移住者プロフィール
石川 貴也さん
移住時期
2020年4月
出身地:愛知県、前住所:東京都、現住所:愛知県大治町、職業:側島製罐(そばじませいかん)
目次
INDEX
大学卒業後、金融の世界へ
「家の引き出しを開けると、そこにはいつも、たくさんのカンが入っていました。思い返してみれば、いつも身の回りにカンがありましたね」
そう語るのは、愛知県にある明治創業の老舗製缶メーカー、「側島製罐(そばじませいかん)」の6代目承継を予定している、石川貴也さん。
お父様の会社でつくられたカンを幼少期から手に取り、家業の存在を言葉通り、“肌”で感じてきたという。
家で仕事の話をすることはほとんどなかったお父様からは、「継いでほしい」という直接的な言葉掛けは一度もなかったものの、就職活動開始当初は、“家業に入る”ことを見越した仕事選びを無意識下で考えていたのだとか。
しかし、いざ就職活動の荒波に揉まれるとその心境には変化が訪れ、「苦労して内定に漕ぎ着けた会社を、家業のために手放すのはもったいない。骨を埋める覚悟で働きたい」という想いが芽生え始める。
家業の存在がどこか頭をよぎりつつも、大学卒業後は、金融の世界へと歩を進めた。毎日辞めたいと思うほど仕事は厳しかったというが、“石にかじりついても”の精神でがむしゃらに働き続けると、やがて、仕事にやりがいと喜びを感じられる、新たな境地に辿り着いたという。
地域社会を支えるため身を粉にして働く日々は、充実以外の何ものでもなかったが、その一方で、“キャリアアップすることが正義”というプレッシャーを抱きながら、眠らない街・東京での暮らしを続けることに、どこか徒労感を感じている自分もいたという。そんな時いつも、ふと頭をよぎるのは、家業のことだった。
「仕事を通じて地域の中小企業の支援をたくさんしてきたにも関わらず、親の会社に対しては、何もしていないな」
そんな葛藤を打ち消すかのように、日々の忙しさは彼を忙殺していき、時は流れて行った。
心のどこかに静かに鎮座していた家業の存在
石川さんに転機が訪れたのは、入社9年目のことだった。家業を切り盛りしているお父様が体調を崩したのだ。
「父親が体調を崩した時に、僕が大学に通うことができたのも、いい企業で働くことができているのも、“うちの会社で働いてきてくれた社員たちのおかげではないか”と、気がついたんです。前職の仕事も大好きでしたので、ものすごく悩みましたが、その人たちが待ってくれているのに帰らない決断はできないと思い、愛知県に戻る決心をしました」
こうして石川さんは家業と向き合う決心を固め、2020年4月、フィンランド人の奥様と共に、故郷・愛知県の地に舞い戻った。
A4サイズの紙5枚にものぼった「念書」
お父様が70歳を迎える2023年の承継を目指すにあたって、まず実行に移したこと。それは、父と子の“念書”の取り交わしであった。
前職での経験から、事業承継の失敗の一番の原因が、親や既存社員との“軋轢”にあることを認識していたという石川さん。
“親子だからこそ明文化することに意義がある”との想いから作成された「念書」は、実に、A4サイズの紙5枚にものぼったという。
「『新しいことに挑戦することに対して、頭ごなしに反対しないでください』、『お酒を価値観に持ち出すことはしないでください』、『他人の仕事やキャリアを否定しないでください』など、思いの丈を綴って渡しました。父は、『そういうやり方をして、うまく行かずに潰れて行った会社はいっぱいあったぞ』なんて言いながらも、渋々了承してくれました。約束通り、反対することもなく頑張って理解してくれようとしています」
厳しい船出
ゼロスタートを切る覚悟で入社を果たした石川さんに、洗礼とばかりにすぐさま難題は降りかかった。
社内の雰囲気は到底良いものとは言えず、皆どこか距離感があり、よそよそしい雰囲気さえ漂っていた。前職では当たり前に交わされてきた、「ありがとう」「お疲れさま」の言葉掛けはおろか、挨拶をしても返事すらない場面もあり、顔を見てコミュニケーションを取ることも叶わない状況であったという。
次々に目に飛び込んでくる社員たちの暗い顔を目の当たりにした彼の胸中は、どのようなものだったのであろうか。
