移住者プロフィール
原田 広志さん
移住時期
2016年11月
利用した支援制度
地域おこし協力隊、農業次世代人材投資資金
出身地:京都府、現住所:愛媛県上島町、職業:しましま農園 代表
目次
INDEX
上島町岩城島へ移住するまでの経緯を教えてください
原田広志さん(以下、原田):自分がしたい仕事をするために上島町を選びました。私は京都出身、母が岩城島、父が近隣の広島県尾道市生口島の出身なので、幼い頃から島には親しんできました。大学では農学部の環境化学研究室で学び、卒業後は交通系企業のサービス品質を管理する会社に就職し、4年間勤務しました。
当時は会社を良くしようと考えて頑張っていたけれど、会社にはそうでない人もいましたから、周囲との温度差が気になって(笑)。そう気付いて、自分がしたい仕事をやろう、と決心しました。
幼い頃から生口島のおばあさんのみかん畑で遊び、農業が身近で親しみがあったので、会社勤めの合間に農業の本を読み、程なく小さな土地を借りて家庭菜園を始めました。実際に農業を体験してみると面白くなり、平日は会社で勤務、土日に有機農法を学ぶ農業学校に通うようになりました。1年そこで学んだあと務めていた会社を退職。
将来の本格就農に向けて、有機野菜を扱う八百屋「坂ノ途中」の自社農園「やまのあいだファーム」や、イチゴ・九条ネギなどを慣行農法(化学肥料や農薬を使用する一般的な農法)で生産している「渋谷農園」で修行しました。そのような中で、畑をすることが、「人生で一番時間を使いたいものだ」と自分の中で確信したのです。
上島町岩城島での就農を決めた理由を教えてください
原田:農業を生業にするなら、暮らす場所は生まれ故郷の京都、または、ルーツのある岩城島や生口島のどれかと考えていました。上島町に地域おこし協力隊(上島町では島おこし協力隊という名称)の制度があり隊員を募集していたことから岩城島を選び、2016年11月に岩城島へ移住しました。
協力隊員として町内の農家でのお手伝いを通して島の農業を学びつつ、自らの生き方も考える1年間を過ごし、17年11月に協力隊を卒業。現在(2021年3月)は農業次世代人材投資資金の給付を受けながら、農家として独り立ちしていくための大切な期間を過ごしています。
運営する「しましま農園」について教えてください
原田:「しましま農園」は、野菜と果樹を主体としています。園地の総面積は1町8反(約17,850平方メートル)あります。
有機農法の農家さんたちはストイックに有機にこだわっていますし、慣行農法は野菜の見せ方はもちろん収益性を追求しています。僕は両方の経験をしてきたうえで、どちらも間違いではないなと思っています。いま目指しているのは、いいバランスでその両方がある形です。
「しましま農園」ではどんな作物を作っていますか?
原田:野菜は固定種を中心におよそ50品目を少量多品種で栽培、それに加えて愛媛果試第28号(商標登録名:紅マドンナ)やレモンなど数種類を育てています。基本的に、僕が好きな品種を有機農法でつくっています。
これまで合わせて70品目くらい試しながら、最近になってその中から売れる、または売りやすいものを絞り込み、50品目ぐらいに落ち着いてきたところですね。
新しい作物にもチャレンジされると伺いました
原田:野菜や柑橘の栽培のかたわら、いま取り組んでいるのはアボカドの事業化です。国内に流通しているアボカドはほとんどが輸入品で、国内産はごくわずか。ですが、じつは岩城島には自然に成長しているアボカドの大木があり、毎年実をつけています。
また愛媛県内でも先行的に栽培に成功した例もあります。希少な国産アボカドは、安全性や味が評価され輸入品の数倍の価格で取引されており、高収益が狙えるまさにこれからの作物です。なので、アボカドを農園の中心的存在に育て上げたいと思い、自らタネを発芽させ、苗を育てはじめました。アボカドを植えているのは主に生口島の園地です。
しまなみ海道の高速道路に程近い、日当たりの良い斜面にいくつものアボカドの幼木が植わっています。背丈以上に大きくなっているものもあれば、小さいまま枯れてしまっているものもあります。一筋縄ではいかない未知への挑戦です。
今後の目標がありましたら教えてください
原田:僕が農業に取り組むことが、社会の役に立つようになればいいなと思います。僕の野菜を食べていただいたり、岩城の畑を訪れていただくことで、野菜が好きになったり自然のことを学んで暮らし方が変わったりする人が増えるような、そんないい影響を社会に与えられたら幸せです。