移住者プロフィール
八崎 秀則さん
移住時期
2016年
前住所:広島県、現住所:宮崎県延岡市、職業:「鏡山牧場」代表取締役
目次
INDEX
「自然放牧×グラスフェッド」。黒毛和牛の自然放牧に挑む
眼下に日豊(にっぽう)海岸を望む、宮崎県延岡市北川町、鏡山ー。
標高645mのその頂で、東京ドーム13個分に相当する広大な牧場を営み、国内では珍しい「黒毛和牛の自然放牧」と「グラス(牧草)フェッドビーフ」の生産に挑む、牛養い人がいる。
赤身肉専門店「鏡山牧場」代表・八崎秀則さんー。
牛の肥育方法は、「グレイン(穀物)フェッド」と「グラス(牧草)フェッド」の大きく2つに分類される。短期間で牛を大きくし、霜降りに仕上げるのに効率的な方法であるため、日本では、牛舎で飼育し、人工的に配合したカロリーの高いグレイン(穀物)を主食とする「グレインフェッド」での飼養が一般的だ。
一方、八崎さんの畜産スタイルは、自然に近い環境で宮崎県産の黒毛和牛を放牧し、グラス(牧草)を主食とする「グラスフェッド」を採用している。手を伸ばせば届きそうな広い空と、美しい青い海に囲まれた野山でたっぷりと運動をし、ビタミンを多分に含んだ青草を自由に食した健康的な牛からは、余分な脂が落ち、牛肉本来の旨味が凝縮した、高タンパクで低脂肪な「赤身の強い肉」が生まれる。
また、人間の体内では作られないオメガ3脂肪酸や、脂肪燃焼を助けるリノール酸、β-カロテンなど、牧草由来の体に嬉しい栄養素が多く含まれることも魅力のひとつだ。
「放牧」という畜産スタイルは、“食肉として人に食される運命にある家畜であっても、その動物らしい生き方をさせよう”という『アニマルウェルフェア』の観点からも世界的な評価が高まっているが、日本国内でグラスフェッドビーフの生産に取り組む牧場は、数えるほどしか存在しないのが現状だ。
他と一線を画す畜産スタイルを貫く彼の、畜産への“想い”に迫っていく。
意識下で存在し続けていた“アトツギ”としての現実
芸予(げいよ)諸島の中程に位置する、人口7000人弱の小さな島、広島県大崎上島町(おおさきかみじまちょう)ー。
温暖な気候を象徴するみかん畑と、穏やかな瀬戸内海を望むこの場所に、四兄弟の長男として誕生した。
地元の商船高専の電気科に在学中、オートバイの魅力にのめり込んだ八崎さんは、高校を中退し、オートバイ業界の道に進むことを選択。
“好き”を仕事にする日々は、楽しさに満ち溢れたものだったというが、長男である彼の意識下に存在し続けていた、“家業のアトツギ”としての現実を受け入れる時がついに訪れ、30才の頃、実家に戻り、家業の「八崎建材」を承継した。
一次生産に携わりたい
建材店を営みながらも農業に関心を寄せるようになっていった彼は、「何かを作りたい」との想いから、農園芸資材メーカーを立ち上げ、農業分野に参入。その後、微生物の力で連作障害を防ぐ土壌改良資材『菌の黒汁』の自主開発の成功を機に、3000店舗以上にものぼる全国のホームセンターに納入するなど、順調に事業を拡大し、ついには、海外進出も果たした。
農業を生業とする人々との関わりが急速に増えたことを受け、独学で農業の知識を習得する傍ら、数多くの農協に赴き講習会を開くなど、膨大なインプットに励む日々を送った。
アジア全域をはじめ、サウジアラビアや中東など、農業の盛んな地域とされる場所には、積極的に赴いた。ピーク時は、月2,3度は渡航する生活を送っていたというが、その最中、ある海外の生産者との出会いが彼の人生を大きく変えることになる。
「人里離れた山奥で、ものすごく貧しい生活をしながらも、とにかく幸せそうに食べ物を作っている姿に衝撃を受けました。場所、地形環境、労働力賃金など、自分の今置かれている環境に文句一つ言わず、ただひたすらに、ただひたむきに、食べ物を作っている。
その姿に、生産者としての『原点』のようなものを感じ、同時に、『自分自身で食べ物を作りたい。生産者になりたい』という強い想いが溢れて来るのを感じました」と、自身を突き動かす強烈な“何か”が芽生えた当時のことを、懐古してくれた。
