移住者プロフィール
今村 祐美さん
移住時期
2017年
利用した支援制度
地域おこし協力隊
出身地:大阪府、現住所:大分県津久見市、津久見市移住相談員、「工房こひる」代表
目次
INDEX
ご出身と、「綿作り」を始めたきっかけを教えてください
今村祐美さん(以下、今村):出身は大阪府です。子どもの頃から布や糸に興味がありました。専門学校に進み、アパレルの仕事をしていましたが、身体を壊してしまい、その世界から一度離れました。
その後、ハーブ園で働きながら、趣味で服を作っていましたが、材料から作りたくなる性分で、いつからか「洋服の素材である綿を作りたい」という想いが強くなりました。
“服は着る薬”と言われるほど、肌が感じるものはとても大きくて、自分の機嫌や体調に大きな影響をもたらすと考えています。しかし、“綿への想い”を抱きながらも、行動に移せないまま、時は過ぎていきました。そんな最中に起きたのが、「東日本大震災」です。
直接的に被災したわけではありません。それでも、「明日がある保証はない」と強く感じ、自分の人生を真剣に見直すには、十分すぎる出来事でした。
そこで、自分が良さを実感しているオーガニックコットンから作ってみようと思い、当時住んでいた東京で、小さな畑を借りて、綿作りをスタートさせました。
「地域おこし協力隊」を活用して移住をしようと思ったきっかけは?
今村:“綿をつくりたい”と強く思うようになった頃、親しい友人が「地域おこし協力隊」として活動を始めたんです。
『全く知らない土地に1人で行くことはハードルが高いけれど、協力隊を活用すれば、3年間は仕事と家があって、その間色々な人と知り合えるよ』と勧められ、協力隊に魅力を感じ始めました。
津久見市を移住先に選んだ経緯を教えてください
今村:「地域おこし協力隊」について調べると、綿作りを“活動ミッション”としているところや、既に綿作りをしている地域を見つけましたが、問い合わせてみても、ピンとこない状況が続きました。
そんな矢先、全国合同の「移住フェア」があることを知ります。そこで出会ったのが、津久見市の担当者でした。話をしてみると、“私自身”に対しても、“綿作りへの想い”に対しても、興味を持ってくれていると感じることができました。
その時は、津久見市の協力隊の募集要項の年齢に合わず、諦めざるを得ないと思ったのですが、なんと、後日、その担当者が上司に掛け合ってくれたことを知ります。
再度、別日のイベントへも参加し、一生懸命情報を共有し、案内してくれる“津久見市のホスピタリティ”に改めて感動しました。
その後、「一度、津久見市に行こう!」と思い、行動に移しました。立ち寄った展望台で感じた風の気持ちよさは、今でも忘れられません。その後、担当者の熱意が伝わり、年齢制限が撤廃され、無事応募に至りました。
念願の津久見市への移住はどのようにスタートしましたか?
今村:2017年に東京から津久見市へ移住したのですが、予定していた引越しの10日程前に、津久見市が「台風による大規模な被害」を受けました。
ニュースが流れ、東京では詳しい情報が随時更新されず、不安は募ったものの、予定通り引っ越しました。移住初日、津久見市は電車がまだ復旧していない状況で、いたるところ泥だらけでした。
しかし、こんな非常時にも関わらず、当時の担当課長が『こんな時によく来てくれたね。もう行きませんって言われるかと思ったよ。』という言葉をかけてくれたんです。
そのことが非常に印象に残っていますね。協力隊の着任直後は、市役所での罹災証明の手続きの手伝いの任務からスタートしました。その合間に、畑の候補地を見せてもらい、今の畑は“一目惚れ”で即決しました。
どのようにコミュニティを築いていきましたか?
