移住者プロフィール
椎葉 昌史さん
前住所:東京都、現住所:宮崎県椎葉村、職業:蕎麦屋「よこい処しいばや」/菓子店「菓te-ri(カテーリ)」オーナー
Uターンのきっかけは?
椎葉昌史さん(以下、椎葉):祖母が亡くなったことがきっかけで、自分の生き方に疑問を抱くようになりました。東京の大手飲食チェーンで働いていましたが、池袋の新しいお店がオープンする2日前に、祖母が他界しました。
オープン日に店長がいなわけにはいかないと思い、帰らなかったことを今でも後悔しています。そのことがきっかけで、家族の事を考えるようになりました。
毎日めちゃくちゃ働いて、それで何が残るんだろうって。30歳の時に、「よこい処しいばや」が蕎麦屋をやることが決まり、帰ってきました。
元々「よこい処しいばや」は、化粧品や薬を販売するお店でしたが、経営不振の中で大きく方向を変え、蕎麦屋に転進したことは、私にとってまさに人生の転機だったと言えます。
「よこい処しいばや」 は開店後、すぐに軌道に乗りましたか?
椎葉:東京での経験もあり、当時は「余裕」だと思っていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。「美味しいそばを出せば行列ができる」と思い、3年間頑張りました。
でもそれだけでは響かなくて。そばを挽く機械を購入したり、そば打ちを見学できるように店内を改装したり、様々な設備投資に取り組みました。
また、自分でそばの栽培も行いました。しかし結果は芳しくなく、椎葉村という商圏において飲食店一本でやっていくことの厳しさを痛感したのです。東京にいた時は、マーケティングはマーケティング部の人がやってくれたし、集客はビルがやってくれました。でもこっちでは、全部1人でやらないといけません。
東京で仕事していたきは成績がよくて、自分で何でもできるって思っていたけど、実は1人じゃ何も出来ないということに気が付きました。椎葉に帰ってきたことで、改めてこれまでの自分を見つめ直すことができ、見える世界が広がりました。
コロナ禍をどのように乗り越えましたか?
椎葉:結婚したこともあり、家族を守るためにも自分にできることは何か、考え続けました。もっと広く椎葉を知ってもらうため、椎葉から人気スイーツを生み出したいと一念発起し、菓子製造に乗り出しました。
試行錯誤する中、失敗も多くありましたが、蕎麦屋ならではの発想から生まれた「そばの実フロランタン」は大きな反響を受け、菓子店「菓te-ri」(カテーリ)をオープンすることに。そんな折に訪れたのが、コロナ禍。
お菓子の売り上げは激減しました。新店舗オープン直後でどん底の中、なんとか生み出したのが新商品「宮崎バターサンド」でした。SNSでの情報発信やクラウドファンディングなどをうまく活用した成果もあり、これがまさかの大ヒット。
全国から注文を受けられるよう、すぐにネット販売の環境も整えました。続いて、世界農業遺産に指定されている高千穂郷・椎葉山地域の5つの町村の特産品を活かして考案した「九州山蕎麦」が農林水産大臣賞を受賞しました。
コロナ禍を逆手に取って、全国の消費者がおうちで楽しめる商品の開発や仕組みづくりをし、SNSなどで絶え間なく情報発信し続けた成果ですね
椎葉村を変えていくことの重要性と、難しさについてどうお考えですか
椎葉:地域を変えるために何かやったとして、明日変わるわけじゃないじゃないですか。本当に変えていきたいのなら、知識が必要です。椎葉村の財政の問題を知らない上では、何も言えません。ただやっぱり、盛り上がっている外部のいろんな自治体を見てる人がいないと、遅れていくと思います。
そして、「行政にどうにかしてもらいたい」という行政頼りの民間であってはいけないと思っています。年齢関係なく、自分でこの現状をどうにかしていくという気構えがないと、行政の人たちも僕らを応援しづらいと思うのです。
地域から持続可能な仕事を作り上げてきている若い人たちが、今の椎葉にいるのがすごく良いと思っています。情報交換をして、いろんな商品を作って、もっと良くなっています。その流れが続いていき、おもしろい椎葉村になっていくのがベストですよね。