移住者プロフィール
瀬川 直寛さん
出身地:奈良県、前住所:大阪府、現住所:長野県伊那市、職業:フルカイテン株式会社CEO
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毎日が冒険だった幼少期。高校受験では“セルフ浪人”
1979年奈良県生まれ。「体を動かすこと」と「物づくり」が大好きな少年だったという瀬川さん。
山を下って徒歩45分ほどの学校までの道のりは、毎日が冒険。近道するために、大きなため池を細い道をかき分けながら通ってみたり、冬場に氷の張った池の上を歩いてみたり。氷が割れてランドセルのまま池に落ちても、お構いなしに楽しかったという。
「両親が意識していたのかはわからないですが、基本的に好きなように生きさせてくれました。何かを強制されたことは一度もなくて、『塾に入りなさい』とも、『勉強せい!』とも言われなかった。基本的に自分で考えて決めなさいという育て方だったんです」
勉強を強制はされなかったが、一度スイッチが入ると興味があることはとことん突き詰めてやるタイプだった。
中学で成績が下から7番目まで落ちると、心機一転、猛勉強を始め、絶望的と言われた進学校に合格。高校時代には、自分で用意した時間割と参考書を使い、3年間の学習範囲を2年で終わらせ、難関とされる医学部合格のため、高校3年で「セルフ浪人」。
学校には行かず、寝る間も惜しんで自宅で猛勉強したという。
医学部には手が届かなかったものの、教師と約束した8つの大学にはすべて合格。現役で慶應義塾大学に進学した。
三度の倒産危機を乗り越え「フルカイテン株式会社」を立ち上げ
他人には真似できないような大胆さと、詳細な計画を立てて実行に移す緻密さを持ち合わせていた瀬川さんは、大学卒業後も、その能力を遺憾なく発揮した。
最初に勤めたIT企業では、先方の口調をそのままに一言一句聞き逃さない前代未聞の議事録を作り、打ち合わせの温度感まで再現した徹底ぶりが社長にまで絶賛された。
そんな独自のアプローチで営業成績を伸ばしていき、入社して2年3か月を迎える頃には6億4千万円を売り上げトップセールスを記録したり、別の会社では3年間で年商15億円の事業を創り出したこともあったそうだ。
数々の伝説的なエピソードを残してきた瀬川さんだが、その後、ベビー服のEC事業に参入し、ハモンズ(のちのフルカイテン株式会社)を起業すると、三度にわたる倒産危機を経験する。過剰在庫や価格戦略の失敗がその原因だった。
しかし、そんなピンチもチャンスに変えるかのように、大学で学んだAIや統計を使い、不良在庫の見極めや発注点の変動化など、独自の理論を構築。小売業を対象に在庫の適正化を支援する在庫分析SaaS「FULL KIATEN」の開発を実現させた。現在は、さらに射程を広げ、社会全体の在庫量の適正化による「世界の大量廃棄問題の解決」という大きなミッションに挑んでいる。
教育環境への違和感から移住を決意
そんな起業家としての顔とは別に、9歳と6歳の娘の父でもある瀬川さん。会社が軌道に乗っているタイミングにも関わらず移住を決断したのは、子どもたちの理想の教育環境を求めてのことだった。
長年暮らしてきた、本社がある大阪府福島区は、大阪有数の繁華街・梅田に隣接し、下町情緒が残る住みやすい町。しかし、近年は土地の値段が上昇。高層マンションが相次いで建てられ、町や人の様子は大きく変わったという。
瀬川さんは次第に、子育ての現場に形成されていくある「価値観」に違和感を持つようになっていった。
「何をするにも、『親の言うことを聞く子が良い子』という考え方をする親が多いように感じました。親の言うことというのは、例えば『勉強をちゃんとやりなさい』ということ。でもこれは、“気づかぬうちに縛られている価値観”というやつなんですよ。
