「生まれ育った熊本で子育てを」スザンヌさんが語る、熊本での挑戦

体験談
独自取材

“ワープシティ地方移住体験談”では、地方移住を検討している方に向けて、先輩移住者から移住に至った経緯や体験談、移住先の仕事内容や生活などの生の声をお届けしています。 第60回目の先輩移住者は、2007年の「クイズ!ヘキサゴンⅡ」に出演を機に大ブレイクを果たし、現在は、タレント業、母親業、そして大学生として「三足のわらじ」を履くキャリアを実践しながら日々笑顔を絶やさず邁進するスザンヌさん。 「自分の生まれ育った熊本で、子どもを育ててみたい」と、2015年5月に、故郷・熊本県熊本市にUターン移住し、温かな人々と共に、穏やかで心地よい暮らしを育んでいます。 「挑戦する姿を、息子に見せ続けたい」と語るスザンヌさんに、熊本にUターン移住をした経緯、息子さんへの想い、熊本での温かな暮らしについて、お話を伺いました。

真っ黒に日焼けし、おてんばを絵に描いたような少女時代

熊本県鹿本(かもと)郡 植木町(現・熊本市北区)に、2人姉妹の長女として生まれ育ったスザンヌさん。

就学前に熊本市内に転居するまでは、近くのコンビニもない田舎町で育ち、豊かな自然の中を友人と夢中になって駆け回っていたという。

真っ黒に日焼けし、おてんばを絵に描いたような少女だったという彼女は、2歳下の妹のマーガリンさんとの姉妹喧嘩も、やんちゃそのもの。

「妹とは似た者同士だからか、中学生くらいまではぶつかることも多くて、分厚い少女漫画の単行本の角で殴り合うという、バイオレンスな喧嘩を繰り返し、よく母に叱られていました(笑)」と、"バイオレンス”という言葉とは真逆のピースフルな笑顔で、当時のことを懐古してくれた。

現在、スザンヌさんとマーガリンさん家族は、同じマンションの別フロアに住んでおり、週の半分は行き来する生活を送っている。従妹同士(スザンヌさんの子どもとマーガリンさんの子ども)も大の仲良しだといい、子育て面でもサポートし合っているのだという。

「祖母、母、私、妹、姪っ子の4世代でよく女子会をするんです。男の子は、うちの息子1人だけなんですけど、女子に囲まれて生活しているからなのか、話し方も優しくて、違和感なく溶け込んでいます(笑)」

と、熊本でご家族と育む暮らしのぬくもりを、シェアしてくれた。

幼き頃に故郷の地で抱いた“憧れ”が、“夢”のきっかけに

火の国・熊本の夏の風物詩のひとつに、「山鹿(やまが)灯篭祭り」がある。

着物に灯篭を背負ったダンサーたちが、力強いパフォーマンスを披露しながら街を練り歩き、夏の暑さに負けないほどの熱気が市内を包み込む。

鮮やかなパフォーマンスに目を輝かせる観衆たちの中には、幼き頃の彼女の姿もあり、中でも彼女の心をときめかせたのは、華麗な技で人々を魅了する、バトントワリングの女性たちだったという。

「『お姉さんたちのようになりたい』と、子ども心に強く思い、母にお願いをして、小学校1年生の時に、バトントワリングを習い始めました。

念願のお祭りの舞台に立たせてもらえた時、『頑張ってるね!』と、声をかけてもらえたことがとても嬉しかったことを、今でも憶えています。

人前でパフォーマンスすることの喜びや、注目を浴びる高揚感を初めて経験できたのが、その時でしたね」

と、幼き頃に故郷の地で抱いた“憧れ”こそが、彼女が芸能界を志す、最初のきっかけになったことを教えてくれた。

祖母と母が揃って伝えた、「笑顔」と「挨拶」の大切さ

スザンヌさんの代名詞といえば、周囲をほっとさせるような、愛らしい「笑顔」であろう。いつも笑顔でいられる秘訣を尋ねると、そこには、大切な人たちからの教えがあったことを教えてくれた。

