移住者プロフィール
島田 舜介さん
出身地:兵庫県加古川市、現住所:岡山県倉敷市児島地区
目次
INDEX
- 父から受け継いだ一本のデニムが、サステナブルな思考のきっかけに
- 外から来ている僕だからこそ見つけられる、岡山“らしさ”を求めて
- “好き”を“使命感”に変えた、作り手である職人との出会い
- 作り手の想いを自分たちの手で発信していきたいー
- 兄弟としても人としても、兄への信頼感はすごく強かったんです
- “背景”のあるデニムを作りたい。デニムブランド『EVERY DENIM(エブリデニム)』を創業
- 『Forbes誌が選ぶアジアの30歳以下の30人』に選出!
- 全国47都道府県を巡る“学びの旅”の中で見つけた、次なる目標
- 自然とまちとのバランス感がとてもいい場所
- 「今度は自分たちが迎える側に」。体験型宿泊施設『DENIM HOSTEL float(デニムホステルフロート)』誕生
- 職人(作り手)への想いが、環境配慮へのプロジェクトに繋がった
- デニムが作られている産地・児島を魅力的な場所にしたい
- 仲間の「輪」を感じに、フロートに遊びにきてほしい
父から受け継いだ一本のデニムが、サステナブルな思考のきっかけに
「アメカジ好きな父の影響で、子どものころからデニムは身近な存在でした。元々抱いていた“好き”という気持ちに“かっこいい”が加わったことで、『何か自分にできることはないか』という強い想いが生まれたのでしょうね」
と、デニムへの想いから口火を切ったのは、デニムブランド『ITONAMI』の共同代表を務める、島田舜介さん。
父、母、2つ上の兄・耀平さんのもと、1994年に兵庫県加古川市に誕生し、高校生までを加古川で過ごした。
彼にとって“デニム”が特別な存在になったきっかけは、中学生の頃に父から贈られた1本のデニムだったという。
子どもの頃から飛びぬけて体が大きく、中学生の頃には父親と洋服のシェアができるほどだったという彼に、お父様は自身が大切にしていたデニムを受け継いだのだという。
当時すでにファストファッションが主流となっており、彼も例外なく身に着けていたというが、当時中学生であった島田さんにも、この1本のデニムが大切に履き続ける必要のある逸品であることは瞬時に理解できたという。
“一つの物を大切にし続けることで、替えの利かない大切な存在があることを知ってほしい”という、父から息子への贈り物こそが、彼の現在のサステナブルな思考を形成する、最初のきっかけになったのではないだろうか。
外から来ている僕だからこそ見つけられる、岡山“らしさ”を求めて
高校卒業後、岡山大学環境理工学部への進学を機に、隣県の岡山県岡山市に居を移した。
大学生活を有意義なものにすべく、島田さんが自身に課した目標は、“何かに熱中することー”。
有言実行の彼は、「好きなことを見つけてビジネスに繋げる」ことを目的とした学生団体に所属し、同じ志を持った仲間たちと“岡山ならではの産業”について議論を重ねたという。
「兵庫から岡山に来た当初、『岡山は本当に何もないよ』と、地元の人たちが口を揃えて言ったんです。その言葉を受け、外から来ている僕にだからこそ見つけられる、岡山“らしさ”があるのでは、と感じました」
“好き”を“使命感”に変えた、作り手である職人との出会い
デニムに詳しくなくとも、『岡山デニム』という名前を聞いたことがある方も多いのではないだろうか。
『岡山デニム』とは、倉敷市にある児島地区と、井原市周辺にある井原地区の二つの地域から生産される“デニムの総称”を表す。
岡山が日本のみならず世界のジーンズ愛好家からも注目を集める「デニムの聖地」であることを、大学進学後に強く再認識したという島田さんは、二大聖地の一つである、倉敷市児島地区の工場見学に行く機会を得た。
「自分の好きなもの(デニム)が、今まさに目の前でつくられている光景にまず感動しましたし、何より手仕事でデニムを作る職人の姿がすごくかっこよくて、自らの職業に向き合う姿勢に圧倒されました。デニム1本1本に、職人の技術や情熱が宿っていることを知り、『ものづくりのかっこよさ』に心を奪われました」
この工場見学で目の当たりにした“職人の姿”こそが、彼のアイデンティティを確立し、歩むべき方向性を定める“大きな転機”となるー。
作り手の想いを自分たちの手で発信していきたいー
