移住者プロフィール
榮大吾さん
出身地:神奈川県横須賀市、現住所:山口県周防大島町、職業:ひじき漁師、「田舎チャレンジャーラボ」の運営
目次
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野球で気づいた“中途半端”な存在の価値
1989年生まれ、神奈川県横須賀市出身の榮さんは、慶應義塾大学法学部を卒業後、2012年に日本政策投資銀行に入行した。
社会における自分の役割は、小学生の頃に始めた野球を続ける中で見つけたと話す。
「ベンチ入りの当落線上にいるくらいの選手だったので、一選手としての試合での活躍というよりは、『どうしたらチームが強くなるか』を考えるチーム運営のほうに面白さを感じるようになりました。
大学では野球部の学生コーチをしていました。コーチというのは、監督でもなければ、部長でも選手でもない、ある意味すごく中途半端な立場です。でも、そういう存在が意外と、チームや組織にとっては大事なんじゃないかと思いました」
日本政策投資銀行で働くことにした理由も、そうした考えの延長線上にある。
「民間でありながら政府系の金融機関でもあるという、やはり“中途半端”な立ち位置なんですよね。常に存在意義を問われ続けているというか。
日本経済を牽引していく民間企業と、その支えとなる公共セクション、この2つからどうしても漏れ出てしまう役割があるのも事実で、その穴埋め作業をする人間が世の中には必要なのだと、そんな思いで働いていました」
生業(なりわい)を見つけるために
中途半端な存在だからこそ、周りの状況に合わせて、あちこちにも動ける。そんな役割に意味を見出し、「青臭く」働いていたという榮さん。
しかし2018年、30代を前にして脱サラし、妻とともに山口県周防大島町への移住を決めることになる。組織を辞めて個人として働くという大きな決断の背景には、一体、どのような思いがあったのだろうか。
「この決断も、基本的にはこれまでの流れと連続しています。まず、世の中全体を見渡した時に、今、一番足りていないものは“現場で働く人”だという思いがありました。例えば、地方移住促進という文脈でいえば、不足しているのは、現場で受け入れをする人、それを調整する人、あるいは草刈りをする人だったりします。そういう足りないところに自分が入ることが一番世の中のためになるし、自分にもかえってくることがあるんじゃないかと思いました」
ちょうどそんなことを考えているタイミングで、広島県出身の妻から提案されたのが「田舎暮らし」だった。そこから榮さんの中で、“地方移住して自ら事業を営む”という選択肢がにわかに具体性を帯びてきたという。
「人生100年時代とも言いますし、今のうちに生涯を通してできる仕事を見つけたいという気持ちになりました。65歳くらいで定年退職して、退職金が出てからチャレンジするよりは、エネルギーがありあまっている30~40代のうちに見つけておきたいと」
こうして、移住先を探し始めた榮さん。地方移住の相談会に足を運び、気になった自治体を実際に訪れ、最終的に選んだのが山口県周防大島町だった。
移住の決め手は「町の人の飾らない話」と「自営業の先輩たち」
山口県の最東端、瀬戸内海の西に位置する島々からなる周防大島町。美しいヤシの並木と青い海が広がる南国の島で、明治時代には島民の多くがハワイに移住した歴史的背景を持つことから、「瀬戸内のハワイ」とも呼ばれている。
その中で、榮さんが移住を決めた地家室(じかむろ)地区の佐連(され)は、人口約50人の限界集落。移住先選びの決め手のひとつとなったのは、地域の人の話から感じたリアルだったという。
「移住相談に行った際、良いところばかりではなく、実際の暮らしに即した極めて現実的な話を教えていただけたことが大きかったです。
『景色が綺麗』といったことは、ほかの土地にもいえることですが、それよりも、町の現実を飾ることなく教えてくれたことが素敵だと思いました。それは、最初に相談に乗ってくれた役場の職員の方も、その方がつないでくださったほかの方の体験談を伺っていても、同じように感じたことでした」
そして、もうひとつの決め手は、自営業者の先輩が多いということ。
