移住者プロフィール
市川穣嗣さん
出身地:東京都、前住所:東京都、現住所:佐久市、職業:アーティスト・PUMA JAPANのクリエイティブディレクター
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16歳でイギリスへ
1982年に東京で生まれ、幼少期は鎌倉で過ごした市川さん。母がイギリス人、父が日本人のミックスだ。
小さい頃から絵を描くことが好きで、兄の真似をしてよくマンガの模写をしていたという。ドレスを着たお姫様が登場するファンタジーの世界に魅了され、この頃からすでにファッションには興味を持ち始めていた。
16歳でイギリスに留学。現地の高校を卒業後、ロンドン芸術大学に進み、ファッションデザインを学んだ。
「イギリスの学校でイッセイミヤケの本を見て、服って面白いなと改めて思ったんです。そこからどんどんファッションに夢中になっていきました」
大学ではファッションデザインテクノロジーの修士号を取得。その後、ロンドンの「プーマ」でキャリアをスタートさせ、25歳の時には、憧れだったファッションブランド「アレキサンダー・マックイーン」と連携した企画でデザインの責任者も務めた。
自身のブランドの立ち上げなどを経て、日本へと戻ってきたのは30歳になったタイミングだった。
「イギリスでの生活には多様性があるというか、決まりごとはあるけれども、その枠にはまらなくても大丈夫という感覚がありました。日本に帰ってきてからは……自分の場合、同性婚ができないなど、根本的な人権のところで大きな違いを感じましたね」
イギリスでは2014年に同性婚が合法化されたが、日本ではいまだに認められていない。
移住のきっかけは親友の引っ越し
日本に帰国後、プーマジャパン(東京)から声がかかり、クリエイティブ&デザインの責任者として働き始めた。東京から長野県佐久市に移住したのは2022年のことだ。
移住のきっかけとなったのは、渋谷に住んでいた親友がコロナ禍に長野県に家を購入したことだったという。
「彼女とはすごく仲良しで、イギリスから戻って来た時も彼女の家の近くに引っ越したほどです。
長野は遠いなと思いつつ遊びに行ってみると、自然の中で散歩できる環境がすごく気持ち良かった。東京から車で3時間、新幹線なら2時間弱で行けるのでアクセスも良い。コロナ禍でリモートで働けるようになったので、彼女にすすめられて土地探しをするうちに、『ここで暮らすこともできるかもしれない』と思うようになりました」
それでも、なかなかピンとくる土地が見つけられずにいた時、相談してみようと訪れたのが佐久市の移住課だった。
「とても丁寧にエリアの説明や移住のアイデアなどを提案していただきました。そこでアドバイスされたのが、すぐに土地を買うのではなく、まずは賃貸に引っ越して、本当にここで暮らしていけるかを試してみてはどうかということでした。
ちょうど駅から近い賃貸の一軒家を見つけることができたので、佐久に移住することを決めたのです」
LGBTが抱える生活の不安
こうして、パートナーと共に東京から佐久市へと移住した市川さん。ひとつ不安材料だったのは、当時、長野県や佐久市では、渋谷区がいち早く導入したような「パートナーシップ制度」が整備されていなかったことだ。
パートナーシップ制度は、自治体が独自にLGBTQカップルに対して「結婚に相当する関係」とする証明書を発行し、さまざまなサービスや社会的な配慮を受けやすくする制度。同性婚が法的に認められていない日本で結婚を望む同性カップルは、こうした制度を利用するしかないのが現状だ。
市川さんは、同性婚の合法化が進まない状況に対して、自ら声を上げたこともある。2018年に性的少数者の理解を深める団体「ミスター・ゲイ・ジャパン」の設立に関わったほか、2020年には同性婚に賛同する2万7千人分の署名を法務省に提出している。
「パートナーシップ制度を実施している自治体にはやはり安心感がありますよね。そういうことを勉強したり、理解しようとしているんだなということが感じられるので。
