移住者プロフィール
石井明日香さん
出身地:愛知県、前住所:青森県、現住所:兵庫県養父市、職業:地域おこし協力隊
目次
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コロナ禍の夏休みに「お蚕さん」と運命的な出会い
物心ついた頃から“虫好き”だったという石井さん。初めて虫を飼ったのは幼稚園の時。
「にんじんの収穫体験をした時にキアゲハという蝶々の幼虫を見つけ、家に持ち帰って育てたのが最初です。それがとても楽しくてアゲハチョウやモンシロチョウなどの幼虫を捕まえては育てるようになりました。
イモムシは動きが鈍く観察しやすいので、一人っ子の私は時間潰しの遊びとして、幼虫の動きを観察しながら絵を描くのが好きでした」
生き物に関わる仕事がしたいという想いから、高校卒業後、青森にキャンパスのある大学で畜産について学んだ。そこで出会ったのが「お蚕さん」だった。
「コロナ禍でどこにも行けない夏休みに、お蚕さんを飼えるという情報をたまたま目にしました。試しに飼ってみたらとても楽しくて、どんどんハマりました。情報を集める中で、お蚕さんが長野県などで昔から食用にもされていたということを知り、もっと詳しく調べたいと思いました。そこで昆虫食の研究室に入り、お蚕さんの餌にさまざまな成分を混ぜ、さなぎになった時にどれくらい栄養分が増えるのかを研究しました」
研究室で昆虫食の研究を進めるうちに、お蚕さんへの興味はさらに広がっていく。
「養蚕業にも興味を持つようになり、ちょうど就職するか大学院で研究を続けるかを決める時期にさしかかっていましたが、養蚕をしたいという気持ちがどんどん大きくなりました。
そんな時、移住サイトで養父市が養蚕を希望する人を地域おこし協力隊として募集しているのを見つけたんです。これだ!と思いました。一度も行ったことはないし、養父(やぶ)の読み方もわからないくらいでしたが、すぐに心が決まり応募しました」
山と谷で構成される自然豊かな養父市
兵庫県の北部、但馬地方に位置する養父市。市の東部には一級河川・円山川が流れ、西部には県内最高峰の氷ノ山や鉢伏山、北部には妙見山がそびえるなど、雄大な自然に囲まれた地域だ。四季折々の景色の変化を楽しめる登山やハイキングコースなども充実している。
「初めて養父市を訪れた時の印象は、『山がすごく近いな』ということでした。山と谷で構成された地域で、火山の噴火によって形成された独特な地形もみられます」
実際に暮らし始めて感じた養父市の魅力についても教えていただいた。
「山には鹿がたくさんいてジビエ料理が味わえますし、海も比較的近くにあるので海産物もほどよく手に入ります。
私は朝倉山椒が好きです。養父市発祥の山椒で、香りが強く、辛さは控えめです。単に美味しいというだけでなく、その背景には古い歴史があります(朝倉山椒は、豊臣秀吉が白湯に焦がした山椒を入れて飲んだという記録も残っている)。特産品が並ぶ道の駅などに行くと、とても楽しいです」
地域おこし協力隊として採用が決まるまで、養父市には一度も訪れたことがなかったというが、未知の土地で暮らすことに不安はなかったのだろうか。
「青森にいた頃も田舎暮らしでしたので、田舎に住むこと自体に特に抵抗はありませんでした。良くも悪くも青森で鍛えられたのだと思います。冬場は寒さで水道管が凍り、破裂することもあるので、外出時には水道の水を抜く『水抜き』の作業が必要です。そのやり方も青森で覚えました。養父市も冬場は寒くて雪が降りますが、青森ほどではありません。そういう意味ではとても暮らしやすいです」
偉大な養蚕家を生んだ養父市の養蚕業
養父市における養蚕業の歴史は江戸時代まで遡る。円山川沿いの地域は、山陰街道や舟運など但馬地域の交通の要衝として栄え、生糸商の往来が盛んであった。
養父市大屋町生まれの養蚕家・上垣守国(うえがきもりくに)は江戸時代に活躍した人物だ。彼は日本の養蚕技術を飛躍的に向上させ、『養蚕秘録』という技術書を出版し、海外向けに翻訳もされている。
明治時代になると、優良な繭を使った絹織物が但馬地域で発展し、日本の輸出産業を長らく支え続けた。しかし、高度経済成長期以降、安価な合成繊維の普及や養蚕農家の高齢化によって、日本の養蚕業は衰退の道をたどることになる。養父市も例外ではなく、半世紀ほど前には地域の養蚕農家はすべて廃業し、繭から生糸をとるために「お蚕さん」を育てる人は今では一人も残っていないという。
「養父市は、長野県や群馬県などと比べると、養蚕の知名度はそれほど高くありません。比較的早い時期に養蚕が廃れてしまったことが、その理由のひとつかもしれません。
廃れてしまったとはいえ、今でも地域の方の多くはお蚕さんに愛着を持っています。今の60代~70代の方は、ご自身はやっておられないけれど、ご両親やご祖父母の世代が養蚕をしていたという方たちです。当時はどんなふうにお蚕さんを飼っていたのか、昔はどのあたりに桑畑があったのかなど、文献やネットからは知ることのできない情報を惜しみなく教えてくださいます」
蚕の餌となる桑も自ら育てる
養父市の養蚕業を復活させ、その歴史やお蚕さんの魅力を多くの人に知ってもらうことが、石井さんの地域おこし協力隊としての活動テーマである。