「物心ついた頃からずっと、祖母と母が口を揃えて、私と妹に伝え続けてきたことがあります。

それは、『どんな時でも、笑顔で挨拶をしなさい』ということ。

それも、ただ笑顔で挨拶をすればいいというものではなく、『相手の目を見て、相手に伝わるような大きな声で、挨拶をしなさい』、と。

『勉強しなさい』などとは、一度も言われた記憶がないのですが、それだけは、厳しく言われ続けてきました。耳にタコができるくらい(笑)。

同じく、食事のマナーについても厳しく言われ続けてきた印象がありますね。

おかげですっかり身についたので、今となってはありがたかったなと思います。」

心からの笑顔を浮かべ、祖母と母への感謝の気持ちを紡ぐ彼女の言葉には、人の心をほどく力が溢れていた。

「東京=働く場所」。子どもと生活するイメージが描けなかった

結婚を機に当時の配偶者の仕事に帯同し、福岡県に移り住んだスザンヌさん。出産後、里帰りをした期間もあり、結局、福岡には半年ほどの滞在となったそう。

その後、別々の道を歩むこととなり、息子さんと二人三脚で新たなリスタートを切るのだが、彼女が息子さんとの暮らしを育む場所として選んだ先は、故郷・熊本市だった。

東京を拠点に活動を続けてきた彼女が、なぜ熊本にUターンすることを選んだのだろうか。

「周囲の人たちの大半は、東京で子育てをすると思っていたようですが、私の中では、“東京=働く場所”という認識だったので、子どもと暮らすイメージが描けませんでした。

もちろん、東京も大切な場所ですよ。ヘキサゴンの仲間たちと、第二の青春を過ごした場所ですから」

上京して以降、ずっと同じ事務所に在籍しており、マネージャーの田中さんとも、家族のように親しくしているというスザンヌさん。

「故郷に戻り、熊本から仕事先に通いたい」と相談をしたところ、「いいと思うよ!」と、彼女の提案を快諾してくれたことも、移住の背中を押したのだとか。

「子どもが当時まだ1歳半と小さかったこともあって、“家族の近くに住みたい”という想いが強かったんです。

それと、“自分が生まれ育った熊本で、子どもを育ててみたい”という、チャレンジの気持ちもあったので、熊本以外の選択肢は思い浮かびませんでした

こうして2015年5月、当時1歳半だった息子さんと共に、故郷・熊本の地に舞い戻った。

1歩踏み出せば、相手もそれに応えてくれる。自分から心を開くことが大事

熊本県とはいえ、元々生まれ育った地域に戻ったのではなく、アクセス面も考え、熊本の中心地に拠点を築いたという。
家族以外、知り合いは一人もいない状況での移住であったというが、どのように人脈を築いていったのだろうか。

「移住して最初にしたことは、子どもの幼稚園選びでした。

幼稚園を選んだ理由は、“息子となるべく一緒にいたい”と思ったからです。

保育園ではなく幼稚園を選んだことで、母には大変な思いをさせてしまいましたが、私の想いを叶えるために、サポートしてくれました。

“どこの園に入れても楽しくなるだろう!”と思っていましたから、幼稚園選びもあまり考えすぎず、家から近いところを選びました。

息子の園は、『園と親が一緒に創り上げること』を大切にする方針で、コロナ前だったこともあり、親が参加するイベントが盛りだくさん。

大変は大変でしたけど、そのおかげで自然とママ友ができ、今では、すっぴんでパジャマパーティーをするくらい仲良くさせてもらっています(笑)。

優しいママ友に恵まれて心から感謝ですね。やはり、自分から意識的に話しかけるようにしたことも、プラスに働いたのだと思います。

“自分から心を開く”って、もちろん簡単なことではないけれど、1歩踏み出せば、相手もそれに応えてくれると思うので、勇気を出すことが大切だと思います

と、陽だまりのような笑顔を浮かべながら、当時を振り返った。

“ポジティブ”なコミュニケーションの積み重ねが、良好な人間関係を築く

田舎暮らしの懸念材料として、時に濃すぎるといわれる人間関係がある。
特に、都会から地方に移住した人の中には、近すぎる距離感に戸惑いを感じる人も少なくないだろう。

スザンヌさんの場合、不特定多数の人が一方的に自身のことを知っているという、著名人ならではの苦労も当初はあったのではないかと想像すると、

「地方ならではの濃密なコミュニケーションが苦手という方もいると思うんですが、地方出身だからか、性格的なものなのか、私は最初からあまり抵抗がなかったんです」

と、懐かしむように目を細め、穏やかな口調で続けた。

「私の母も女手一つで私と妹を育ててくれたので、平日は祖母の家で暮らしていて、母の仕事がお休みの日に、母の家で会うという生活を送っていました。

なので、ご近所のおじいちゃんとおばあちゃんとお話するのが、昔から大好きなんですよね。

加えて祖母が、初対面の人ともすぐに仲良くなる性格で、そんな祖母を間近で見て育ったからなのか、私自身も人見知りしない、社交的な性格になったのかもしれません。

移住して最初の数ヶ月は、ご近所の方たちも『あ!スザンヌだ!』みたいな反応をされていましたけど、そのうちに慣れてくださって、『あ、また来てる』くらいの雰囲気に(笑)。

