移住者プロフィール
倉田啓靖さん
出身地:東京都、前住所:東京都、現住所:長野県安曇野市、職業:VAIO株式会社
目次
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大学への進学をきっかけに、長野での暮らしを初体験
東京生まれ、東京育ちの倉田さん(28歳)。小さい頃から頭で考えるより行動に移すほうが得意で、何事もとにかく試してみるのが好きなタイプだったという。
「小学生の頃は、学校が終わるとよく児童館や公園に行って、友達とドッジボールをしたり、秘密基地を作ったりして遊んでいました。スポーツも好きで、中学は卓球部、高校はバドミントン部に所属していました。特にバトミントンは両親の影響もあって、部活だけでなく社会人サークルにも参加するほど打ち込んでいました」
そんな倉田さんが長野県と縁を持つようになったのは、大学時代。松本市にキャンパスを構える信州大学教育学部に進学したのがきっかけだった。将来は「理科の先生になろう」と考えていたという。
「物理が得意だったので、受験は物理の一点突破で合格しました。地学や生物の調査も好きだったので、教師になるなら理科の先生かなと思っていました」
大学1年目は松本キャンパス、2年目以降は長野市にある長野キャンパスに通い、寮生活を送った。
「同じ長野でもまちの印象はそれぞれ異なりました。松本は城下町の雰囲気が色濃く感じられる場所でしたが、長野市は県庁所在地で東京からも新幹線でアクセスしやすく、どちらかというと機能的な都市という印象でした」
東京との暮らしで最も違いを感じたのは冬の寒さ。「東京と同じ冬服では全然足りなくて、最初の冬は寒さを身にしみて実感しました」と振り返る。しかし、生活に慣れてくると、東京との違いよりも「変わらない」と感じることのほうがむしろ多かったという。
「大学生の遊び方といえば、カラオケや飲み会といったもので、それは東京と変わらず楽しめました。むしろ長野県には、そうした娯楽に加えて豊かな自然があり、ウィンタースポーツやキャンプ、登山などのアウトドアも楽しめる。動くことが好きな自分には、そうしたアクティブな遊びができる環境が合っているなと感じました」
子育てしやすい環境を求めて安曇野市に移住
長野での生活を気に入っていた倉田さんだが、就職のタイミングで再び東京に戻ることを決断する。
「大学2年生の頃から、『教師として就職するのは自分には少し違うかもしれない』と感じ始め、民間企業への就職を選びました。同じ学科の同級生の多くが教師を目指していましたが、民間企業を選んだのは、私を含めて2~3人ほどでした。
東京で就職活動をしたのは、民間企業の選択肢が長野よりも東京の方が多いと感じたからです」
倉田さんが就職したのは、学校向けにハードウェアやソフトウェアの販売・メンテナンスを手がけるITソリューション会社。教育業界との関わりを持つ仕事を選んだ。
そんな倉田さんの次なるターニングポイントとなったのは、結婚、そして妻の出産だった。2023年9月に第一子が誕生。妻と話し合い、子育てにふさわしい環境を考えるなかで、最終的に意見が一致したのが長野県安曇野市への移住だった。
「家内が長野県出身だったので、実家に近いほうが安心だったこと、自然に囲まれながらのびのびと過ごせる環境があることが大きな理由でした。私自身、学生時代に長野での生活が自分に合っていると感じていたことも決め手になりました」
移住先を具体的に探すなかで訪れたのが、長野県の移住フェア。そこで出会ったのが、現在、倉田さんが働いているVAIO株式会社だ。新たな就職先も決まり、2024年2月、家族3人で安曇野市へと移住を果たした。
利便性と田舎らしさのバランスが“ちょうどいい”安曇野
長野県の中央、やや北西寄りに位置する安曇野市。南側で松本市と接し、西側には標高2,000~3,000メートルを超える北アルプスの山々がそびえる。豊かな清流に恵まれ、米づくりも盛んに行われている地域だ。
「東京に比べると湿度が低く、夏場のアスファルトの照り返しや、体にまとわりつくような嫌な暑さがここでは少し和らぎます。真夏には37~38℃まで上がることもありますが、体感的にはかなり過ごしやすいです」
安曇野市はまちの機能と田舎らしさがバランスよく揃った場所だと倉田さんは話す。
「大通り沿いには、日常生活に必要なものが一通り揃っていて、買い物には不自由しません。一方で、一本道を裏手に入ると、そこにはゆったりとした田園風景が広がっています。利便性とのどかさの両方が手に入る理想的な場所だと感じています」
さらに、車を手に入れたことで生活の利便性が格段に向上した。車の購入費用は、安曇野市の移住支援金(首都圏から移住し、一定条件を満たした企業に就職した人を対象に支給される補助金)でまかなうことができたという。
「子育てする上で車があるのは本当に便利です。赤ちゃんを連れての外出は大荷物になりがちなので、電車移動は大変でした。東京ではベビーカーで徒歩圏内の場所に行くのが精一杯でしたが、車があれば荷物を気にせずどこにでも行けるので素晴らしいです」
