スタイルだけでは育むことが難しくなっている。子どもが本能的に持っているであろう「知りたい!」という“知的好奇心”や“探究心”をいかに引き出すか。ここに重点をおいた教育や子育ての必要性が高まっている。
「子どもたちの探究心に火をつけたい」
そんな想いから、2012年に東京都三鷹市で「探究学舎」を設立した宝槻泰伸さんは、まさに「探究学習」のパイオニアといっても過言ではないだろう。
探究学舎の名物講師であり代表取締役という一面だけでなく、型破りな父親の教育を受けてきた背景や5児の父親としてのあり方など、あらゆる側面にスポットがあたり各メディアからひっぱりだこの宝槻さん。
コロナ禍で世界中が混乱していた2020年3月、一家で軽井沢に移住したことも話題を呼んだ。
マイナスをプラスに変えるかのごとく、居住・仕事・子育てにおいて新たな可能性を引き出した軽井沢移住。そのきっかけについて話を聞いた。
「移住のきっかけは大きく2つあって、1つは妻が田舎暮らしを始めたいと思っていたことです。東京での慌ただしい生活に疲れてきて、自然に囲まれながらのんびり過ごしたいと感じ始めていました。そしてもう1つは「軽井沢風越学園」という学校の存在です。既存の学校のあり方とは全く違う校風が、わが子たちにとって魅力的じゃないかと、妻の思いから受験を決めました。わが家の軽井沢移住のきっかけは全部妻発信でした」
都心との好アクセスを叶えながら自然に囲まれた生活が実現する場所
災害やコロナ禍のような感染症など困難に直面し、自分の生活のあり方を見直す家庭も多い。特に都心に住んでいると、便利さゆえの窮屈さに疲弊することも少なくない。
「緑のある場所で落ち着いて生活したい」そう思うのは人間の本能かもしれない。
「これまで旅行などで訪れた経験から、夫婦間で『軽井沢いいよね』という共通ルールはありました。軽井沢は東京都のアクセスも良いですし、仕事をする上でも問題ない。そこに風越学園開校のタイミングも重なって、移住先として軽井沢の比重が大きくなっていきました」
仕事をしながら、未就学児も含め5人のお子さんを育てる宝槻夫妻。物件探しなど移住の準備はさぞかし大変そうだが、実際どうだったのだろうか。
「物件探しなども妻メインで動いてくれていたのですが、学校見学や面接のために3回軽井沢に行くなかで物件も決まっていきました。不動産屋さんに相談していましたが、その時点で空き物件がほとんどない状態だったので、とんとん拍子に移住への準備は進みましたね」
人気リゾート地で暮らすということ
日本屈指の高原リゾート地である軽井沢町。全国で有数の避暑地・別荘地として大変人気があり、ハイシーズンには毎年多くの人が訪れる。
浅間山麓の麓にある軽井沢町では、春から夏にかけては新緑豊かな美しい光景が広がり、秋には紅葉、そして冬には幻想的な銀世界へと変化し、四季折々で多様な表情を見せる。
ゴルフやスキー、テニスなどのスポーツアクティビティはもちろん、自然豊かなフィールドでキャンプやハイキングといったアウトドアも楽しむことができる。都心から1時間ちょっとでアクセスできるJR軽井沢駅前には広大なアウトレットモールが広がり、温泉地帯でもあるので近辺には温浴施設も多い。
そんな魅力的な軽井沢町だが、観光地に住むことによるデメリットを懸念する人もいるだろう。実際のところは、観光客の動向に合わせて上手に暮らしているのだそうだ。また、自然がもたらす時間の流れに合わせた生活を送れるようになったと言う。
「お盆やお正月などいわゆるハイシーズンは渋滞が起きるので、住民たちはステイホームをすることが多いそうですが、この2年間はそういうこともほとんどありませんでした。今のところは、観光地ならではのデメリットを感じていないですね。
生活に必要な環境は大体揃っているので、不便さもありません。リモートワークが普及した今、都会である必要はないんじゃないかなと感じるほどですね。でも、東京都の違いをひとつ挙げると、飲み屋街がないということくらいかな。どのお店も23時には営業が終了するので、夜は本当に静かですね。飲みに行く機会も減ったので、時間の使い方も変わりました」