一つひとつ手作業で作られる国産ジーンズは、各工程において職人の卓越した技術がいかんなく発揮されることで、作り手それぞれの持ち味がにじみ出る、世界に一つだけのデニムを生み出している。
世界でも指折りのクオリティを誇る日本の工場では、世界的有名ブランドからの受注も数多く手がけており、児島の工場はその代表格である。
世界を唸らせる作品を次々と生み出す小さな町の工場に、彼は繰り返し足を運び、作り手と対話を重ねた。現場でしか感じられない温度感に彼の胸は高鳴り、震えるばかりだったという。
その一方で、生産量においては、機械での大量生産が可能なファストファッションの台頭により右肩下がりの一途をたどっており、人件費においても、コストの安い東南アジアに生産が移るなど、廃業に追い込まれる工場も実際に出始めていたという。
作り手の想いを知れば知るほど、「自分に何かできることはないのだろうか」と、歯がゆさばかりが強くなっていった。彼自身がそうであったように、工場という「現場」に身を置き、今までアクセスできなかった情報に触れることで、「ブランドをやりたい」と思う人や、「自分も情報発信をしたい」と思う人たちがどんどん増えていってほしい。
職人だけでなく工場で勤務する人々を取材し、作り手の想いを自分の手で発信していこう。
こうして彼の“憧れ”は、“使命感”へと姿を変えたー。
兄弟としても人としても、兄への信頼感はすごく強かったんです
彼の頭の中ですべきことは描けつつあったが、カタチにするためには、同じ信念を共有し、全幅の信頼をおける相棒が必要だった。
彼の脳裏にいちばんに浮かんできたのは、アメカジ好きの父のもとで共に育ち、大の洋服好きという共通点を持つ2つ上の兄・耀平さんの姿だったという。
「兄弟としてだけでなく人としても兄への信頼度は高かったので、“兄となら安心して一緒にできる”と思いましたったんです」
兄の耀平さんが元々文章を書く仕事に興味があったことから、インタビュー担当を舜介さんが、記事の執筆をお兄さまが担当することに。
さすが兄弟の“ツー・カー”とでも言うのか、岡山の工場に一緒に赴くうちに2人の方向性は自然と同じ方向に定まっていったといい、「今日から一緒にやろう」と示しを合わせることもなく、気が付けば二人三脚の日々がスタートしていた。
“背景”のあるデニムを作りたい。デニムブランド『EVERY DENIM(エブリデニム)』を創業
「誰がどんな想いで作っているのか。その背景を知らない人たちがあまりに多く存在する現状を知り、このままにしていいのだろうかと感じました。だからこそ、背景のわかるデニムを作りたいと思ったんです」
岡山県内の工場を数珠つなぎに紹介してもらい、工場で働く人々の声を言語化し、web上で情報発信を続けていった島田さんご兄弟。
取材を重ねていくうちに、掴みきれない砂のように指の隙間からするすると零れ落ちていく“何か”を感じるようになっていったといい、この説明のつかない感情を投影し、メッセージとして誰かに届けるためには、“有形”のものづくり、すなわち「デニム作り」に挑戦することがいちばん一番近道であるという結論を導き出した。
やりたいことは決まった。パッションも覚悟もあった。
学生だった彼らに足りなかったことといえば資金力であったが、当時まったくといっていいほど地方には浸透していなかった「クラウドファンディング」という斬新な手法を使い、資金調達を試みた。
「岡山でクラウドファンディングをやると言っても、誰もぴんときてはいませんでしたが、すごく面白い資金調達の方法だな、と当時から僕は思っていて。
可視化されると盛り上がりにも繋がりますよね。読みがうまくはまってくれた感じですね(笑)」
と話すように、クラウドファンディングは見事成功。
最初に立ちはだかったハードルを軽やかに越え、次に繋げてみせた。
「行動力と吸収力だけが頼りでしたが、周囲からの温かい支援のおかげで無事スタートを切ることができました」
こうして2015年9月、クラウドファンディングで募った資金を元手に最初の製品をリリースしたことがきっかけとなり、「消費されないデニムを届ける」という理念のもと、『ITONAMI』の前身となるデニムブランド『EVERY DENIM(エブリデニム)』を創業した。
『Forbes誌が選ぶアジアの30歳以下の30人』に選出!