「最終目標は、養蚕農家として独立すること」と話す石井さん。これまでの取り組みについてお聞きした。
「一年目は、繭を生糸にして出荷するためのお蚕さんの飼い方や、お蚕さんのエサとなる桑の木の剪定の仕方などを、『かいこの里』※の方に教えていただきました」
※『かいこの里』は、養父市の繭産地としての歴史や文化を後世に残すための施設。同じ敷地内には、上垣守国養蚕記念館も併設されており、5月下旬からの約一ヶ月間は、お蚕さんの飼育現場や成長過程を見学することができ、6月には「かいこ祭り」も開催される。
「二年目からは、自分で養蚕ができるように、まずは空いている畑を探してそこで桑を育て始めました。何もない更地の状態から苗を200本以上植えました。現在、私と同じくらいの背丈にまで成長しています。桑は放っておくとどこまでも伸びてしまい、葉が収穫しにくくなるので、冬場に60センチくらいまで低く切り揃えるというのが養蚕における桑の育て方です。
三年目の今は、お蚕さんを飼うための空き家を改装して、スペースを広げている最中です。現在、飼育しているお蚕さんは1万頭ほどです。来年度からは、2万~3万頭まで増やすことを目標に計画を進めています」
頑張りが結果に現れる養蚕の面白さ
お蚕さんを育てることができるのは、桑の葉が茂る4月後半から10月までの期間。その間は飼育に集中し、冬の間は畑の整備や部屋の掃除、消毒などをメインに行う。
「養蚕は、卵を孵化させてある程度大きくなるところまで育てる農家さんと、幼虫の状態から繭になるまで育てる農家さんのふたつに分かれて行うのが一般的です。でも、養父市はほかに農家さんがいないので、最初から最後まですべて自分でやっています。
卵から繭になるまでの期間はだいたい一か月ほどです。夏の暑い時期は育てるのが難しいので、その期間はずらして、今年は1年に4回ほどお蚕さんを飼育できればと思っています」
石井さんにとって、養蚕業の面白さはどんなところにあるのだろうか。
「お蚕さんは成長が早いので、世話をする人間が少しでも手を抜くと、成長が遅くなるのが目に見えて分かります。結果的に繭も小さくなってしまいます。頑張って育てれば育てるほど、お蚕さんも頑張っていっぱい食べて良い繭を作ってくれる。その努力がちゃんと目に見える結果として現れるところが、養蚕の楽しいところだと思います。
それ以前に、私は蚕という生き物が可愛いなと思っているので、育てること自体がそもそも楽しいですね」
学生が「お蚕さん」と触れ合う体験も
今後は、養蚕の歴史や魅力を若い世代に知ってもらうための取り組みにも力を入れていきたいと話す。
「養父市の高校の中には、もともと養蚕の専門学校だったところもあります。そうした学校も巻き込んで、お子さんを含めて地域全体に改めて養蚕のことを知ってもらえるようなイベントなどを開催できたらと思っています」
一部の高校ではすでに、夏場にお蚕さんを見て触る機会や、繭の糸引き体験などを提供しているという。
実際に体験した学生の反応はどうだったのだろうか。
「お蚕さんを触ることに対して『無理無理!』という反応をする人もいれば、最初は嫌がっていても触るうちに『意外と可愛い』と慣れてくる人もいます。
糸引きには、座繰り機という木製の機械を使います。ハンドルをまわすと糸をぐるぐるぐるぐると巻き取られ、これには興味を持つ学生が多かったです。繭はお湯で煮込むとすぐに糸がほぐれるので、比較的、簡単に糸をとることができます。
ただ、この煮込む作業によって、繭の中にいるさなぎは死んでしまいます。最近は着物を着る人も少なくなっていると思いますが、もし家にシルク製品があったら、こうした工程を経てシルクは作られているのだということを知って、大切にしてほしいです。そうすれば、お蚕さんも少しは浮かばれるかもしれません。こういった話も、学生さんに向けてお伝えしています」
自分のしたい暮らしを叶えるために
最後に、先輩移住者として、石井さんから地方移住を検討している方に向けてメッセージをいただいた。
「地域のことをあまり下調べせずに移住してしまった私にいえることは少ないですが......自分が理想とする暮らしと地域の細かいルールがマッチするかどうかは、少なくとも下調べしておいた方がいいかもしれません。ゴミ拾いや草刈りといった地域の作業には、自治体ごとに差があり、人によってはそれが負担になる場合もあると思います。そうした点は市役所などで情報を得ることができます。
私のようによく調べずに来てしまっても、意外と何とかなっていますが(笑)」
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地域おこし協力隊には、人と地域をマッチングさせる側面もあるが、石井さんの場合はまさに、やりたいことと地域が求めることがぴったりと重なった好事例といえそうだ。
今後は、養蚕家として独立するために、さらに勉強を重ね、繭の新しい販路も開拓していきたいと話す石井さん。そんな彼女の「お蚕さんが好き」というまっすぐな気持ちが、養父市の養蚕に光を当て、再稼働させる最大のエネルギーとなっていることはきっと、間違いないだろう。