ゆったりとした時が流れる軽井沢。東京ではできなかった家族との過ごし方
軽井沢町に移り住んでから、時間の使い方が変わったと言う宝槻さん。それは私生活の面だけでなく、仕事にも良い影響があるようだ。
気が向いたらすぐに温泉に浸かることができ、焚き火やBBQを気軽に楽しめる自然豊かな環境ではゆったりとした時が流れ、仕事のアイディアが浮かぶこともよくあるのだとか。
軽井沢町での充実した生活を送る宝槻さんだが、移住を考え始めた当初はあまり乗り気ではなかった。やはり三鷹にあるオフィスとの距離を考えると、金銭的・時間的コストにたいして懸念が残ったのだそう。
しかし、コロナ禍によりリモートワークが普及してから状況は一変したと言う。
「移住を決めた頃に、ちょうどコロナ禍の影響でリモートワークが習慣化されるようになりました。探究学舎の授業もオンラインへ移行していったこともあり、移住による働き方の懸念みたいなものはなくなりました。今日のような取材や、銀行のやりとりなど、基本的にオンラインで解決することが多いので、働く上で困ることはないですね」
現在では軽井沢にオンライン授業配信用のスタジオをつくり、そこから全国各地にいる子どもたちとつながっている。
わが子の学びに楽しく関わることが最大の喜び
忙しなく時が過ぎる東京にいる頃に比べると、家族との過ごし方にも大きな変化があったという宝槻さん。夫婦で対話する時間が増えたことや、5人の子どもたちとの関わりが増えたことに大きな喜びを感じているのだそう。
「移住してからは子どもと一緒に過ごす時間が格段に増えました。特に、子どもの学びに付き合う時間が増えたことがすごくうれしいことですね。
ことわざや四字熟語を覚えられるようにクイズを出したり、ゲーム感覚で楽しく学べる工夫したり、子どもの家庭学習に関わる時間を大事にしています。
また、自然がすぐそこにある環境なので、キャンプやBBQ、焚き火を子どもと一緒に楽しむことが多くなりました。東京にいると、アウトドアはレジャーなのである程度気合いが必要ですけど、軽井沢は思い立ったらすぐ自然の中に遊びに行けるので、子どもたちもすごく満足しています」
より良い学びを求めて。教育移住がもたらすものとは
子どもの教育環境をより良くしたいという想いから、移住を決める家庭が増えている。メディアでも“教育移住”という言葉を良く見かけるようになった昨今、新しいかたちの学校が新設が相次いでいる。
軽井沢町には、幼稚園と私立の義務教育一貫校が一体となった混在校「軽井沢風越学園」が2019年10月に開校。全寮制のインターナショナルスクール「UWC ISAK Japan」も同じく軽井沢町にある。
近隣の長野県佐久穂町には日本唯一のイエナプラン認定校「大日向小学校」2019年4月に開校。2022年4月には「大日向中学校」も開校した。県内だけでなく、県外からもより良い学びを求めて毎年多くの入学希望者が受験している状況だ。
異年齢が交じり合う「風越学園」の多様な学び
宝槻家の子どもたちが通うのは、軽井沢風越学園だ。軽井沢風越公園近くにあり、その敷地面積はなんと約2.2万坪。広大な自然が広がり、まさに「森の中の学校」という言葉がぴったりだ。
「自由に生きる」ことを大切にしている軽井沢風越学園では、3歳から15歳までが同じ空間で時を過ごす。異年齢同士が関わり合いながら、自然豊かなフィールドを活かした探究型の学びに勤しむのだ。
従来型の学校教育とは一線を画す学びのあり方に魅力を感じ、宝槻家も入学を決めたそう。
「風越学園の子どもたちは、自分らしくのびのびと過ごしていますね。学校の先生と生徒の関係が上下関係ではなく、かなりフラットです。指示することもほとんどないですし、生徒は先生たちのことをニックネームで呼んでいます。異学年同士の交流も多いですし、学園全体にフラットな空気が流れています。
風越学園に通うようになってから、子どもたちは学校がとても好きになりました。東京にいる時は長女の登校渋りがあり、それがきっかけで風越学園が候補に上がったのですが、今はすごく楽しそうに通っていますね。