創業後、「デニムを通じて、産地のものづくりについて発信しよう」と、二人三脚で奔走する日々が1年強続く。
舜介さんが児島の工場の人々とのやりとりを行い、納得のいく製品を期日までに完成させると、兄の耀平さんはキャリーバッグにデニムを詰め込み、週末の夜行バスに飛び乗って、全国各地のゲストハウスを中心に試着販売会イベントを開催したという。
『EVERY DENIM』は、銅山から産出される赤色の着色材・ベンガラをデニム生地に固着させたジーンズや、通常の5倍も伸縮性があるストレッチ性ジーンズをメインに制作を進めていたというが、従来のカジュアルな印象とは真逆の“フォーマルなデニム”を制作するため、横糸にシルクを使った光沢感のあるシルク混という生地を採用。
シルク混は通常のデニム生地に比べて縫製の際に切れやすく、生産コストの面でも通常の倍以上かかるという課題もあったが、それでも島田さんは、「溢れるほどの服の中から愛着のある自分だけの一枚を見つけてほしい」との想いから、信念を貫き、制作を続けていった。
創業当初の彼らの想い通り、「背景のあるデニム」作りを貫き続けた結果、ついに“デニム兄弟”の取組みが注目を集める。
アパレル国内生産比率が下がり日本の繊維産業が縮小傾向にある中、上質な国産デニムの製造販売を通じて“持続可能なものづくり”のあり方を提案する姿が評価され、2017年の4月に『Forbes誌が選ぶアジアの30歳以下の30人』に兄弟そろって選出されたのだ。その活躍が追い風となり、同年6月には『ガイアの夜明け』でも特集されるなど、たくさんの反響を得た。
しかしこれはほんの幕開け。進化し続ける“デニム兄弟”の新たな挑戦はここからが本番だった。
全国47都道府県を巡る“学びの旅”の中で見つけた、次なる目標
放送後、「自分たちの活動をもっと楽しく広げていきたい」との想いから、再びクラウドファンディングに挑戦し、見事成功。相棒となるキャンピングカー『えぶり号』を購入し、1年半という月日をかけて旅の構想を練ったという。
「自分たちの“デニム”と“想い”を届けるだけではなく、衣食住にまつわる“作り手”の想いに耳を傾け、多くのことを学びたい」と、2018年4月から2019年7月までの1年3ヶ月をかけて、全国47都道府県を巡った。
旅先での“出会い”は、デニム兄弟にとってかけがえのない“財産”になったといい、その“学び”の記録を、兄・耀平さんがwebマガジン『NEUT』の連載を通じて綴り、報告会を開催するなど、どこにいようとも2人は発信を続けた。
これまであえて拠点を持たずに活動をしてきたが、旅での出会いを通じて、“地域に根ざして活動している人たちはかっこいい”と強く感じ、気持ちに変化が生じていく。
「自分たちも児島の産業に携わってはいるけど、児島の外を転々としながら広めている状態だったわけです。その土地に根ざして、その土地の人からも愛されるー。そんな場所を作ることが、産地や産業にとってものすごく大きなことだと気が付きました」
その想いは兄の耀平さんも同じだった。
そうと決まれば、次に目指すべきは、拠点を持つことー。
「人との繋がりによって刺激される場所へ」と、大切な想いを込めて選んだ初めての拠点は、やはり岡山県倉敷市児島だった。
自然とまちとのバランス感がとてもいい場所
瀬戸内海に面した岡山県の最南端・児島半島の西部に位置する、人口約6万6千人のまち、倉敷市児島地区ー。
倉敷市内の緑地の大半を占め、数少なくなった砂浜などの自然海岸も有する、自然豊かな地域だ。
児島駅前の観光港を起点に瀬戸大橋をめぐる「瀬戸大橋遊覧船」をはじめ、瀬戸大橋と瀬戸内の多島海を臨む絶景ポイントとして県内有数の観光地となっている「鷲羽山(わしゅうざん)」を有するなど、市内の観光地としても、倉敷の美観地区に次ぐ人気エリアだ。
