移住者プロフィール
高橋 麻紀さん
出身地:神奈川県、前住所:神奈川県横浜市、現住所:山形県飯豊町、職業:情報サイト運営
目次
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移住のきっかけを教えてください。
高橋麻紀さん(以下、高橋):移住前は横浜市に住んでいました。2人の娘が独立して夫婦2人の暮らしになった時、これからの人生を考えてみました。
サラリーマンで働いていた主人は当時50代前半で、定年まで時間があります。
一方で、飯豊町で暮らす主人の両親は健在とはいえ80歳を超えています。横浜には持ち家がありましたので、今後のことを考えると、主人の両親を呼んで一緒に暮らすのが一番簡単な方法ではと一度は考えました。
でも、両親にとって、生まれて80年以上を過ごした飯豊町から離れて、横浜に住むことが幸せなのか…という疑問や迷いが私の中にありました。横浜に引っ越したら友達は一人もいない、方言が気になって無口になってしまうのではないか、家にこもりきりの生活になってしまうのではないか。
そう思う両親にとって、いいことは何もないと考え直しました。私達の方が新しいことを始める力があると思い、私達が飯豊町への移住を考えてみないかと主人に提案しました。
移住までの道のりはいかがでしたか?
高橋:まず最初に主人が勤めていた横浜の会社を退職しました。次に横浜の持ち家を売却することにしましたが、なかなか売れず苦労しました。
移住前に移住後の主人の就職先を検討し、一旦はIT企業に就職しました。
住まいについてはもともと両親が住んでいた家がありましたが、雪の重みで大分傷んでいたので取り壊し、新しい家を建てました。飯豊町に移住すると決めてから実際に移住するまでは早かったです。
現在の仕事について教えてください。
高橋:一旦IT企業に就職した主人ですが、「せっかく飯豊町に来たのだから、自分で何かやってみたい、町のために何かやりたい!」という思いがあり、会社を退職しました。飯豊町を含む西置賜の情報を発信し、地域の魅力を紹介して訪れる人が増えるようにと、「まいぷれ長井・西置賜」という地域情報サイトを立ち上げることになり、私も一緒に取り組んでいます。
移住者だからこそ新鮮に感じる景色の美しさ、この地域に暮らしてきた人たちが普段見慣れている町の魅力に、もう一度目を向けてもらえたら嬉しいという思いで情報発信しています。ランチ情報なども発信しているので、今まで行ったことがないお店を見つけていただけたら嬉しいです。
実は、置賜地域にはいろいろ美味しいお店が隠れていますよ。
移住して困ったことやびっくりしたことはありましたか?
高橋:方言については、困ったなと感じたことはあります。私の場合、結婚して約30年の間、毎年夏冬は飯豊町に来ていたので、地域の人達の顔も知っていましたし、方言を聞くことも大丈夫な状態で移住しました。
ただ、結婚した当初は、すでに亡くなってしまいましたが、夫の祖父母も交えた会話で方言を聞き取ることができない、何の話か分からなくて、みんなが笑っていることに全く笑えない…ここに住むのは無理だと思っていたのは事実です。
現在は当時より方言も柔らかくなってきているので、慣れてしまえば全く問題なく住むことができると思います。
地域との関わりについてはいかがですか?
高橋:地域の事に関しては、毎月1回、公民館の掃除を兼ねて近所の女性が集まり雑談をしながら近況報告をしています。
また、地元のNPOに参加し、様々な職種の方たちと一緒に地域を活性化する活動をしています。
今後の展望について教えてください。
高橋:今回、飯豊町唯一の「東京2020オリンピック聖火ランナー」として走らせていただきました。聖火のトーチを飯豊町の子供たちに持ってもらい、将来オリンピックを目指したいという子が一人でも出てくれたら嬉しいなというのが一つの思いです。
あとは移住者の先輩として移住してきた方の手助けができたらと思っています。
飯豊町の魅力を教えてください。
高橋:自然豊かでおいしいものがいっぱいです!都会から来た人間としては、四季を感じられるのが飯豊町の素敵なところだと思います。冬はたくさん雪が降り、一面の銀世界が広がります。
春になり雪解けが終わると、水を張った田んぼがキラキラと輝く。日を追うごとに苗が伸びて緑一色になった田んぼでカエルの合唱が始まり、暑い夏がやってくる。
秋になると稲穂が垂れて田んぼが黄金色に変わり、収穫の時期を過ぎると初雪がチラチラと降ってくる。季節の変化を目で、そして匂いで感じられるのが飯豊町だと思います。
移住の先輩がたくさんいます。何でも聞いてください!
出典: 「私が移住を提案しました。」