移住者プロフィール
スザンヌさん
出身地:熊本県鹿本(かもと)郡 植木町(現・熊本市北区)、前住所:東京都、現住所:熊本県熊本市、職業:タレント
目次
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真っ黒に日焼けし、おてんばを絵に描いたような少女時代
熊本県鹿本(かもと)郡 植木町(現・熊本市北区)に、2人姉妹の長女として生まれ育ったスザンヌさん。
就学前に熊本市内に転居するまでは、近くのコンビニもない田舎町で育ち、豊かな自然の中を友人と夢中になって駆け回っていたという。
真っ黒に日焼けし、おてんばを絵に描いたような少女だったという彼女は、2歳下の妹のマーガリンさんとの姉妹喧嘩も、やんちゃそのもの。
「妹とは似た者同士だからか、中学生くらいまではぶつかることも多くて、分厚い少女漫画の単行本の角で殴り合うという、バイオレンスな喧嘩を繰り返し、よく母に叱られていました(笑)」と、"バイオレンス”という言葉とは真逆のピースフルな笑顔で、当時のことを懐古してくれた。
現在、スザンヌさんとマーガリンさん家族は、同じマンションの別フロアに住んでおり、週の半分は行き来する生活を送っている。従妹同士(スザンヌさんの子どもとマーガリンさんの子ども)も大の仲良しだといい、子育て面でもサポートし合っているのだという。
「祖母、母、私、妹、姪っ子の4世代でよく女子会をするんです。男の子は、うちの息子1人だけなんですけど、女子に囲まれて生活しているからなのか、話し方も優しくて、違和感なく溶け込んでいます(笑)」
と、熊本でご家族と育む暮らしのぬくもりを、シェアしてくれた。
幼き頃に故郷の地で抱いた“憧れ”が、“夢”のきっかけに
火の国・熊本の夏の風物詩のひとつに、「山鹿(やまが)灯篭祭り」がある。
着物に灯篭を背負ったダンサーたちが、力強いパフォーマンスを披露しながら街を練り歩き、夏の暑さに負けないほどの熱気が市内を包み込む。
鮮やかなパフォーマンスに目を輝かせる観衆たちの中には、幼き頃の彼女の姿もあり、中でも彼女の心をときめかせたのは、華麗な技で人々を魅了する、バトントワリングの女性たちだったという。
「『お姉さんたちのようになりたい』と、子ども心に強く思い、母にお願いをして、小学校1年生の時に、バトントワリングを習い始めました。
念願のお祭りの舞台に立たせてもらえた時、『頑張ってるね!』と、声をかけてもらえたことがとても嬉しかったことを、今でも憶えています。
人前でパフォーマンスすることの喜びや、注目を浴びる高揚感を初めて経験できたのが、その時でしたね」
と、幼き頃に故郷の地で抱いた“憧れ”こそが、彼女が芸能界を志す、最初のきっかけになったことを教えてくれた。
祖母と母が揃って伝えた、「笑顔」と「挨拶」の大切さ
スザンヌさんの代名詞といえば、周囲をほっとさせるような、愛らしい「笑顔」であろう。いつも笑顔でいられる秘訣を尋ねると、そこには、大切な人たちからの教えがあったことを教えてくれた。
「物心ついた頃からずっと、祖母と母が口を揃えて、私と妹に伝え続けてきたことがあります。
それは、『どんな時でも、笑顔で挨拶をしなさい』ということ。
それも、ただ笑顔で挨拶をすればいいというものではなく、『相手の目を見て、相手に伝わるような大きな声で、挨拶をしなさい』、と。
『勉強しなさい』などとは、一度も言われた記憶がないのですが、それだけは、厳しく言われ続けてきました。耳にタコができるくらい(笑)。
同じく、食事のマナーについても厳しく言われ続けてきた印象がありますね。
おかげですっかり身についたので、今となってはありがたかったなと思います。」
心からの笑顔を浮かべ、祖母と母への感謝の気持ちを紡ぐ彼女の言葉には、人の心をほどく力が溢れていた。
「東京=働く場所」。子どもと生活するイメージが描けなかった
結婚を機に当時の配偶者の仕事に帯同し、福岡県に移り住んだスザンヌさん。出産後、里帰りをした期間もあり、結局、福岡には半年ほどの滞在となったそう。
