移住者プロフィール
ジェフ ラッジさん
移住時期
2005年
出身地:スイス、前住所:フランス、職業:提灯職人、「飯島工作所」の二代目を承継すべく、見習い修行中
目次
INDEX
- 那珂市への移住の経緯は?
- 「飯島工作所」は、30年以上に渡ってお義父様が提灯づくりをしている工房ですね。2017年から見習いとして歩み始めたそうですが、ラッジさんが提灯職人を目指すきっかけはなんだったのでしょう?
- ラッジさんから「家業を引き継ぎたい」という意志を示された時は、どんなお気持ちでしたか?
- 「水府」とは水戸の異称で、江戸時代に発達し、岐阜提灯、八女提灯と並び、日本の提灯の名産として知られていますね。水府提灯はどのように作るのですか?
- ラッジさんにとって、提灯づくりの面白さはどこにありますか?
- 現代の住宅や商業施設などにマッチする提灯の技を活かした照明づくりや、伝統の提灯にステンドグラスを取り入れるなど、お二方による新たな商品開発の動きが進んでいるそうですね
- 今、こうして、日本で提灯づくりをしていることについてどのように感じますか?
- お母様仕込みで、パンづくりも得意だそうですね
那珂市への移住の経緯は?
ジェフ・ラッジさん(以下、ラッジ):私は、イギリス人とドイツ人のハーフで、スイス生まれのフランス育ちです。2002年に、ワーキングホリデーでニュージーランドを訪れた時に奥さんと出会い、結婚しました。2005年に、奥さんの故郷である那珂市で暮らし始めました。
「飯島工作所」は、30年以上に渡ってお義父様が提灯づくりをしている工房ですね。2017年から見習いとして歩み始めたそうですが、ラッジさんが提灯職人を目指すきっかけはなんだったのでしょう?
ラッジ:『提灯をつくる人が少なくなっている』とお義父さんに聞いたことがきっかけで、この家業を引き継ごうと思いました。私はこれまで色々な国を巡ってきました。
知らなかった国の文化に触れて、わからなかったものがわかるようになるのが面白いんです。だからここに来て、提灯づくりをすることになったのも、私の中ではとても自然なことです。もともと、自分の手でモノを作ることも好きですしね。
ラッジさんから「家業を引き継ぎたい」という意志を示された時は、どんなお気持ちでしたか?
飯島實(みのる)さん(以下、飯島):嬉しいもんですよ。提灯づくりを継いでくれるっていうのは。二代目が外国人と言うと、皆さんびっくりします。まあ、私が一番びっくりしたんですがね。
「水府」とは水戸の異称で、江戸時代に発達し、岐阜提灯、八女提灯と並び、日本の提灯の名産として知られていますね。水府提灯はどのように作るのですか?
ラッジ:まず竹を割って、節を削り、皮を取ります。幅も厚さも均一になるよう削り整え、ヒゴにしてから、木型に輪の状態にしてはめ込みます。ヒゴ一本一本に糸をかけて丈夫にして、最後に紙を貼ります。
ヒゴをらせん状にせず、輪っかにして糸をかけるこの製法は、お義父さんがむかし、水戸の「水府提灯」をつくる知り合いのもとで教わったものだそうです。水府提灯をつくる人も減り、お義父さんはその流れを汲む数少ない職人の一人です。
ラッジさんにとって、提灯づくりの面白さはどこにありますか?
ラッジ:面白いのは、竹がその時々でいつも違うことです。自然のものですから、曲がっていたり、硬かったり、柔らかかったり。それを毎回手で調整しながらつくるのがとても楽しいです。
現代の住宅や商業施設などにマッチする提灯の技を活かした照明づくりや、伝統の提灯にステンドグラスを取り入れるなど、お二方による新たな商品開発の動きが進んでいるそうですね
ラッジ:ステンドグラスづくりは、ドイツのお祖父さんから教わったので、その技が活かせると思っています。日本の和紙と竹を組み合わせることで、「新たな明かりを灯す」ことができるのではないかと、いまお義父さんと試行錯誤して挑戦しています。
今、こうして、日本で提灯づくりをしていることについてどのように感じますか?
ラッジ:好きな人に出会い、好きなモノづくりに出会った。知らないところで、楽しいと感じることやモノに巡り会う。これ、人生の不思議ですね(笑)。
お母様仕込みで、パンづくりも得意だそうですね
ラッジ:とにかく「つくる」ことが好きです。それは仕事だけでなく、暮らしでも。これから小麦を畑で育ててみたいです。小麦づくりから始めて、その焼いたパンを家族で食べる。そして、いずれは自給自足の生活をしてみたいです。自然に囲まれた那珂市でなら実現できるでしょう。