移住者プロフィール
加森 万紀子さん
出身地:北海道札幌市、前住所:東京都、居住地:北海道札幌市、職業:加森観光株式会社 事業開発室 室長
目次
INDEX
7歳でアメリカに教育移住
北海道札幌市で三兄弟の末っ子として生まれた加森さん。
「これからの時代は、英語ができて当たり前の世の中になる」というご両親の教育方針のもと、7歳のときに家族でアメリカに移り住んだ。
「引っ越し先は、ニューヨークとコロラドの2つ候補があったのですが、ニューヨークは日本人も多くて英語の勉強にならないから......と、コロラドに住むことになりました。
父は“逆”単身赴任というかたちで日本に残り、母と子どもたちだけでの引っ越しだったので、母はかなり苦労したと思います」
教育のための移住ではあったものの、加森さん自身は現地の学校を楽しんではいたが、やはり日本が好きということで、中学3年生で日本人学校に転校。寮生活を送ることになる。
「母は日本人学校に行くことには反対でした。『もっとこういう学校のほうが可能性が広がっていいわよ』とほかの学校を勧めてくれたけれど、当時まだ子どもの私は『日本人と一緒にいたい!』というそればっかりで頭がいっぱいになってしまって......今思えば、もったいないことをしたなと思います」
人生を方向付けたパーティー文化との出会い
しかし、思春期をアメリカで過ごした経験は、加森さんにとって大切な財産となった。特に人生を大きく方向づけることになったのが、アメリカのパーティー文化との出会いだったという。
「すごく衝撃を受けました。小学校のときの、友達の誕生日パーティーの気合いの入り方が日本とは全然違うんです。例えば、美容室を借り切って女の子たち全員がメイクアップして、男の子と合流して室内遊園地でパーティーするとか。ホームパーティーにしても、DJ呼ぶし、ピエロ呼ぶし、ケータリングでテーブルのセッティングやデコレーションもするし……そのひとつひとつがもう楽しくて楽しくて。
もちろん、規模や予算の大小はありますが、『セレブレイトする』という陽気なマインドセットがすごく素敵だなと思ったんです。そこから、エンターテイメントの分野に興味を持つようになりましたね」
また、今でいう「ダイバーシティ」の感覚も幼少期から自然と育むことができたという。
「アメリカには、ヒスパニック系もいれば黒人もいれば白人もいます。もちろんアジア人も。だから今も、誰と接するときにもそんなに身構えることがないんです。『普通はこうだよね』みたいなものに縛られないというか……こんな人もいるよね、こういう感覚もあるよね、こういう文化もあるよね、こういう宗教もあるよねというように、はじめからオープンマインドで受け入れられるようになったのは、アメリカでの経験が大きいかなと思います」
帰国後、エンターテイメントの道へ
アメリカでパーティー文化や多様な人々と接する中で、「裏方として、エンターテイメントに携わる仕事に就きたい」という思いが芽生えた加森さん。大学進学と同時に日本に戻ると、その後、横浜でウェディングプランナーとして働き始める。
「お二人のバッググラウンドや人柄などをヒアリングし、ご要望に応じて演出を考えたり、ゲストにも楽しんでもらえるような式をご提案するウェディングプランナーの仕事はとても楽しかったですね。その方たちの一生に一度の、何ごとにも代え難い時間をつくるお手伝いができるということにとてもやりがいを感じました」
その後もイベント関連の仕事や資格勉強に邁進。もちろん、仕事は楽しいことばかりではなく、さまざまな挫折や世間の厳しさも味わったという。
加森観光に入社。東京にいたからこそ気づけた地元の魅力
そんな中で、家業である加森観光に入社したのは28歳のとき。
加森さんの祖父が「のぼりべつクマ牧場」を造成したことから始まり、父・公人さんの代に創業した加森観光は、北海道のルスツリゾートを中心に、観光施設やホテル、スキー場の運営などを手がけている。
その東京支社で、企画・マーケティング職として働き始めた加森さんは、仕事を通じて北海道と関わるようになったことで、故郷の魅力を改めて認識することになったと話す。
「海外に出てみて初めて日本の良さがわかるように、東京にいるからこそ気づけた北海道の魅力がたくさんありました。商談などでいろいろな人とお会いする中で、地元が北海道だと話すと、まず第一声が『いいね!』なんです。北海道に対してとても良いイメージを持ってくれていて、それをささやかながら誇りに思っていました」
その一方で、7歳で札幌を離れた加森さんは、「北海道について何も知らない」ということも同時に自覚することになったという。
「知り合いから、『今度、札幌に行くから美味しいお店教えて』と聞かれることも多いんですけど、飲み屋なんて知る由もなくて。そういうときに、『私は北海道のことを何も知らないんだな』と気づかされました。
北海道を知るという意味も含めて、いつか住んでみたいなということはぼんやりと考え始めましたね」
しかし、結婚して母となったことや東京での暮らしが充実していたこともあり、思い切ってそれを実行に移すまでには至らなかった。
コロナ禍でUターン移住を選択
そんな加森さんに転機が訪れたのは、2020年のコロナ禍でのこと。
「札幌に子どもを連れて出張に行ったときに、第一回目の緊急事態宣言が出たんです。その当時は、得体の知れないウイルスに対する緊張感がすごく強くて、子どももいるし外にも出られないしで、しばらく札幌に留まることにしたんです。
それが結局、解除されるまでに一カ月半くらいかかって......『もういっそのこと札幌に住む?』という感じで、半強制的とは言わないけれど、流れに身を任せるかたちで移住することになりました」