「彼らは、自分がちゃらんぽらんしながら遊んでいた時代も、ずっと会社を支えてきてくれた人たちです。だから、“どうすればメンバー全員が幸せに働くことができるのか”を考えることは、自分の責任であって、恩返しにもなるのではないかと考えました。それができるのは、自分しかいないですから」
前途多難の船出を強いられることとなったが、取り組むべき“最重要タスク”が明確となり、舵を切る方向が定まった瞬間でもあった。
原点回帰
家業に関わってこなかった跡継ぎの突然の帰還だけでも面を食らう状況だが、それに加え、今までのやり方を根こそぎ変えようとする、いわば「改革」とも言えるような動向があれば、既存社員たちに混乱や反発が生じるのも当然のことだろう。
“雰囲気”というものは、人と人とが関わりを持つことで初めて醸成されるもので、どちらか一方の想いだけで変えられるものではない。社員一人一人が“当事者意識”を持ち、課題を共有した上で、同じ方向を向く“一体感”こそが、良い雰囲気の醸成には欠かせないものだ。
そんな難題に取り組むべく、石川さんは3つの戦略を定め、丁寧に実践して行く。
【石川さんが掲げた3つの戦略】(自身が綴る「note」より抜粋)
- コミュニケーションの率先垂範
- 全員と笑顔で元気よく挨拶する
- すれ違ったら一言必ず話す
- 帰りには必ず“お疲れ様”を言う
- 週末には「一週間お疲れ様でした」
- 出張に行く人には「気をつけてね!」
- 残業している人には「遅くまでありがとう」
- “褒める“の言語化と見える化
- 当事者意識の浸透
まずは、一人ひとりと対話可能な会社の規模感を活かし、メンバー全員と丁寧にコミュニケーションを取るという、原点に立ち返った。
「うちの会社で働いてくれている社員皆のことが大好きなので、“一緒に働けることを誇りに思っている”ということをきちんと言語化して、日々の会話の中で伝えていくことが大事だと考えました」
自ら率先して気持ちを発信し続けることに注力した結果、彼の想いは、少しずつだが確実に届き、徐々に社内の雰囲気に変化が訪れる。
挨拶一つでも幸福度は高まる
石川さんが掲げた3つの戦略にフォーカスしてみると、「挨拶」「対話」「言語化」など、“コミュニケーション”に重きをおいていることがよくわかる。「挨拶や笑顔のやりとりを大事にしている」という彼の価値観は、世界中を旅した経験から得たものなのだという。
「世界6大陸70か国ほどを回りました。世界中を旅していると、“何を幸せと感じるかは人それぞれ“だと、改めて感じることができます。カンボジアの田舎に行った時、掘っ建て小屋で暮らす家族に出会ったんですが、インフラが全く整っていないところでも、とにかく皆が楽しそうにイキイキと暮らしているのが印象的でした。ちょっと目が合っただけでも笑いかけてくれるし、気さくに話しかけてもくれる。挨拶一つでこんなにも幸福感が高まるんだな、と、強く感じましたね。世界を旅した経験が、価値観の多様性に対する僕の理解を、さらに深めたのだと思います」
様々な国のカルチャーに触れることは、自身の“価値観のチューニング”になり、豊かさの本質を見つめ直す、またとない機会になるのだという。
スポーツや音楽と同様に、「笑顔」は国境や言葉を越える。
そこに「お互いを知ろうと思う気持ち」が加われば、人と人とのコミュニケーションが成立することを、石川さんは経験から知っているのだ。
そんな彼だからこそ、既存社員との世代や立場を越えた「心」のやりとりを積み重ね、信頼関係を構築することができたに違いない。
皆でつくりあげた「ミッション・ビジョン・バリュー」
当初のメンバーの仕事感といえば、“給与をもらう”という目的のため、オーダーされるままにカンを作っているという印象が拭えなかったというが、その意識の形成に、側島製罐の「経営理念の不存在」が大きく影響しているのではないかと、思い至る。
確固たる企業理念があった前職での仕事に邁進してきた石川さんにとって、企業理念を持たない家業の運営体制の実態を知ることは、カルチャーショックに等しいものだったという。
「創業116年の老舗であるにも関わらず、これまで一度も、“理念”どころか“社是”のようなものすら作ったことがなかったようです。複数在籍する勤続40年以上のメンバーに確認してみても、『そんなもの聞いたことがない』、『“とにかく早くたくさん作れ”としか言われたことがない』と、口を揃えていました。経営理念がないのにどうやって経営判断をするのか。頭を悩ませましたね」
