移住者プロフィール
倉田まゆみさん・松原かいさん・ 西川立子さん
倉田まゆみさん(1988年移住)、松原かい(1995年移住)、西川立子(1997年移住)
移住した経緯は?
倉田まゆみさん(以下、倉田):当時、内地でシステムエンジニアで、いつ過労死してもおかしくないような働き方をしていました。システムを組んで、国内を出てはいけない待機の時逃げたい一心で、一番遠い八重山に来ました。来てみたら、ここのゆったりした雰囲気が気に入って住み着くことになりました。
住み着いたものの、私は システムエンジニアなのに島にパソコンもありませんでした。島の給与水準から行くと自分の失業保険が相当な額だったので、しばらくは失業保険で暮らした。
松原かいさん(以下、松原):私は19歳で移住してきました。当時はしゃべる仕事が業種としていませんでした。認知度もないため、しばらくはプロの違いをわかってもらうため、無料で司会業の仕事をしていました。当時はコミュニティラジオもなかった。
西川立子さん(以下、西川さん):私は「地域おこし協力隊」として来ました。シングルマザーで来ましたが、予想以上に幸せな毎日を送っています。
移住後の生活について教えて下さい
倉田:当時は、大和人(日本列島に居住する民族)はなかなか雇ってもらえず、内地出身の人が自営しているマリンショップでかろうじて雇ってもらっていました。当時、八重山にはテレビの民放がなく、1980年代〜90年代の情報が抜けていて、内地との格差を感じいました(海賊版の民放などはあった)。
当時は島に若者も移住者も少なかったです。スーパーや商店などにも、葉野菜は置いてなかったり、古い商品ばかり置いてありました。
松原:来たばかりの頃は、移住者が少なかったため、移住者はアパートを借りるのも大変でした。時が流れて移住者に対する信頼が得られてきていると感じています。だんだんと地元の方と移住者の距離感が縮まっているみたい。シングルマザーが子どもと二人で移住して、今とても楽しいと思える島の子育て環境は、すごいと思います。
西川:こちらにきてびっくりしたことは、居酒屋などハズレもあるのが普通だと思っていたのですが、石垣はどのお店にいっても美味しくてハズレがない!
一方で、島の給与水準に比べて、家賃や食品代が高いと思います。地域おこし協力隊の3年間は、家賃補助などあり充分生活が成り立っていますが、そのあとはどうなるのかなと思っています。
これから移住する人へアドバイスをお願いします
倉田:私は50代のシングルで子どももいなくて、地域コミュニティにも入っていません。でも、人生を充分楽しんでいます。移住したい人には、とりあえず来れば?と言いたいですね。
20代だったら「とりあえず行くか!」でいいんじゃないかな。30代以上はチャレンジは簡単ではないと思いますが、「ダメでもやり直せる!」と思う人なら良いと思います。
とりあえず来て、島の空気・運・人間関係など直接感じることをオススメします。気合い入れずに来て、定住するかどうかはそのあと決めても良いのかな?と。来ないで後悔するくらいなら、来た方がいいと思います。小さい子を育てるにはいい環境ですね。
松原:移住当時は、本土の友人に「石垣島ってどこにある?」とよく聞かれていましたが、今は知らない人がいないほどの島になりました。自然環境に恵まれていて、生活しやすく、子育て環境はとても良いです。こどもは、地域からも愛されてのびのび育つことができます。
癒しを求めて心の疲れた人が来ることも多い島だが、定住せずに帰る人も多いですね。ただ、航空運賃の高さはどうにかならないかな、と思います。本土からは安いツアーもありますが、島発だと高額です。本土から島には来易くなりましたが、島からは高く、親子での里帰りも負担が大きいのが現実です。
西川:東京のイベントで、移住定住の相談会に仕事で行ったことがあります。何年もかけて移住を準備しているカップルもいますが、全てを捨てないと来られないのではと思います。株投資や家賃収入など、別収入がある場合で無い限りは、内地の生活レベルを保つのは難しいかもしれません。
何を大切にして生活したいかの基準を、どこに保つかが大事かもしれない。全てを捨ててくるというのは大きいステップなので、試しに一年間住んでみるという計画でもいいと思います。ネットなどの情報だけではわからないことが多いので、長期滞在して実体験することをオススメします。
出典: 先輩移住者座談会(女子会)