安曇野市は、国営アルプスあづみの公園や大王わさび農園、烏川渓谷緑地など、家族連れで楽しめるスポットも充実しているという。
「移住したばかりの3月には爺が岳スキー場にも行きました。ファミリー向けに休憩室なども整備されていて、赤ちゃん連れでも気兼ねなくウィンタースポーツを楽しめました」
移住フェアをきっかけに縁ができたVAIO株式会社
このように倉田さんが安心して移住生活をスタートできたのは、VAIO株式会社への就職という安定した経済基盤があったことが挙げられるだろう。
VAIO株式会社は安曇野市に本社を置く電機メーカーだ。2014年7月にソニー株式会社から分離・独立。パソコンの設計・製造・販売やソリューションサービスの提供などを行っている。VAIOの安曇野の工場は、1961年から稼働を開始し、ソニーのオーディオやAIBO等多くの最先端製品の製造を手掛け、1997年からは「VAIO」の生産を担い、現在も高品質な製品をお客様にお届けしている。
VAIO株式会社は、安曇野市を拠点とする地元企業として、長野県主催の移住フェアにも積極的に出展。県外出身者やUターン移住者などの採用にも力を入れている。
「前職の会社もパソコンを販売する企業だったので、その知識や経験を活かせそうだと思いましたし、パソコン製造だけではなく、モバイルディスプレイやVPNソフトなど一歩広げたビジネスを展開していて、堅実性とチャレンジ精神を兼ね備えているところにも、企業としての魅力を感じました」と倉田さん。
現在、倉田さんはVAIOをご導入いただいた企業の設定代行などを担う部署で働いている。
「前職では若いメンバーが多く、すでに中堅的な立場で働いていましたが、VAIOでは入社時の部門の最年少が40代で、28歳の自分はまだまだ若手だと実感しました。ミスをした時は、明るく『ごめんなさい!』と笑顔で謝りながら頑張っています(笑)」
「パパ」と初めて呼ぶ瞬間に立ち会えた
安曇野で働き始めて、倉田さんが最も大きな変化を感じたのは通勤だった。
「自転車で10分ほどの距離なので、毎日の通勤が苦ではなくなりました。東京にいた頃は電車で40~50分かけて通勤していて、特に夏場の猛暑とガンガンにクーラーが効いた電車内の温度差や満員電車は本当に辛かったです。その時間から解放されたことで、生活がとても快適になりましたし、何より家族と過ごす時間が増えたのが一番嬉しいです。
実は今朝、子どもが初めて『パパ』と呼んでくれたのです。東京にいた頃だったら、ちょうど通勤でバタバタしている時間帯だったので、一生に一度のその瞬間に立ち会えたのも、通勤時間が短くなったおかげかもしれません」
そのようにしてプライベートの時間が充実するにつれて、地域の人たちと交流する機会も少しずつ増えてきているという。
「バトミントンの社会人サークルに家族3人で参加させてもらっています。同じように子どもを連れて来ている方もいるので、交代で赤ちゃんの面倒を見てもらったり、他のちびっこたちと一緒に遊んでもらったりできるので助かっています。妻は児童館にもよく行っていて、そこで仲良くなったママ友たちとイベントに参加しています」
また、VAIO株式会社でも社員やその家族向けのイベントを定期的に開催している。本社の社屋を使った「秋祭り」では、子ども向けの屋台やキッチンカーなどが多数出店され、花火を使ったセレモニーも催されるなど、大いに盛り上がったという。倉田さんもこのイベントに家族で参加し、社員やその家族との親交を深めた。
これからも安曇野でのびのびと子育てを
安曇野に移住し、豊かな自然に囲まれながら、我が子とのかけがえのない時間をのびのびと過ごしている倉田さん。周囲には同じ子育て世代が多く、互いに助け合ったり、悩みを分かち合ったりできることが、子育てのしやすさにつながっているのかもしれない。
実際、安曇野市は移住先としての人気が高まっており、倉田さんのような20~40代の子育て世代、特に30代とその子どもにあたる14歳以下の転入者の数は、2023年には県内でトップだった。東京や神奈川、大阪といったさまざまな都市から人々がやってきている。
「安曇野、とてもいいですよ!」と明るく話す倉田さんに、最後に地方移住を検討している方に向けてメッセージをいただいた。
「憧れだけで移住するのはリスクを伴うので、家族としっかりとコミュニケーションをとって、移住する目的をはっきりとさせておいた方がいいと思います。私たちは『子育て』を中心に据えて移住を決めました。
また、私個人としても、新鮮な体験を繰り返すことに人生の豊かさがあると思っているので、そうした機会に恵まれる安曇野に移住してよかったと思っています。
今年は行けなかった『あづみ野祭り』に来年こそ行ってみたいですし、将来的にはウィンタースポーツを子どもと一緒に楽しみたい。そして、農業体験を通じて食育にも取り組んでいきたいと思っています。安曇野で叶えたいことがたくさんあります」
持ち前の行動力でアクティブに安曇野での生活を楽しんでいる倉田さん。これから「やりたいことリスト」を家族と一緒に一つずつ実現させていくのだろう。
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