とはいえ、彼自身、理念策定のノウハウまでは有しておらず、どのように進めて行けばいいのか、当初は見当もつかなかったという。
そんな折、名古屋市のデザイン会社が企画した、「デザイン経営に関するセミナー」に参加したことを機に、経営理念を体系的にまとめた「ミッション・ビジョン・バリュー(以下、MVV)」の存在を初めて知ることとなる。
「カンを作るだけだったら、正直どこの会社でもできますよね。だからこそ、“僕らにしかできないことは一体何なのか”を皆で一緒に考えて、僕らがやっている仕事の価値がどこにあるのかを明確にし、言語化する必要があると感じました。共通のマインドを持って仕事をすることってすごく大事なので、そういう意味でも、MVVの策定は大きな転換点になったと思います」
“会社のあるべき姿を明確にするチャンスになる”と考えた石川さんは、「MVVの策定」を社内プロジェクトに掲げ、始動。しかし、“優秀な経営者でも半年は要する”というほどプロセスが重要であるMVVの策定は、当然、一朝一夕には行かなかったという。
自分の無力さと不甲斐なさに苛まれ、何度も心が折れそうになったというが、「日々、真面目に一生懸命働いてくれている社員に対して、心から自信を持って伝えられる、確固たる理念を作りたい」との想いから、諦めるという選択肢など、微塵も浮かばなかった。
そんな彼の想いが伝播したのか、先駆者に知識やノウハウを授かり対話を重ねていくうちに、メンバー間に“当事者意識”が芽生えていく様に気がついたという。“会社に熱い想いを抱いているのは皆同じ”であることを再認識した時、彼の心身に、一気にパワーがみなぎったであろうことは想像に難くない。
その後、ブラッシュアップを繰り返しながら、約1年という長い月日をかけて、ついにMVVの完成に漕ぎ着けた。
『世界にcan』をミッションに掲げ、描いたビジョンは『宝物を託される人になろう』
産みの苦しみを味わった末に誕生した“我が子”のお披露目会では、皆の目に達成感と闘志がみなぎっていたのを見逃さなかったという。
「僕が作ったものを皆がインストールしたのではなく、皆で一緒に作り上げたものなので、『完成時点では自然とインストール完了』という状態でした。メンバーを心の底から信じて任せる過程にこそ、このプロジェクトの最大の意義があったのだと思います」と、石川さんは語る。
改革は一日にして成らず。
けれども、もがき苦しんだその一日があったからこそ、改革は成し遂げられるのだろう。
メンタリティを育んだ英雄の存在
「チャンスは試練と共にやってくる」というが、いざ試練という名の壁にぶち当たった時、挑戦を続ける選択肢を迷わず選ぶことは、容易ではない。
“諦めない心”の形成には、モチベーションの源泉となる“存在”や“出来事”が背景にあることが多いが、「努力して何かを成し遂げることが好き」と話す石川さんにとって、パワーの源泉はどこから湧いてくるものなのだろうか。そこには、一人の英雄の存在があった。
その名は、コービー・ブライアント。
マイケルジョーダンと並ぶスーパースターとも評される、言わずと知れたバスケットボール界のレジェンドだ。2020年に起きたヘリコプターの墜落事故により、41歳という若さでその一生に幕を閉じたが、彼自身が作り上げた“無敵のメンタル”の名称「マンバメンタリティ」は、今も尚、人々に勇気を与え続けている。
そんな石川さんも、「マンバメンタリティ」から勇気をもらった1人だという。
「小学生の時にバスケットを始めたのですが、ちょうどその頃、コービーブライアント選手がデビューした直後で、そこから20年近く応援してきました。自分の無力さに打ちひしがれることって色々な場面でありますよね。でも、その場面ごとに、コービー選手の生き様から勇気をもらってきたんです。“無限に努力してやりきることの難しさと素晴らしさ”を教えてもらいました」
バスケットを通じて得たものは、彼の仕事観にも大きな影響を与えているという。