「働いている人の3分の1が自営業者です。周防大島は“農業と観光の島”なんていわれ方もしますが、全体の就業人数を見ると、“医療・介護”と“土木建築”の2つがメインで、過疎化や高齢化による業種の偏りが生じている。そんな現実がある一方で、大きな産業が育たなかったがゆえに家業的な働き方が今なお残っているのだと思います。イワシ網漁の親方をやっていた集落の長老をはじめ、身近に商売をやっているたくましい先輩がたくさんいる環境は、生業を見つけたいと思っている人間にはすごく魅力的に映りました」
引用:令和2年国勢調査引用
移住の不安要素は淡々と調べて潰していくだけ
とはいえ、安定的な銀行員という職を手放しての限界集落への移住は、傍から見るととても大きなチャレンジのようにも思える。その点、不安はなかったのだろうか。
「正直、不安はなかったですね。不安というのは、正体がわからないからこそ生まれるわけで、具体的に考えていけば消えるものだと思います。例えば、収入面でいったら、まずはその土地で最初の数年間生活するのに必要な金額をきちんと把握することから始めました。最悪、妻と2人で月に20日間アルバイトすれば何とかなるということがわかり、それならそんなにリスクはないと判断しました。そんなふうに気になることを淡々と調べて、不安要素をひとつずつ潰していきました」
不安をなくすという意味では、自分にとっての「豊かさ」の基準をはっきりさせることも大切だと榮さんは語る。
「都会が豊かだと思えば都会で暮らせばいいし、田舎が豊かだと思えば田舎で暮らせばいい。その判断をする上で、いろいろな価値観や生き方があることを知るのも大事なことだと思います。
おすすめの方法としては、休み方を変えてみることですね。思い切って2週間くらい休暇をとると、旅先で、農家の人とか、自分で会社をやっている人とか、普段かかわらないような人と知り合えたりします。
私自身がそうでした。2014年にクロアチアに新婚旅行に行ったとき、北海道のジャガイモ農家のご夫婦と出会いました。ジャガイモの閑散期には、こうして毎年夫婦で海外を旅しているそうで、『季節労働はこんなふうに時間を使えるのか』と、とても驚きました。
そうやって会社勤め以外の働き方や生き方を知ると、今の自分の手持ちの選択肢がいかに偏っていたかがわかるし、そのぶん新しい選択肢が増える。自分にとっての豊かさに少しずつ近づいていくのではないかと思いますね」
人との縁で行き着いたひじき漁師という生き方
自営業という生き方の中でも、季節労働性の高い一次産業に惹かれるようになった榮さんが、周防大島町で見つけた生業がひじき漁だった。なぜ、ひじき漁だったのか。
「農業や漁業は全般に生産者数が減り続けている一方、産出額は2010年以降大きな変化はありません。つまり、一人当たりの産出額は伸びているということです。そういう意味でチャンスがあると思いました。
出典:農林水産省Webサイト 令和4年 農業総産出額及び生産農業所得(全国)
出典:農林水産省Webサイト 令和4年 漁業産出額
でも、そうした戦略を持ってひじき漁に飛び込んだというよりは、釣りに連れていってもらったり、山や海のことをいろいろと教えてくれる地元の人が、たまたまひじき漁をやっていたというのが正直なところです。
先人がやっていること、それも歴史や文化に基づくことにあやかるというのは、若い人にとってすごくありがたい機会だと思っています」
地域の人との関わりの中で自然と仕事が見つかる。地方で暮らすにあたっては、このように人とのつながりをいかに深められるかが一つのカギを握ると言えるだろう。しかしそこに、「コミュニケーション能力の高さは関係しない」というのが榮さんの考えだ。
「コミュニケーション力が高くなくても、移住相談会に参加するといった、しかるべきルートから入っていけば、相談に乗ってくれる人やウマの合う人はきっと見つかります。そうした人の周りには、また別のウマの合う人がいるものだし、紹介を通してつながっていけば、コミュニティは着実に広がっていきます。すべては人を介して行う。これが一番安心ですね。家を探すときも住まいの総合情報サイトで検索するようなことはせずに、地域の人の紹介を受けましょう!」
人と人、人と地域のミスマッチを起こさないために