実際は、保育園や小学校低学年の頃から必死になって勉強させたところで、その先の子どもの人生には何の影響もない。勉強はあとからいくらでも挽回できる。それは、僕自身が身をもって知っていることでした」
「うちの子はもうこんな漢字が読めるんですよ」「英語が話せるんですよ」......そんなやりとりに息苦しさを感じる日々。それに追い討ちをかけるように、コロナの感染拡大が始まり、子どもたちを取り巻く環境はますます窮屈になっていった。
「緊急事態宣言が出て以降、学校に行っても『友達と喋るな』『黙って給食を食べなさい』『ほかのクラスに行っちゃいけません』……そんなことばかりで、コロナで授業が遅れているからという理由で、長女が好きだった歌やダンスの時間も削られていきました。友達と楽しく過ごせず、ますます勉強での競い合いのようになっていく。長女は学校に行く楽しさを感じられなくなっているようでした」
そんな時に、「環境を変えよう」と最初に行動を起こしたのは、同じように違和感を抱えていた瀬川さんの妻(フルカイテン従業員の宮本)だった。人に話を聞いたり、本やインターネットで情報を集めたりして、さまざまな選択肢を模索していく中で見つけたのが、長野県伊那市にある伊那小学校だった。
60年間、通知表がない公立小学校
通知表もなければ、時間割もチャイムもない。伊那小学校は、公立の学校でありながら、子どもたちの主体性を尊重した独自のカリキュラムを60年以上前から実践している、全国でも珍しい学校だ。
早速、家族で伊那市を訪れ学校を見学した瀬川さんがまず驚いたのは、教室や廊下にびっしりと貼り出された掲示物。それは、子どもたちの活動の様子を紹介したものだった。
伊那小学校の中庭にいるポニー。生徒皆でお世話をしている
伊那小学校では「総合学習」の時間が教育の中心に据えられ、子どもたちが意見を出し合って決めた探求的なテーマに学級単位で取り組んでいく。
クラス替えは一度しかなく、1〜3年、4〜6年生が同じクラス。低学年では、ポニーやヤギ、羊などの動物を飼育したり、高学年になるとログハウスを建設する学級もあるそうだ。
例えば、ログハウス作りでは、模型を作るところから始まり、林に出かけて最適な木を探し、ノコギリを使って切り倒し、台車に乗せて山道を運ぶ。すべての工程を子どもたちが自ら考え、実行していくそうだ。
「その中で、面積を計算する必要が出てきたら、それが算数の勉強にもなります。それもただ計算するのではなくて、ロープを使って巨大なコンパスを作ったりして計算するんです。そうすると、勉強も楽しいんですよね。そんな子どもたちの写真を見た時、『この学校は生きているな』と思いました」
森にある手作りの遊具。「危ない」「ダメ」は言わないという方針の遊び場
肝心の娘さんたちの反応はというと、伊那市の大自然に興味津々。
「学校の横の林にアルプスの雪解け水が流れる川があるんです。体験移住をした時に、地域の方に案内してもらったんですが、その方のお子さんは靴を脱いで、途中にあった用水路の中をバシャバシャ歩いて行くんですよ。都会育ちのうちの子たちは『パパ、ここ入っていいの?』と最初は戸惑っていましたが、いざ川に入ってみるともう楽しくて、服を着たままビチョビチョになりながら遊んでいました」
最終的には「帰りたくない!」と言うほど、子どもたちにとっては最高の体験だったようだ。
箕輪もみじ湖の紅葉
まちと自然の距離が近い伊那市の魅力
7月と8月、2回の体験移住を経て、2022年10月に伊那市へと移住した瀬川さん一家。実際に暮らしてみて感じる伊那市の魅力は、「まちと自然との距離が近いこと」だという。
長野県の南部に位置する伊那市は、東西に南アルプスと中央アルプスが聳え、その中央を流れる天竜川に沿って「伊那谷」と呼ばれる盆地が南北に伸びている。この細長い谷間が市街地になっており、伊那小学校もここにある。そこから車を10分ほど走らせれば、あっという間に雄大なアルプスの山々だ。