スーパーで買い物をしている時に、お話好きのおばさまに声をかけていただいて、近くのお店のお得な情報や、地元の人ぞ知るお店の情報を教えていただいたり・・・。

越してきたばかりで街の情報がわからなかったので、むしろありがたかったですね。

相手はただ、“コミュニケーションを取ろうとしてくれているだけなんだろうな”という視点で見てみると、その方のことも、なんだか愛おしく見えてくるというか(笑)。温かいなって思いますね

チャレンジする姿を、子どもに見せ続けたい

これまで2人で1つのように、寄り添い合って歩んできたスザンヌさん親子。

移住当時1歳半だった息子さんも、今では小学4年生になり、子の成長と共に、スザンヌさんの心境にも変化が訪れているのだという。

「息子も大分しっかりしてきて、自分の人生を、自分の足で力強く歩んでいくのだろうな、と、息子の未来に想いを巡らせることが増えてきました。

私の母が、子どものことをしっかり見守りながらも、自分の人生も楽しむことを忘れない人だったので、私も、私自身の人生を歩める母親になりたいですね。

子育ても、赤ちゃん時代の時とはまた違う悩みが出てきて、多分次の悩みは、思春期の反抗期とか人間関係の悩みになってくるのかな。

悩みも変わっていく中で、私自身もどんどん変化していかないといけないと思っていますし、その時々を受け入れ、サポートできるように、“何かに向かって頑張っているママでい続けたい”という想いが、強くあります

「チャレンジし続けることはすごく大事」と語るその言葉通り、スザンヌさんは、2022年の春に日本経済大学のファッションビジネス学科に入学し、起業の知見を深めるために、経営学や経済学を学んでいる。

彼女のチャレンジに「ママが頑張るなら、ぼくも頑張る!」と、息子さんもいい刺激を受けているようで、内容は違えど、一緒に勉強することもあるのだとか。

「息子が小学校を卒業するタイミングと、私が大学を卒業するタイミングがちょうど重ねるので、息子が中学校にあがる時に、私もまた新たなスタートを切って応援できるように、まずは頑張って卒業します(笑)」

息子さんを一人の人間として尊重する、凛とした彼女の姿に、現在の暮らしの多幸感と充実感が伝わってくるようだった。

「頑張って」ではなく、「一緒に頑張っていこう」と、息子さんに力強いエールを送るスザンヌさん

合う・合わないは、移住先に行ってからわかること。まずは考えすぎずに、1歩を踏み出してみるのも悪くない

最後に、移住を検討している方に、先輩移住者としてメッセージをお願いした。

「新しい場所に引っ越すということは、ものすごく勇気のいることだと思います。

1歩踏み出したはいいものの、“もう後戻りはできないかもしれない”という不安もあるでしょう。

でも、合う・合わないは、実際に移住先に行ってからでないとわからないことですから、移住後にもし、その地と相性が合わないと感じたら、また違う場所に移ることを考えていい。

“移住先を終の棲家にしなければいけない”というルールは、ありませんから。

考えすぎて、ただ時間が経過してしまって結局何もできないくらいなら、その間に色々な場所に行ってみた方が楽しいし、有意義ですよね。

“移住してみようかな”くらいの気持ちで1歩を踏み出した先に、もしかしたらものすごいワクワクが待っているかもしれませんよ!

ワクワクしながら、一緒に移住計画を楽しんでみましょう!

50才になった時のご自身の姿を想像していただいたところ、「移住計画を立てながら、ワクワクできていたらいいですね!」と、弾むように応えてくれた。

次に、彼女の笑顔で花咲く場所は、どこになるのだろうか。

そこは熊本でありつづけるかもしれないし、全く違う場所であるかもしれない。

万国共通の“笑顔”という武器を持っている彼女なら、その選択がたとえ国境を越えたとしても、その地に溶け込み、その地でワクワクしているのではないだろうか。

スザンヌさんのこれからの挑戦と、益々のご活躍を、応援しています!


 

 

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