その後、別々の道を歩むこととなり、息子さんと二人三脚で新たなリスタートを切るのだが、彼女が息子さんとの暮らしを育む場所として選んだ先は、故郷・熊本市だった。
東京を拠点に活動を続けてきた彼女が、なぜ熊本にUターンすることを選んだのだろうか。
「周囲の人たちの大半は、東京で子育てをすると思っていたようですが、私の中では、“東京=働く場所”という認識だったので、子どもと暮らすイメージが描けませんでした。
もちろん、東京も大切な場所ですよ。ヘキサゴンの仲間たちと、第二の青春を過ごした場所ですから」
上京して以降、ずっと同じ事務所に在籍しており、マネージャーの田中さんとも、家族のように親しくしているというスザンヌさん。
「故郷に戻り、熊本から仕事先に通いたい」と相談をしたところ、「いいと思うよ!」と、彼女の提案を快諾してくれたことも、移住の背中を押したのだとか。
「子どもが当時まだ1歳半と小さかったこともあって、“家族の近くに住みたい”という想いが強かったんです。
それと、“自分が生まれ育った熊本で、子どもを育ててみたい”という、チャレンジの気持ちもあったので、熊本以外の選択肢は思い浮かびませんでした」
こうして2015年5月、当時1歳半だった息子さんと共に、故郷・熊本の地に舞い戻った。
1歩踏み出せば、相手もそれに応えてくれる。自分から心を開くことが大事
熊本県とはいえ、元々生まれ育った地域に戻ったのではなく、アクセス面も考え、熊本の中心地に拠点を築いたという。
家族以外、知り合いは一人もいない状況での移住であったというが、どのように人脈を築いていったのだろうか。
「移住して最初にしたことは、子どもの幼稚園選びでした。
幼稚園を選んだ理由は、“息子となるべく一緒にいたい”と思ったからです。
保育園ではなく幼稚園を選んだことで、母には大変な思いをさせてしまいましたが、私の想いを叶えるために、サポートしてくれました。
“どこの園に入れても楽しくなるだろう!”と思っていましたから、幼稚園選びもあまり考えすぎず、家から近いところを選びました。
息子の園は、『園と親が一緒に創り上げること』を大切にする方針で、コロナ前だったこともあり、親が参加するイベントが盛りだくさん。
大変は大変でしたけど、そのおかげで自然とママ友ができ、今では、すっぴんでパジャマパーティーをするくらい仲良くさせてもらっています(笑)。
優しいママ友に恵まれて心から感謝ですね。やはり、自分から意識的に話しかけるようにしたことも、プラスに働いたのだと思います。
“自分から心を開く”って、もちろん簡単なことではないけれど、1歩踏み出せば、相手もそれに応えてくれると思うので、勇気を出すことが大切だと思います」
と、陽だまりのような笑顔を浮かべながら、当時を振り返った。
“ポジティブ”なコミュニケーションの積み重ねが、良好な人間関係を築く
田舎暮らしの懸念材料として、時に濃すぎるといわれる人間関係がある。
特に、都会から地方に移住した人の中には、近すぎる距離感に戸惑いを感じる人も少なくないだろう。
スザンヌさんの場合、不特定多数の人が一方的に自身のことを知っているという、著名人ならではの苦労も当初はあったのではないかと想像すると、
「地方ならではの濃密なコミュニケーションが苦手という方もいると思うんですが、地方出身だからか、性格的なものなのか、私は最初からあまり抵抗がなかったんです」
と、懐かしむように目を細め、穏やかな口調で続けた。
「私の母も女手一つで私と妹を育ててくれたので、平日は祖母の家で暮らしていて、母の仕事がお休みの日に、母の家で会うという生活を送っていました。
なので、ご近所のおじいちゃんとおばあちゃんとお話するのが、昔から大好きなんですよね。
加えて祖母が、初対面の人ともすぐに仲良くなる性格で、そんな祖母を間近で見て育ったからなのか、私自身も人見知りしない、社交的な性格になったのかもしれません。
