移住者プロフィール
山本 義樹さん
移住時期
2016年
出身地:京都府南山城村、現住所:京都府南山城村、Uターン移住、お弁当屋「山ちゃん」経営。
目次
INDEX
なぜ南山城村で弁当屋をしようと思ったのですか?
山本義樹さん(以下、山本):以前から何度か村にUターンしようと考えたものの、様々な理由で戻れませんでした。でも40歳超えて定年までを考えた時、「自分で何かをしたい」と思ったんです。大きな組織で仕事をしていると、なかなか思い通りにならなかったり、決裁に時間がかかったりします。
個人だったらやれることは小さいかもしれないけど、やりたいと思ったらすぐにできる。あと10年働くんだったらそういう仕事をしたいなと思いました。定年まで12年ほど残し、公務員を辞めることを決意しました。
どうしてお弁当屋にしたのでしょうか?
山本:両親が営んでいた実家の店は、昭和初期に祖父が創業して、生鮮食料品、日用品等の販売をしていました。父の代からは自動車での移動販売や冠婚葬祭などへの仕出しも行っていました。今回Uターンを考えた時と同じくして、両親が店を廃業したので、時々片付けに帰っていました。
でも、昔の物を整理しているうちに、祖父から数えて90年近く経つこの店を“私の代でなくしてしまうのも忍びないな”という気持ちが強くなってきたんです。
もうひとつの理由として、「村のお年寄り達への想い」がありました。車に乗れない高齢者は買い物などが不便です。母方の祖父母もバスもないところに住んでいて不自由していました。移動販売やお弁当や惣菜の宅配があれば、単身のお年寄り世帯でも長く暮らし続けられるではないか、という思いもありました。
村に帰ってきてどのように感じましたか?
山本:村に帰ってきた時、近所の人が来てくれて、お祝いをしてもらいました。30年ぶりに戻ってみて、昔に比べたらちょっと活気がないなと感じました。隣にあった小学校がなくなったので、子供の声が聞こえなくて静かです。それに道を歩く人も少なく、若い人を見ないのでちょっと寂しく感じました。静かだし、のどかでいいんですけどね。
実際に弁当屋を始めてみて、どうでしたか?
山本:当初はもう苦労の連続でした。お弁当なんて作ったことがなかったし、注文を受けたはいいが材料が足りなくなったり、お昼の配達に間に合わないなどいろいろあって、毎日必死でした。この4月(2018年)で丸2年になり、ようやく慌てることもなくなってきました。
高齢者の方の評判はいかがでしたか?
山本:やりがいは、「お客様の声を直に聞ける」ことです。移動販売や配達に行くと、『家まで持ってきてくれて助かってる』と言ってもらえることが一番嬉しいです。面と向かって感謝される仕事ってなかなかないと思うので。
お弁当のこだわりを教えてください
山本:お弁当は、地元産材料にこだわって作っています。野菜は、できるだけ村の直売所で仕入れたものや、村の農家から分けてもらったものを使っています。お米も契約している農家さんがいるので100%“村産”です。その方が村でお金が回りますから。
通常のお弁当屋さんにはないものを置く理由は?
山本:マッサージチェアや血圧計は、お年寄りが来てくれるきっかけになればと思って置いています。奥には広い畳敷きのスペースがあり、自由に漫画を読めるようにしています。漫画は、本屋がなくていろんな本が読めなかった自分の経験から、子どもが来てくれればと思って置いています。
また、私と同じく村に移住した陶芸家、トロピッカル窯さんに焼いてもらった湯飲み、ランチプレートも置いています。観光客が工房を訪れてもらえるきっかけになればと思っています。
今後、活動していきたいことはありますか?
山本:この3月(2018年)から、先生を呼んで煎茶道の教室を始めます。村の中には習い事があまりありません。私が子どもの頃はそろばんに習字、サッカー、剣道、野球などいろいろあったんですけどね。お茶どころだし、子供だけじゃなく大人にも体験してもらえたらと思っています。
夢はありますか
山本:夢は、この仕事をもっと大きくして、村の働く場を増やすことに貢献したいと思っています。お弁当の仕事が増えたら米や野菜をたくさん使えるし、農家のためにもなるでしょう。生活できる仕事があれば、Uターンも含めて村に来てくれる人が増えると思うんです。あれもこれも、やりたいことがいっぱいでごった煮みたいになっています。