移住者プロフィール
西村和浩さん
出身地:栃木県真岡市、前住所:東京都、現住所:真岡市、職業:ワタヤ商店(人形のわたや)9代目
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東京のベンチャー企業で情熱を燃やした20代
物心ついた頃から家業の「ワタヤ商店」の店先で遊び、手伝うこともあったという西村さん。自然と「いずれは店を継ぐのだろう」と感じながら育った。
「同級生や先生からも“お人形屋さんの息子さん”として認識されており、自分でもそれが当然の未来だと思っていました」と振り返る。
しかし、当時西村さんが本当に目指していたのはプロ野球選手であった。小学生の頃から野球に打ち込み、高校は県内屈指の強豪校である作新学院に進学した。
「そこで結果を出せれば道が拓けると思っていたのですが、全国から将来有望な選手たちが毎年集まる中で、レギュラーとして活躍することはできませんでした。それが初めての大きな挫折でしたね」と述懐する。
この挫折をきっかけに、「ビジネスで成功したい」という新たな目標が芽生えた西村さんは、実家を離れて東京の大学に進学。家業の継承を視野に入れながら、経営や事業承継について学んだ。大学ではゼミ長を務め、弁論大会にも参加するなど、積極的に人前に立つ経験を積んだ。
卒業後、彼が選んだのは大手企業ではなく、設立間もないIT系のベンチャー企業だった。大手企業ではなくベンチャーを選んだ理由について西村さんは、「ベンチャーなら、幅広い業務を年齢に関係なく経験できるし、起業など将来の選択肢も広がると考えました」と語る。彼は社長室での経営企画や人事部門での採用業務などに携わり、多忙ながらも充実した日々を過ごした。
「ベンチャー企業特有の『みんなで成功しよう』という熱意が常に社内でも溢れていて、朝から晩まで、時には土日関係なく働いていました。朝まで飲んで、そのまま仕事に向かうこともありました。若かったからこそできたことですが、同じ志を持つ仲間と共に目標に向かって突き進む面白さを、この時に学びましたね。その『やってやるぞ』という精神は、今も変わらず持ち続けています」
30歳で真岡市にUターン移住
そんな西村さんに転機が訪れたのは、2011年、30歳の時だった。東日本大震災により、家業であるワタヤ商店の建物が被害を受け、高齢の家族が体調を崩すなど、経営に支障が生じたことがきっかけである。「いずれ家業を継ぐならこのタイミングしかない」と感じた西村さんは、6年間勤めた会社を退職し、真岡市へのUターンを決意した。長男としての責任感も彼の決断を後押しした。
8代目である父は、西村さんの決断を非常に喜んだが、今後の経営方針については慎重に話し合いを重ねたという。
「親子だからこそ『言わなくてもわかるだろう』ではなく、しっかりと意見を伝え合うことが大切だと思ったのです。自分の進めたい方向性を伝えながらも、父のやり方や譲れない部分を尊重して、安心して任せてもらいたいという思いがありました。
意見がぶつかることもありましたが、時間をかけて妥協点を見つけ、折り合いをつけることが事業承継には欠かせないと感じました」
現在、西村さんはワタヤ商店(人形のわたや)の9代目として、店舗での販売業務から新商品の企画まで幅広く担当している。しかし、当初は苦労の連続だった。家業に入って最初の3年間は、伝統工芸の特殊な業界について学び直す期間であったという。
「ワタヤ商店では、季節ごとに4つの商材を扱っています。1月から3月がひな人形、4月から5月が五月人形や鯉のぼり、6月から8月がお祭りやお盆の提灯、11月から12月は羽子板。それぞれの商材に実務を通して向き合える期間が2~3か月しかないため、商品知識を一通り身に着けるまでに非常に苦労しました」と西村さんは振り返る。
伝統と革新の融合で守るひな人形文化
勉強と実践を重ねる中で、西村さんが強く意識するようになったのは、「伝統と革新のバランス」であった。伝統工芸の良さを守りつつ、現代の生活に合わせてアップデートしていくことが、最終的には伝統を守ることにつながるのではないかと感じたという。
「例えば、ひな人形は三段飾りや七段飾りなどの大きなものをイメージする方が多く、『飾る場所がない』『準備するのが大変』と敬遠されている現状があります。そうした理由から、多くの人が桃の節句という伝統行事から離れてしまっているのは非常にもったいないと感じました」
