移住者プロフィール
椎葉 勝さん
出身地:宮崎県椎葉村、前住所:島根県出雲市、現住所:宮崎県椎葉村、職業:民宿「焼畑」を営みながら、椎葉の焼畑農業を継承している
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やっぱり故郷だから、帰りたくなった
椎葉勝さん(以下、椎葉):若いころは、島根県出雲市を拠点にトラックの長距離運転手をしていました。村を出た当時の椎葉は、保守的でした。
道路も家まで通っていない土地。古い習慣、封建性、上下関係など全てが煩わしく思っていました。それが嫌で、嫁と4人の子どもを連れて夜逃げしようとしたけれど、家を出るとき子どもが泣いてね。
見つかって失敗しました。だから半年はおとなしくして、今度は昼に逃げました。今でこそ笑い話となっていますが、当時は逃げ出すほど嫌でしたね。
時が経ち、その地に再び戻ろうと思った理由は?
椎葉:私が村を出たことで、親子関係や嫁と姑とのつながりが少し変わったと、仲間から手紙をもらいました。運転手をしながらいろんな街や村を見てきたけど、やっぱり椎葉に帰りたくなりました。
「村が変わってるんだったら帰ってみようかな」と。椎葉の空や山、川、焼畑、神楽、地域の伝統文化。そういったものへの愛着は、他の場所に身を置こうとも、決して薄れることはありませんでした。
これまで途絶えることなく受け継がれてきた「椎葉の焼畑」の未来について教えて下さい
椎葉:後継者のことがいちばんの課題です。やめるのは簡単だけど、どうしたら続けて行けるかっていうところです。もともと不経済な仕事なので。でも、先人たちが続けてきた知識や技術を守って、それをどうつなげていくのが問題です。最近は、地元の子どもたちが山間地の農林業を継ぐことがなかなかなく、難しい現状があります。
今のところはIターンや地域おこし協力隊などの移住者も含めて後を継いでもらいたいと思っています。移住者の皆さんと共に伝統的なことを学び続けていく中で、楽しく過ごせる場所を作っていきたいです。
だから、箱モノづくりをやっています。そこにあるものに付加価値をつけるために、続けながら、新しいものを引き込んでいくように。継続的に続けていくためには、お金を生み出す仕組みを考えることも重要です。
そこそこお金がとれるようになることが大事ですね。これからの時代にも焼畑を残していくために、どんな形がベストなのか。変わりゆく時代の中でも、変えたくないもの。そのバランスの取り方を日々考え、工夫を続けています。
焼畑をしてから数年間は雑穀などを育て、その後植樹をして、森を育てます。どうしても木材になる木(針葉樹)から頭が離れません。
それはそれでいいけれど、自然林も点々といれる。100本スギやヒノキを植えるんであれば、10本は桜や栗を植えてほしいですね。
そうすれば景観は良くなるし、水源かん養や災害に強い山作りにもなり、動物も助かります。山に食べ物があったら、猪は畑に来ません。そうやって獣を山に返す努力をすることが大切だと考えます。大地は人間だけのものではありません。
山は、人の暮らしの糧であり、動物の住処でもあります。獣害が大きな問題になっている昨今ですが、バランスの崩れつつある山を本来あるべき姿に近づけていくことも、大切な観点です。若い頃、椎葉村以外での暮らしも経験しました。
今はこうして椎葉に戻って根を張り、山と共に暮らす生き方を選んでいることに、とても満足しています。自分では、このままでいいとは思っていないけど、自分の限度以上はやらないし、椎葉ではこれぐらいでいいんじゃないかな、と思っています。
山奥で暮らす上では人を減らさないことが一番だから、そこへの努力もしています。世界農業遺産とは、そこに住む人々が居てのこその遺産ですから。
焼畑を次世代につなぐために行っている活動について教えて下さい
椎葉:焼畑を次世代につなぐため、地元の有志とともに「焼畑蕎麦苦楽部(くらぶ)」を結成しています。そこでは作業体験場を設けて外部からの希望者も受け入れ、毎年の焼畑をはじめとする様々な体験活動を通して、椎葉に伝わる山仕事や暮らしの知恵を伝えています。
椎葉村内だけでなく、外から来る者にも目を向け受け入れています。この活動に関心を持つ若い世代の移住者も多く、そこから地元の人との新たなつながりも生まれています。
そこで学べることの全ては、大きく言うと「かてーり」の精神につながっています。「かてーり」とは、「椎葉に根付く相互扶助の精神」です。
大変なことも互いに助け合う、椎葉の山での暮らし方そのものです。たとえ苦しいことも、楽しくやろうっていう意識が大事ですね。
毎日焼酎飲みながらぶつぶつ言ってるのは絶対にマイナス。うまい酒飲んで、楽しくやってると、おのずと先が見えてくるもんです。なにごとも「楽しんで」というのがキーワードです。
未来の椎葉に対する思いについてお聞かせください
椎葉:村の人口が2,000人を切らないことを願っています。「どうして人口が減っていくんだ」と悩んでいます。生活はできるし、道路、通信網も発達してるし。やっぱり、人が居なければ何も出来ません。
いくら10年後のビジョンを立てても、人口1,000人切って、幼・小・中学校を一つにまとめて・・・それは寂しいです。地域を存続させるにはどうしても、人を減らさない工夫、それが大事ですね。なにを語るにも、考えるにも、そこに人がいなくては始まりません。単純だけれど、一番大切なこと。その課題に向けて、真剣に考えています。
「田舎はつまらん、面白くないじゃなくて、面白くさせる方法を工夫すること」この言葉通り、山と共にある暮らしの面白さを発掘して、自ら実践し、周りの人も巻き込んでその暮らしをより進化させている勝さん。これからの椎葉村をどうしていきたいか。
その言葉の端々に感じたのは、ぼんやりとした理想ではない、確かな道筋と説得力でした。焼畑を続けることが、新しく人のつながりを生み出すことにもつながっている。
守り伝えてきた古き良きものと、これからの新しい暮らし方。それを融合させた先に、さらに面白い椎葉の未来があるような気がします。