パノラマオフィス伊那。ガラス張りの窓の外には田園風景が広がり、その奥に南アルプスと中央アルプスの大自然を望める
「住環境としては、狭いエリアの中に色々なお店があって、買い物に困ることもなく住みやすいです。伊那市に借りた会社のオフィス(上掲写真)からは、すぐそこにスキー場が見えます。それくらい自然が近くにあるんですよ。キャンプ場もたくさんあるし、今年は渓流釣りもしたいと思っています」
今シーズンの冬は、ほぼ毎週、家族でスキー場に出かけているそうだ。小学校からシーズンパスが配られるため、子どもは無料でスキー場を利用できる。しかし、楽しんでいるのは子どもたちばかりではない。瀬川さんは人生で初めてスノーボードに挑戦した。
スノーボードを練習する瀬川さん
「小学生たちに混ざって、スクールにも参加しました。46歳のおっさんがへっぴり腰になりながら練習しています(笑)。何度も転びましたが、だんだんと滑れるようになってきました。トライしている時は必死すぎて年齢のことなんて一瞬たりとも考えない。豊かな人生ってこういうことなんだなと思います」
大事なのは「引き出す」&「見つける」教育
移住して数ヶ月ほどだが、子どもたちはすでに学校に行くのが楽しみで仕方ない様子。毎日、泥んこになって帰ってくるそうだ。
木の間に2本のロープが渡されたシンプルな手作り遊具。これが子どものお気に入りなのだそう
森でシチューやパンを作って食べる会。遊ぶのも食べるもの作るのも自由
「学校に行くと、毎日、自分がヒーローになれるような瞬間があるんですよね。伊那小学校では、子ども同士が自分の得意なことを教え合うんですよ。例えば、座学の授業で、『この問題わかる人?』と先生が聞くと、それに手を挙げた子たちを中心にグループを作って得意な子が他の子たちに教えていく。
勉強が苦手な子がいても、その子には別の得意があるから大丈夫なんです。木を切るのが上手だったり、重たいものを運ぶ力があったり、歌を歌うのが得意だったり。それぞれに毎日、輝ける瞬間があるから、苦手なことを教わるのも苦にならないんですね」
一人ひとりが違うままで、その存在を認められる。瀬川さんは、それこそが「多様性」の本質ではないかと気づいたという。
「教育で大事なのは、子どもたち一人ひとりが持つ多種多様な可能性を『引き出すこと』、そして、それを子どもが自分で『見つけること』だと思います。伊那市に来て、まず『引き出す』環境は用意できたので、あとは子どもが色々な体験をしていく中で、自分の好き・嫌い、得意・不得意を『見つける』のをサポートしていくことが、親の役目かなと思っています」
組織づくりも同じ。誰かの“苦手”を誰かの“得意”がカバーする
こうした教育に対する考え方は、「企業の組織づくりにも共通する」と瀬川さんは話す。
フルカイテン株式会社では、現在、在庫分析の知見と技術を活かし、アパレル業界を中心に社会問題化している「世界の大量廃棄問題の解決」をミッションに掲げ、必要な商品が必要な量だけ生産されて流通する世界規模のスーパーサプライチェーンの実現を目指している。
フルカイテンで採用広報を務める妻。伊那オフィスで仕事をする様子
この困難なミッションを達成する上でも、やはり社員一人ひとりの「多様性」が大事だと瀬川さんは考えている。
「これまでの組織運営では、『あなたにしてほしいことはこれです』『あなたにはこんな能力を持っていてほしい』というように、社員に対して非常に画一的な要求をしていました。本当は、子どもたちと同じように、会社で働く一人ひとりにもそれぞれ得意・不得意がある。一人ひとりの得意がジグソーパズルのようにはまって、誰かの苦手を誰かの得意でカバーしていく。そんな組織こそ、ミッションの達成に繋がる強い会社なのではないかと気づきました」
具体的な取り組みはこれからだが、瀬川さんには最近、密かに嬉しい出来事があったという。