そこで、西村さんは、限られたスペースでも飾れるコンパクトなひな人形や、若い世代が飾りたくなるデザインを意識した商品開発に着手した。
「ひな人形はこうあるべき」という固定観念にとらわれず、お客さんの声に耳を傾け、アイデアの源泉にした。
「従来のひな人形が好きという方もいらっしゃいますが、新しい商品には『可愛い』『これなら飾りたい』という前向きな反応が増えました。そうした声を聞くと、現代の家庭から伝統行事が消えてしまう危機を少しでも救えているのかなと感じています」
地域密着型のお店として真岡市を盛り上げたい
ワタヤ商店(人形のわたや)では、毎年7月下旬に行われる「真岡の夏まつり」にお祭提灯飾りを提供しており、西村さんは地域密着型の店として、地域住民と共に真岡市を盛り上げたいと考えている。
Uターンする際には、「地元を離れた自分が再び受け入れてもらえるだろうか」という不安があったが、実際に戻ってみると、地域住民との関わり方は以前よりも深まったと感じているという。
「かつては顔見知りくらいの点と点の関わりだったものが、今では面になって広がっている感覚があります。真岡市の人たちは地元愛が強く、僕のUターンも『東京での経験を地元に還元してほしい』と温かく迎え入れてくれました。新しい挑戦についても前向きにサポートしてくれる環境があり、とてもありがたいです。地域の旗振り役のような頼れる存在となり、真岡の魅力を引き出し、発信していければと思っています」
さらに、地元ならではのつながりは、日々の生活にも大きな変化をもたらした。
「戻ってきてから気づいたのですが、地元には個人商店を営んでいる同級生や先輩・後輩がたくさんいます。日常的な買い物はもちろんスーパーも使用しますが、地元の魚屋や肉屋、美容室を利用することが増えました。顔や名前を知っている人から買うと安心感があり、近況を報告し合えるのも楽しいです。
美容師の友人が複数いるので、ヘアサロンを順番に利用したり、娘の七五三の写真撮影も後輩の写真スタジオにお願いしています。地域の人たちが子どもの成長を見守ってくれるのは、とても心強いですね」
コンセプトブランド「綿や善兵衛」を立ち上げ
2021年、西村さんは地元のアーティストとコラボレーションし、コンセプトブランド「綿や善兵衛」を立ち上げた。
コロナ禍により真岡の夏まつりが2年連続で中止となり、提灯の収益が消失し、店は大きな打撃を受けた。そこで、西村さんは季節のイベントに依存せず、安定した収益を得る方法を模索した結果、日々の生活の中で提灯を照明として活用するアイデアに辿り着いたという。
西村さんは今後も、伝統にとらわれず新しい表現を取り入れ、次世代へ伝統工芸をつなげていきたいと考えている。
「ワタヤ商店(人形のわたや)は、江戸時代に真岡木綿の問屋として始まり、その後、旅籠屋、提灯屋と時代の流れに応じて業態を変化させてきました。戦後のベビーブームでお祝いのお節句人形を扱うようになったのもその一環です。先代たちが変化を恐れず挑戦し続けたからこそ、220年以上続いているのです。これからもその精神を受け継ぎ、海外の方だけでなく、改めて日本のみなさんにもニッポンの素晴らしい伝統工芸の魅力を再発見してもらいたいと考えています。その発信を地元真岡市から行うことに、大きな意味があると思っています」
熱い思いを持って刺激的な毎日を
最後に、西村さんから地方移住を検討している方に向けてメッセージをいただいた。
「学生時代、僕は都会に出て成功したいという気持ちが人一倍強かったんです。でも、地元に戻って自分の人生を振り返った時に、『これをやりたい』『こうなりたい』という熱い思いさえあれば、どこにいても毎日が刺激的だと気づきました。
まずは、自分の気持ちと正直に向き合い、やりたいことを明確にすることが大切だと思います。その気持ちを受け止めてくれる場所は、地方にもたくさんあるはずです」
生まれ育った真岡市に戻り、伝統工芸の新たな未来を切り拓こうと奮闘している西村さん。
東京で培った「仲間と共に目標へと突き進む」という熱い思いを、今は真岡市の人々と共有している。地域にさらなる活力をもたらすため、これからも西村さんの挑戦は続いていくのだろう。