「牛」ならば自分の理想を体現できるかもしれない
帰国後、輪郭を見せ始めた“想い”をより具体的な「夢」に描き変えるべく、単身で福岡に渡り、1年半ほどをかけて九州の市場を見て回った。数多くの生産者と触れ合い、様々なことを見聞きする時間は、知見を深めるまたとない機会になったといい、ついには、探していた答えに到達する。
『牛』ならば、自分の理想を体現できるかもしれないーー。
これまで牛に触れたこともなかったばかりか、「牛肉を美味しいと思っていなかった」という八崎さんが、なぜ、牛の畜産に携わることを決意したのだろうか。
「僕の中で、“値段”と“美味しさ”がマッチしていない食べ物の代表が“牛”だったんです。脂が強すぎて腹を壊すし、味がなくて美味しくないのに、鶏や豚に比べて、値段は桁違いに高い。
だからこそ、『肉本来のジューシーさを残しつつも、脂が少なくヘルシーで、自分が食べて美味しいと思えるような牛肉を作ろう』と思ったんです」
“何を”するかは決まった。次は、“どこで”するかだ。
1年半ほどをかけて九州の市場を見て回ったという経緯からも、“当初から宮崎県で畜産を始めることを朧げながらも考えていたのか”と尋ねると、「全く考えていなかったです」と意外な反応が返ってきた。
「“牛肉日本一を謳う場所ならば、畜産をする環境が整っているだろう”と思い、パソコンで検索して出てきた場所が『宮崎県』だったというわけです。ヒットした場所が違う県であれば、迷わずそこに行っていましたね」と、リズミカルに語る姿が実に痛快である。
だからこそ、“偶然”ヒットした場所が「他のどこでもなく宮崎県」であったという事実に、“必然”を引き寄せた引力を思わせるのだろう。
夢を手繰り寄せた驚異の行動力
当時、“和牛のオリンピック”とも評される、5年に一度開催の「全国和牛能力共進会」において、連続日本一を獲得していた宮崎牛。
その中でも、旭化成の工業都市であり、畜産の素地はあるものの離農者が多い“延岡市”にチャンスがあると感じた八崎さんは、畜産の新規就農の相談をすべく、「農業畜産課」に赴いた。しかし、未経験者に対する行政からの反応は予想外に厳しいもので、「素人には無理ですよ」と、当初は協力を仰ぐことすらも絶望的な状況であったという。
出端をくじかれる格好となったものの、「協力を仰ぐことができないならば、自分自身で場所を見つけるまでだ」とすぐさま発想を転換。“グーグルマップ”を駆使して放牧できそうな場所を見つけては、現地確認のため車を走らせる、という工程を、ひたすらに繰り返したという。
そんな地道な努力の積み重ねの末に辿り着いたのが、延岡市内の観光・育成牧場として有名な「鏡山牧場」の跡地だった。65haを誇る広大な牧草地は、自然放牧を目指す八崎さんにとって、まさに探し求めていた場所だ。
当初、延岡市は、畜産の経験がない者への貸与に難色を示したというが、「経験がないことがネックになるならば、経験を積むまで」と、ここでも持ち前の発想転換力を発揮する。
数週間の畜産農家での研修を経て、北浦町の山の麓に土地を借り、杉林が生い茂る山地を重機を使って自ら開墾。8000平米ほどの放牧地を造成すると、空いた鶏舎を改造し、一頭の牛の放牧をスタートさせた。
翌月には二頭目の牛を迎え、宮崎大学農学部で畜産を学んだスタッフと共に試行錯誤を重ねながら、繁殖を成功させていく。
その実績が認められ、延岡市からの施設貸与も無事に認可された2017年夏、念願の鏡山牧場で夢のスタートラインに立った。
「牛は牛らしく生活してもらいたい」
そもそもの肉自体が美味しいという特徴を持つ黒毛和牛。一般的に食肉として上等とされるのは、(出産経験のない)処女牛や、取れる肉量の多い(去勢済の)雄牛だというが、八崎さんが扱う牛は、8歳前後の(出産を終えた)「経産牛」だ。
あえて「経産牛」にこだわる理由を尋ねると、「年齢を重ねるごとに味が濃くなっていくんですが、8歳前後が“肉付き”も“味”もちょうどいいんですよ」と切り出した後、自身の畜産のベースにある“想い”を吐露してくれた。
