移住者プロフィール
濵田 祐一朗さん
移住時期
2009年
前住所:東京都、現住所:鹿児島県南大隅町、職業:農業
目次
INDEX
南大隅町へ移住した理由を教えてください
濵田祐一朗さん(以下、濵田):東京から父親が暮らす鹿屋市に戻ってきたのが2009年でした。しかし、鹿屋は桜島の降灰の影響を受けやすいので、他の場所に定住しようと考えていました。最初はねじめ農園で職員募集があり、採用されたことが定住の足掛かりとなりました。
移住後は農園で勤務していたのですね
濵田:一人でやろうという気持ちはあったけどスキルがなくて、法人に入ったんです。そこでの栽培は、ネギやサツマイモが主でした。南大隅町に移住して丸7年が過ぎ、ようやく2年前に独立しました。
露地植えのアボカド5アールから生産をスタートしてその後、耕作放棄地だった畑をビニールハウスごと借り受け、栽培面積を20アールにまで広げました。
最初はビニールハウスの天井まで生い茂った草木を払って、ハウスの基礎をコンクリートで養生するところから始めました。ハウス栽培にアボカドやパイナップル、パッションフルーツを選んだのは、他の人と生産品目が競合しないようにしたかったからです。
朝は8時ぐらいから、夕方は5時ぐらいまで作業し、天気次第では休みもない根気のいる仕事ですが、組織に属さないのでストレスフリーです。
移住にあたりご家族の反応はいかがでしたか?
濵田:今ではゴールドビーチで知られる大浜に自宅を新築しました。魚釣りが趣味なのですが、この悠々自適な暮らしぶりを見て、弟家族4人も神戸から移住してきました。うれしいことに、一緒に農業に従事しています。鹿屋に住む両親も様子を見にきては草取りや収穫などの農作業を手伝ってくれます。
サラリーマンからの転身にご不安はありませんでしたか?
濵田:前職はサラリーマンをしていました。国際協力機構(JICA)などの委託を受け、東南アジア各地を回り、河川防災などの建設コンサルタント業務に携わっていました。海外を転々としていたので、帰国後はできれば1カ所に定住して、じっくり仕事をしたいと考えていました。
移住後の就農については、南大隅町には果樹の営農指導員がいて、助言や指導をしてくれる環境が整っています。町の入植制度などが活用できるので助かっています。アボカドはようやく収入につながるまでになりました。
パイナップルは2017年の10月に植えて2018年に出荷できましたが、まだまだこれからです。つなぎになるのが、パッションフルーツ。1年1年お金になるので助かります。アボカドやパイナップルは、農協に出荷し、一部を地元の直売所である「なんたん市場」に出荷しています。
営業より作る方に集中しています。収入はサラリーマン時代より大幅に減ったけど、家も建てられたし、ここでの暮らしに満足しています。
南大隅町役場経済課(果樹営農指導員)岩下 恭一さんからの就農アドバイス
岩下 恭一さん:濵田さんの就農については、技術指導のほか、南大隅町の農業者入植促進事業という制度でサポートさせていただきました。これは、南大隅町で新たに自立する方を対象に、就農奨励金を交付するという内容で支援を行うものです。
そのほか、農協や直売所などの販路の紹介等を行いました。濵田さんの場合は、コンサルタントだったというキャリアの方で、農業への理解も早く、上手に農業をスタートできたケースだと思います。
出典: http://furusato-kagoshima.com/minamioosumi/syuunou/01.html