移住者プロフィール
井関 耕平さん
出身地:千葉県、前住所:岡山県久米南町、現住所:福島県大熊町、職業:農業
目次
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移住前はどのような暮らしをしていましたか?
井関耕平さん(以下、井関):移住前は岡山県の久米南町にある限界集落に住んでいました。農業を中心とした暮らしの発信により地域創生に取り組んでいるコミュニティで、ガスや水道を契約せず自然の中で生活していました。
岡山に住む前は、農業・建築・工芸などお金や組織、エネルギーに依存せずに愉しく豊かに生きる力を学ぶことを目的として、栃木県に1年間住み込みで修行していました。技術的にも精神的にもさらなるレベルアップを目指して岡山県に移り住みました。
移住しようと思ったきっかけは何ですか?
井関:今勤めている会社の代表が、「新規農業事業の立ち上げを一緒に大熊町でやらないか」と誘ってくれてたことが一番のきっかけです。その代表とは栃木県にいたときにご縁があり、そこからたまに連絡をとっていて、岡山の次にどこで何をするかを考えていた時に声を掛けてもらいました。
話を聞いているうちに、大熊町での農業やそれまで学んできたことを生かして、暮らしの発信活動をしてみたら面白いんじゃないかと思って移住しました。
移住の決め手は何ですか?
井関:自分の20代のテーマの一つが「自分の行動の一つが誰かの希望に足りうるか」ということでした。大熊町だったらこれまで学んできたことを生かして、自分が生きたいように生きるだけで発信の説得力の重みも違うし、誰かの希望に足りうるかもしれないと思って移住を決心しました。
どのように情報を集め、どのような支援や補助金を利用しましたか?
井関:大熊町についてのいろいろな情報は代表から聞いていましたが、それ以外は何も知らなかったです。放射能のことを中心に自分なりにいろいろと調べました。12市町村移住支援金についても調べて、これから申請する予定です。
どのようなプロセスで移住しましたか?
井関:自分の場合は、今お世話になっている会社の代表から大熊町の状況については聞いていました。農業の事は岡山県や、岡山県の前に住んでいた栃木県で学んでいたので、大熊町で住居が決まれば移住できる状態でした。
その後、町の公営住宅がタイミング良く空いたのですぐに移住する事ができました。
現在はどのような仕事、活動をされていますか?
井関:農業法人の会社に勤めています。夏場は、朝は5時に起きて昼間は現場で動いて、お昼ご飯を食べて、ちょっと昼寝して、また現場に戻って日が暮れるぐらいまで働き、帰ってきてご飯を食べて寝るみたいな、そんな生活です。
具体的には、10ヘクタールの土地を借りていて今年は1ヘクタールの生姜を栽培しています。生姜は世話のいらない作物ですが、地面や生姜の葉っぱを見て大丈夫そうか、水やりや農地の管理、草刈りなどの管理作業が今の時期だと結構大変で、生姜を掘り起こす作業や準備に追われています。
移住して良かったところと悪かったところを教えてください
井関:良い点は、いたるところから清水が湧き出てたり、植生が豊かなところですね。11年間、農薬や除草剤や肥料が使われていない農地がたくさんあり自然が豊かです。
また、地元の方が、ご飯をごちそうしてくれたり、百姓仕事について教えてくれたりとても親切にしてくれます。悪いところは特にないですが強いて言うならば、近くに映画館とカラオケなどの施設がないところですかね。
大熊町の好きなところはどこですか?
井関:地元の方々がとても親切でいつも助けてくれます。懐の広い方が多いと思います。
移住を考えている人に一言お願いします!
井関:一緒に大熊町で農業をしませんか?住んでみないと分からないこともあるし、大熊町で農業をやるには壁が高いですが、それが逆にやりがいにつながります。
若手の担い手が増えて、一緒に新しい農業を発展させて、大熊町に賑わいが生まれればいいなと思います!