加森観光でルスツリゾートの企画やマネジメントに携わっていた加森さんにとって、仕事のしやすさという面でも、北海道に住むメリットは多かった。
「道外から仕事をする良さももちろんありましたが、東京だと物事をやりにくいというか、『お客さんやスタッフと直接会って話したほうが早いのに』という、もどかしさを感じることも多かったんです。
それに、父親の仕事も間近に見て学びつつ、仕事の効率も上げていきたいという思いもありましたね。幸いにも、子どもたちがまだ小学校入学前だったので動きやすかったこともあり、いろいろな要素が組み合わさって、このまま札幌に住もうという選択になりました」
空気のよさ、家族との関係性...移住してよかったこと
こうして、7歳以来、約30年ぶりに札幌での新生活がスタートした。移住してみてまず感じたのは、北海道の空気の良さと土地の広さだったという。
「東京では家の近くに高速道路があって、特に空気の悪いところに住んでいたこともあり……移住して空気の良さには感動しました。保育園も広いし、大きな公園もあるし、子どもにとってもすごく良い環境です。日常生活の中で山が視界に入ってくるのも良いですね」
また、ご両親の近くに住むことができたことも、移住して良かったことの一つだという。
「私がというより、孫とおじいちゃん、おばあちゃんが近くにいるという距離感がお互いにとって良かったと思います。孫の成長過程を間近に見て張り合いが生まれるというか、特に父は二歳と四歳のモンスターを相手にして、『疲れる』と言いながらも若返っていると思います。ペットセラピーならぬ孫セラピーですね(笑)」
仕事も充実。暮らしているからこそ得られた新たな視点
移住後の仕事面での変化についても伺った。
移住に伴い、加森観光の札幌支社に席を移した加森さんは、「実際に現場に足を運んでリアルを見られる」という点で、仕事に対する解像度が上がったと話す。
「私自身、ルスツリゾートに泊まってみて感じたのが、キッズ専用のお部屋がないことの不便さでした。通常の部屋に子どもと一緒に泊まると、土足のところをハイハイしてしまったり、家具で遊んでしまったり……大変なことが多くて。
ほかにも現場を歩いていて、小さい子どもを抱っこひもで抱きながら、上の子どもを遊ばせているお母さん、お父さんの大変そうな姿を見たりすると、家族でストレスなく過ごせるリゾート施設にしたいという思いが強くなりました」
そこで、最近のプロジェクトでは、加森さんの発案でキッズフレンドリールームを新設。ほかにも、カフェに子どもを遊ばせることができるスペースを併設したり、デッドスペースを利用して授乳室も設置した。
「本当に細かいことではあるけれど、少しずつ少しずつ快適さを取り入れていくような取り組みを今まさにやっている最中です。今後は、離乳食やおむつなどの自販機も設置していきたいんです」
さまざまな客層に合わせた企画を考える仕事ではあるものの、子育ての当事者だからこそ、「キッズ」の分野を自分が担当することに意味があると感じているという加森さん。細やかな視点で現場を観察し、課題を見つけ、それをクリアするアイデアを実現していく現在のプロジェクトは、「北海道にいるからこそできたこと」だと話す。
「現場に頻繁に足を運んで、業者と打ち合わせをして、細かいことを決められるからこそ、実現できたこと。いろいろなことに取り組めるようになって、すごく充実感が増しています」
「スノー事業で北海道、ひいては日本を盛り上げたい」
今後、加森さんが特に力を入れていきたいと考えているのがスノー事業だ。
「そもそも日本の雪はすごく質が良くて、その中でも北海道の雪は飛びぬけて良質だと自負しています。なぜ良いかというと、日本海があるから。日本海の湿気を吸い上げて雪になるので、ふかふかのパウダースノウが降るんです。日本のパウダースノウを『ジャパウ』というんですが、その認知度をさらに広げるため、日本だけでなく、世界に向けて発信していきたいと考えています」
世界的な異常気象により、良質な天然雪の希少性はますます高まってきている。日本も例外ではなく、その大切な資源を守る努力が必要である一方で、「日本の雪はほかの国にも優位性のある観光資源」だと加森さんは話す。
「日本は国のほぼ半分が雪国なので、スノーリゾートが盛り上がっていくと、日本全体を盛り上げることにつながります。“オイルマネー”ならぬ“スノーマネー”と言えるくらい、雪は日本の大事な価値。まずは北海道を起点に、日本のスノーリゾートをどんどん良くして、観光立国・日本の大きな大きなコンテンツにしていきたいです」
さまざまな地域と出会うことで人生は豊かになる
アメリカ、東京での生活を経て、コロナ禍をきっかけに北海道にUターン移住した加森さん。移住者として、母として、これまでとは違う角度から故郷と向き合っている。
最後に、移住を考えている人に向けてメッセージをいただいた。
「いろいろな人と出会うことで自分の世界が広がるように、いろいろな地域と出会うことでも世界は広がると思います。そういう意味では、旅だけじゃなく、いろいろな地域で長い時間を過ごしてみることで、人生は豊かになるのかもしれません。
私の場合は、生活の延長線上に移住がありましたが、そうじゃなくて大きく環境が変わる場合はきっと不安も大きいですよね。でも、人生の選択はなんでもそうかもしれないけれど、飛び込んでみてその先を自分のなかで正解にしていける気持ちがあれば、何も怖くないのかなとも思います。正解にしていきましょう!楽しみましょう!」
どんな環境の中でも幸せを見つけ、前向きなマインドセットで日々を過ごしている加森さん。
移住には人ぞれぞれさまざまな形があり、正解がないからこそ正解を自分で作っていける。それこそが、移住の一つの醍醐味と言えるのかもしれない。