今村:津久見市はみかんの産地です。ちょうど9〜10月はみかんが出回り始める時期なのですが、畑や家が被害にあった農家の方々は出荷作業に手が回らず、作業や販売のタイミングを逃していました。
何かお手伝いできることはないかと、市役所の担当の方と相談してボランティアを募り、販売のお手伝いを始めました。
「つくみのみかん応援団」と名づけ、このメンバーで、「お正月につくみのみかんを食べてもらおう!」と、年末に大分駅で販売しました。応援隊の活動は今でも続いていて、“みかんジュースの商品化”へ広がっています。また、この活動のおかげで、地域に入ることができ、気持ちも楽になっていきました。
移住して困ったことはありましたか?
今村:困ったことは2つありました。1つは車です。必要最低限の物は近場で揃っても、車がないと持って帰れない物や郊外に行かないと買えない物がある時は困りましたね。
もう1つは、気軽にコーヒーを飲める場所がないということです。東京にいる時は、仕事帰りにちょっとコーヒーを飲むことができましたが、その時間が取れず、煮詰まって、大分までコーヒーを飲みに行っていたこともありました。
誰も知らない中で、ほっとしながらコーヒーを飲んで、少し買い物をして帰ってくることもありました。「移住したら生活が変わる」ということは理解していたつもりでしたが、“自分の想像を超えた変化”だったので、思っていたよりも慣れるまでに時間がかかりました。
気軽にコーヒーを飲める場所がないと言うと、それが津久見市を批判していると誤解されるのではないかと思って、誰にも伝えられず、悩みを言えなかったことは正直苦しかったです。とはいえ、1年も経てばその辛さは抜けていき、息抜きの仕方もわかっていきました。
畑づくりから「つながり」は広がりましたか?
今村:広がりましたね。綿は、5月初旬に種を植えるため、着任した10月からはひたすら荒地の開墾をしていきました。ハーブを植えたり、少し植えては広げて、という作業を繰り返してくうちに、順調に収穫もできるようになっていきました。
「自分で作って採った綿で、身につけるものを作る」という目標に向けて織りを学び、糸紡ぎの練習も行っていきました。着任して半年後、「津久見くらしの体験博覧会・津っぱく」が始まりました。ものづくりのワークショップの経験を活かし、「河津桜(かわづざくら)の塩漬けづくり」や「スマホで桜を撮影する講座」を開催しました。
その後、会が催される度に、様々なメニューを作って参加し、徐々に、糸紡ぎ体験や畑の収穫体験など、“自分がメインとなる活動”を取り入れながら、綿のことも知ってもらう取り組みができるようになりました。ワークショップ参加者は、趣味趣向が近い人たちも多く、様々な意見交換をすることで、楽しみながら「つながり」を広げていくことができました。
「地域おこし協力隊」を卒業してからの活動について教えてください
今村:協力隊の活動を終えた後は、“観光協会”に所属して、「移住定住を支援する活動」を始めました。自身の移住の経験を踏まえて、津久見市に移住する人がもっと気軽に問い合わせたり、“人と出会える場所”を作りたいと思ったからです。もう一つの活動として、海がすぐ近くにある物件を工房として借りました。
「工房こひる」と名付け、“自分自身のものづくり”をメインとしながら、ワークショップを開催していく予定です。協力隊の任期中に取得した、織りのインストラクターの資格を活かして、教室を開催する準備が整った頃、正式にオープンしたいと考えています。自分にとってこの場所は、「自分と向き合える場所」です。
ものづくりが好きな自分だからこそ、その楽しさを知る“きっかけの場所”でもあってほしいと強く願っています。
津久見市への移住を検討している方へメッセージをお願いします
今村:私自身、津久見市へ移住して本当に良かったと思っています。もちろん、今でも全く不安がないわけではないけれど、地域の人々の“生きる強さ”を見ていると、「なんとかなる!」と感じます。
「なんでもとりあえずやってみよう!」の精神を大事にしているんです。移住も同じことで、“行かないとわからないし、住んでみないと実際のところは分からない”ですよね。
だからこそ、移住はもっと気軽でいいのではないかと思っています。色々な事情はあると思いますが、動いてみたら意外となんとかなることにも気付けるかもしれません。一生懸命な気持ちがあれば、周りの人は手を差し伸べてくれるし、なんとかなる!