「生まれてからずっと懸命にお産を繰り返してきたのに、最後に狭い部屋に入れられ、肉にするために(草食動物なのに)穀物をたらふく与えられ、無理やり太らされる。それでも『経産牛だから』という理由だけで、値段がつかないという実態があるんです。
最後ぐらいは、“のびのびと牛らしく”生活してもらって、その肉を“美味しいね”と喜んで食べてもらった方が、よっぽど気持ちがいいじゃないですか。だから、8歳前後の経産牛を選んでいるんです」
迎えられた当初の牛たちは、険しい顔をしていることが多いというが、鏡山牧場で1,2ヶ月も過ごせば、見違えるほど柔和な表情になり、牧場の傾斜面を馬と見紛うほど軽快に走るようになるのだという。
“何をもって幸せと感じるかは牛のみぞ知る”ことだが、この変化こそが、「牛が牛らしく生きること」を体現しているのではないだろうか。
牛たちが抱く“多幸感”もまた一つ、八崎牛の“うま味”を引き出す大切な要素になっているのかもしれない。
嘘をつかずに、食べ物を作りたい
和牛の「赤身肉」の世界は、とてつもない労力、維持費、時間を要することから、マーケットが育たないと言われる。その世界にあえて身を投じ、孤独とも言える闘いを続ける彼の原動力は、どのような想いから湧いてくるのだろうか。
人の口に入るものに嘘はつきたくないんですよ。「嘘をつかずに、食べ物を作りたい」。ただ、それだけです。
率直に言葉を紡ぐ彼に、「(八崎さんにとっての)『牛』という存在を、あえて言葉で表現するとしたら、どのような言葉になると思いますか」と、ストレートな質問を投げかけた。
「『重要な蛋白源』かな。愛情を持ったパートナーなんて言ったら、綺麗事になりますから。ただ、牛が“魂”を持った生き物であるということは、決して忘れてはいけないことだと思っています。
畜産スタイルも食の嗜好も人それぞれ違って当然ですから、何が正しいなどと言うつもりは、全くありません。ただ、僕自身の考えを言うならば、生き物に無理をさせて美味しいものができたところで心苦しいだけだということです。
“自然な環境で養えば、牛肉そのものが持つ自然な美味しさが出てくる”と思うので、これからもそのスタイルを追求し、信じた道を突き進むだけですね」
一点の曇りもない、潔いほどシンプルな言葉たちは、心の深いところにすっと入り込んでくるパワーを持っているようだ。
「毎日楽しいし、毎日しんどい」
100頭にものぼる牛たち一頭一頭の体調を管理するため、牧場横のトレーラーハウスに常駐し、牛たちの状況に合わせていつでも動けるようスタンバイしているという八崎さん。どのような一日を過ごしているのだろうか。
牧草がない今時期(取材時期は11月上旬)は放牧をしておらず、お客様のオーダーに合わせ、「解凍熟成した精肉や加工品を出荷する」という作業をメインに行っているという。朝の7時には作業を始め、まず、牛舎にいる放牧前の待機組や、放牧から戻り、屠畜の順番を待つ待機組の餌やりから取り掛かる。
その作業がひと段落した後は、牧草地まで軽トラを走らせ、餌付けのために放牧の牛たちに美味しい牧草を与えに行くという。
「『おーい』と呼んだら、牛たちが山から降りてくるので、まずは全頭いるかどうか点呼をし、その時に怪我の有無を確認します。全頭一緒だと状態を把握するのが難しいので、10グループくらいに分けて管理しています。
体調管理はもちろんのこと、痩せ具合もしっかりと確認し、明日も放牧を継続していいのか、大至急牛舎に引き上げた方がいいのか、注意深く観察する必要があるのか、牛ごとに慎重に判断をします」
ランチタイムで束の間の休憩を取ったら、午後からは牧場の整備や肉の管理、営業活動を行うなど、その業務は多岐に渡る。夕刻に再度、牛舎の牛たちの体調を確認しながら餌を与えた後は、ドローンを飛ばし、放牧の牛たちの様子を確認するのだという。
1年365日休みなく続く、命を扱う牛養いの仕事ー。
その労力は想像を遥かに超えるが、「忙しい日々を切り抜けるためにどのように息抜きをしているのか」を尋ねると、「息抜きなんて必要ないですよ」と、驚くべき反応が返ってきた。
「息抜きをいちいちしなきゃならないような仕事に就くこと自体が、そもそも間違いだと思っていますから(笑)。1日のうち仕事に費やす時間を考えたら、仕事は楽しまないと損でしょ!」