現在、ひじき漁以外にも、地域で頑張る人が集うオンライン村「田舎チャレンジャーラボ」の運営、Webメディア「ど安定捨てて島移住」での情報発信など、活動の幅を広げている榮さん。その背景には、人と人、人と地域とのミスマッチを起こしたくないという思いがある。
「移住した2018年頃は、『これからは個の時代だ』というようなことがいわれていましたが、私自身はどちらかというと、『村で頑張っていく時代』だと思っています。
人が3人集まれば、それはもう『村』です。人間が一人でできることはたかが知れているので、地域の中で価値観の合う仲間を見つけたり、地域の価値観に合う外の人とのつながりを作ったり、そうした縁がひとつでもふたつでも生まれるといい。そんな思いでメディアで情報発信をしています」
活動をする上で大切にしているのは、人々が移住に抱く希望や不安を無理に類型化しないことであると榮さんは続ける。
「人にはそれぞれの人生があり、考え方がある。人口が増えたり、工業化が進んでいる世の中であれば、類型化して横展開していくという考え方は大事ですが、人口が減っていくこれからの世の中は、どんどんガラパゴス化に向かうと思うんですね。つまり、個別具体性にいかに目を向けられるかが大事になる。
だからこそ、あらゆることで1on1の関係を大切にしています」
島暮らしの不便なところは?
ここまでの話で、周防大島町での暮らしに興味を持った方もいるかもしれない。そんな方が移住のミスマッチを起こさないためにも、榮さんが実際に生活して感じた、島暮らしの不便なところを教えていただいた。
「大きな本屋がないのは結構大変ですね。ネットだとどうしても自分の知識に最適化された情報ばかりになってしまう。自分の知らない新しい世界や知識を得ようとしたときに、やっぱり役に立つ集合知というのは書店だったり、図書館だったりするので、それが近くにないことは不便だと感じます」
周りの子どものいる家庭を見ていると、子育て面で苦労している人も少なからずいるようだ。
「交通手段が少ないこともあり、子どもの送り迎えなどで苦労しているお父さん、お母さんが多い印象です。祖父母と同居していたり、親戚が近くに住んでいたりすると助け合いができますが、Iターン移住などで周りに頼れる人がいないと大変だと思います。もちろん、近所の人にお願いするなど、田舎ならではのつながりができたりはしますが、それにも限界はあります。そのあたりは覚悟しておいたほうがいいかもしれません」
限界集落は世界の最先端を行く場所
不便なところももちろん多い限界集落だが、榮さんは「いくら積まれてたとしてもこの暮らしを手放すつもりはない」ときっぱりと語る。
それほどまでに迷いがないのは、この限界集落こそ「全世界の中で一番進んでいる場所」だと考えているからだ。
「集落の人から、『先になるものが後になり、後になるものが先になるのが世の常だ』と教えていただきました。世の中は巡っている。過疎化が進んでいる場所にこそ、学べることがたくさんあります。
例えば、周防大島町の空き家率が3割を超えているというのは、全国に先駆けていることですし、介護や医療業界に雇用のほとんどを引っ張られてしまっている状況も、今後、高齢者が激増する日本の都市部が経験することです。その課題に今取り組んでいる限界集落は、まさに時代の先駆者です。
人が減っていても、先人の知恵がつまった豊かな暮らしがあり、生涯現役で働くパワフルな人生の先輩がたくさんいます。サービスに依存することなく、自分の力でなんでも作り上げる。そんな先輩方を見習って生きられるこの場所で、これからもずっと暮らし続けることが私の明確な長期目標です」
参考:周防大島町空家等対策計画(令和 6 年 1 月訂正(案)) より
田舎暮らしの豊かさもあれば、都市生活の豊かさもある。榮さんの言葉を借りるならそれは、類型化されるようなものではなく、個別具体的に自分自身で見つけていくものなのだろう。それを踏まえても、榮さんが語る限界集落の可能性には「豊かさ」のヒントがたくさん詰まっているように感じる。
「さあ、君はどこでどう生きる?」
何となくあわただしく過ぎ去ってしまう毎日の中で、一度、そんな問いと真正面から向き合ってみたい。