学園のあり方というのも大きな要因だと思いますが、学校が森の中にあるような感じなので『学校に行く』というより、『遊びに行く』ような感覚があるのかもしれません」
自然豊かな環境で多様な体験を積み重ねることは、子どもの成長にどれだけ良い影響を与えるのだろうか。のびのびとありのままの姿で貴重な子ども時代を過ごすことは、人生を支えるような大きな財産となるに違いない。
生き方が多様化する今。わが子がより良く生きるために親が大切にしたいこと
リモートワークが習慣化された今、住む場所や働く場所という制約が少なくなっている。同時に、子どもを取り巻く環境にも変化が生まれてきている。
コロナ禍以前は対面授業がメインだった探究学舎も、今ではオンライン授業がメインとなり、遠方で通塾が困難だった子どもたちにもチャンスが広がった。
“教育移住”という考え方が広がるにつれ、既存の教育にとらわれずに「わが子にとって何が必要か」を考える家庭も増えている。それぞれの家庭ごとに、できること・できないことが異なるなかで、今の教育・子育て環境が適切なのか心配に感じている親も少なくないだろう。
実際に教育移住をした宝槻さんに教育者として、悩める親へのメッセージをもらった。
「これまでの日本社会から仕事のあり方がどんどん変化しています。会社に勤めてサラリーをもらう働き方が全員にとって当たり前じゃなくなってきていると思うんですよね。これからの若者たちには今までにないような取り組みをしたり、仕事を掛け持ちしたりするようになるでしょう。
そうなった時、大人たちの過去の経験や常識で子どもたちの未来を推し量ることは難しくなります。『学校の勉強ができて、偏差値の高い大学に行く』という親が想像する“優等生”であることが、必ずしも将来の安泰につながるわけではありません。
親目線での「将来安泰」でなければ不安と感じる必要もなくなると思います。これまでの常識を手放して、子どものありのままを見つめていくことが、親として大事になってくるんじゃないかな。
学校の勉強が苦手でも、進学校に通う選択肢をとらなくても、不安に思う必要はないです。その子自身が持つ個性だったり得意なことをしっかりと見定めてあげて、未来を切り開いていくために様々な選択肢を一緒に模索する時代だと思います」
最後に、宝槻さんが考える“人生の豊かさ”を伺うと、こんな答えがあった。
「人生の幸せっていうのは究極的な人の価値観なので、何が正解とは言いづらいですけど、実際好きなことをやって稼いでいる人って周りにたくさんいるんですよね。稼ぎのためにやりたくないことを無理やりやるのではなく、自分のやりたいことをやることが幸せなんじゃないかな。そのために、自分の良い面や得意なこと、やりたいことを見つけて突き進む姿勢が大事だと思います」
探究学舎の教室を全国各地に広げ、「探究する文化」を広げたい
宝槻さんに今後の展望について伺うと、
「47都道府県、全国各地に“通える教室”を作りたいですね。もっと言うと世界中に。探究学舎で親子の姿を見ていると、子どもたちや親たちが育っていく時に“コミュニティ”の存在がすごくプラスに作用することがわかってきました。
オンラインで学びを届けることはできていますが、オンラインだけではそのコミュニティを育みづらい面もあります。だから、全国各地に拠点となるような教室を作って、オンラインでつながっている親子同士や講師とのリアルな関わりを持てるようになるといいなと思っています。そうすることで、もっと子どもたちや親たちが自分の好きなことや知りたいことを探究する文化がより確実に浸透していくと考えています」
「学びの多様化」が進む今、これまでの常識にとらわれず教育や子育てへの考え方を常にアップデートしていく必要がありそうだ。子どもたち一人ひとりの得意不得意が異なれば、必要な教育や環境が異なるのも至極当然のことかもしれない。
親ができることは、わが子をしっかりと見つめ、わが子の声をよく聞くこと。今後ますます「教育移住」という選択肢が広がっていくのではないだろうか。