瀬戸内海式の温暖な気候のもと、年間を通じて晴れの日が多い児島の魅力を尋ねると、「自然とまちとのバランス感がとてもいい場所ですね」と、柔らかな笑みを浮かべた。
「『海』と『山』に囲まれた大自然の中にありながら、それでいてアクセス面もいい場所だと思います。
岡山から四国に入るときも必ず児島は通り道になりますし、香川や高松に行くのと岡山に行くのとでも、ほぼ同じくらいの距離感です。
生活面においても、少し車を走らせればスーパーや病院もあるので、暮らしやすい場所だと思いますよ」
「今度は自分たちが迎える側に」。体験型宿泊施設『DENIM HOSTEL float(デニムホステルフロート)』誕生
長きにわたり兄弟の活動を全力で応援し続けてくれた仲間たちの尽力もあり、2019年9月21日にオープンを果たした、体験型宿泊施設『DENIM HOSTEL float(デニムホステルフロート)』(以下、float)。
「デニムにはこういう表現もあって、こんな使い方もできるのだということを、リアルな場所として自分たちが届けていきたい」との想いから、身に着けるだけではないデニムの魅力を伝えるべく、内装にはデニムを取り入れた。
「float」のコンセプトは、漢字一文字で“浮”。
名づけの背景には、どのような想いがこめられているのだろうか。
「作り手のことを思い『浮』かべるとか、目の前に広がる瀬戸内海に島がぽこぽこ『浮』かんでいるとか、夏に『浮』かれるとか、その一文字から色々なことが連想できる『浮』の文字をカタチに、サービスを展開していきたいという想いで名付けました」
「体験型施設」とあるように、floatでは後述の『fukuen』プロジェクトの“染め”を自ら体験できるという。オープンの翌年にコロナ禍に見舞われたため実現できていなかったというが、今後は児島の工場見学のプログラムも組んでいく予定だ。
職人(作り手)への想いが、環境配慮へのプロジェクトに繋がった
“デニム兄弟”考案!環境に配慮したプロジェクト
- 『服のたね』プロジェクト
全国各地の参加者に綿の種を配布し、育ててもらう。その後回収し、オーガニックコットンとブレンドして糸を作り、その糸で製品を作るプロジェクト。 - コンセプトは「服と、ヨリを戻そう」!『fukuen』プロジェクト
汚れたり色褪せたりして着られなくなったけれど、“大事だから捨てられない”服。それらを送ってもらい、デニムの製造過程で使う染料である“インディゴ染料”を使って染め直し、お客さんにお返しして、また着てもらおうというプロジェクト。 - コンセプトは、“メイド・イン・わたしたち”。皆さんの履かなくなったジーンズを回収して粉砕し、糸に戻して、新たな製品を作る『FUKKOKU』プロジェクト
生産背景や作り手の思いを伝えていきたいと思っていても、それを一方的に伝えてもなかなか響かない。お客さんたちがプロジェクトを通して生産者側に回ることで、“生産背景に興味を持ってもらえるのではないか”と思い、始めたプロジェクト。
サステナブルな社会を実現を目指し、環境に配慮した取組みを積極的に行っている『ITONAMI』ー。
創業当初から環境に配慮した取り組みを考えていたのだろうか。
「環境に配慮した取組みをしようと最初から思っていたというよりは、『とにかく長く愛着をもって着続けてもらいたい』という、当初からの想いを原動力に企画や提案をし続けた結果、環境に配慮した取組みに繋がったという方が正しいかもしれません。
生産背景を知らない人たちに、いきなり作り手の想いやら僕たちの想いやらをぶつけたところで、それは一方的な発信にすぎませんから、それでは人の心を動かすことはできませんよね。
