移住者プロフィール
中島 弘智さん
出身地:神奈川県横浜市、前住所:神奈川県、現住所:新潟県十日町市、職業:農家
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移住前について教えてください。
中島弘智さん(以下、中島):横浜市出身です。都内で農業関連の出版社に勤め、地方の農村を飛び回っていました。現在は専業農家をしています。無農薬の子供用米や離乳食米の商品開発にも取り組んでいます。トオコン2019で準グランプリを受賞しました。
移住のきっかけは何でしたか?
中島:前職は出張が続く多忙な仕事場でした。俗に言う「寝るために帰る家」での生活でしたね。
全国を飛び回る仕事は楽しさもありましたが、ふとした時に、「このままで良いのだろうか」と考えたんですね。仕事が嫌な訳ではなかったのですが、30歳という節目に『帰るための家が欲しいな』って考え始めました。
長期休暇を使って旅をしていて、出会ったのが十日町市・三ヶ村でした。最初は1週間くらいで東京に戻る予定でしたけどね、周りの人が良くて、もう少し暮らしてみても良いなって思ったんです。
農業に関しての不安はありませんでしたか?
中島:そこでの暮らしが気に入り、東京の仕事を辞めました。滞在中に世話役になってくれた 水落八一さんが代表を務めていた農業組合を手伝い、少しの収入を得ることもできました。
貯金もあったし、何より神奈川に戻るつもりでした。それでも良かったのですが、三ヶ村での生活が2年目に入る頃、茨城の農業法人に就職が決まりました。
しかし、収入を確保することだけを目的にした就農に違和感を感じたんですね。
私にとっての「農業」は、自分の暮らしと密接な農業でした。中山間地での農業を通して、暮らしや家庭、地域が良くなっていくことが必要だったんです。
地域が良くなっていく…漠然としてるけど、“八一さん”の言葉がずっと心にあって。
八一さんが話していたのは「この地域を何とかしたい」という想いでした。中山間地での農業は平地よりも厳しいんです。
人が減り、村の担い手が歳を重ねるごとに、不安が村の中にありました。茨城の農業法人への就職を見送り、市内の農家と掛け持ちをしながら三ヶ村で暮らすことを選んだんです。
地域の方との関わりはいかがでしたか?
中島:よそ者だからと必要以上に好奇の目が向けられるわけでもなく、かといって邪険に扱われるでもなく、自然な距離感で大切にされていたと思っています。月に一度のペースで通っていた交際相手に対しても同じでした。
移住してきた自分のことだけじゃなくて、自分の周りの人間関係全部を地域の人は大切にしてくれました。自分達と地域の間に八一さんが立ってくれていたのが大きかったんだと思います。
移住した翌年に結婚して、八一さんが運営していた農業組合が「ふれあいファーム三ヶ村」として法人化した時、正社員になりました。それで収入も安定してきました。
しかし、移住して5年目。2人の子供にも恵まれ、暮らしの土台がかたまり始めた矢先、突然、八一さんが亡くなったんです。
村の人たちには、無理して残らなくていいと言ってくれました。正直、神奈川に帰るという選択肢も考えていたんです。
家族で一番に頼っていた人だったので。ただ、自分がいなくなったら、田んぼを維持していくことが大変なことになるのは分かっていました。
私は八一さんの想いを継いで、法人の役員になり、三ヶ村に残りました。気持ちとしては三度目の移住ですね。
移住や就農を検討している方にメッセージをお願いします。
中島:これから、もし農業に憧れて移住を考えるなら『自分自身がどんな農業をしたいのか』を考えておいた方がいいと思います。農業は大規模にも出来るし、収量が少なくても付加価値を高くすることも出来ます。
収量と販売先が出来てくれば、売上や支出の目処も立てやすい。何よりも変化があった時に頼れるのは自分の中にある農業に対する軸なんです。
出典: Iターン夫婦のくらしぶり