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生産者プロフィール
小池雅章さん
出身地:木島平村
居住地:木島平村
職業:水稲農家(専業)
生産物:お米
趣味・特技:サッカー・音楽鑑賞
生産者への道を志した経緯やきっかけについて教えて下さい。
父が米と野菜を生産する農家で、たまたま父に誘われて農作業のアルバイトをした時、「建物の中で机に向かう仕事をするよりも自然に囲まれてやる仕事の方が向いているな」と思いました。それがきっかけで、農業の世界に飛び込もうと決めました。
自分の中では別の進路を考えていたので、農家になろうとは思っていませんでした。中学生の時に父から「農業を継がないか」と言われた時、私は「自分の人生だから自分で決める」と断ったのだと聞いています(笑)。
自分ではその記憶が全くないのですが、高校卒業後も好きなインテリアや建築のことを学ぶ専門学校に進学するなど、農業とは別の方向に進んでいましたし、当時は「農業を継ごう」とは思っていなかったのでしょう。専門学校を卒業後に父の元で就農し、今では父から代替わりをして、自分が経営者として専業で水稲農家をしています。
生産物(返礼品)の魅力について教えて下さい。
この木島平村は、山に囲まれていて、水が綺麗で、美味しい作物がとれる地域です。長野県は全国でも農薬使用基準が厳しく、農薬や化学肥料はなるべく減らした育て方をしています。
今うちで生産しているお米の種類は、8品種です。普段食べるお米としては、「コシヒカリ」「キヌヒカリ」「ゆうだい21」「風さやか」「にじのきらめき」の5種で、日本酒を醸すための酒米では「金紋錦」「山恵錦」「美山錦」の3種です。村内でこれだけ多く育てているのは、私くらいだと思います。
中には酒蔵との契約栽培で作っている酒米があり、出来上がったお酒に、生産者として自分の名前が記載されていることがとても嬉しくて、それを見せて宣伝することもあります。
寿司屋や和食店など飲食業の方からも継続して注文を受けたり、個人の方が買い続けたりしてくれているのは、美味しいと思ってもらえているということなのかな、と嬉しく思っています。
木島平村の魅力について教えて下さい。(自然やグルメ、オススメスポットなど)
木島平村は自然が豊かなので、景色の美しさも魅力です。夏場のゲレンデから見る星の輝きや、遠く月明かりで浮かぶ稜線、何気ない地元の景色、ふと周りをみれば山に囲まれていて、冬には雪が降り四季を感じられます。
この環境で暮らせることは魅力だと思っています。個人的に好きなのは、夏の日暮れに、大塚山という小山の近くにあるほ場(田や畑など農地のこと)にいると、陰からひぐらしの声が聞こえてくる瞬間です。
周りではセミが鳴いている中、そこだけひぐらしの涼しげな声がします。暑い中、1日仕事をした終わりに、ふっと脱力できるような時間がとても心地よくて好きです。
専門学校生の時に数年だけ村外で暮らしたとはいえ、自分にとっては当たり前に過ごしてきた地域なので、気が付いていない魅力もきっとあると思います。ただ改めて考えると、やはり私はこの地域が好きです。
グルメでいえばやはり「木島平米」です。たまに出張などで都心へ行って安めのホテルで朝食を食べると、自分たちのお米は美味しくてツヤがあるなと思います。
おすすめの食べ方は、炊き立てのごはんをそのままいただくことです。塩むすびにしたり、漬物と食べたりするだけでも十分おいしいです。
お仕事のやり甲斐はなんですか?
自分が作ったものを「美味しい」と言って、続けて食べてくれる人達がいることです。それが全てです。
米をタネから育てて苗にして、ひとつの命を育てているので、収穫の喜びは大きいです。その収穫した米が、さらに買ってくださる方、食べてくださる方の元に届いて、喜んでもらえると思うと嬉しいです。
同時に米も生き物なので、その年の天候や環境によって左右されるし、出来が毎年違ってきます。それは農家として大変なことでもあり、だからこそのやり甲斐とも感じています。
苦労とやり甲斐は、表裏一体です。例えば、昨今の気候変動で猛暑や降水不足が続くと渇水で水の取り合いになります。
行政支援も多少はありますが、エンジンポンプを設置したり排水路からパイプをつないだり、という実質的な作業は主に個人負担での対処が必要になります。
また、天候や地域などの諸条件が異なるため、情報収集はマメにしています。農業技術に関しては、自動運転のシステムなど先進技術も積極的に試して、全国でつながっている農家仲間と情報交換をし合いながら、楽しんでやっています。
仕事していて大変なことや困難だと感じることを教えて下さい。
大変なことばかりです。でも、「苦労と思ったら負ける」と思ってやっています。
農繁期は、朝4時には起きて、できるだけ作業をして、帰る頃には19時を過ぎている、それが毎日続きます。うちは個人経営の専業農家なので、仕事でいえば常に「ブラック」です。
良くも悪くもすべて自分に返ってくる仕事なので、自分自身で折り合いをうまくつけて調整をしながら日々こなしています。
正直なところ、「逃げ出したい」と思ったことも何度かありました。一度は「何もする気になれない」という状態にまでなりました。でも「ただ逃げても変わらないな」と、思い切って父に自分の考えをぶつけてみたんです。
そうしたら、結果的にお互い理解し合えたので、行動してみてよかったと思いました。今は父から経営を引き継いで経営者になりました。
最近では、一番下の息子がやっているサッカーチームの練習に合わせて、農繁期でもなるべく時間を作って家族に合わせるようにしています。余裕を持ちながら仕事ができたらいいなと思ってやっています。
冬に農業が休みになる間は道路除雪の仕事という季節労働的な働き方をしていますが、理想は、春から秋にかけての農業で1年分を稼ぐことだと思っています。なので最近では冬の仕事を少し減らしています。
今後の展望や、挑戦してみたいことについて教えてください。
目下、法人化を目指しています。
現在のように、個人への依存度が高い状況では、万が一その人が病気など何らかの事情で離農したら終わってしまう。それではこの先20年、30年後には行き詰まってしまう可能性が高いと懸念しています。
この先、農業に携わる人がどんどん高齢化して、「次は誰がやるの?」という話になった時、自分たちの子どもをあてにするよりも意欲のある人間を呼んでこられるような仕組みを考えて、永続的な経営を続けられるようにしたいというのが私の考えです。
「法人」という形にする方が個人の農家よりも信用度が高まりますし、新たな人材の受け皿にもなれたらと思っています。そのためには、うち一軒だけより、理念を共有できる仲間と一緒に複数農家での法人設立が望ましいとも考えています。
あえて「農業法人」といわないのは、将来的に農業以外の事業展開も視野に入れたいからです。まだ構想の段階で、これから形にしていくところですが、この先何十年、何百年後も村の農業や農地を守りたい、それが自分の願いです。
移住して一次産業を目指す方へメッセージをお願いします。
「やりたい」という気持ちと、「本当にそれができるかどうか」は別ということはお伝えしたいです。農業でいえば、品種によって必要な設備や、それにかかる費用も大きく異なります。
「産業」として考えた時に、米は畑作物に比べて大きな設備投資が必要なため、全くゼロから始めることは難しいです。田んぼの面積もある程度の大きさが必要ですし、販路開拓も含めて、いきなりはうまくいかないことの方が多いでしょう。
だからこそ法人を立ち上げて、「まずうちで働いてみないか」と言えるようにできたらいいなと思っています。最近は、就農の為この村に移住する若い方も少しずつ増えているようですし、就農や移住に対する支援も色々あると思います。
ぜひ一度、木島平村にも遊びにきてください!