僕たちの取組みに共通しているのは、プロジェクトを通じて“お客さん自身に生産者側に回ってもらう”こと。自分で体験することにより、“生産背景に興味を持ってもらえるのではないか”と思ったからです」
と、島田さん。
幼少期に父親からデニムを譲り受けた経験が、サステナブルな思考を誕生させる最初のきっかけになったのだとすれば、自分自身で経験し、一人ひとりが当事者意識を持つことが、持続可能な社会を創り上げていくのかもしれない。
デニムが作られている産地・児島を魅力的な場所にしたい
歩みを止めない島田さんにこれからチャレンジしていきたいことを尋ねると、「この児島を魅力的な場所にして、デニムが好きな人を増やしていきたいですね」と、淀みなく力をこめた。
「まずは、日本のジーンズつくりに関心を持って児島に来てくれた人々に、『誰が、どんな思いで、どういう風にデニムをつくっているのか』を知ってもらい、デニムのさらなる魅力を伝えたいと思っています。
また、実際にデニムを手に取ってもらい身に着けてもらうということを超えて、単純にこのまちにも遊びに来てほしいと思います。そのために、自分たちの活動をどんどん広げていきたい。
今の“輪”がどんどん広がっていけば、僕たちが活動している場所そのものに魅力を感じてくれる人たちも、等しく増えると思うんです。それこそ僕たちをきっかけに移住をしてくれる人が増えたら嬉しいですね。
その輪が広がっているイメージは、自分の中にはしっかりとありますよ」
と、真っすぐに目線を置きながら、デニムと児島を愛する強い想いを伝えてくれた。
仲間の「輪」を感じに、フロートに遊びにきてほしい
島田さんが手がける『float』での繋がりがきっかけとなり実際に移住した人は、二拠点生活も含めると、3年半で5,6組にのぼるという。移住後、コーヒー焙煎所を開業したり、カメラマンとして活躍する仲間たちの姿から、島田さん自身も力をもらっているのだとか。
今後も仲間たちの「輪」をどんどん広げていきたいという島田さんに、先輩移住者として、移住を検討されている方にメッセージをお願いした。
「移住をする上で『コミュニティへの入りやすさ』はとても大事なことです。
僕自身は事業者として移住したので、“自分が何者であるのか”をはっきりと伝えることができ、地域の人とは接しやすかった。でも通常の移住はそうでないケースの方が多いですよね。
なので、地域の方とふれあい、交流も楽しんでもらえる場所として『float』をオープンし、カフェスペースを設けました。消費者から生産者の視点だけでなく、“生産者同士が集う場所”としても、この場所が活きてほしいですね。
また、デニムに興味を持ってくれた方に気軽に話しかけてもらえるよう、ラウンジスペースにはスタッフを配置していますので、気軽に話しかけてください。
仲間を増やしていったほうが日々も楽しいと思います。『輪』も『和』もfloatにはあると思うので、ぜひ遊びにきてください!」
温厚で穏やかでありながらも、内でめらめらと燃えたぎる灼熱感も持ち合わせている島田さん。全ての問いかけに対して、丁寧に時間をかけて自分の言葉を紡ぎ出し、児島、そしてデニムへの熱い想いを語ってくれた。
“信念を持つ者は強く、そして真に強い人は穏やかである”と言われるが、まるで瀬戸内海の凪を思わせる彼を表すにぴったりな表現だと感じた。
「デニムが作られているこの児島を魅力的な場所にしていきたい」
児島を愛する島田さんが築いた『float』には、今日も仲間たちの笑い声がこだましているのだろう。その傍らで、島田さんはおだやかな笑みを“浮”かべているに違いない。