移住して最初の数ヶ月は、ご近所の方たちも『あ!スザンヌだ!』みたいな反応をされていましたけど、そのうちに慣れてくださって、『あ、また来てる』くらいの雰囲気に(笑)。
スーパーで買い物をしている時に、お話好きのおばさまに声をかけていただいて、近くのお店のお得な情報や、地元の人ぞ知るお店の情報を教えていただいたり・・・。
越してきたばかりで街の情報がわからなかったので、むしろありがたかったですね。
相手はただ、“コミュニケーションを取ろうとしてくれているだけなんだろうな”という視点で見てみると、その方のことも、なんだか愛おしく見えてくるというか(笑)。温かいなって思いますね」
チャレンジする姿を、子どもに見せ続けたい
これまで2人で1つのように、寄り添い合って歩んできたスザンヌさん親子。
移住当時1歳半だった息子さんも、今では小学4年生になり、子の成長と共に、スザンヌさんの心境にも変化が訪れているのだという。
「息子も大分しっかりしてきて、自分の人生を、自分の足で力強く歩んでいくのだろうな、と、息子の未来に想いを巡らせることが増えてきました。
私の母が、子どものことをしっかり見守りながらも、自分の人生も楽しむことを忘れない人だったので、私も、私自身の人生を歩める母親になりたいですね。
子育ても、赤ちゃん時代の時とはまた違う悩みが出てきて、多分次の悩みは、思春期の反抗期とか人間関係の悩みになってくるのかな。
悩みも変わっていく中で、私自身もどんどん変化していかないといけないと思っていますし、その時々を受け入れ、サポートできるように、“何かに向かって頑張っているママでい続けたい”という想いが、強くあります」
「チャレンジし続けることはすごく大事」と語るその言葉通り、スザンヌさんは、2022年の春に日本経済大学のファッションビジネス学科に入学し、起業の知見を深めるために、経営学や経済学を学んでいる。
彼女のチャレンジに「ママが頑張るなら、ぼくも頑張る!」と、息子さんもいい刺激を受けているようで、内容は違えど、一緒に勉強することもあるのだとか。
「息子が小学校を卒業するタイミングと、私が大学を卒業するタイミングがちょうど重ねるので、息子が中学校にあがる時に、私もまた新たなスタートを切って応援できるように、まずは頑張って卒業します(笑)」
息子さんを一人の人間として尊重する、凛とした彼女の姿に、現在の暮らしの多幸感と充実感が伝わってくるようだった。
合う・合わないは、移住先に行ってからわかること。まずは考えすぎずに、1歩を踏み出してみるのも悪くない
最後に、移住を検討している方に、先輩移住者としてメッセージをお願いした。
「新しい場所に引っ越すということは、ものすごく勇気のいることだと思います。
1歩踏み出したはいいものの、“もう後戻りはできないかもしれない”という不安もあるでしょう。
でも、合う・合わないは、実際に移住先に行ってからでないとわからないことですから、移住後にもし、その地と相性が合わないと感じたら、また違う場所に移ることを考えていい。
“移住先を終の棲家にしなければいけない”というルールは、ありませんから。
考えすぎて、ただ時間が経過してしまって結局何もできないくらいなら、その間に色々な場所に行ってみた方が楽しいし、有意義ですよね。
“移住してみようかな”くらいの気持ちで1歩を踏み出した先に、もしかしたらものすごいワクワクが待っているかもしれませんよ!
ワクワクしながら、一緒に移住計画を楽しんでみましょう!」
50才になった時のご自身の姿を想像していただいたところ、「移住計画を立てながら、ワクワクできていたらいいですね!」と、弾むように応えてくれた。
次に、彼女の笑顔で花咲く場所は、どこになるのだろうか。
そこは熊本でありつづけるかもしれないし、全く違う場所であるかもしれない。
万国共通の“笑顔”という武器を持っている彼女なら、その選択がたとえ国境を越えたとしても、その地に溶け込み、その地でワクワクしているのではないだろうか。
スザンヌさんのこれからの挑戦と、益々のご活躍を、応援しています!