心から楽しいと思える仕事に携われることは、豊かな人生を彩る上で理想的な生き方の一つに思えるが、そんな八崎さんに、「牛養い人として楽しいと感じる瞬間」を尋ねると、「それは、“いつも”ですよ!」と、弾けるような笑顔と共にこう答えた。
「正確に言うと、毎日楽しいし、毎日しんどい(笑)。“楽しくてしんどくない”なんて、僕の中では存在しないと思っていますから」
毎日楽しいし、毎日しんどいー。
単純明快な短い言葉にこそ、彼の内なる情熱が全て込められているような気がした。
肉自体のポテンシャルを最大限に引き出す最新の熟成技術
「牛は自由に、お肉は技術と経験を注ぎ込んで」をモットーにしている鏡山牧場では、肉の旨味を底上げすべく、熟成方法の研究を重ねた八崎さんとスタッフたちでドライエイジングを行っている。
ドライエイジングとは、専用の熟成庫で温度や湿度を厳密に管理し、空気を循環させることで余分な水分を飛ばし、熟成していく方法だ。1〜2ヶ月もの長い期間を要する一般的な熟成方法では、その過程で菌が発生し、熟成肉特有のナッツ香が付着する。
一方、鏡山牧場では、特殊な熟成庫の導入により熟成期間を大幅に短縮。お客様に提供する上で安全面にも配慮し、菌を発生させない方法でドライエイジングを行っている。
自然放牧、グラスフェッド、最新の熟成技術により、肉自体の持つポテンシャルを最大限に引き出した八崎牛を、堪能してみたいものだ。
野望は「牛肉の食文化を変える」こと
八崎さんに、今後のビジョンについて伺うと、
「大きすぎる野望なんですけど、『牛肉の食文化を変えたい』です。今はまだ、“和牛といえば霜降り”ですけど、その認識を真逆にして、『和牛といえば赤身肉』と言われるようにしたいです。将来的には、鏡山以外の場所にも牧場を持ちたいと思っています。
もちろん僕一人では無理なので、同じ想いを持っている農家さんとアライアンスを組んで、一つの赤身肉を作ることができたら最高ですね。
うちの肉は、女性でも200g、300g平気で食べられるんですよ。平気で食べられるということは、美味しいし、体が欲しているからでしょ。
『もっと食べたい』と言われるものを作ってこそ、生産者としての役割を果たせると考えているので、これからも一生懸命作り続けていきたいです」
“仕事あっての移住”だということを心に留めてほしい
これから移住を検討している方に向けて、メッセージをお願いしたところ、
「『移住した先で何をしたいか』という明確なビジョンを描いて移住しないと、厳しい現実を前に、計画は頓挫すると思います。
私自身、『畜産をするために延岡に来た』のであって、移住したから畜産をすることにしたわけではありません。あくまでも、“仕事があって初めて移住は成立する”ということを心に留め置いてほしいですね」
と、先輩移住者として、厳しくも温かい私見を示した後、こう続けた。
「都会に比べて田舎は仕事が限られていることを理解した上で、目的を持って移住をするのであれば、『とりあえず移住をして、実際に始めてみたらいい』と思います。理想と現実のギャップを目の当たりにした時、それを埋めようと努力するのか、業種を変えるなど、違ったアプローチで再挑戦するのか、はたまた諦めて帰るのか、何を選択するかは、個々の自由ですから」
最後に、夢を実現すべく歩みを進めようとしている方に向けて、“八崎節”でエールを送ってくれた。
「人のことなど、他人はさほど興味がないものです(笑)。だから、人の目を気にせず、自分がやりたいと思ったことをやったらいいと思います」
“力強さ”と“繊細さ”の両極の魅力を併せ持ち、終始、偽りのない言葉で取材に応じてくれた八崎さん。
繰り返し紡がれた「食べ物を作るのに嘘はつきたくない」という言葉通り、ただ純粋に、ただひたむきに、生産者としての理想を追求する姿が印象的だった。
「人間の欲望のために、牛(動物)に無理をさせない」
彼の畜産のベースになっている“想い”は、「命」を頂いている者全てが受け取るべき、メッセージではないだろうか。