佐久市には制度はありませんでしたが、市役所の移住担当者の方が親身に相談に乗ってくれて、彼なりにいろいろ調べてくれました。そうした姿勢からもここなら大丈夫だと思えましたね」
その後、長野県では2023年8月にパートナーシップ届出制度が施行され、市川さんとパートナーも届けを出した。県内で3組目だったそうだ。
「本当は一番を目指したんですけど、ちょっと遅れちゃいました。自治体のパートナーシップ制度の担当者の方ともオンラインでお話をさせてもらったんですが、それぞれのカップルが抱える問題にも配慮してお話してくれている感じがとても優しくて、素敵でしたね」
自然、個人店、温泉...佐久市の魅力は
移住して3年目になる佐久市での生活。実際に暮らしてみて感じる地域の魅力や生活の変化についても伺った。
「豊かな自然が何よりの魅力ですね。窓の外に目を向ければ浅間山が見えて、大きな木々や川の流れがある。そうした自然が生活の風景としてあるのは、東京にいた時とはまったく違います。
東京って空が全然見えなかったんだなとか、月ってこんなに明るいんだとか、こっちに来て初めて気づくことばかりです。街灯のない夜道でも、月明かりだけで自分に影がつくほど明るいんですよ」
ほかにも、佐久市やその周辺には個人経営の魅力的なお店や温泉も充実しているという。市川さんのお気に入りのお店は、望月地域にある「YUSHI CAFE」。現在、20周年記念としてTシャツのデザインを手がけているそうだ。
「温泉もいろいろな場所にあります。布施温泉(佐久市)やあぐりの湯(小諸市)、権現の湯(立科町)……季節ごとに桜や雪景色の中で温泉に入れるところもあってすごく良いです。日帰り温泉で500円くらいで入れるところが多いので、仕事が早く終わった日にふらっと行ったりします。お座敷でごはん食べて、ちょっとゴロっと横になれたりもするのも最高ですね」
広がるコミュニティ。休日は大忙し
親友が近くに住んでいることは、移住する上で何よりの安心材料だったと話す市川さん。何かあった時に、気心の知れた頼れる相手がいることが心のゆとりにつながっているようだ。
その一方で、移住してきてから広がった人付き合いもある。
「田舎は何もやることがない、みたいな勝手な先入観を持っていたんですが、実際に暮らしてみると面白い人たちがたくさんいました。
最近でいうと、『アースデイin佐久』というイベントがあって。近くのレストラン(マルカフェ)がオーガニックのお弁当を出していたり、古本を売っている人や劇場をやっているNPO(上田映劇)、ガザの支援活動をしている人……いろいろな人が出展していました。そういう興味ある場所に顔を出して、『こんにちは』って話しかけてみると、そこから仲良くなったりするんですよね。
先週の土曜日なんてすごく忙しかったですよ。早朝に友だちが始めたカフェ(kumite coffee)のオープニングに行って、そのあと、こっちに引っ越してきた焼き芋屋さんをやっている旦那の友だちのお店に焼き芋を買いに行って、YUSHI CAFEさんでコーヒーを飲んで自分がデザインしたTシャツを受け取って、多津衛民芸館のリニューアルオープンのトークイベントに行って、そこで開催されていたファーマーズマーケットに来ていた知り合いとお喋りして......最後は温泉に入って終える、みたいな(笑)」
何もやることがない、というのはどうやら大間違いだったようだ。
新幹線通勤がもたらした恩恵
働き方の面でも変化があった。現在、市川さんは、リモートで働きつつ、週に3日ほど東京の会社に出社している。
「東京に住んでいた頃は、オンとオフの切り替えが難しかったなと感じています。会社と自宅の行き帰りの中で人混みに揉まれて、仕事モードからオフへの切り替えがうまくいっていなかった。
今は、新幹線で通勤しているのですが、その時間がすごく良いんですよね。ちゃんと座れるし、テーブルもあるので、通勤時は会社に着くまでにメールの処理を済ませられるし、本を読んだり、聞きたかったポッドキャストをじっくり聞けたりもする。