「バスケットはチーム戦なので、皆が同じ方向を向いて、一つのことを成し遂げることを目指すスポーツです。きつい練習に耐え抜くという、個々の肉体的な努力ももちろん求められますが、大学に入ってからは、“チームがどうしたらうまく行くのか”ということを、とにかく考えるようになりましたね。バスケットを通じて、『チームで価値を作る喜び』を知ることができたのだと思います。その経験が、今の会社経営の根幹にも繋がっているのでしょうね」
カンに想いを乗せて
現在、側島製罐では、『缶で安心と“缶動”を』を合言葉に、カンの持つ無限の可能性に挑戦すべく、様々なコンセプトの商品を世に送り出している。
「物」のみならず、人々の「想い」も詰め込むことができるカンの魅力を最大限に活かし、このほど誕生したのが、“子どもの想い出を入れる缶”をコンセプトに発売された、『Sotto』だ。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「いつか一緒におしゃべりしようね」
自身も一児の父である石川さんが、親から子への愛情が伝わるような世界を願って作りあげた、『Sotto』。奥様の母国・フィンランドのデザインとのコラボ缶を完成させるという、石川さんの夢がカタチになった作品だ。
「苦しい戦争の時代に日常に少しでも彩りを」という想いから形づくられているフィンランドのデザインと、作り手の想いが相まって、眺めているだけで心がほっこりするような作品だ。コロナ禍で色を失った日常にも、そっと彩りを加えてくれることだろう。
立ち向かっていく人生になる覚悟を決め、素晴らしい事業承継を
事業承継をすべくUターン移住を考えている方に向け、メッセージをお願いしたところ、「自分の心の声に従って生きていきたい人には、すごくいい選択だと思います」と前向きなエールを送った後、真剣な眼差しを携え、こうも続けた。
「事業承継をすることは、もちろん素晴らしいことだと思います。でも、いいことばかりではありません。親と仕事で向き合わなければいけない場面ももちろん出てきますし、既存社員との関わり方に、葛藤することもあるでしょう。いずれにしても、“立ち向かっていかないといけない人生”になると思うので、ある程度覚悟して帰ってくることをおすすめします。それを乗り越えた先にきっと、いい人生が待ってくれていると思いますから」
「側島製罐はみんなの会社ですから」
厳しい現実から目を背けることなく、自分自身と対峙する覚悟を持った石川さんは、今、幸せに働くことができているのだろうか。
「今、めちゃくちゃ仕事が楽しいんです。自分の会社を持って、社員たちと皆でその会社を形づくって行って、“皆で幸せになっていく”というのは、すごくやりがいがありますし、かけがえのない経験になっていると思いますね。今までの常識に囚われずに挑戦を続け、みんなの大事な人生を託されるに値する組織づくりをしていきたいと思っています」
最後に、側島製罐の目指すべき未来像について、お伺いした。
「僕が代表をやっていなくても、成り立つような会社にしたいと思っています。僕は僕で、新しい事業をどんどん立ち上げたり、見つけたりするべきだと思いますし、僕が深く関わっていないと会社が成立しないようでは、健全な状態とは言えないですからね。“オーナー一族だから無条件で社長になれる”という夢のない会社にはしたくないので、そういう考えは、どんどん変えていくつもりです。側島製罐はみんなの会社ですから」
「“皆”が幸せに働けることを追求し、“皆”で会社を作り上げていく」。
その思考はどこまでも、「I」ではなく「We」のようだ。
強く優しきリーダーが率いる「側島製罐」だからこそ作り得る、確かな技術と思いやりから生まれたカンに、大切な品と共に人々の“優しさ”がそっと詰め込まれていく。贈る者と受け取る者が存在する限り、作り手の想いもずっと繋がっていくことだろう。
側島製罐が作り出しているものは、カンという名の「優しさの連鎖」なのかもしれない。
”世界にcanを”側島製罐では一緒に働く仲間を募集中!
側島製罐は、創業116年の缶メーカーです。
創業から一世紀以上、まっすぐに缶をつくり続けてきた老舗メーカーが
缶の可能性を追求し、想いを守るプロダクトとして新たな価値をつくります。
「側島製罐では一緒に働く仲間を募集しています!”世界にcanを”というミッションに共感していただける方、ぜひ地方からより良い世の中を一緒に作っていきましょう!」