移住者プロフィール
得田 優さん ・晴美さん
出身地:石川県、前住所:大阪府、現住所:鳥取県倉吉市、職業:環境教育活動
目次
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移住前はどのような生活でしたか?
得田優さん(以下、優):出身は石川県で、大学時代からは大阪で暮らし、CM制作会社に勤務していました。
28歳のとき1年間休職し、世界をバックパックでまわりました。アジア、中東、アフリカ大陸、アフリカは南アフリカまで行きました。
移住を考え始めたきっかけは?
優:29歳で帰国したとき、大阪で結婚し暮らし続けるという選択肢はなくなっていました。自分自身もそうでしたが、子どものことを考えても。
海外には昔の日本がありました。自然の中で暮らしている人には生きる知恵があります。大阪時代の自分はパソコンを使えても、自分では一から何もできないと感じていました。
そして、理想とする生活に一番近いのは田舎暮らしだと考え、移住先を検討していきました。
移住までの流れについて教えてください。
優:倉吉は妻の故郷で、以前に一度訪れたことがありました。
2010年秋、大阪で行われた移住定住相談会の倉吉市ブースで話を聞き、その後、倉吉を訪ね、当時の移住定住担当者に案内してもらいました。そのときは、大阪から1泊2日かけて自転車で行きました。
移住先を倉吉に決めた理由は?
優:倉吉にはゼロからやれる面白さがあります。自然、町、どちらも未開で手がつけられておらず、人口も少ない。
自分の想いを実行するには、少人数の町の方がいいと思っていたので、倉吉市関金町の山は変に開発されておらず、魅力的に映りました。関金町は気に入っています。
得田晴美さん(以下、晴美):いつかは帰りたいという気持ちがありましたが、きっかけがなかったんですね。大阪に出たときから、住むなら田舎の方がいいと思っていましたが、仕事を辞めてひとりで帰ってくるタイミングがありませんでした。
夫が倉吉を気に入ってくれて、移住することになり嬉しいです。
移住後はどのような暮らしをされていますか?
得田:移住してからは、山の多い関金町で環境教育活動を行っています。移住時にはすでに関金町をフィールドにしようと決めていました。
都会の子どもたち向けに、自分でやりたいことを決めて実践する体験型の教育旅行を具体化する仕事に参加し、企画・提案などを行いました。
今後は、地元の人が「どういうことができるのか、したいのか」を聞き取り調査して、新しい型のプログラムをつくっていきたいと考えています。
倉吉での暮らしはいかがですか?
得田:時間の流れがゆったりしているし、気持ちに余裕ができますね。
海外で、会社に勤めていなくても家族と楽しく暮らしている人の姿を見て、毎日を充実した気持ちで暮らすことの方が大切だと気づきました。それが本来の人間らしい暮らしだと思います。
今は、満足感があります。農業のように、やったことは自分にすぐ返ってくるからわかりやすいし、やりがいがあり、足りないところも自分が気づいたら、自分のやり方で変えていくことで改善できます。
一つ一つの反応を楽しんでいます。
ここには、元々住んでいる人は気づいていない地元の良さがあります。例えば「おすそわけ」です。旬のものを旬の時期にいただける習慣は素晴らしいと思います。
また、町ごとにやっているお祭りも地域性が出ていて興味深いです。みんなが車を持っていることにも驚きました。
倉吉での暮らしで困ったこと、不便なことはありますか?
得田:言葉に戸惑いました。しかし、逆に興味もわきました。
言葉以外に苦労したと思えることはありませんね。不安なこと=ヒント。不安なことが、次のチャンスにつながると思っています。
これからどんな暮らしをされていく予定ですか?
得田:2012年秋から関金町福原地区に家を借ります。家は自分で探しました。福原地区は別世界のように美しく感じました。
里山での暮らしで実験的なことをして、都会のマンションやアパートで暮らすのとは違う価値観を体験したいです。
水道は山から水が引いてあり、水道代はかかりません。家の裏に水路があり、水車を作ってみたいと思っています。風呂は薪で沸かせるお風呂なんですよ。
そういう暮らしをしていくことが、都会の方へのメッセージになると考えています。田舎暮らし=スローライフではありません。
田舎には資源がたくさんあり、ゆくゆくは人がたくさん来ると思っています。自家発電の電気も作れることも広めたり、そんなメッセージ性のある暮らしをしたいですね。
出典: 里山にがっこうを!