帰りは、窓の外の景色が都会的なものからだんだんと山並みへと移り変わっていくのを眺めていると、イライラしていた気持ちがすっと消えたり、悩んでいたことが小さなものに感じられてくる。夕日の時間帯に乗ると本当に綺麗だし、佐久平の駅に着いてドアが開くと、空気の感じ方もちょっと変わる。戻って来たんだなと思います。
今は、旦那が駅まで迎えに来てくれます。家に入る前に夜空を見上げると心が浄化されますね」
初個展を開催。「愛」をテーマにした創作活動を本格化
2024年3月15日~3月18日には、アーティストとして初の個展「LOVE : PooPoo - Corn the lucky Unicorn」を東京で開催。ユニコーンをモチーフに「愛」を巡る約120点の新作を発表した。個展のタイトルの由来となったPooPoo-cornは、幸運をもたらす生物であり、その名前は日本語で「うんこ」と「運」の言葉の類似性をもとにしたものである。
仕事とは別の、自己表現としての作品づくりにはもともと興味があったというが、東京にいた頃は外から入ってくるノイズも多く、なかなか打ち込むことができなかった。佐久市に移住してからは自然と創作に集中できるようになったと話す。
「静かな環境の中で、頭の片隅にあったような想いが少しずつ形になっていきました」
市川さんの創作活動の中でも特にユニークなのが、色素づくりだ。さまざまな場所で巡り合った素材を色素にし、市川さんの人生をかたちづくる色として、作品の着色にも使っている。
「例えば、御代田で農家をしている友人からもらったシソや藍の葉っぱを腐らせて混ぜて粉にしてみたり、結婚指輪の交換をした鳥取砂丘に咲いていた青い花から色素を取ってみたり。パーマカルチャーをやっている農家さんのファーマーズマーケットで買ったビーツを使ったこともあるし、散歩に行った時に咲いていた花など、ちょっとした思い出になるようなものを使っていますね」
そんな市川さんのすべての作品づくりの根底には「愛」がある。
「愛をテーマにしているのはやっぱり、LGBTQの活動をしてきたことが大きいと思いますね。最初は、『結婚したい』という単純な思いだけで始めた活動でしたが、周りのLGBTQの友人とも一緒に動いていると、それぞれで少しずつ考え方が違ったりもする。愛の形はひとつじゃないんだなと気づかされたし、それでも誰かを愛するということは、相手がどんな人であっても、どんな形であっても、苦しい時を一緒に乗り越えていくパワーであることに変わりはない。世論を変えようと、投票を呼びかけるのだって愛のパワーですよね。
私たちの人生は愛を中心に繰り広げられているし、すべては愛から始まるんだと思います」
定住を決意、広がる夢
賃貸物件からお試しで始まった移住生活だが、市川さんは今、長野に土地を買い、家を建てる計画を進めている。この土地に腰を据えて暮らすことを決めたのだ。
新しい家には広い作業場や畑仕事ができるスペースも設ける予定だという。そこからまた、新たな試みが生まれていくのだろう。
「色素採取のための植物を自分で育てて研究してみたりもしたいし、昔ながらの藍染めの窯も自作してみたいですね。夢はいろいろとあります。今年中に長野で同じ個展をできないかという話も進めているので、これからもそんなふうに地域のネットワークを少しずつ広げながら活動を続けていきたいです」
最後に、移住を検討している人に向けてメッセージをいただいた。
「自分が変わるのか、環境を変えるのか、やりたいことをやれるようになるための小さなステップがすごく大切だと思います。私の母親はイギリス人ですけど、『コツコツ』という言葉を好んで使っていました。
移住は思い切ってみてもいいけれど、あんまり負担にならない形でとりあえず試してみるのも良いのではないでしょうか。その土地のことを知るうちに、きっともっと好きになれるはずですよ」
市川さんの場合、東京近郊、親友の近くという条件でまずは安心を確保したことも、無理なく移住生活を始められた理由のひとつだったのだろう。
住む場所を変えれば時間の使い方は大きく変わる。ゆるやかな人付き合いを楽しみ、静かな環境で創作に打ち込む市川さんの暮らしには、生きることをじっくり味わうような、穏やかで優しい時間が流れているようだ。