リモートワークが基本のフルカイテンで、定期的に開いているオフラインの全社ミーティングでのこと。「会社の価値観」について意見を交わし合った際、社員の口から「ワークライフバランスを大事にしたい」という意見が出たそうだ。
「『ワークライフバランス』ってちょっと言い出しにくいじゃないですか。現実として、家庭とのバランスの取り方が難しいといった問題があるのに、それを言ってしまうと『楽したいんやろ』みたいに思われてしまうこともある。だから、社員がちゃんと『ワークライフバランス』と言えた、言ってもいいと思えたということが、嬉しかったんです」
今年から上場の準備を始めるというフルカイテン。ワークライフバランスを会社の統治機構にうまく組み込むことで、社員一人ひとりが活躍できる会社づくりを目指していく。
伊那市を“起業家”の集積地にしたい
伊那市に対するアプローチも構想中だ。今後、「伊那市を子育て世代の起業家の集積地にしたい」というビジョンを持つ瀬川さんは、伊那市が抱える問題について、次のように指摘する。
オフィスのすぐそばを流れる三峰川とアルプス
「伊那市は子育て支援に力を入れていて、伊那小学校を筆頭に、地域全体で多様性を尊重する文化も根づいています。それなのに、子どもたちは高校を卒業すると、県外に出て行ってしまう子が多いんです。
せっかく子どもたちに投資して住みやすい環境を作っているのに、子どもたちがそのまま地域に残るインセンティブがない。つまり、働きたいと思える会社が少ないことが、伊那市の課題だと思っています。
そのためにできることは、子どもたちの憧れになるような企業の誘致、これに尽きます」
近年、伊那市は移住先としての人気が高く、伊那小学校だけでも昨年上半期に30組以上が新たに移住してきているそうだ。自治体として産業振興にも力を入れているものの、伊那市で育った人たちの受け皿となるような求心力を持った企業がまだまだ少ないのが現実のようだ。
「だからこそ、伊那市に多くの起業家を呼び込みたい。日々、桁違いのストレスに向き合っている起業家が、ライフステージの変化に合わせて住む場所を変えるのは選択肢としてあっていいと思うんです。
ベンチャー企業の社長として、家族ごと移住してきたからには、自分が先頭を切って、ライフステージの変化に合わせた生き方を社員に見せていきたいし、ほかの企業のベンチマークになれたらいい。そして何より、フルカイテンをもっと良い会社にして、地域の子どもたちに『あそこの会社で働きたい』と言ってもらえるような存在にならないといけないですね」
写真右の中央にあるのがフルカイテンのオフィスがあるパノラマオフィス伊那。ガラス張りで、四季折々の様子を一望できる
失敗したら戻ればいい。悩んでいる時間がもったいない!
最後に瀬川さんから、地方移住を検討している方に向けてメッセージをいただいた。
「移住する時に一番悩むのは、『失敗したらどうしよう』ということだと思うんですよね。これに対する答えは明確で、失敗したなと思ったら元の場所に戻ればいいんですよ。以前住んでた地域に一旦戻って、もう一回考えればいいじゃないですか。
だから悩むくらいだったら移住しちゃえばいい。悩んでいる時間がもったいないです。早くやってみて、自分に合う・合わない、家族に合う・合わないを見極めて、このままそこにいるのか、元の場所に戻るのかを決める。半年もあれば判断はつきますから。一つの“人生の時間”と考えて、移住してみてください」
瀬川さんは「失敗はその瞬間の失敗であって人生の失敗ではない」とも話す。移住のかたちは人それぞれ。失敗を繰り返しながら自分に合った環境を探していくうちに、ふと、今まで気づかなかった新たな可能性が見えてくるかもしれない。
移住も一つの“探究学習”。そう考えてみると、何だかワクワクしてこないだろうか。
冬は家族でスキーを楽しむのが日課に